大和物語 第7章(第59段〜第65段)
河原院の藤と平中
筑紫へ逃れても憂さは離れないと嘆く男、燃える自分の姿を絵に描いた五条の御、京極御息所だけが河原院に移って残された御息所たちの藤の歌、のうさんの君と浄蔵の契り、宗于の忍ぶ恋、平中が妻に追い出させた若い女、南院の五郎と伊予の御のやりとりまで、七つの段。
- 1世世よののの中中なかををを筑紫筑紫つくしへへへ下下くだりけるりけるりける人人ひと、、、女女おんなののの許許もとにおこせたりけるにおこせたりけるにおこせたりける、、、
- 2「「「忘忘わするやとるやとるやと出出いでゝこしかどいづくにもでゝこしかどいづくにもでてこしかどいずくにもうさうさうさははは離離はなれぬれぬれぬ物物ものにざりけるにざりけるにざりける」」」。。。
- 3ののの御御おんといふといふという人人ひとありけりありけりありけり。。。男男おとこののの許許もとにわがかたにわがかたにわがかたををを繪繪えににに書書かきてきてきて、、、女女おんなのもえたるかたのもえたるかたのもえたるかたををを書書かきてきてきて、、、烟烟けぶりをををいといといと多多おおくくゆらせてくくゆらせてくくゆらせて、、、かくなむかくなむかくなむ書書かきたりけるきたりけるきたりける。。。
- 4「「「君君きみををを思思おもひなまなましひなまなましいなまなまし身身みををを燒燒やくくく時時ときはははけぶりけぶりけぶり多多おおかるものにざりけるかるものにざりけるかるものにざりける」」」。。。
- 5亭子亭子ていじ院院いんにみやすんにみやすんにみやすん所所ところたちあまたみさうじしてたちあまたみさうじしてたちあまたみそうじして住住すみみみ給給たまふにふにうに、、、年年としごろありてごろありてごろありてののの院院いんのいとおもしろくのいとおもしろくのいとおもしろく作作つくられたりけるにられたりけるにられたりけるに、、、ののの御息所御息所みやすんどころひとところのみひとところのみひとところのみをををのみしてのみしてのみして渡渡わたらせらせらせ給給たまひにけりひにけりいにけり。。。
- 6春春はるののの事事ことなりけりなりけりなりけり。。。とまりとまりとまり給給たまへるみへるみえるみ曹子曹子ぞうしどもいとどもいとどもいと思思おもいののの外外ほかにさうざうしきことにさうざうしきことにそうぞうしきことをををおもほしけりおもほしけりおもおしけり。。。殿上人殿上人てんじょうびとなどなどなど通通かよひひひ參參まいりてりてりて、、、藤藤ふじののの花花はなのいとおもしろきのいとおもしろきのいとおもしろきををを「「「これがこれがこれが盛盛もりをををだにだにだに御覽御覽ごらんせでせでせで」」」などいひてなどいひてなどいいて見見みありくにありくにありくに文文ふみをををなむなむなん結結むすびつけたりけるびつけたりけるびつけたりける。。。あけてあけてあけて見見みればればれば、、、
- 7「「「世世よののの中中なかののの淺淺あさききき瀨瀨せにのみなりゆけばにのみなりゆけばにのみなりゆけば昨日昨日きのうののの花花はなとこそみれとこそみれとこそみれ」」」
- 8とありければとありければとありければ人々人々ひとびと見見みててて限限かぎりなくめでなくめでなくめで哀哀あわれがりけれどがりけれどがりけれど、、、誰誰たがみがみがみ曹子曹子ぞうしのしのしのし給給たまへるともえへるともええるともえ知知しらざりけりらざりけりらざりけり。。。男男おとこどものどものどもの言言いひけるひけるいける、、、
- 9「「「ふぢのふぢのふじの花花はな色色いろのあさくものあさくものあさくも見見みゆるかなゆるかなゆるかなうつろひにけるなごりなるべしうつろひにけるなごりなるべしうつろいにけるなごりなるべし」」」。。。
