伊勢物語 第14章(第80段〜第82段)
塩竈と渚の院
衰えた家に咲く藤を雨の中で折って贈る歌。源融の六条の邸の宴で、床下を這い回っていた翁が「塩竈」を詠む。そして惟喬親王と右馬頭の一行が交野の渚の院で桜を愛で、天の川で七夕の歌を詠み、夜ふけまで酒を酌み交わす「渚の院」の段を読む。
- 1昔昔むかし、、、おとろへおとろへおとろえたるたるたる家家いえににに藤藤ふじののの花花はな植植うゑゑえたるたるたる人人ひとありありありけりけりけり。。。いといといとおもしろうおもしろうおもしろうさけさけさけりりりけりけりけり。。。やよひやよひやよいのののつごもりつごもりつごもりにににそのそのその日日ひ雨雨あめそぼそぼそぼふるふるふるににに、、、人人ひとのののもともともとへへへ折折おりりりててて奉奉たてまつるるるとてとてとてよめよめよめるるる、、、
- 2「「「ぬれぬれぬれつゝつゝつつぞぞぞしひしひしいててて折折おりりりつるつるつるとしとしとしのののうちうちうちににに春春はるはははいくいくいくかかかもももあらあらあらじじじとととおもへおもへおもえばばば」」」。。。
- 3昔昔むかし、、、左左ひだりのののいまそかりいまそかりいまそかりけりけりけり。。。賀賀か茂茂も川川がわのののほとりほとりほとりににに六六ろく條條じょうわたりわたりわたりににに家家いえをををいといといとおもしろくおもしろくおもしろく造造つくりりりててて住住すみみみ給給たまひひいけりけりけり。。。かみなかみなかみなつきつきつきのののつごもりつごもりつごもりがたがたがた、、、菊菊きくののの花花はなうつろひうつろひうつろいてててさかりさかりさかりなるなるなるににに紅葉紅葉もみじののの千千ち種種ぐさににに見見みゆるゆるゆるをりをりおり、、、みこみこみこだちだちだちおはしまさおはしまさおわしまさせせせててて、、、夜夜よひとひとひと夜夜よ酒酒さけ飮飮のみみみあそびあそびあそびててて、、、夜夜よ明明あけけけもてもてもてゆくゆくゆくほどほどほどににに、、、このこのこの殿殿とののののおもしろきおもしろきおもしろきをををほむるほむるほむる歌歌うたよむよむよむ。。。そこそこそこにににありありありけるけるけるかたゐかたゐかたい、、、板板いた敷敷じきのののしたしたしたにににはひはひはいありきありきありき人人ひとにににみなみなみなよまよまよませせせはてゝはてゝはててよめよめよめるるる、、、
- 4「「「鹽鹽しおにににいついついつかかか來來きにににけむけむけんあさあさあさなぎなぎなぎにににつりつりつりするするする船船ふねはははこゝこゝここににによらよらよらなむなむなん」」」
- 5とととなむなむなんよみよみよみけるけるける。。。みちみちみちののの國國くににににいきいきいきたりたりたりけるけるけるににに、、、あやしくあやしくあやしくおもしろきおもしろきおもしろき所所ところ々々どころおほかりおほかりおおかりけりけりけり。。。わわわがががみかどみかどみかど六十餘國六十餘國ろくじゅうよこくののの中中なかににに、、、鹽鹽しお竈竈がまととといふいふいう所所ところににに似似にたるたるたる所所ところなかりなかりなかりけりけりけり。。。さればなむさればなむさればなん、、、かのかのかの翁翁おきなさらにさらにさらにここここここをををめでゝめでゝめでて、、、鹽鹽しお竈竈がまにににいついついつかかか來來きにににけむけむけんとととはははよめよめよめりりりけるけるける。。。
