方丈記 第2章
治承の辻風と福原遷都
治承四年四月、中御門京極から六条あたりまで、すさまじい辻風が吹き抜けて家々をなぎ倒す。同じ年の六月には、突然、都が摂津国の福原へ移され、人々は家をこわして新都へ運ぶが、狭く荒れた新都は完成しないまま、冬には京へ戻ることになる。

- 1またまたまた治治じ承承しょう四四し年年ねん卯卯う月月づき廿廿にじゅう九九く日日にちのののころころころ、、、中中なかののの御御み門門かど京京きょう極極ごくのののほどほどほどよりよりより、、、大大おおいなるなるなるつじつじつじ起起おこりりりててて、、、六六ろく條條じょうわたりわたりわたりまでまでまで、、、いかめしくいかめしくいかめしく吹吹ふきききけるけるけることことこと侍侍はべりりりききき。。。
- 2三三さん四四し町町ちょうをををかけかけかけててて吹吹ふきききまくるまくるまくるににに、、、そのそのその中中なかにににこもれこもれこもれるるる家家いえどもどもども、、、大大おおいなるなるなるもももちひさきちひさきちいさきももも、、、一一ひとつつつとととしてしてしてやぶれやぶれやぶれざるざるざるはははなしなしなし。。。さながらさながらさながらひらひらひらにににたふれたふれたおれたるたるたるもももありありあり。。。けたけたけたはしらはしらはしらばかりばかりばかり殘殘のこれれれるるるもももありありあり。。。又又また門門かどののの上上うえををを吹吹ふききき放放はなちちちててて、、、四四し五五ご町町ちょうがががほどほどほどににに置置おききき、、、又又また垣垣かきををを吹吹ふききき拂拂はらひひいててて、、、隣隣となりととと一一ひとつつつににになせなせなせりりり。。。
- 3いはむやいはむやいわんや家家いえののの內內うちのののたからたからたから、、、數數かずをををつくしつくしつくしててて空空そらにににあがりあがりあがり、、、ひはだひはだひわだ板板いたのののたぐひたぐひたぐい、、、冬冬ふゆののの木木こののの葉葉はののの風風かぜににに亂亂みだるゝるゝるるがががごとしごとしごとし。。。塵塵ちりををを煙煙けぶりのののごとくごとくごとく吹吹ふききき立立たてててたれたれたればばば、、、すべてすべてすべて目目めももも見見みえええずずず。。。おびたゞしくおびたゞしくおびただしくなりなりなりとよむとよむとよむ音音おとににに、、、物物ものいふいふいう聲聲こえももも聞聞きこえええずずず。。。かのかのかの地地じ獄獄ごくののの業業ごうなりなりなりともともとも、、、かばかりかばかりかばかりにににとととぞぞぞ覺覺おぼゆるゆるゆる。。。
- 4家家いえののの損損そん亡亡もうするするするのみのみのみならならならずずず、、、これこれこれをををとりとりとり繕繕つくろふふう間間あいだににに、、、身身みをををそこなひそこなひそこないててて、、、かたはかたはかたわづけるづけるずけるものものもの數數かずををを知知しらららずずず。。。このこのこの風風かぜひつじひつじひつじさるさるさるのののかたかたかたににに移移うつりりり行行ゆきききててて、、、多多おおくくくののの人人ひとのののなげきなげきなげきをををなせなせなせりりり。。。つじつじつじかぜかぜかぜはははつねつねつねににに吹吹ふくくくものものものなれなれなれどどど、、、かゝるかゝるかかることことことやややはははあるあるある。。。たゞたゞただごとごとごとにににあらあらあらずずず。。。さるさるさるべきべきべき物物もののののかかかなななとととぞぞぞ疑疑うたがひひい侍侍はべりりりししし。。。
