古典ライブラリー

平家物語 巻第五

都うつりの事

治承四年六月、清盛は突然、都を福原へ遷した。三歳の安徳天皇をはじめ法皇・上皇も福原へ移され、法皇は板屋に押し込められた。物語は神武天皇以来の遷都の歴史をたどり、桓武天皇が四神相応の地として定め、将軍塚を築いて守らせた平安京を、その子孫である平家が理由もなく捨てたことを嘆く。荒れていく旧都の内裏の柱には、福原の行く末を危ぶむ歌が書きつけられた。

  1. 1治ぢ治ぢじ承しよう承しようしょう四し四しし年ねん年ねんねん六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつ三みつ三みつみつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、福ふく福ふくふく原はら原はらはらへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなるべしべしべしととと聞きこ聞きこきこゆゆゆ。。。このこのこの日ひ日ひひ頃ごろ頃ごろごろ、、、都みやこ都みやこみやこ遷うつ遷うつうつりりりあるあるあるべしべしべしととと聞きこ聞きこきこえええしかしかしかどもどもども、、、忽たちま忽たちまたちまちちちににに今こん今こんこん明みやう明みやうみょうののの程ほど程ほどほどとととははは思おも思おもおもははわざりざりざりしししものものものをををとてとてとて、、、京きやう京きやうきょう中ぢゆう中ぢゆうじゅうののの上じやう上じやうじょう下げ下げげ騒さわ騒さわさわぎぎぎあへあへあえりりり。。。三みつ三みつみつ日か日かかととと定さだ定さださだめめめられられられしかしかしかどもどもども、、、あまつさへあまつさへあまつさえ今いま今いまいま一いち一いちいち日にち日にちにち引ひき引ひきひき上あ上ああげげげられられられててて二ふつ二ふつふつ日か日かかににになりなりなりぬぬぬ。。。二ふつ二ふつふつ日か日かかののの卯う卯ううののの刻こく刻こくこくににに行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうののの御み御みみ輿こし輿こしこしををを寄よ寄よよせせせたりたりたりけれけれければばば、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょうははは今こ今ここ年とし年としとし三さん三さんさん歳さい歳さいさい、、、未いま未いまいまだだだいとけなういとけなういとけのうまし〳〵まし〳〵ましましけれけれければばば、、、何なに何なになに心ごころ心ごころごころももも無な無なのうううぞぞぞ召め召めめささされれれけるけるける。。。主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう幼をさな幼をさなおさのうううわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまふふう時とき時ときときののの御ご御ごご同どう同どうどう輿よ輿よよにににははは、、、母ぼ母ぼぼ后こう后こうこうこそこそこそ參まゐ參まゐまいらせらせらせ給たま給たまたまふふうににに、、、これこれこれはははそのそのその儀ぎ儀ぎぎなしなしなし。。。御おん御おんおん乳めの乳めのめの母と母とと帥そつ帥そつそつののの亮すけ亮すけすけ殿どの殿どのどのばかりばかりばかりこそこそこそ、、、一ひと一ひとひとつつつ御み御みみ輿こし輿こしこしにににははは參まゐ參まゐまいららられれれけれけれけれ。。。中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐう、、、一いち一いちいち院ゐん院ゐんいん、、、上じやう上じやうじょう皇くわう皇くわうかうももも御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなる。。。攝せつ攝せつせつ政しやう政しやうしょう殿どの殿どのどのををを始はじ始はじはじめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて太だい太だいだい政じやう政じやうじょう大だい大だいだい臣じん臣じんじん以い以いい下げ下げげののの卿けい卿けいけい相しやう相しやうしょう雲うん雲うんうん客かく客かくかく、、、われわれわれも〳〵も〳〵われもととと供ぐ供ぐぐ奉ぶ奉ぶぶせせせらるらるらる。。。平へい平へいへい家け家けけにににははは太だい太だいだい政じやう政じやうじょうののの入にふ入にふにゅう道だう道だうどうををを始はじ始はじはじめめめ參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、一いち一いちいち門もん門もんもんののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとみなみなみな參まゐ參まゐまいららられれれけりけりけり。。。あくるあくるあくる三みつ三みつみつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、福ふく福ふくふく原はら原はらはらへへへ入い入いいらららせせせおはしますおはしますおわします。