おくのほそ道 第20章
末の松山
野田の玉川・沖の石を訪ね、末の松山では松の間がみな墓原になっているのを見て、永遠を誓う恋もついにはこうなるのかと悲しむ。塩竈の浦で入相の鐘を聞き、夕月に籬が島を眺め、夜は盲目の法師が語る奥浄瑠璃に、辺土に残る古い芸能の風情を感じる。

- 1それよりそれよりそれよりののの玉玉たま川川がわののの石石いしををを尋尋たずぬぬぬ。。。ののの松山松山まつやまははは寺寺てらををを造造つくててて末松山末松山まっしょうざんといふといふという。。。松松まつのののあひ〳〵あひ〳〵あいあい皆墓皆墓みなはかはははらにてらにてらにて、、、をををかはしかはしかはし枝枝えだをををつらぬるつらぬるつらぬる契契ちぎりののの末末すえももも、、、終終おわりはははかくのごときとかくのごときとかくのごときと悲悲かなしさもしさもしさも增增まさりてりてりて、、、塩塩しおがまのがまのがまの浦浦うらにににのかねのかねのかねををを聞聞きこ。。。
- 2五月雨五月雨さみだれののの空空そら聊聊いささかはははれてれてれて、、、夕月夜幽夕月夜幽ゆうづくよかすかににに、、、ががが嶋嶋しまもももほどほどほど近近ちかししし。。。蜑蜑あまののの小舟小舟おぶねこぎつれてこぎつれてこぎつれて、、、肴肴さかなわかつわかつわかつ聲〳〵聲〳〵こえごえににに、、、心心こころもしられてもしられてもしられて、、、いとゞいとゞいとど哀哀あわれ也也なり。。。
- 3其其そ夜夜よ、、、目盲法師目盲法師めくらほうしののの琵琶琵琶びわをををならしてならしてならして、、、るりとるりとるりと云云いものものものをををかたるかたるかたる。。。にもあらずにもあらずにもあらず。。。にもあらずにもあらずにもあらず。。。ひなびたるひなびたるひなびたる調子調子ちょうしうちうちうち上上うえててて、、、枕枕まくらちかうかしましけれどちかうかしましけれどちこうかしましけれど、、、さすがにさすがにさすがに邊土邊土へんどののの遺風忘遺風忘いふうわすれざるものかられざるものかられざるものから、、、殊勝殊勝しゅしょうににに覺覺おぼえらるらるらる。。。
現代語訳
それから野田の玉川や沖の石を訪ねる。末の松山には寺を建てて末松山という。松の間はみな墓地で、比翼連理を誓った男女の契りも、最後にはこのようになるのだと、悲しさもまさって、塩竈の浦で入相の鐘を聞く。五月雨の空も少し晴れて、夕月がほのかにかかり、籬が島もすぐ近くに見える。漁師の小舟が連れだって漕ぎ帰り、獲った魚を分ける声々を聞くと、「綱手かなしも」と詠んだ古人の心も思い知られて、ひとしお哀れである。その夜、盲目の法師が琵琶を鳴らして、奥浄瑠璃というものを語る。平家琵琶でもなく、幸若舞でもない。ひなびた調子を張り上げて、枕もとに近くやかましいけれども、さすがに辺境の地にも古い芸能の伝統を忘れずに伝えているものだと、殊勝に感じられた。
意訳
末の松山は「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(古今集)以来、変わらぬ恋の誓いの象徴として詠まれてきた。その松の間が今は墓だらけ。どんな固い誓いも、最後は死によって終わる――芭蕉は人の世の無常を、歌枕の現実の姿の中に見た。
塩竈の浦の夕景は、一転して静かで美しい。夕月・籬が島・漁から帰る小舟。源実朝の「世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも」が、目の前の情景と重なり、そのしみじみとした悲しさが身にしみる。
夜の奥浄瑠璃は、洗練された都の芸能ではないが、辺境に古い語り物の伝統が生きていることに、芭蕉は心を動かされる。「かしましけれど」と正直に書きつつ、「殊勝に覺らる」と結ぶところに、土地の文化に向ける温かいまなざしがある。
語釈・文法注
- 野田の玉川
- 多賀城市にある小川。歌枕。「夕されば潮風越してみちのくの野田の玉川千鳥鳴くなり」(能因)。
- 沖の石
- 多賀城市八幡にある池の中の岩。二条院讃岐の「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」(百人一首)で知られる。
- 末の松山
- 多賀城市八幡の宝国寺の裏山。「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(古今集・東歌)、清原元輔の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」(百人一首)で知られる歌枕。
- はねをかはし枝をつらぬる契
- 比翼の鳥・連理の枝。男女の深い契り。白居易「長恨歌」の「天に在りては願はくは比翼の鳥となり、地に在りては願はくは連理の枝とならん」による。
- 入相のかね
- 日暮れに寺でつく鐘。
- 籬が嶋
- 塩竈湾内の小島。歌枕。
- つなでかなしも
- 源実朝の「世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも」(新勅撰集・百人一首)。
- 奥上るり
- 奥浄瑠璃。仙台地方で、盲目の法師が琵琶や三味線に合わせて語った語り物。
- 平家
- 平家琵琶。琵琶法師が『平家物語』を語る芸能。
- 舞
- 幸若舞。室町時代に流行した語り物の芸能。
文法
- 終はかくのごときと
- 最後にはこのようになるのだ、と。
- よみけん心
- 「けん(けむ)」は過去推量の助動詞。詠んだであろう(実朝の)心。
- 平家にもあらず。舞にもあらず。
- 対句。平家琵琶でもなく、幸若舞でもない。
- 忘れざるものから
- 「ものから」は逆接の接続助詞だが、ここでは「ものだから」と順接に解する説もある。
解説
曾良の『随行日記』によれば、五月八日に壺の碑・野田の玉川・沖の石・末の松山などを見て、塩竈に泊まっている。奥浄瑠璃を聞いたのもこの夜である。
末の松山は、平安時代から「波も越えなむ(あり得ないこと)」のたとえとされた所である。2011年の東日本大震災の津波でも、末の松山の丘は波をかぶらなかったと報じられ、歌枕の伝承があらためて注目された。
この章は、歌枕めぐりの中に、塩竈の漁村の暮らしや、土地の芸能を描き込んでいる。古歌の世界と現実の生活とが重なり合う、『おくのほそ道』らしい章の一つである。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、14〜15頁(コマ16)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日