- 10うさんのうさんのうさんの君君きみといひけるといひけるといいける人人ひと、、、とととはははいとになういとになういとにのう思思おもひかはすひかはすいかわす中中なかなりけりなりけりなりけり。。。限限かぎりなくなくなく契契ちぎりてりてりて思思おもふことふことうことをもをもをも言言いひかはしけりひかはしけりいかわしけり。。。のののうさんのうさんのうさんの君君きみ、、、
- 11「「「思思おもふてふてうてふふふ心心こころはははことにありけることにありけることにありけるをををむかしのむかしのむかしの人人ひとになにになにになにをををいひけむいひけむいいけむ」」」
- 12ととと言言いひおこせたりければひおこせたりければいおこせたりければ、、、淨藏淨藏じょうぞう大大だいとくのかへしとくのかへしとくのかえし、、、
- 13「「「ゆくすゑのゆくすゑのゆくすえの宿世宿世すくせををを知知しらぬらぬらぬ心心こころにににははは君君きみにかぎりのにかぎりのにかぎりの身身みとぞいひけるとぞいひけるとぞいいける」」」。。。
- 14故故こ右京右京うきょうのかみのかみのかみ、、、人人ひとのむすめのむすめのむすめををを忍忍しのびてびてびて得得えたりけるたりけるたりけるををを、、、親親おや聞聞ききつけてのゝしりてあはせざりければきつけてのゝしりてあはせざりければきつけてののしりてあわせざりければ、、、侘侘わびてびてびて歸歸かえりにけりりにけりりにけり。。。さてあしたにさてあしたにさてあしたに詠詠よみてやりけるみてやりけるみてやりける、、、
- 15「「「さもこそさもこそさもこそははは峯峯みねののの嵐嵐あらしはははあらからめなびきしあらからめなびきしあらからめなびきし枝枝えだをををうらみてぞこしうらみてぞこしうらみてぞこし」」」。。。
- 16、、、にくからずにくからずにくからず思思おもふふう若若わかききき女女おんなををを、、、めのめのめの許許もとにゐてにゐてにいて來來きててて置置おきたりけりきたりけりきたりけり。。。にくげなるにくげなるにくげなる事事ことどもどもどもををを言言いひてひていて、、、遂遂ついににに逐逐おひひい出出いだしけりしけりしけり。。。このめにこのめにこのめに隨隨したがふにやありけむふにやありけむうにやありけむ、、、らうたしとらうたしとろうたしと思思おもひながらえひながらえいながらえ留留とどめずめずめず。。。
- 17はやはやはやくくく言言いひければひければいければ近近ちかくだにえくだにえくだにえ寄寄よらでらでらでののの屏風屏風びょうぶににに寄寄よりかゝりてりかゝりてりかかりて立立たてりててりててりて言言いひけるひけるいける。。。「「「世世よののの中中なかののの思思おもいののの外外ほかにあることにあることにあること、、、ことせかいにものしことせかいにものしことせかいにものし給給たまふともふともうとも忘忘わすれでせうそこしれでせうそこしれでしょうそこし給給たまへへえ。。。おのれもさなむおもふおのれもさなむおもふおのれもさなむおもう」」」といひけりといひけりといいけり。。。
- 18このこのこの女女おんなつゝみにつゝみにつつみに物物ものなどなどなど入入いれてれてれて車車くるま取取とりにりにりに遣遣やりてりてりて待待まつつつほどなりほどなりほどなり。。。いとあはれといとあはれといとあわれと思思おもひけりひけりいけり。。。さてさてさて女女おんないにけりいにけりいにけり。。。とばかりありておこせたりけるとばかりありておこせたりけるとばかりありておこせたりける、、、