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの弟おとうと弟おとうとおとうと池いけ池いけいけののの中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん賴より賴よりより盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうののの山さん山さんさん莊さう莊さうそう、、、皇くわう皇くわうかう居きよ居きよきょににになるなるなる。。。同おな同おなおなじきじきじき四よつ四よつよっ日か日かかののの日ひ日ひひ賴より賴よりより盛もり盛もりもり、、、家いへ家いへいえののの賞しやう賞しやうしょうとてとてとて正じやう正じやうじょう二に二にに位ゐ位ゐいししし給たま給たまたまふふう。。。九く九くく條でう條でうじょう殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん子こ子ここ右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょう良よし良よしよし通みち通みちみちののの卿きやう卿きやうきょう、、、加か加かか階かい階かいかい越こ越ここえええられられられさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。攝せふ攝せふせっ籙ろく籙ろくろくののの臣しん臣しんしんののの御ご御ごご子し子しし息そく息そくそく、、、凡ぼん凡ぼんぼん人にん人にんにんののの次じ次じじ男なん男なんなんににに加か加かか階かい階かいかい越こ越ここえええられられられさせさせさせ給たま給たまたまふふう事こと事ことこと、、、これこれこれ始はじ始はじはじめめめとととぞぞぞ承うけたまは承うけたまはうけたまわるるる。。。
  2. 2入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくやう〳〵やう〳〵ようよう思おも思おもおもひひい直なほ直なほなおつつなおっててて、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうをををばばば鳥と鳥とと羽ば羽ばばののの北きた北きたきた殿どの殿どのどのををを出いだ出いだいだししし參まゐ參まゐまいらせらせらせててて、、、都みやこ都みやこみやこへへへ還くわん還くわんかん御ぎよ御ぎよぎょなしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつららられれれたりたりたりしししががが、、、高たか高たかたか倉くら倉くらくらののの宮みや宮みやみやののの御ご御ごご謀む謀むむ叛ほん叛ほんほんににに依よ依よよつつっててて大おほ大おほおおきききににに憤いきどほ憤いきどほいきどおりりり、、、またまたまた福ふく福ふくふく原はら原はらはらへへへ御ご御ごご幸かう幸かうこうなしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。四し四しし面めん面めんめんににに端はた端はたはた板いた板いたいたしてしてして、、、口くち口くちくち一ひと一ひとひとつつつあきあきあきたるたるたる内うち内うちうちににに、、、三さん三さんさん間げん間げんげんののの板いた板いたいた屋や屋ややををを造つく造つくつくつつっててておしおしおしこめこめこめ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。守しゆ守しゆしゅ護ご護ごごののの武ぶ武ぶぶ士し士ししにににははは原はら原はらはら田だ田だだののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふ種たね種たねたね直なほ直なほなおばかりばかりばかりぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。たやすうたやすうたやすう人ひと人ひとひとののの參まゐ參まゐまいりりり通かよ通かよかよふふうべきべきべきやうやうようもももなけれなけれなければばば、、、童わらんべ童わらんべわらんべなどなどなどははは牢らう牢らうろうののの御ご御ごご所しよ所しよしょとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。聞き聞ききくくくもももいま〳〵しういま〳〵しういまいましゅう、、、あさましかりあさましかりあさましかりししし事こと事ことことどもどもどもなりなりなり。。。法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう、、、「「「今いま今いまいまははは世よ世よよののの政まつりごと政まつりごとまつりごとをををしろしめさしろしめさしろしめさばやばやばやとととははは、、、つゆつゆつゆももも思おぼし思おぼしおぼし召め召めめししし寄よ寄よよらららずずず。。。唯たゞ唯たゞただ山やま山やまやま々やま々やまやま寺てら寺てらてら々でら々でらでら修しゆ修しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょうしてしてして、、、御み御みみ心こころ心こころこころののの儘まゝ儘まゝままにににててて慰なぐさ慰なぐさなぐさまままばやばやばや。。。」」」