- 6昔昔むかし、、、惟惟これ喬喬たかのののととと申申もうすすすみこみこみこおはしおはしおわしましましましけりけりけり。。。山山やま崎崎ざきのののあなたあなたあなたににに水水み無無な瀨瀨せととといふいふいう所所ところににに宮宮みやありありありけりけりけり。。。年年としごとごとごとののの櫻櫻さくらののの花花はな盛盛ざかりにににははは、、、そのそのその宮宮みやへへへなむなむなんおはしおはしおわしましましましけるけるける。。。そのそのその時時とき、、、右右みぎののの馬馬うまののの頭頭かみなりなりなりけるけるける人人ひとををを常常つねにににゐゐいててておはしおはしおわしましましましけりけりけり。。。時時とき世世よへへへててて久久ひさしくしくしくなりなりなりにににけれけれければばばそのそのその人人ひとののの名名なわすれわすれわすれにににけりけりけり。。。狩狩かりはははねんごろねんごろねんごろにににもももせせせででで酒酒さけををを飮飮のみみみのみのみのみつゝつゝつつやまとやまとやまと歌歌うたにににかゝれかゝれかかれけりけりけり。。。今今いま狩狩かりするするする交交かたののの渚渚なぎさののの家家いえそのそのその院院いんののの櫻櫻さくらことにことにことにおもしろしおもしろしおもしろし。。。そのそのその木木きのののもともともとにににおりおりおり居居いててて、、、枝枝えだををを折折おりりりてててかざしかざしかざしにににさしさしさしててて、、、かみかみかみなかなかなかしもしもしもみなみなみな歌歌うたよみよみよみけりけりけり。。。馬馬うまののの頭頭かみなりなりなりけるけるける人人ひとのののよめよめよめるるる、、、
- 7「「「世世よののの中中なかににに絕絕たえええててて櫻櫻さくらのののなかりなかりなかりせせせばばばはるはるはるのののこゝろこゝろこころはははのどけからのどけからのどけからましましまし」」」
- 8とととなむなむなんよみよみよみたりたりたりけるけるける。。。またまたまた、、、人人ひとののの歌歌うた、、、
- 9「「「ちれちれちればばばこそこそこそいとゞいとゞいとど櫻櫻さくらはははめでたけれめでたけれめでたけれうきうきうき世世よににになになになにかかか久久ひさしかるしかるしかるべきべきべき」」」
- 10とてとてとて、、、そのそのそのこここのののもともともとははは立立たちちちてててかへるかへるかえるににに日日ひ暮暮ぐれににになりなりなりぬぬぬ。。。御供御供おおんともなるなるなる人人ひと酒酒さけをををもたもたもたせせせててて野野のよりよりよりいでいでいできたりきたりきたり、、、このこのこの酒酒さけををを飮飮のみみみてててむむんとてとてとて、、、よきよきよき所所ところをををもとめもとめもとめ行行ゆくくくににに天天あまののの川川かわととといふいふいう所所ところにににいたりいたりいたりぬぬぬ。。。みこみこみこににに、、、馬馬うまののの頭頭かみおほみきおほみきおおみきまゐるまゐるまいる。。。みこみこみこののののたまひのたまひのたまいけるけるける、、、「「「交交かた野野のをををかりかりかりててて、、、天天あまののの川川かわのののほとりほとりほとりににに至至いたるるるををを題題だいにににててて、、、歌歌うたよみよみよみててて盃盃さかずきはははさささせせせ」」」とととのたまうのたまうのたもうけれけれければばば、、、かのかのかの馬馬うまののの頭頭かみよみよみよみててて奉奉たてまつりりりけるけるける、、、
- 11「「「かりかりかりくらしくらしくらしたなばたたなばたたなばたににに宿宿やどからからからむむん天天あまのののがはらがはらがわらにににわれわれわれはははきききにににけりけりけり」」」
- 12ととときこえきこえきこえけれけれければばば、、、このこのこの歌歌うたをををみこみこみこかへすがへすかへすがへすかえすがえすずしずしずし給給たもうううててて、、、かへしかへしかへし、、、えええしししたまはたまはたまわずずず。。。紀紀きののの有有あり常常つね御供御供おおんともにににつかうつかうつこう奉奉たてまつれれれりりり。。。それそれそれがががかへしかへしかへし、、、