- 19「「「忘忘わすらるゝわすれやしぬるらるゝわすれやしぬるらるるわすれやしぬる春春はるがすみがすみがすみ今朝今朝けさ立立たちながらちながらちながら契契ちぎりつることりつることりつること」」」。。。
- 20院院いんののの五五ご郞郞ろう三河三河みかわののの守守かみにてありけるにてありけるにてありける。。。にありけるにありけるにありけるののの御御おんをををけさうじけりけさうじけりけそうじけり。。。「「「こむこむこむ」」」ととと言言いひければひければいければ、、、「「「御息所御息所みやすどころののの御許御許もとににに、、、うちへなむうちへなむうちえなむ參參まいるるる」」」といひおこせたりければといひおこせたりければといいおこせたりければ、、、
- 21「「「すだれうちとかくるすだれうちとかくるすだりょうちとかくるはははいとゞしくいとゞしくいとどしく影影かげををを見見みせじとせじとせじと思思おもふなりけりふなりけりうなりけり」」」
- 22といへりけりといへりけりといえりけり。。。又又また、、、
- 23「「「なげきのみしげきみやまのなげきのみしげきみやまのなげきのみしげきみやまの郭公郭公ほととぎす木木こがくれがくれがくれ居居いてもてもても音音ねをををのみぞのみぞのみぞ鳴鳴なくくく」」」
- 24などいひけりなどいひけりなどいいけり。。。かくてかくてかくて來來きたりけるたりけるたりけるををを、、、「「「今今いまはははかへりねかへりねかえりね」」」とやらひければとやらひければとやらいければ、、、
- 25「「「死死しねとてやとりもあへずねとてやとりもあへずねとてやとりもあえずはやはやはやらはるゝいといきらはるゝいといきらわるるいといき難難がたききき心心こころちこそすれちこそすれちこそすれ」」」。。。
- 26返返かえしししをををかしかりけれどえかしかりけれどえかしかりけれどえ聞聞きかずかずかず。。。又又また雪雪ゆきののの降降ふるるる夜夜よ來來きたりけるたりけるたりけるををを物物ものははは言言いひてひていて夜更夜更よふけぬけぬけぬ。。。「「「歸歸かえりりり給給たまひねひねいね」」」といひければといひければといいければ、、、かへりけるかへりけるかえりける程程ほどににに戶戶とをををさしてあけざけりければさしてあけざけりければさしてあけざけりければ、、、
- 27「「「我我われはははさばさばさば雪雪ゆきふるふるふる空空そらににに消消きえねとやえねとやえねとや立立たちかへれどもあけぬちかへれどもあけぬちかえれどもあけぬ板戶板戶いたどははは」」」
- 28となむとなむとなむ言言いひてひていて居居いたりけるたりけるたりける。。。かくかくかく歌歌うたももも詠詠よみみみ、、、あはれにあはれにあわれに言言いひひい居居いたればたればたれば、、、いかゞせましといかゞせましといかがせましと思思おもひてのぞきてひてのぞきていてのぞきて見見みればればれば、、、顏顏かおこそこそこそ猶猶なおいとにくげなりしかとなむいとにくげなりしかとなむいとにくげなりしかとなむ語語かたりしとかりしとかりしとか。。。
現代語訳
〔第59段〕世の中がいやになって筑紫へ下った人が、女のもとによこした歌、
「忘れられるかと都を出て来たけれど、どこにいても、つらさは離れないものでした」。
〔第60段〕五条の御という人がいた。男のもとに、自分の姿を絵に描いて、女が燃えている姿を描き、煙をたいそう多く立ちのぼらせて、こう書いた。
「あなたを思って、なまなましくこの身を焼く時は、煙が多いものなのです」。