とととぞぞぞ仰おほ仰おほおおせせせけるけるける。。。平へい平へいへい家け家けけののの惡あく惡あくあく行ぎやう行ぎやうぎょうにににおいおいおいてててははは悉ことごと悉ことごとことごとくくく極きは極きはきわまりまりまりぬぬぬ。。。去さ去ささんんんぬるぬるぬる安あん安あんあん元げん元げんげんよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、多おほ多おほおおくくくののの大だい大だいだい臣じん臣じんじん公く公くく卿ぎやう卿ぎやうぎょう或あるい或あるいあるいははは流なが流ながながししし、、、或あるい或あるいあるいははは失うしな失うしなうしなひひい、、、關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱく流なが流ながながししし奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、わがわがわが壻むこ壻むこむこををを關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱくににになしなしなし、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうををを城せい城せいせい南なん南なんなんののの離り離りり宮きゆう宮きゆうきゅうにににおしおしおしこめこめこめ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり、、、あまつさへあまつさへあまつさえ第だい第だいだい二に二ににののの皇わう皇わうおう子じ子じじ高たか高たかたか倉くら倉くらくらののの宮みや宮みやみや討う討ううちちち奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、今いま今いまいま殘のこ殘のこのこるるる所ところ所ところところののの都みやこ都みやこみやこ遷うつ遷うつうつりりりなれなれなればばば、、、かやうかやうかようにににししし給たま給たまたまふふうにににやややとととぞぞぞ人ひと人ひとひと申まう申まうもうしししけるけるける。。。都みやこ都みやこみやこ遷うつ遷うつうつりりりはははこれこれこれ先せん先せんせん蹤じよう蹤じようじょうなきなきなきにににあらあらあらずずず。。。
  3. 3神じん神じんじん武む武むむ天てん天てんてん皇わう皇わうのうととと申まう申まうもうすすすははは地ち地ちち神じん神じんじん五ご五ごご代だい代だいだいののの帝みかど帝みかどみかど彦ひこ彦ひこひこ波な波なな瀲ぎさ瀲ぎさぎさ武たけ武たけたけ鸕う鸕うう鷀が鷀がが草や草やや葺ふき葺ふきふき不合あへず不合あへずあえずののの命みこと命みことみこと第だい第だいだい四し四ししののの皇わう皇わうおう子じ子じじ、、、御おん御おんおん母はゝ母はゝはわははは玉たま玉たまたま依より依よりより姫ひめ姫ひめひめ、、、海かい海かいかい神じん神じんじんののの女むすめ女むすめむすめなりなりなり。。。神かみ神かみかみののの代よ代よよ十じふ十じふじゅう二に二にに代だい代だいだいののの後あと後あとあとををを受う受ううけけけ、、、人にん人にんにん代だい代だいだい百はく百はくはく王わう王わうおうののの帝てい帝ていてい祖そ祖そそなりなりなり。。。辛かのと辛かのとかのとののの酉とり酉とりとりののの年とし年としとし、、、日ひう日ひうひゅう向が向ががののの國くに國くにくに宮みや宮みやみや崎ざき崎ざきざきののの郡こほり郡こほりこおりにににしてしてして皇わう皇わうおう王わう王わうおうののの寶ほう寶ほうほう祚そ祚そそををを繼つ繼つつぎぎぎ、、、五ご五ごご十じふ十じふじゅう九く九くく年ねん年ねんねんととといひいひいいししし己つちのと己つちのとつちのと未ひつじ未ひつじひつじののの年とし年としとし十じふ十じふじゅう月ぐわつ月ぐわつがつににに東とう東とうとう征せい征せいせいしてしてして、、、豐とよ豐とよとよ葦あし葦あしあし原はら原はらはらののの中なか中なかなかつつつ洲くに洲くにくにににに止とゞ止とゞとどまりまりまり、、、このこのこの頃ころ頃ころころ大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくにととと名な名ななづけづけづけたるたるたる、、、畝うね畝うねうね傍び傍びびののの山やま山やまやまををを點てん點てんてんじじじててて帝てい帝ていてい都と都ととををを建た建たたててて、、、橿かし橿かしかし原はら原はらはらののの地ち地ちちををを伐き伐ききりりり拂はら拂はらはらつつっててて、、、宮きゆう宮きゆうきゅう室しつ室しつしつををを造つく造つくつくりりり給たま給たまたまへへえりりり。。。これこれこれををを橿かし橿かしかし原はら原はらはらののの宮みや宮みやみやととと名な名ななづけづけづけたりたりたり。。。それそれそれよりよりよりこのこのこのかたかたかた代だい代だいだい々だい々だいだいののの帝てい帝ていてい王わう王わうおう、、、都みやこ都みやこみやこををを他た他たた國こく國こくこく他た他たた所しよ所しよしょへへへ遷うつ遷うつうつさささるゝるゝるる事こと事ことこと三さん三さんさん十じふ十じふじゅう度ど度どどにににあまりあまりあまり、、、四し四しし十じふ十じふじゅう度ど度どどににに及およ及およおよべべべりりり。。。