- 13「「「一一ひと年年とせにににひとひとひとたびたびたびきますきますきます君君きみまてまてまてばばばやどやどやどかすかすかす人人ひともももあらあらあらじじじとととぞぞぞ思思おもふふう」」」。。。
- 14かへりかへりかえりててて宮宮みやににに入入いらららせせせ給給たまひひいぬぬぬ。。。夜夜よふくるふくるふくるまでまでまで酒酒さけのみのみのみ物物ものがたりがたりがたりしししててて、、、あるじあるじあるじのののみこみこみこ醉醉えひひいててて入入いりりり給給たまひひいなななむむんとととすすす。。。十一日十一日じゅういちにちののの月月つきもももかくれかくれかくれなななむむんとととすれすれすればばば、、、かのかのかの馬馬うまののの頭頭かみのののよめよめよめるるる、、、
- 15「「「あかあかあかなくなくなくにににまだきまだきまだきももも月月つきののの隱隱かくるゝるゝるるかかか山山やまのののはははにににげげげててて入入いれれれずずずもももあらあらあらなむなむなん」」」。。。
- 16みこみこみこににに代代かわりりり奉奉たてまつりりりててて紀紀きののの有有あり常常つね、、、
- 17「「「おしおしおしなべなべなべててて峰峰みねもももたひらたひらたいらににになりなりなりなななゝゝなむむん山山やまののの端端はなくなくなくばばば月月つきもももいらいらいらじじじををを」」」。。。
現代語訳
〔第80段〕昔、衰えた家に藤の花を植えている人がいた。たいそう美しく咲いていた。三月の末、その日は雨がしとしと降っていたが、ある人のもとへ折って差し上げるといって詠んだ、
「雨に濡れながら、無理に折ったことです。今年のうちに、春はもう幾日も残っていないと思うので」。
〔第81段〕昔、左大臣がいらっしゃった。賀茂川のほとり、六条あたりに、家をたいそう趣深く造ってお住みになった。十月の末ごろ、菊の花が色変わりして盛りであるうえに、紅葉がさまざまな色に見えるときに、親王たちをお招きして、一晩中酒を飲み管絃の遊びをして、夜がしだいに明けていくころに、この邸の趣深さをほめたたえる歌を詠む。そこにいた乞食のような翁が、板敷の下を這い回って、人々にみな詠ませ終わってから詠んだ、
「いつのまに塩竈の浦に来てしまったのだろう。朝凪に釣りをする舟は、ここに寄って来てほしい」
と詠んだのだった。翁が陸奥の国に行ったところ、不思議なほど趣のある所が多かった。わが国の六十余国の中に、塩竈という所に似た所はなかった。だからこそ、あの翁は、とりわけこの邸をほめて、「塩竈にいつか来にけむ」と詠んだのである。
〔第82段〕昔、惟喬親王と申し上げる親王がいらっしゃった。山崎の向こうの水無瀬という所に離宮があった。毎年の桜の花盛りには、その離宮へお出かけになった。その時には、右馬頭であった人を、いつもお連れになった。時が経って久しくなったので、その人の名は忘れてしまった。狩りは熱心にもしないで、酒ばかり飲んでは和歌を詠むことに熱中していた。いま狩りをしている交野の渚の家、その院の桜が特に趣深い。その木のもとに馬から降りて座り、枝を折って髪にかざして、身分の上中下の者がみな歌を詠んだ。右馬頭であった人が詠んだ、
「世の中にまったく桜がなかったならば、春の人の心はのどかであっただろうに」
と詠んだのだった。また、別の人の歌、
「散るからこそ、いっそう桜はすばらしいのだ。この憂き世に、何が久しく続くだろうか」
と詠んで、その木のもとは立ち去って帰るうちに、日暮れになってしまった。お供の人が、酒を従者に持たせて野からやって来た。この酒を飲んでしまおうと、よい場所を探して行くと、天の川という所に着いた。親王に右馬頭が御酒を差し上げる。親王がおっしゃるには、「交野で狩りをして天の川のほとりに着いた、ということを題にして、歌を詠んでから盃をさしなさい」とおっしゃったので、あの右馬頭が詠んで献上した、