〔第61段〕亭子院(宇多法皇の御所)に、御息所たちが大勢お部屋をいただいて住んでいらっしゃったが、何年かたって、河原院がたいそう趣深く造られたので、京極御息所お一人だけをお部屋にお住まわせになって、法皇はそちらにお移りになってしまった。春のことであった。残された御息所たちは、思いのほかに寂しいことと思っていらっしゃった。殿上人などが通って参上して、藤の花がたいへん美しいのを見て「この盛りさえご覧にならないで」などと言って見て回っていると、手紙が結びつけてあった。開けて見ると、
「世の中が浅い瀬にばかりなっていくので、昨日の淵――藤の花と見えることです」
とあったので、人々は見て限りなく感心し、しみじみと思ったが、どのお部屋の方がなさったのかは分からなかった。男たちが言った歌、
「藤の花の色が浅く見えることです。色あせてしまった名残なのでしょう」。
〔第62段〕のうさんの君という人は、浄蔵と、このうえなく思いを交わす仲であった。限りなく契って、思うことを何でも言い交わしていた。のうさんの君が、
「思うという心は格別にあったのに、昔の人(前の恋人)に、いったい何と言ったのでしょう」
と言ってよこしたので、浄蔵大徳の返し、
「行く末の宿縁も知らなかった心で、あなた(昔の人)こそ限りの身と言ったのです」。
〔第63段〕故右京大夫(宗于)が、人の娘をこっそり妻にしたが、親が聞きつけて騒ぎ立てて逢わせなかったので、つらく思って帰ってしまった。そして翌朝よんで送った歌、
「なるほど、峰の嵐は荒いことでしょう。でもわたしは、なびいてくれた枝(あなた)を恨みながら帰ってきたのです」。
〔第64段〕平中が、かわいく思う若い女を、本妻のもとに連れて来て置いていた。本妻は憎らしいことをあれこれ言って、とうとう追い出してしまった。平中はこの本妻に従ったのであろうか、いとしいと思いながらも引き止められない。本妻が激しく言うので、女に近寄ることもできず、四尺の屏風に寄りかかって立って言った。「世の中には思いのほかのこともある。よそにいらしても、忘れずに便りをください。わたしもそう思っている」と言った。この女は包みに荷物を入れて、車を取りにやって待っているところである。たいへん気の毒に思った。そうして女は去った。しばらくしてよこした歌、
「忘れてしまわれるのでしょうか。春霞の立つ今朝、立ったままで約束なさったことを」。
〔第65段〕南院の五郎は、三河守であった。承香殿に仕えていた伊予の御に言い寄った。「行こう」と言ったところ、「御息所のお供で、内裏へ参ります」と言ってよこしたので、
「玉すだれの内に隠れるのは、いっそう、わたしに姿を見せまいと思ってのことなのですね」
と言った。また、
「嘆きばかりが繁る深山のほととぎすは、木隠れにいても声をあげて泣くばかりです」
などと言った。そうしてやって来たのを、女が「もうお帰りなさい」と追い返したので、
「死ねというのか、取るものも取りあえず追い払われるとは。とても生きた心地がしない」。
返歌はおもしろかったが、聞いていない。また、雪の降る夜にやって来たのを、話はして夜が更けた。女が「お帰りなさい」と言ったので、帰ろうとしたところ、戸を閉めて開けなかったので、
「では、わたしに雪の降る空に消えてしまえというのか。立ち帰っても開かない板戸よ」
と言って座りこんでいた。このように歌もよみ、しみじみと言っていたので、女はどうしようかと思ってのぞいてみると、顔はやはりたいそう憎らしげであった、と語ったとか。
意訳
〔第59・60段〕どこへ逃れても離れない憂さ。五条の御は、恋の炎に身を焼かれる自分の姿を絵に描いて送った。絵と歌を組み合わせた、思い切った恋文である。
〔第61段〕宇多法皇は、寵愛する京極御息所だけを連れて河原院に移り、亭子院に残された御息所たちはさびしく暮らしていた。藤の花に結ばれた歌は、「淵(ふち)」に「藤(ふぢ)」を掛けて、昨日まで深かった寵愛が浅い瀬に変わったと嘆く。殿上人たちは「色あせた名残だ」と返し、誰の歌かも分からないまま、その出来に感じ入った。