  4. 4神じん神じんじん武む武むむ天てん天てんてん皇わう皇わうのうよりよりより景けい景けいけい行かう行かうこう天てん天てんてん皇わう皇わうのうまでまでまで十じふ十じふじゅう二に二にに代だい代だいだいははは、、、大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくに、、、郡こほり郡こほりこおり々ごほり々ごほりごおりににに都みやこ都みやこみやこををを建た建たたててて、、、他た他たた國こく國こくこくへへへははは遂つひ遂つひついににに遷うつ遷うつうつささされれれずずず。。。然しか然しかしかるるるををを成せい成せいせい務む務むむ天てん天てんてん皇わう皇わうのう元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねんににに近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくにににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、志し志しし賀が賀ががののの郡こほり郡こほりこおりににに都みやこ都みやこみやこををを建た建たたててて、、、仲ちゆう仲ちゆうちゅう哀あい哀あいあい天てん天てんてん皇わう皇わうのう二に二にに年ねん年ねんねんににに長なが長ながなが門と門ととののの國くに國くにくにににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、豐とよ豐とよとよ浦うら浦うらうらののの郡こほり郡こほりこおりににに都みやこ都みやこみやこををを建た建たたつつつ。。。そのそのその國くに國くにくに、、、かのかのかの都みやこ都みやこみやこにににしてしてして帝みかど帝みかどみかどかくれかくれかくれさせさせさせたまひたまひたまいしかしかしかばばば、、、后きさき后きさききさき神じん神じんじん功ぐう功ぐうぐう皇くわう皇くわうかう后ごう后ごうごう、、、御み御みみ代よ代よよををを受うけ受うけうけ取と取ととらららせせせ給たま給たまたまひひい、、、女によ女によにょ帝てい帝ていていとととしてしてして鬼き鬼きき界かい界かいかい、、、高かう高かうこう麗らい麗らいらい、、、契けい契けいけい丹たん丹たんたんまでまでまで攻せ攻せせめめめ從したが從したがしたがへへえさせさせさせ給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。異い異いい國こく國こくこくののの軍いくさ軍いくさいくさををを鎭しづ鎭しづしずめめめさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、歸き歸きき朝てう朝てうちょうののの後のち後のちのち、、、筑ちく筑ちくちく前ぜん前ぜんぜんののの國くに國くにくに三み三みみ笠かさ笠かさかさののの郡こほり郡こほりこおりにににしてしてして皇わう皇わうおう子じ子じじ御ご御ごご誕たん誕たんたん生じやう生じやうじょう、、、やがてやがてやがてそのそのその所ところ所ところところををを宇う宇うう美み美みみののの宮みや宮みやみやとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。かけまくかけまくかけまくももも忝かたじけな忝かたじけなかたじけなくくく八や八やや幡はた幡はたはたののの御おん御おんおん事こと事ことことこれこれこれなりなりなり。。。位くらゐ位くらゐくらいににに即つ即つつかかかせせせ給たま給たまたまひひいてててははは、、、應おう應おうおう神じん神じんじん天てん天てんてん皇わう皇わうのうとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。そのそのその後のち後のちのち神じん神じんじん功ぐう功ぐうぐう皇くわう皇くわうかう后ごう后ごうごうははは大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくにににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、磐余いはれ磐余いはれいわれ稚わか稚わかわか櫻ざくら櫻ざくらざくらののの宮みや宮みやみやにににおはしますおはしますおわします。。。應おう應おうおう神じん神じんじん天てん天てんてん皇わう皇わうのうははは同おな同おなおなじきじきじき國くに國くにくに輕かる輕かるかる島しま島しましまののの明あかり明あかりあかりののの宮みや宮みやみやににに住す住すすままませせせ給たま給たまたまふふう。。。