「一日中狩りをして暮らし、今夜は織女に宿を借りよう。天の川の河原に私はやって来たのだから」
と申し上げたので、親王はこの歌を繰り返し繰り返し口ずさまれて、返歌はおできにならない。紀有常がお供にお仕えしていた。その有常の返歌、
「織女は一年に一度おいでになる彦星を待っているので、ほかに宿を貸す人などいないと思いますよ」。
一行は帰って離宮にお入りになった。夜がふけるまで酒を飲み、語り合って、主人の親王は酔って寝所にお入りになろうとする。十一日の月も隠れようとしているので、あの右馬頭が詠んだ、
「まだ見飽きないのに、早くも月が隠れてしまうのか。山の端が逃げて、月を入れないでほしい」。
親王に代わり申し上げて、紀有常が、
「すべての峰が平らになってほしい。山の端がなければ、月も沈まないだろうに」。
意訳
〔第80段〕衰えた家に咲く藤を、雨に濡れながら折って贈る。春がもう幾日も残っていないから、という理由は、惜春の心であると同時に、盛りを過ぎた家の主の思いも重なる。
〔第81段〕源融(左大臣)は、陸奥の塩竈の景色を六条の邸の庭に写したことで知られる。宴の終わりに、床下から這い出た「かたゐ翁」が、まるで塩竈に来たようだと庭をほめる歌を詠む。身をやつした翁の正体は語られないが、名高い風流人の庭を、一首でみごとに言い当ててみせた。
〔第82段〕皇位につけなかった惟喬親王と、右馬頭(業平)ら親しい人々の交遊を描く名高い段である。桜がなければ春の心はのどかだろうという逆説の歌、散るからこそ桜はめでたいという返し。天の川という地名から七夕に思いを寄せる歌。そして夜ふけ、寝所に入ろうとする親王を引き留めるように、沈む月を惜しむ歌を詠み交わす。失意の親王を囲む、なごやかで哀しい一夜である。
語釈・文法注
- 左のおほいまうちぎみ
- 左大臣。源融(822〜895)を指す。嵯峨天皇の皇子で、六条河原院を営み、河原左大臣と呼ばれた。
- かたゐおきな
- 乞食の老人。業平が自らを卑下して言ったものと解される。
- 鹽竈
- 塩竈。陸奥国の歌枕(今の宮城県塩竈市)。塩を焼く煙と松島の景で知られた。
- 惟喬のみこ
- 惟喬親王(844〜897)。文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の娘静子。藤原良房の娘明子が産んだ惟仁親王(清和天皇)が皇太子となり、皇位につけなかった。
- 交野
- 河内国(今の大阪府枚方市・交野市付近)。皇室の狩り場で、桜の名所。渚の院はそこにあった惟喬親王の別邸。
- たなばたつめ
- 棚機津女。織女星。
文法
- 「しひて折りつる」
- 「しふ」は、無理に…する。
- 「いくかもあらじ」
- 幾日も残っていないだろう。
- 「夜明けもてゆくほどに」
- 「もてゆく」は、しだいに…していく。夜がしだいに明けていくころに。
- 「はひありき人にみなよませはてゝ」
- 這い回って、人々にみな詠ませ終わってから。
- 「さればなむ」
- だからこそ。「なむ」の結びは「よめりける」。
- 「やまと歌にかゝれけり」
- 「かかる」は、熱中する、打ち込む。
- 「歌よみて盃はさせ」
- 歌を詠んでから盃をさせ。
- 「えしたまはず」
- 「え…ず」で不可能。(返歌を)なさることができない。
- 「にげて入れずもあらなむ」
- 「なむ」は他に対する願望。逃げて、月を入れないでほしい。
和歌
ぬれつゝぞしひて折りつるとしのうちに春はいくかもあらじとおもへば
- 詠者
- 男
- 状況
- 三月の末、雨の中、衰えた家の藤の花を折って人に贈った歌。『古今和歌集』春下に在原業平の歌として載る。