〔第62段〕名高い験者の浄蔵と、のうさんの君の恋。「昔の恋人にも同じことを言ったのでしょう」と問いつめる女に、浄蔵は「あの時は将来の縁を知らなかったのだ」と、うまく言い逃れた。
〔第63段〕親に仲を裂かれた宗于は、「嵐(親)が荒いのは仕方ない。恨むのはなびいたあなたの方だ」と、すねてみせる。
〔第64段〕本妻に気がねして、愛人が追い出されるのを止められない平中。屏風の陰から「便りをくれ」とだけ言う情けない姿を、語り手は皮肉をこめて描く。女の歌は「立ったまま交わした約束など、忘れてしまうのでしょう」と、平中の頼りなさを見抜いている。
〔第65段〕南院の五郎は、伊予の御にしつこく言い寄る。追い返されては「死ねというのか」、閉め出されては「雪の空に消えろというのか」と、大げさな歌で哀れを誘う。ところが女がのぞいてみると、やっぱり顔が憎らしかった――歌の上手さと見た目の落差で落とす、笑い話の結末である。
語釈・文法注
- うんじ
- 「倦ず」。いやになる、うんざりする。
- 五條の御
- 女房の名。
- 河原の院
- 源融が六条に造った邸宅。融の死後、宇多法皇に献上された。陸奥の塩竈の景色を模した庭で名高い。
- 京極の御息所
- 藤原褒子。第3段参照。
- 曹子
- 宮中や邸内で女房などに与えられた部屋。
- ふち
- 「淵」と「藤」を掛ける。
- のうさんの君
- 女性の名。未詳。
- 淨藏
- 浄蔵(891〜964)。三善清行の子。比叡山の僧で、加持祈祷の験力で名高かった。平将門の乱の調伏などの話が伝わる。
- 平仲
- 平中(平貞文)。第46段参照。
- め
- 妻。ここでは本妻。
- いちはやく
- 激しく、手きびしく。
- 四尺の屏風
- 高さ四尺(約1.2メートル)の屏風。
- 南院の五郞
- 南院(光孝天皇の皇子、是忠親王の邸)の五男。源宗于の弟にあたる人か。
- 承香殿
- 内裏の後宮の殿舎の一つ。ここではそこに住む女御(御息所)。
- 伊豫の御
- 女房の名。
- 玉すだれ
- 美しいすだれ。「うち」にかかる。
文法
- 物にざりける
- 「ぞあり」が縮まった「ざり」。「…ものであったよ」。
- 御覽せで
- 底本は「御覽せで」と書く。「御覧ぜで」で、ご覧にならないで。
- 誰がみ曹子のし給へるともえ知らざりけり
- 「え…ず」は不可能。
- さもこそは…あらからめ
- 「こそ」の結びで「め」(推量「む」の已然形)。逆接で下に続く。「なるほど荒いだろうが」。
- このめに隨ふにやありけむ
- 「にやありけむ」は語り手の推測の挿入句。
- わすれやしぬる
- 「や」は疑問、「し」は強意。
- 死ねとてや
- 「や」は疑問。死ねというのか。
- あけざけりければ
- 底本は「あけざけりければ」と刷る。「あけざりければ」の誤りであろう。
- 顏こそ猶いとにくげなりしか
- 「こそ」の結びで「しか」(過去「き」の已然形)。女自身の体験として語る形。
和歌
忘るやと 出でゝこしかど いづくにも うさは離れぬ 物にざりける
- 詠者
- 筑紫へ下った人
- 状況
- 世をいとって筑紫へ下り、女のもとに。
君を思ひ なまなまし身を 燒く時は けぶり多かる ものにざりける
- 詠者
- 五条の御
- 状況
- 燃える自分の姿を描いた絵に書きつけて、男のもとへ。
修辞
- 掛詞
- 「思ひ」の「ひ」に「火」を掛ける。
- 縁語
- 「火」「焼く」「けぶり」。
世の中の 淺き瀨にのみ なりゆけば 昨日のふちの 花とこそみれ
- 詠者
- 亭子院の御息所(未詳)
- 状況