- 5又又またおなじおなじおなじ年年としののの六六ろく月月がつののの頃頃ころ、、、にはかにはかにはかににに都都みやこ侍侍はべりりりききき。。。いといといと思思おもひひいののの外外ほかなりなりなりししし事事ことなりなりなり。。。大大おおかたかたかたこのこのこの京京きょうのののはじめはじめはじめををを聞聞きけけけばばば、、、嵯嵯さ峨峨がののの天天てん皇皇のうののの御御おおん時時とき、、、都都みやことととさだまりさだまりさだまりにににけるけるけるよりよりより後後のち、、、既既すでににに數數すう百百ひゃく歲歲さいををを經經へたりたりたり。。。
- 6異異ことなるなるなるゆゑゆゑゆえなくなくなくててて、、、たやすくたやすくたやすく改改あらたまるまるまるべくべくべくもももあらあらあらねねねばばば、、、これこれこれををを世世よののの人人ひと、、、たやすからたやすからたやすからずずずうれへうれへうれえあへあへあえるるるさまさまさま、、、ことわりことわりことわりにににももも過過すぎぎぎたりたりたり。。。されどされどされどとかくとかくとかくいふいふいうかひかひかいなくなくなくててて、、、みかどみかどみかどよりよりよりはじめはじめはじめ奉奉たてまつりりりててて、、、大大だい臣臣じん公公く卿卿ぎょうことごとくことごとくことごとく攝攝せつ津津つ國國のくに難難なに波波はののの京京きょうにににうつりうつりうつり給給たまひひいぬぬぬ。。。
- 7世世よににに仕仕つかふるふるうるほどほどほどののの人人ひと、、、誰誰たれかかかひとりひとりひとりふるふるふるさとさとさとににに殘殘のこりりり居居おらららむむん。。。官官かん位位いににに思思おもひひいをををかけかけかけ、、、主主しゅ君君くんのののかげかげかげををを賴賴たのむむむほどほどほどののの人人ひとははは、、、一一ひと日日ひなりなりなりともともとも、、、とくとくとくうつらうつらうつらむむんとととはげみはげみはげみあへあへあえりりり。。。時時ときををを失失うしなひひい世世よにににあまさあまさあまされれれててて、、、するするする所所ところなきなきなきものものものははは、、、愁愁うれへへえながらながらながらとまりとまりとまり居居おれれれりりり。。。
- 8軒軒のきををを爭爭あらそひひいししし人人ひとのののすまひすまひすまい、、、日日ひををを經經へつゝつゝつつあれあれあれ行行ゆくくく。。。家家いえはははこぼたこぼたこぼたれれれててて淀淀よど川川がわににに浮浮うかびびび、、、地地ちははは目目めののの前前まえににに畠畠はたけとととなるなるなる。。。人人ひとののの心心こころ皆皆みなあらたまりあらたまりあらたまりててて、、、たゞたゞただ馬馬うま鞍鞍くらをををのみのみのみ重重おもくくくすすす。。。牛牛ぎっ車車しゃををを用用ようとととするするする人人ひとなしなしなし。。。西西さい南南なん海海かいののの所所しょ領領りょうをををのみのみのみ願願ねがひひい、、、東東とう北北ほく國國こくののの庄庄しょう園園えんをををばばば好好このまままずずず。。。
- 9そのそのその時時とき、、、おのづからおのづからおのずから事事ことのののたよりたよりたよりありありありててて、、、津津つののの國國くに今今いまののの京京きょうににに到到いたれれれりりり。。。所所ところのののありさまありさまありさまををを見見みるるるににに、、、そのそのその地地ちほどほどほどせまくせまくせまくててて、、、條條じょうをををわるわるわるにににたらたらたらずずず。。。北北きたははは山山やまにににそひそひそいててて高高たかくくく、、、南南みなみははは海海うみににに近近ちかくくくてててくだれくだれくだれりりり。。。なみなみなみののの音音おとつねつねつねにににかまびすしくかまびすしくかまびすしくててて、、、潮潮しお風風かぜ殊殊ことにににはげしくはげしくはげしく、、、內內だい裏裏りははは山山やまののの中中なかなれなれなればばば、、、かのかのかの木木きののの丸丸まろもももかくかくかくやややととと、、、なかなかなかなかなかなかやうやうようかはりかはりかわりててて、、、いういういうなるなるなるかたかたかたももも侍侍はべりりりききき。。。