  5. 5仁にん仁にんにん德とく德とくとく天てん天てんてん皇わう皇わうのう元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねんににに津つ津つつののの國くに國くにくに難なに難なになに波は波はわににに遷うつ遷うつうつつつっててて高たか高たかたか津つ津つつののの宮みや宮みやみやにににおはしますおはしますおわします。。。履り履りり中ちゆう中ちゆうちゅう天てん天てんてん皇わう皇わうのう二に二にに年ねん年ねんねんにににまたまたまた大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくにににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、十と十とと市をち市をちおちののの郡こほり郡こほりこおりににに都みやこ都みやこみやこををを建た建たたつつつ。。。反はん反はんはん正ぜい正ぜいぜい天てん天てんてん皇わう皇わうのう元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねんににに河かう河かうこう内ち内ちちののの國くに國くにくにににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、柴しば柴しばしば籬がき籬がきがきののの宮みや宮みやみやににに住す住すすままませせせ給たま給たまたまふふう。。。允いん允いんいん恭ぎよう恭ぎようぎょう天てん天てんてん皇わう皇わうのう四し四しし十じふ十じふじゅう二に二にに年ねん年ねんねんにににまたまたまた大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくにににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、飛と飛ととぶぶぶ鳥とり鳥とりとりののの飛あ飛ああ鳥すか鳥すかすかののの宮みや宮みやみやにににおはしますおはしますおわします。。。雄いう雄いうゆう畧りやく畧りやくりやく天てん天てんてん皇わう皇わうのう二に二にに十じふ十じふじゅう一いち一いちいち年ねん年ねんねんににに同おな同おなおなじきじきじき國くに國くにくに泊はつ泊はつはつ瀬せ瀬せせののの朝あさ朝あさあさ倉くら倉くらくらににに宮みや宮みやみや居ゐ居ゐいししし給たま給たまたまふふう。。。繼けい繼けいけい體たい體たいたい天てん天てんてん皇わう皇わうのう五ご五ごご年ねん年ねんねんににに山やま山やまやま城しろ城しろしろののの國くに國くにくに筒つゝ筒つゝつつ城き城ききににに遷うつ遷うつうつつつっててて十じふ十じふじゅう二に二にに年ねん年ねんねん、、、そのそのその後のち後のちのち乙おと乙おとおと訓くに訓くにくにににに宮みや宮みやみや居ゐ居ゐいししし給たま給たまたまふふう。。。宣せん宣せんせん化くわ化くわか天てん天てんてん皇わう皇わうのう元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねんにににまたまたまた大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくにににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、檜ひの檜ひのひの隈くま隈くまくまののの入いる入いるいる野の野ののののの宮みや宮みやみやににに住す住すすままませせせ給たま給たまたまふふう。。。孝かう孝かうこう德とく德とくとく天てん天てんてん皇わう皇わうのう大たい大たいたい化くわ化くわか元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねんににに、、、攝つ攝つつ津の津ののののの國くに國くにくに長なが長ながなが柄ら柄ららににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、豐とよ豐とよとよ崎さき崎さきさきののの宮みや宮みやみやにににおはしますおはしますおわします。。。齊さい齊さいさい明めい明めいめい天てん天てんてん皇わう皇わうのう二に二にに年ねん年ねんねんにににまたまたまた大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくにににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、岡をか岡をかをか本もと本もともとののの宮みや宮みやみやににに住す住すすままませせせ給たま給たまたまふふう。。。天てん天てんてん智ぢ智ぢじ天てん天てんてん皇わう皇わうのう六ろく六ろくろく年ねん年ねんねんににに近あふ近あふおう江み江みみののの國くに國くにくにににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、大おほ大おほおお津つ津つつののの宮みや宮みやみやにににおはしますおはしますおわします。。。天てん天てんてん武む武むむ天てん天てんてん皇わう皇わうのう元ぐわん元ぐわんがん年ねん年ねんねんににになほなほなお大やま大やまやま和と和ととののの國くに國くにくにににに歸かへ歸かへかえつつっててて、、、岡をか岡をかをか本もと本もともとののの南みなみ南みなみみなみののの宮みや宮みやみやににに住す住すすままませせせ給たま給たまたまふふう。。。これこれこれををを淨きよ淨きよきよ見み見みみ原はら原はらはらののの御み御みみ門かど門かどかどととと申まう申まうもうしししききき。。。持ぢ持ぢじ統とう統とうとう、、、天てん天てんてん武む武むむ二に二にに代だい代だいだいののの聖せい聖せいせい朝てう朝てうちょうははは藤ふぢ藤ふぢふじ原はら原はらはらののの宮みや宮みやみやにににおはしますおはしますおわします。。。元げん元げんげん明めい明めいめい天てん天てんてん皇わう皇わうのうよりよりより光くわう光くわうこう仁にん仁にんにん天てん天てんてん皇わう皇わうのうまでまでまで七しち七しちしち代だい代だいだいははは奈な奈なな良ら良ららののの京きやう京きやうきょうににに住す住すすままませせせ給たま給たまたまふふう。。。