- 宇多法皇が京極御息所だけを連れて河原院に移ったのち、藤の花に結びつけて。
修辞
- 掛詞
- 「ふち」に「淵」と「藤」を掛ける。
- 本歌
- 「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(古今集)をふまえる。
ふぢの花 色のあさくも 見ゆるかな うつろひにける なごりなるべし
- 詠者
- 殿上人たち
- 状況
- 藤の花に結ばれた歌を見て。
修辞
- 掛詞
- 「うつろふ」に花の色あせることと、寵愛の移ることを掛ける。
思ふてふ 心はことに ありけるを むかしの人に なにをいひけむ
- 詠者
- のうさんの君
- 状況
- 浄蔵に。
ゆくすゑの 宿世を知らぬ 心には 君にかぎりの 身とぞいひける
- 詠者
- 浄蔵
- 状況
- のうさんの君の歌への返し。
さもこそは 峯の嵐は あらからめ なびきし枝を うらみてぞこし
- 詠者
- 源宗于
- 状況
- 娘の親に仲を裂かれて帰った翌朝、娘に。
修辞
- 比喩
- 「峯の嵐」に親を、「なびきし枝」に娘をたとえる。
忘らるゝ わすれやしぬる 春がすみ 今朝立ちながら 契りつること
- 詠者
- 平中の愛人の女
- 状況
- 本妻に追い出されたのち、平中に。
修辞
- 掛詞
- 「立ち」に霞が「立つ」と「立ったまま」を掛ける。
玉すだれ うちとかくるは いとゞしく 影を見せじと 思ふなりけり
- 詠者
- 南院の五郎
- 状況
- 内裏へ参ると言って会おうとしない伊予の御に。
修辞
- 掛詞
- 「うち」に「内裏」と「(すだれの)内」を掛ける。
なげきのみ しげきみやまの 郭公 木がくれ居ても 音をのみぞ鳴く
- 詠者
- 南院の五郎
- 状況
- 伊予の御に。
修辞
- 掛詞
- 「なげき」の「き」に「木」を掛ける。
死ねとてや とりもあへずは やらはるゝ いといき難き 心ちこそすれ
- 詠者
- 南院の五郎
- 状況
- 伊予の御に追い返されて。
修辞
- 掛詞
- 「いき」に「生き」と「行き」を掛ける。
我はさば 雪ふる空に 消えねとや 立ちかへれども あけぬ板戶は
- 詠者
- 南院の五郎
- 状況
- 雪の夜、帰りかけたところを戸を閉められて。
修辞
- 縁語
- 「雪」「消え」。
解説
第61段は、宇多法皇が京極御息所(藤原褒子)を寵愛して河原院に移った話である。河原院は源融が造った名高い邸宅で、融の死後に宇多法皇に献上された。のちに、法皇と御息所が河原院に泊まった夜、融の亡霊が現れたという話も伝わる(『江談抄』『今昔物語集』)。取り残された御息所たちの嘆きを、藤の花に託した無名の歌が、宮廷の人々の間で評判になったという話である。
第62段の浄蔵は、三善清行の子で、天台宗の名高い験者であった。病気平癒や怨霊調伏の話が多く伝わる一方、この物語では恋をする人としても描かれ、第105段では平中興の娘との恋が語られる。
第64段の平中は、色好みとして名高いが、この段では本妻の嫉妬に逆らえない情けない男として描かれる。『平中物語』にも、平中がしばしば失敗する話が多く、色好みの「失敗談」は当時の人々に好まれた話題であった。
第65段は、歌の上手な男と、その顔の不釣り合いを笑う話である。「顔こそ猶いとにくげなりしか」と、女が自分の体験として語った形で結ばれていて、宮廷の女房たちの間で語られたうわさ話がそのまま書き留められたような味わいがある。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、17〜19頁(コマ12–13)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日