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おくのほそ道 第21章

塩竈明神

早朝、塩竈明神に参詣する。藩主が再建した壮麗な社殿に、辺境にも神威が行きわたる日本の風俗の尊さを思う。神前の古い宝燈に「文治三年和泉三郎奇進」とあるのを見て、義経に忠義をつくした藤原忠衡をしのぶ。

朝日に輝く塩竈神社の社殿と、神前の古い鉄の宝燈(AI生成)
朝日に輝く塩竈神社の社殿と、神前の古い鉄の宝燈
  1. 1早朝さうてう早朝さうてうそうちょう、、、がまのがまのがまの明神みやうじん明神みやうじんみょうじんににに詣まう詣まうもう。。。せられてせられてせられて、、、宮柱みやばしら宮柱みやばしらみやばしらふとしくふとしくふとしく、、、きらびやかにきらびやかにきらびやかに、、、石いし石いしいしのののににに重かさな重かさなかさなりりり、、、朝日あさひ朝日あさひあさひ玉たま玉たまたまがきがきがきをををかゞやかすかゞやかすかがやかす。。。
  2. 2かゝるかゝるかかる道みち道みちみちののの果はて果はてはて、、、塵土ぢんど塵土ぢんどじんどののの境さかひ境さかひさかいまでまでまで、、、神靈しんれい神靈しんれいしんれいあらたにましますこそあらたにましますこそあらたにましますこそ吾國わがくに吾國わがくにわがくにののの風俗ふうぞく風俗ふうぞくふうぞくなれといとなれといとなれといと貴たふと貴たふととうとけれけれけれ。。。神前しんぜん神前しんぜんしんぜんににに古ふる古ふるふるききき。。。かねのかねのかねの戸と戸ととびらのびらのびらの面おもて面おもておもてににに、、、ととと有あり有ありあり。。。
  3. 3五百年來ごひやくねんらい五百年來ごひやくねんらいごひゃくねんらいののの俤おもかげ俤おもかげおもかげ、、、今いま今いまいま目め目めめののの前まへ前まへまえにににうかびてうかびてうかびて、、、そゞろにそゞろにそぞろに珍めづら珍めづらめずらししし。。。渠かれ渠かれかれはははののの士也しなり士也しなりしなり。。。佳命今かめいいま佳命今かめいいまかめいいまににに至いた至いたいたりてしたはずといふりてしたはずといふりてしたわずという事こと事ことことなしなしなし。。。誠人能道まことにひとよくみち誠人能道まことにひとよくみちまことにひとよくみちををを勤義つとめぎ勤義つとめぎつとめぎををを守まもる守まもるまもるべしべしべし。。。名な名ななもまたもまたもまた是これ是これこれにしたがふとにしたがふとにしたがうと云い云いいりりり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

早朝、塩竈明神に参詣する。藩主が再建されて、宮柱は太くどっしりとし、彩色した垂木はきらびやかで、石段は高く九仞にも重なり、朝日が朱塗りの玉垣を輝かせている。このような道の果ての、辺境の地にまで、神の霊験があらたかでいらっしゃるのこそ、わが国の美しい風習であると、たいそう尊く思われる。神前に古い宝燈がある。鉄の扉の表に、「文治三年和泉三郎寄進」とある。五百年前の面影が今目の前に浮かんできて、なんとなく珍しく思われる。彼は勇気と義理と忠孝をそなえた武士である。その名声は今日に至るまで、慕わない者はない。まことに、人はよく人の道に励み、義を守るべきである。そうすれば名声も、それに従ってついてくるといわれている。

意訳

塩竈神社は陸奥国一宮で、伊達藩主の厚い保護を受けていた。芭蕉は朝日に輝く社殿の美しさに、都から遠く離れた土地にまで神の威光が及ぶ日本の国柄を見る。

宝燈を寄進した和泉三郎は、藤原秀衡の三男、忠衡である。父の遺言を守って義経に味方し、兄の泰衡に討たれた。五百年前の銘文が、忠義をつらぬいた若者の姿を今によみがえらせる。

「名もまた是にしたがふ」――正しく生きた人の名は、時を越えて残る。壺の碑で千年前の古人の心にふれた芭蕉は、ここでも過去の人の生き方が今に伝わることに、深く感じ入っている。この思いは、次の平泉の章で義経主従の悲劇へとつながっていく。

語釈・文法注

塩がまの明神
塩竈神社。陸奥国一宮。宮城県塩竈市。
國守再興
仙台藩主伊達綱村が、元禄年間に社殿を再建したこと。
彩椽
彩色した垂木。
九仭
非常に高いこと。「仭」は高さの単位。
あけの玉がき
朱塗りの垣。神社のまわりの垣。
寶燈
神前にともす灯籠。塩竈神社に今も残る文治神燈。
和泉三郎
藤原忠衡(1167〜1189)。秀衡の三男。父の遺言を守って義経を助けようとし、兄泰衡に殺された。
勇義忠孝の士
勇気と義理と忠孝の心をそなえた武士。

文法

ましますこそ吾國の風俗なれ
「こそ」の結びで「なれ」は断定「なり」の已然形。
いと貴けれ
前の「こそ…なれ」で一度結んだあと、さらに「と」で受けて「貴けれ」と已然形で結ぶ、やや破格の言い方。
奇進
底本どおり。今日の表記では「寄進」。
勤義を守べし
「べし」は当然。勤め、義を守るべきである。

解説

塩竈神社の文治神燈は、文治三年(1187)七月十日に和泉三郎忠衡が寄進したもので、今も境内に残っている。芭蕉が訪れたのは元禄二年(1689)五月九日で、ちょうど五百年余り後のことであった。

この章は、豪華な社殿の描写から、一つの古い灯籠へと焦点をしぼり、さらに一人の人物の生き方へと思いを深めていく。後半の「誠人能道を勤義を守べし」は、儒教的な教訓の言葉であるが、平泉で滅んだ藤原氏と義経への鎮魂の前ぶれとしても読める。

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出典

底本
藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、15頁(コマ16)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日