  6. 6然しか然しかしかるるるををを桓くわん桓くわんかん武む武むむ天てん天てんてん皇わう皇わうのうののの御ぎよ御ぎよぎょ宇う宇うう、、、延えん延えんえん曆りやく曆りやくりゃく三さん三さんさん年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう月ぐわつ月ぐわつがつ三みつ三みつみつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、奈な奈なな良ら良ららののの京きやう京きやうきょう、、、春かす春かすかす日が日ががののの里さと里さとさとよりよりより山やま山やまやま城しろ城しろしろののの國くに國くにくに長なが長ながなが岡をか岡をかおかににに遷うつ遷うつうつつつっててて、、、十じふ十じふじゅう年ねん年ねんねんととといひいひいいししし正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつににに大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん藤ふぢ藤ふぢふじ原はら原はらはらののの小を小をお黑ぐろ黑ぐろぐろ麻ま麻まま呂ろ呂ろろ、、、參さん參さんさん議ぎ議ぎぎ左さ左ささ大だい大だいだい辨べん辨べんべん紀き紀ききののの古こ古ここ佐さ佐ささ美み美みみ、、、大だい大だいだい僧そう僧そうそう都づ都づず玄げん玄げんげん慶けい慶けいけい等ら等ららををを遣つか遣つかつかはしはしわしててて、、、當たう當たうとう國ごく國ごくごく葛かど葛かどかど野の野ののののの郡こほり郡こほりこおり宇う宇うう多だ多だだののの村むら村むらむらををを見み見みみせせせらるゝらるゝらるるににに、、、兩ふた兩ふたふた人り人りり共とも共ともともににに奏そう奏そうそうしししててていはくいはくいわく、、、「「「このこのこの地ち地ちちののの體てい體ていていををを見み見みみ候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、左さ左ささ青しやう青しやうしょう龍りよう龍りようりょう、、、右う右うう白びやく白びやくびゃく虎こ虎ここ、、、前ぜん前ぜんぜん朱しゆ朱しゆしゅ雀じやく雀じやくじゃく、、、後ご後ごご玄げん玄げんげん武む武むむ、、、四し四しし神じん神じんじん相さう相さうそう應おう應おうおうののの地ち地ちちなりなりなり。。。最もつと最もつともっとももも帝てい帝ていてい都と都ととををを定さだ定さださだむるむるむるににに足た足たたれれれりりり。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。これこれこれににに依よ依よよつつっててて愛おた愛おたおた宕ぎ宕ぎぎののの郡こほり郡こほりこおりにににおはしますおはしますおわします賀か賀かか茂も茂ももののの大だい大だいだい明みやう明みやうみょう神じん神じんじんににに、、、このこのこの由よし由よしよしををを告つ告つつげげげ申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、延えん延えんえん曆りやく曆りやくりゃく十じふ十じふじゅう三さん三さんさん年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう一いち一いちいち月ぐわつ月ぐわつがつ二に二にに十じふ十じふじゅう一いち一いちいち日にち日にちにち、、、長なが長ながなが岡をか岡をかおかののの京きやう京きやうきょうよりよりよりこのこのこの京きやう京きやうきょうへへへ遷うつ遷うつうつささされれれててて、、、帝てい帝ていてい王わう王わうおうははは三さん三さんさん十じふ十じふじゅう二に二にに代だい代だいだい、、、星せい星せいせい霜さう霜さうそうははは三さん三さんさん百びやく百びやくびゃく八はち八はちはち十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ歳さい歳さいさいののの春しゆん春しゆんしゅん秋じう秋じうじゅうををを送おく送おくおくりりり迎むか迎むかむかふふう。。。
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  9. 9百もゝ百もゝもも年とせ年とせとせををを四よ四よよかへりかへりかえりまでまでまでににに過す過すすぎぎぎきききにににしししおたぎおたぎおたぎののの里さと里さとさとののの荒あ荒ああれれれややや果は果ははてててなななむむん
  10. 10咲さ咲ささききき出い出いいづるづるずる花はな花はなはなののの都みやこ都みやこみやこをををふりふりふり棄す棄すすてててててて風かぜ風かぜかぜふくふくふくはらはらはらののの末すゑ末すゑすえぞぞぞあやふきあやふきあやうき