修辞
- 倒置
- 理由を下の句に置いて、春の残り少なさを強調する。
鹽竈にいつか來にけむあさなぎにつりする船はこゝによらなむ
- 詠者
- かたゐ翁
- 状況
- 源融の六条の邸の宴で、塩竈の景色を写した庭をほめて詠んだ歌。『古今和歌集』哀傷に、融の没後に紀貫之が詠んだ「君まさで煙たえにし塩竈のうらさびしくも見えわたるかな」がある。
修辞
- 見立て
- 邸の庭を陸奥の塩竈の浦に見立てる。
世の中に絕えて櫻のなかりせばはるのこゝろはのどけからまし
- 詠者
- 右馬頭
- 状況
- 交野の渚の院で、桜のもとで詠んだ歌。『古今和歌集』春上に在原業平の歌として載る。
修辞
- 反実仮想
- 「せば…まし」で、桜がなければ心はのどかだろうと言い、かえって桜に心乱される思いを表す。
ちればこそいとゞ櫻はめでたけれうき世になにか久しかるべき
- 詠者
- 人(一行の一人)
- 状況
- 右馬頭の歌に応じて詠んだ歌。
修辞
- 反語
- 「なにか久しかるべき」で、何も長続きしないと言う。
- 掛詞
- 「うき世」に「憂き世」と「浮き世」を重ねる。
かりくらしたなばたつめに宿からむ天のがはらにわれはきにけり
- 詠者
- 右馬頭
- 状況
- 天の川という所で、惟喬親王に題を出されて詠んだ歌。『古今和歌集』羇旅に在原業平の歌として載る。
修辞
- 掛詞
- 地名の「天の川」に、七夕の天の川を重ねる。
一年にひとたびきます君まてばやどかす人もあらじとぞ思ふ
- 詠者
- 紀有常
- 状況
- 親王が返歌できなかったので、代わりに詠んだ返歌。『古今和歌集』羇旅に載る。
修辞
- 見立て
- 織女は年に一度来る彦星だけを待っていると、右馬頭をからかう。
あかなくにまだきも月の隱るゝか山のはにげて入れずもあらなむ
- 詠者
- 右馬頭
- 状況
- 夜ふけ、酔って寝所に入ろうとする親王を、沈む月にたとえて引き留めた歌。『古今和歌集』雑上に在原業平の歌として載る。
修辞
- 寓意
- 沈む月に、寝所に入ろうとする親王を重ねる。
- 擬人法
- 山の端に逃げてほしいと願う。
おしなべて峰もたひらになりなゝむ山の端なくば月もいらじを
- 詠者
- 紀有常
- 状況
- 親王に代わって詠んだ返歌。『後撰和歌集』雑三に上野岑雄の歌として載る。
修辞
- 誇張
- すべての峰が平らになってほしいと、大げさに願う。
解説
第81段の源融は、陸奥の塩竈の浦の景色を六条の邸(河原院)の庭に写し、難波から海水を運ばせて塩を焼かせたと伝えられる。のちに能「融」の題材となった。床下から現れる「かたゐ翁」は、身分を低く見せた業平の自己表現と考えられている。
第82段は「渚の院」の段として知られる。惟喬親王は文徳天皇の第一皇子だったが、母が紀氏の出であったため、藤原良房の孫である弟の清和天皇に皇位を譲ることになった。親王を囲んで桜を愛で歌を詠む人々は、時勢から取り残された者たちでもあり、その交遊には哀愁が漂う。「世の中に絶えて桜のなかりせば」は、桜を愛する日本人の心を表す歌として、今も広く親しまれている。
紀有常は惟喬親王の母の兄で、親王の叔父にあたる。業平の妻は有常の娘であり、業平・有常・惟喬親王は親族として結ばれていた。この後の第83段でも、出家した親王を業平が小野に訪ねる話が続く。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部三 雑上(伊勢物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、60–62頁(コマ34–35)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日