- 10日日ひ々々びにににこぼちこぼちこぼちててて川川かはもももせきせきせきあへあへあえずずずはこびはこびはこびくだすくだすくだす家家いえはははいづくいづくいずくにににつくれつくれつくれるるるにににかかかあらあらあらむむん。。。なほなほなおむなしきむなしきむなしき地地ちははは多多おおくくく、、、作作つくれれれるるる屋屋やはははすくなしすくなしすくなし。。。ふるふるふるさとさとさとははは既既すでにににあれあれあれててて、、、新新しん都都とはははいまだいまだいまだならならならずずず。。。ありとしあるありとしあるありとしある人人ひと、、、みなみなみな浮浮うき雲雲ぐものののおもひおもひおもいをををなせなせなせりりり。。。元元もとよりよりより此此こ處處こににに居居おれれれるるるものものものははは、、、地地ちををを失失うしなひひいてててうれへうれへうれえ、、、今今いまうつりうつりうつり住住すむむむ人人ひとははは、、、土土ど木木ぼくのののわづらひわづらひわずらいあるあるあることことことをををなげくなげくなげく。。。
- 11道道みちのののほとりほとりほとりををを見見みれれればばば、、、車車くるまににに乘乘のるるるべきべきべきはははうまうまうまににに乘乘のりりり、、、衣衣い冠冠かん布布ほうなるなるなるべきべきべきはははひたゝれひたゝれひたたれををを着着きたりたりたり。。。都都みやこのののたちまちたちまちたちまちにににあらたまりあらたまりあらたまりててて、、、唯唯ただひなびひなびひなびたるたるたる武武もの士士のうにににことことことならならならずずず。。。これこれこれははは世世よののの亂亂みだるゝるゝるる瑞瑞ずいとととかかか聞聞ききききおけおけおけるるるもももしるくしるくしるく、、、日日ひををを經經へつゝつゝつつ世世よののの中中なかうきうきうき立立たちちちててて、、、人人ひとののの心心こころももも治治おさまらららずずず、、、民民たみのののうれへうれへうれえつひにつひについにむなしからむなしからむなしからざりざりざりけれけれければばば、、、おなじおなじおなじ年年としののの冬冬ふゆ、、、猶猶なおこのこのこの京京きょうににに歸歸かえりりり給給たまひひいにににききき。。。
- 12されどされどされどこぼちこぼちこぼちわたせわたせわたせりりりししし家家いえどもどもどもはははいかにいかにいかになりなりなりにににけるけるけるにににかかか、、、ことごとくことごとくことごとく元元もとのののやうやうようにににももも作作つくらららずずず。。。ほのかほのかほのかににに傳傳つたへへえ聞聞きくくくににに、、、いにしへいにしへいにしえのののかしこきかしこきかしこき御御み代代よにににははは、、、あはれみあはれみあわれみをををもてもてもて國國くにををををさめをさめおさめ給給たまふふう。。。則則すなわちちち御御ご殿殿てんににに茅茅かやをををふきふきふきててて軒軒のきをををだにだにだにとゝのへとゝのへととのえずずず。。。煙煙けぶりのののともしきともしきともしきををを見見み給給たまふふう時時ときははは、、、かぎりかぎりかぎりあるあるあるみつぎみつぎみつぎものものものをををさへさへさへゆるさゆるさゆるされれれききき。。。これこれこれ民民たみをををめぐみめぐみめぐみ、、、世世よをををたすけたすけたすけ給給たまふふうににによりよりよりてててなりなりなり。。。今今いまののの世世よののの中中なかのののありさまありさまありさま、、、昔昔むかしににになぞらへなぞらへなぞらえててて知知しりりりぬぬぬべしべしべし。。。
現代語訳
また、治承四年四月二十九日のころ、中御門京極のあたりから、大きな辻風が起こって、六条のあたりまで、激しく吹いたことがございました。