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

治承四年(1180)六月三日、福原へ御幸なさると聞こえた。このところ遷都があるだろうと聞こえていたが、まさか今日明日のこととは思わなかったのにといって、京中の上下が騒ぎ合った。三日と決められていたが、そのうえさらに一日繰り上げられて二日になった。二日の卯の刻(午前六時)に行幸の御輿を寄せると、主上は今年三歳、まだ幼くいらっしゃったので、何もわからずにお乗りになった。主上が幼くいらっしゃるときの御同輿には母后が参られるものだが、今度はそうではない。御乳母の帥の典侍殿だけが同じ御輿に乗られた。中宮・一院・上皇も御幸なさった。摂政殿をはじめ、太政大臣以下の公卿・殿上人も我も我もとお供した。平家では太政入道をはじめ、一門の人々がみな参られた。明けて三日、福原にお入りになった。入道相国の弟、池の中納言頼盛卿の山荘が皇居となった。同じ月の四日、頼盛は家の賞として正二位になられた。九条殿(兼実)の御子の右大将良通卿は、位を越えられてしまわれた。摂関家の子息が、普通の家の次男に位を越えられるのは、これが初めてと聞く。

入道相国はいったん思い直して、法皇を鳥羽の北殿からお出しして都へお帰し申していたが、高倉宮の謀叛にひどく怒って、また福原へお移し申した。四方を板で囲み、口を一つだけ開けた中に三間の板屋を造って押し込め申した。警護の武士には原田大夫種直だけがいた。たやすく人が参り通えるはずもないので、子どもたちは「牢の御所」と呼んだ。聞くのも忌まわしく、情けないことである。法皇は、「今は世の政治を執りたいなどとは少しも思わない。ただ山々寺々を修行して、心のままに慰みたい」とおっしゃった。平家の悪行はもはや極まった。去る安元のころから、多くの大臣・公卿を流したり殺したりし、関白を流して自分の婿を関白にし、法皇を城南の離宮に押し込め、そのうえ第二の皇子高倉宮を討ち申して、今残るのは遷都だけなので、このようになさったのであろうかと人々は申した。遷都には先例がないわけではない。

神武天皇と申すのは、地神五代の帝、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の第四の皇子で、母は玉依姫、海神の娘である。神代十二代の後を受け、人代百王の始祖である。辛酉の年、日向国宮崎郡で皇位を継ぎ、五十九年の己未の年十月に東征して、豊葦原の中つ国にとどまり、今大和国と名づけている所の、畝傍山を選んで帝都を建て、橿原の地を切り開いて宮殿を造られた。これを橿原の宮と名づけた。それからこのかた代々の帝王が都を他国他所へ遷されたことは三十度を超え、四十度に及んでいる。

神武天皇から景行天皇までの十二代は、大和国のあちこちの郡に都を建て、他国へはついに遷されなかった。ところが成務天皇元年に近江国に遷って志賀郡に都を建て、仲哀天皇二年に長門国に遷って豊浦郡に都を建てた。その国のその都で帝がお亡くなりになったので、后の神功皇后が御代を受け継がれ、女帝として鬼界・高麗・契丹まで攻め従えられた。異国の戦を鎮めて帰国された後、筑前国三笠郡で皇子がお生まれになり、そこを宇美の宮と申した。口にするのも畏れ多い八幡大菩薩がこの方である。位におつきになってからは応神天皇と申した。その後、神功皇后は大和国に遷って磐余稚桜の宮においでになった。応神天皇は同じ国の軽島の明の宮に住まわれた。

仁徳天皇元年に摂津国難波に遷って高津の宮においでになった。履中天皇二年にまた大和国に遷って十市郡に都を建てた。反正天皇元年に河内国に遷って柴籬の宮に住まわれた。允恭天皇四十二年にまた大和国に遷って飛鳥の宮においでになった。雄略天皇二十一年には同じ国の泊瀬の朝倉に宮居された。継体天皇五年に山城国の筒城に遷って十二年、その後乙訓に宮居された。宣化天皇元年にまた大和国に遷って檜隈の入野の宮に住まわれた。孝徳天皇大化元年に摂津国長柄に遷って豊崎の宮においでになった。斉明天皇二年にまた大和国に遷って岡本の宮に住まわれた。天智天皇六年に近江国に遷って大津の宮においでになった。天武天皇元年にはまた大和国に帰って岡本の南の宮に住まわれた。これを浄見原の帝と申した。持統・文武の二代の聖朝は藤原の宮においでになった。元明天皇から光仁天皇までの七代は奈良の京に住まわれた。

ところが桓武天皇の御代、延暦三年(784)十月三日、奈良の京、春日の里から山城国長岡に遷り、十年目の正月に大納言藤原小黒麻呂・参議左大弁紀古佐美・大僧都玄慶らを遣わして、山城国葛野郡宇多村を見させたところ、二人はともに奏上して、「この地の様子を見ますと、左に青龍、右に白虎、前に朱雀、後ろに玄武と、四神相応の地です。帝都を定めるのに最もふさわしい」と申した。そこで愛宕郡においでになる賀茂大明神にこのことをお告げになって、延暦十三年(794)十一月二十一日、長岡京からこの京へ遷されて、帝王は三十二代、年月は三百八十余年の春秋を送り迎えた。

