おくのほそ道 第7章
那須
那須野を近道で横切ろうとして日が暮れ、農家に泊まる。翌日、野を行くと、草刈りの男が親切に野飼いの馬を貸してくれる。馬のあとを追って走る小さな女の子の名は「かさね」。そのやさしい名に、曾良が一句を詠む。

- 1那那な須須すのののばねとばねとばねと云云い所所ところににに知人知人しるひとあればあればあれば、、、是是これよりよりより越越ごえにかゝりてにかゝりてにかかりてをををゆかんとすゆかんとすゆかんとす。。。遙遙はるかににに一村一村ひとむらををを見見みかけてかけてかけて行行ゆくににに、、、雨雨あめ降降ふ日暮日暮ひくるるる。。。農農のう夫夫ふののの家家いえににに一夜一夜ひとよをををかりてかりてかりて、、、明明あればればれば又又また野中野中のなかををを行行ゆ。。。
- 2そこにそこにそこにののの馬馬うまありありあり。。。草草くさ刈刈かおのこになげきよればおのこになげきよればおのこになげきよれば、、、といへどもさすがにといへどもさすがにといえどもさすがに情情なさけしらぬにしらぬにしらぬにははは非非あらずずず。。。いかゞすべきやいかゞすべきやいかがすべきや。。。されどもされどもされども此此こ野野のははは縱横縱横じゅうおうにわかれてにわかれてにわかれて、、、敷旅人敷旅人しきたびびとののの道道みちふみたがえんあやしうふみたがえんあやしうふみたがえんあやしゅう侍侍はべればればれば、、、此此こ馬馬うまのとゞまるのとゞまるのとどまる所所ところにてにてにて馬馬うまををを返返かえししし給給たまへとかしへとかしえとかし侍侍はべぬぬぬ。。。
- 3ちいさきちいさきちいさき者者ものふたりふたりふたり、、、馬馬うまののの跡跡あとしたひてしたひてしたいてはしるはしるはしる。。。獨獨ひとりははは小小こ姬姬ひめにてにてにて名名なををを云云い。。。聞聞ききなれぬなれぬなれぬ名名なのやさしかりければのやさしかりければのやさしかりければ、、、
- 4かさねとかさねとかさねとははは撫子撫子なでしこののの名名な成成なりべしべしべし 曾良曾良そら
- 5頓頓やがててて人人ひと里里さとににに至至いたればればれば、、、あたひあたひあたいをををつぼにつぼにつぼに結付結付むすびつててて馬馬うまををを返返かえしぬしぬしぬ。。。
現代語訳
那須の黒羽という所に知人がいるので、ここから那須野を越えて近道を行こうとする。はるかに一つの村を見つけて歩いていくと、雨が降り、日が暮れた。農家に一晩の宿を借りて、夜が明けるとまた野中を行く。そこに放し飼いの馬がいる。草を刈っている男に困っていることを訴えて頼むと、田舎の男とはいえ、さすがに人情を知らないわけではない。「どうしたものでしょうか。しかしこの野は道が縦横に分かれていて、土地に不慣れな旅の方は道に迷うのではと心配ですから、この馬が止まった所で馬を返してください」と言って、馬を貸してくれた。小さい子どもが二人、馬のあとについて走ってくる。一人は小さな女の子で、名を「かさね」という。聞き慣れない名がやさしく感じられたので、
かさねとは八重撫子の名成べし 曾良(かさねとは、花びらの重なった八重撫子にふさわしい名であるにちがいない)
まもなく人里に着いたので、馬の借り賃を鞍つぼに結びつけて、馬を返した。
意訳
広い那須野で道に迷いかけた旅人に、草刈りの男は、言葉少なに馬を貸す。「野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず」――前章の仏五左衛門に続き、名もない土地の人の素朴な情けが描かれる。
馬について走る子どもの名が「かさね」。古風で雅やかな響きに心ひかれ、曾良は、撫子(なでしこ=撫でいつくしむ子)の連想から、花びらの重なった八重撫子にたとえた。野原の旅の一こまが、一つの名をきっかけに、物語の一場面のような温かさをおびる。
馬は「とどまる所で放せば、ひとりでに帰ってくる」。借り賃を鞍に結びつけて返すという結びも、土地の人との信頼を感じさせる。
語釈・文法注
- 黒ばね
- 黒羽。下野国那須郡の城下町。現在の栃木県大田原市。
- 野越
- 那須野を横切って行くこと。
- 直道
- まっすぐな近道。
- 野飼の馬
- 野に放し飼いにしてある馬。
- 野夫
- 田舎の男。いなか者。
- うゐ〳〵敷
- 慣れていない。うぶな。
- かさね
- 少女の名。「襲(かさね)」は衣の重ね着の色目のことで、雅やかな響きの名。
- 八重撫子
- 花びらの重なった撫子。撫子は「撫でし子」で、かわいい子の意をこめて歌に詠まれる。
- 鞍つぼ
- 鞍の、人がまたがる中央のくぼみ。
文法
- ゆかんとす
- 「ん」は意志の助動詞「む」。行こうとする。
- なげきよれば
- 「なげきよる」は、困っていることを訴えて近寄る。
- ふみたがえん
- 「たがえ」は底本のまま(歴史的仮名遣いでは「たがへ」)。「ん」は推量。道を踏み間違えるだろう。
- かし侍ぬ
- 「かし」は「貸し」。「ぬ」は完了。貸してくれました。
- 名成べし
- 「成(なる)」は断定の助動詞「なり」の連体形、「べし」は推量。名であるにちがいない。
発句・和歌
かさねとは八重撫子の名成べし
- 作者
- 河合曾良
- 状況
- 那須野で馬のあとを追って走ってきた少女の名が「かさね」と聞いて詠んだ句。季語は「撫子」で夏。
修辞
- 季語
- 八重撫子。夏。
- 縁語
- 「かさね(重ね)」と「八重」が縁語。
解説
那須野は広大な原野で、道が入り組んで迷いやすい所として知られていた。曾良の『随行日記』によれば、四月二日に日光を出て玉生に泊まり、三日に那須野を越えて黒羽に着いている。
この章の句は曾良の作として載るが、文章の流れの中で芭蕉の心を代弁する役割をはたしている。草刈りの男とかさねの話は、『随行日記』には記されておらず、事実をもとにしつつ、芭蕉が文学的に構成した場面と考えられている。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、5〜6頁(コマ11–12)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日