三、四町にわたって吹きまくったので、その中に入った家々は、大きな家も小さな家も、一つとして壊れないものはない。そのままぺしゃんこに倒れたものもある。桁と柱だけが残ったものもある。また門の屋根を吹き飛ばして、四、五町も先に落とし、また垣根を吹き払って、隣の家と一続きにしてしまった。
まして家の中の家財は、ことごとく空に舞い上がり、檜皮や板葺きの屋根板のたぐいは、冬の木の葉が風に乱れ飛ぶようである。塵を煙のように吹き立てたので、まったく目も見えない。すさまじく鳴りとどろく音に、人のものを言う声も聞こえない。あの地獄の業風であっても、これほどであろうかと思われる。
家が壊れただけでなく、それを修理するあいだに、けがをして体が不自由になった者は数えきれない。この風は西南の方角に移っていって、多くの人を嘆かせた。辻風はいつも吹くものだけれど、こんなことがあるだろうか。ただごとではない。しかるべきものの前触れだろうかと疑ったことでございます。
また同じ年の六月のころ、突然、遷都がございました。まったく思いもかけないことだった。そもそもこの平安京の始まりを聞くと、嵯峨天皇の御代に都と定まってから後、すでに数百年がたっている。
特別な理由もなく、たやすく改まるはずもないので、これを世の人々が、穏やかでなく心配し合うさまは、まったくもっともなことであった。けれども、あれこれ言ってもどうしようもなく、天皇をはじめとして、大臣・公卿もみな摂津国の難波の京(福原)へお移りになった。
朝廷に仕えるほどの人で、誰が一人旧都に残っていようか。官職や位に望みをかけ、主君の恩恵を頼みにするほどの人は、一日でも早く移ろうと励み合った。時勢に取り残され、世の中から見捨てられて、将来に期待するところのない者は、嘆きながら残っていた。
軒を競って建っていた人々の住まいは、日がたつにつれて荒れていく。家は取り壊されて淀川に浮かべられ、土地は見る見るうちに畑となる。人の心はすっかり変わって、ただ馬や鞍ばかりを重んじる。牛車を使う人はいない。西南の海沿いの領地ばかりを望み、東北の荘園は好まない。
そのとき、たまたまついでがあって、摂津国の新しい都に行った。その場所のありさまを見ると、土地が狭くて、条里を区画するのに足りない。北は山に沿って高く、南は海に近くて低くなっている。波の音がいつもやかましく、潮風がことに激しく、内裏は山の中なので、あの(斉明天皇の)木の丸殿もこのようであったろうかと、かえって趣が変わっていて、優雅なところもございました。
毎日取り壊して川も流れをせき止めるほどに運び下した家は、いったいどこに建てたのだろうか。それでもまだ空き地は多く、建てた家は少ない。旧都はすでに荒れて、新都はまだできあがらない。ありとあらゆる人は、みな浮雲のように落ち着かない思いをしていた。もとからこの地に住んでいた者は、土地を失って嘆き、今移り住む人は、土木工事の苦労があることを嘆く。
道ばたを見ると、牛車に乗るはずの者は馬に乗り、衣冠や布衣を着るはずの者は直垂を着ている。都の風俗はたちまち変わって、まるで田舎びた武士と変わらない。これは世の中が乱れる前兆と聞いていたが、そのとおりに、日がたつにつれて世の中は浮き足立って、人の心も落ち着かず、民の嘆きがついに現実のものとなったので、同じ年の冬、やはりこの京にお帰りになった。
けれども、取り壊してしまった家々はどうなってしまったのか、すべてが元どおりに建てられたわけではない。かすかに伝え聞くところでは、昔の賢明な御代には、慈しみの心で国をお治めになった。すなわち、御殿に茅を葺いても、その軒先さえ切りそろえなかった。民家の炊事の煙が少ないのをご覧になったときは、決まった税さえお許しになった。これは民を恵み、世を助けようとなさったからである。今の世の中のありさまは、昔と比べてみればわかるであろう。
意訳