それ以来、代々の帝が国々所々へ多くの都を遷されたが、これほどの勝地はないと、桓武天皇はことのほか執着なさって、大臣・公卿や諸国の才人たちに命じて、長く続く都の相を整えるために、土で八尺の人形を作り、鉄の鎧兜を着せ、同じく鉄の弓矢を持たせて、末代であってもこの京を他国へ遷すことがあれば守護神となろうと誓わせて、東山の峰に西向きに立てて埋められた。それゆえ天下に事が起ころうとするときには、この塚が必ず鳴動する。将軍塚といって今もある。平家こそ最も崇めるべき都である。とりわけこの京を平安城と名づけて、たいらかに安らかな都と書いた。桓武天皇は平家の遠い祖先でいらっしゃる。先祖の君があれほど執着なさった都を、たいした理由もなく他国他所へ遷されたのは情けないことである。

先年、嵯峨天皇の御代、平城の先帝が尚侍(藤原薬子)の勧めによって、この京を他国へ遷そうとなさったが、大臣・公卿や諸国の人民が反対したので、遷されずに終わった。一天の君、万乗の主でさえ遷すことのできなかった都を、入道相国が臣下の身で遷されたのは情けない。旧都はああ、何とすばらしい都であったことか。王城守護の鎮守の神々は四方に光を和らげ、霊験あらたかな寺々は上下に甍を並べていた。百姓万民は煩いなく、五畿七道への便もよかった。けれども今は辻々が掘り切られて、車などもたやすく行き来できず、たまに行く人は小車に乗って回り道をして通った。軒を争うように並んでいた人家も日を経て荒れていき、家々は取り壊されて賀茂川・桂川に入れられ、筏に組んで浮かべ、家財道具は船に積んで福原へ運び下された。みるみるうちに花の都が田舎になっていくのは悲しいことである。誰のしわざであろうか、旧都の内裏の柱に二首の歌が書きつけてあった。

百年を四たびも重ねて栄えてきた愛宕の里(平安京)も、すっかり荒れ果ててしまうのであろうか。

咲き誇る花の都を振り捨てて、風の吹く福原(吹く原)の行く末は危ういものだ。

意訳

巻第五の冒頭、清盛の福原遷都を描く章段である。三歳の安徳天皇は何もわからずに御輿に乗せられ、法皇は福原の板屋に押し込められて「牢の御所」と呼ばれる。物語は「平家の惡行においては悉く極まりぬ」と断じ、残るのは遷都だけであったと述べる。

続く神武天皇以来の遷都の歴史は、平安京がいかに特別な都であったかを浮かび上がらせるためのものである。桓武天皇が四神相応の地として選び、将軍塚を築いて守らせた平安京を、桓武天皇の子孫である平家が理由もなく捨てる。この皮肉を物語は「あさましけれ」と繰り返し嘆き、旧都の柱に書かれた二首の落書で結んでいる。

語釈・文法注

文法

「今明の程」
今日明日のうち。
「攝籙の臣」
摂政・関白。
「四神相應」
東に流水(青龍)、西に大道(白虎)、南に池(朱雀)、北に丘(玄武)がある地。都に最もふさわしいとされた。
「將軍が塚」
京都東山の将軍塚。
「曩祖」
遠い祖先。平家は桓武天皇の子孫(桓武平氏)。
「道をへて」
回り道をして。
「たゞなりに」
みるみるうちに。
「持統、天武二代」
通行本文は「持統、文武二代」。底本の表記のまま翻刻した。

和歌

百年を四かへりまでに過ぎきにしおたぎの里の荒れや果てなむ

詠者
(落書)
状況
旧都の内裏の柱に書きつけられていた歌。

修辞

数詞
「百年を四かへり」で四百年。平安京が遷都以来四百年近く続いたことをいう。「おたぎの里」は愛宕郡、平安京の地。

咲き出づる花の都をふり棄てて風ふくはらの末ぞあやふき

詠者
(落書)
状況
同じく旧都の内裏の柱に書きつけられていた歌。

修辞

掛詞
「ふくはら」に「(風)吹く原」と「福原」を掛ける。風に吹かれる花のように、福原の行く末は危ういと諷する。

解説

治承四年(1180)六月、清盛は安徳天皇・後白河法皇・高倉上皇を伴って福原(現在の神戸市)に遷都した。福原は清盛の別荘があり、日宋貿易の拠点である大輪田泊に近い地であった。しかし遷都は貴族や寺社の強い反発を招き、同年十一月には京都に還都する(「都がへりの事」)。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、464–468頁(コマ261–263)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日