辻風の段は、家が「ひらにたふれ」、桁と柱だけが残り、門の屋根は四、五町も飛ばされ、屋根板が冬の木の葉のように舞うと、被害を一つ一つ数え上げるように描く。音と塵で何も見えず聞こえない様子を「地獄の業風」にたとえ、最後には「さるべき物のさとし」、つまり何か大きな異変の前触れではないかと結ぶ。その予感は、すぐ後の遷都で現実のものとなる。
福原遷都の段では、天災ではなく人為による災厄が語られる。官位を望む者は先を争って新都へ移り、取り残された者は嘆き、家は壊されて淀川を流れ下る。新都は狭く、波の音と潮風に満ち、いつまでもできあがらない。牛車をやめて馬に乗り、直垂を着る人々の姿に、作者は貴族の都が武士の世へと変わっていく兆しを見ている。
結びでは、仁徳天皇が民家の煙の少ないのを見て税を免じたという故事を引き、民を顧みない今の政治をそれとなく批判している。遷都を主導した平清盛の名は出さないが、批判の向かう先は明らかである。
語釈・文法注
- つじかぜ
- 辻風。つむじ風、旋風。
- ひはだぶき
- 檜皮葺き。檜の皮で屋根を葺いたもの。
- 業風
- 仏教で、地獄に吹くという激しい風。罪人の生前の業(行い)によって吹くとされる。
- さとし
- 神仏のお告げ。異変の前触れ。
- 都うつり
- 遷都。治承四年(1180)六月、平清盛の主導で、安徳天皇・高倉上皇・後白河法皇が摂津国福原(今の神戸市)へ移った。同年十一月には京へ戻った。
- ご
- 「期(ご)する」。期待する、当てにする。
- 條里
- 都の区画。東西の「条」と南北の「坊」で碁盤の目のように区切った。
- 木の丸殿
- 丸木のままで造った粗末な御殿。斉明天皇が百済救援のため筑紫の朝倉に営んだ行宮が知られる。
- 布衣
- 狩衣の一種で、六位以下の者や、くつろいだときの貴族が着た服。「衣冠」は略式の正装。
- てふり
- 「手振り」。風俗、ならわし。
- 瑞相
- めでたいこと、または変事が起こる前に現れるしるし。前兆。
文法
- 「つじかぜはつねに吹くものなれど、かゝることやはある」
- 「やは」は反語。辻風はいつも吹くものだが、こんなことがあろうか、いやない。
- 「誰かひとりふるさとに殘り居らむ」
- 「か」は反語の係助詞で、結びは推量の助動詞「む」の連体形。誰が一人旧都に残っていようか、誰も残りはしない。
- 「いづくにつくれるにかあらむ」
- 「にかあらむ」は、断定「なり」の連用形「に」+係助詞「か」+ラ変「あり」の未然形+推量「む」。…であろうか、と疑問を示す。結びの「あらむ」が省略されずに残った形。
- 「見給ふ時は」
- 「見」は「見る」の連用形で、「給ふ」が付いた尊敬の表現。底本は「見給ふ」と書く。
解説
治承の辻風(1180年)は、中御門京極(今の京都市上京区)から六条あたりまで、都の東部を南北に縦断した竜巻と考えられている。藤原定家の日記『明月記』や、九条兼実の『玉葉』にも同じ日の記事があり、『方丈記』の描写が誇張でないことがわかる。
福原遷都は、平清盛が日宋貿易の拠点である大輪田泊(今の神戸港)に近い福原へ都を移そうとしたもので、わずか半年で京へ戻った。作者はこの間に実際に福原を訪れていて、狭い土地、波と潮風、未完成の新都といった観察は、見た者でなければ書けないものである。
「車に乘るべきはうまに乘り、衣冠布衣なるべきはひたゝれを着たり」という一文は、平安貴族の文化が武士の風俗に置き換わっていく時代の転換を、服装と乗り物の変化で端的に示した部分として、しばしば引用される。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(方丈記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、542–544頁(コマ283–284)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日