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更級日記 第3章

足柄山の遊女

隅田川を渡って相模に入り、にしとみの浜、もろこし河原を過ぎる。暗い足柄山の麓の宿に、どこからともなく遊女が三人現れ、澄んだ声で歌って山中へ去ってゆく。翌朝、雲を足の下に踏んで足柄を越え、駿河に入る。

  1. 1野山のやま野山のやまのやま葦荻あしをぎ葦荻あしをぎあしおぎののの中なか中なかなかををを分わ分わわくるくるくるよりよりより外ほか外ほかほかののの事こと事ことことなくなくなくててて武藏むさし武藏むさしむさしととと相摸さがみ相摸さがみさがみののの中なか中なかなかにににゐゐいてててあすたあすたあすた川がは川がはがわととといふいふいう、、、在五ざいご在五ざいございごののの「「「いざいざいざことことこととはとはとはむむん」」」ととと詠よ詠よよみみみけるけるけるわたりわたりわたりなりなりなり。。。中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうののの集しふ集しふしゅうにににははは隅田川すみだがは隅田川すみだがはすみだがわとととありありあり。。。
  2. 2舟ふね舟ふねふねにににててて渡わた渡わたわたりりりぬれぬれぬればばば相摸さがみ相摸さがみさがみののの國くに國くにくにににになりなりなりぬぬぬ。。。にしとみにしとみにしとみととといふいふいう所ところ所ところところののの山繪やまゑ山繪やまゑやまえよくよくよく書か書かかきききたらたらたらむむん屏風びやうぶ屏風びやうぶびょうぶををを立た立たたててて並なら並ならならべべべたらたらたらむむんやうやうようなりなりなり。。。片かた片かたかたつつつ方かた方かたかたははは海うみ海うみうみ濱はま濱はまはまのののさまさまさまももも、、、よせよせよせ返かへ返かへかえるるる浪なみ浪なみなみののの氣色けしき氣色けしきけしきもももいみじういみじういみじゅうおもしろしおもしろしおもしろし。。。
  3. 3もろこしもろこしもろこし河原がはら河原がはらがわらととといふいふいう所ところ所ところところもももすなごすなごすなごのののいみじういみじういみじゅう白しろ白しろしろきききををを二三日ふつかみか二三日ふつかみかふつかみかゆくゆくゆく。。。夏なつ夏なつなつははは倭瞿麥やまとなでしこ倭瞿麥やまとなでしこやまとなでしこののの濃こ濃ここくくく薄うす薄うすうすくくく錦にしき錦にしきにしきをををひけひけひけるるるやうやうようににになむなむなん咲さ咲ささきききたるたるたる。。。これこれこれははは秋あき秋あきあきののの末すゑ末すゑすえなれなれなればばば見み見みみえええぬぬぬととといふいふいうににに、、、猶なほ猶なほなお所々ところどころ所々ところどころところどころはははうちうちうちこぼれこぼれこぼれつゝつゝつつ哀あはれ哀あはれあわれげげげににに咲さ咲ささきききわたれわたれわたれりりり。。。「「「唐土もろこし唐土もろこしもろこし河原がはら河原がはらがわらににに倭瞿麥やまとなでしこ倭瞿麥やまとなでしこやまとなでしこののの咲さ咲ささきききけむけむけんこそこそこそ」」」などなどなど人々ひとびと人々ひとびとひとびとをかしがるをかしがるおかしがる。。。
  4. 4足柄山あしがらやま足柄山あしがらやまあしがらやまととといふいふいうははは四五日しごにち四五日しごにちしごにちかねかねかねててて恐おそろ恐おそろおそろしげしげしげにににくらがりくらがりくらがり渡わた渡わたわたれれれりりり。。。やうやうやうやうようよう入い入いいりりりたつたつたつ麓ふもと麓ふもとふもとのののほどほどほどだにだにだに空そら空そらそらののの氣色けしき氣色けしきけしきはかばかしくはかばかしくはかばかしくももも見み見みみえええずずず、、、えええもももいはいはいわずずず茂しげ茂しげしげりりりわたりわたりわたりててていといといとおそろしげおそろしげおそろしげなりなりなり。。。
  5. 5麓ふもと麓ふもとふもとにににやどりやどりやどりたるたるたるににに月つき月つきつきもももなくなくなく暗くら暗くらくらききき夜よ夜よよののの闇やみ闇やみやみににに惑まど惑まどまどふふうやうやうようなるなるなるににに、、、遊あそ遊あそあそ三人みたり三人みたりみたりいづくいづくいずくよりよりよりとととなくなくなく出い出いいででできききたりたりたり。。。五十いそぢ五十いそぢいそじばかりばかりばかりなるなるなる一人ひとり一人ひとりひとり、、、廿はたち廿はたちはたちばかりばかりばかりなるなるなる十四五じふしご十四五じふしごじゅうしごなるなるなるとととありありあり。。。庵いほ庵いほいおののの前まへ前まへまえにににからかさからかさからかさをををさゝさゝささせせせてててすゑすゑすえたりたりたり。。。
  6. 6をのこどもをのこどもおのこども火ひ火ひひををを燈とも燈ともともしししててて見み見みみれれればばば、、、昔むかし昔むかしむかしこはたこはたこわたととといひいひいいけむけむけんががが孫まご孫まごまごととといふいふいう、、、髪かみ髪かみかみいといといと長なが長ながながくくく額ひたひ額ひたひひたいいといといとよくよくよくかゝりかゝりかかりててて色いろ色いろいろ白しろ白しろしろくくくきたなげきたなげきたなげなくなくなくててて「「「さてもさてもさてもありありありぬぬぬべきべきべき下仕しもづかへ下仕しもづかへしもづかえなどなどなどにににてててもももありありありぬぬぬべしべしべし」」」などなどなど人々ひとびと人々ひとびとひとびと哀あはれ哀あはれあわれがるがるがるににに、、、聲こゑ聲こゑこえすべてすべてすべて似に似ににるるるものものものなくなくなく空そら空そらそらにににすみすみすみのぼりのぼりのぼりてててめでたくめでたくめでたく歌うた歌うたうたをををうたふうたふうたう。。。
  7. 7人々ひとびと人々ひとびとひとびといみじういみじういみじゅうあはれがりあはれがりあわれがりてててけぢかくけぢかくけぢかくててて人々ひとびと人々ひとびとひとびともてもてもて興きよう興きようきょうずるずるずるににに「「「西國さいこく西國さいこくさいこくのののあそびあそびあそびははは、、、えええかゝらかゝらかからじじじ」」」などなどなどいふいふいうををを聞き聞きききききててて「「「難波なには難波なにはなにわわたりわたりわたりにににくらぶれくらぶれくらぶればばば」」」とととめでたくめでたくめでたく歌うた歌うたうたひひいたりたりたり。。。
  8. 8見み見みみるるる目め目めめのののいといといときたなげきたなげきたなげなきなきなきににに聲こゑ聲こゑこえさへさへさへ似に似ににるるる物もの物ものものなくなくなく歌うた歌うたうたひひいてててさばかりさばかりさばかり恐おそろ恐おそろおそろしげしげしげなるなるなる山中やまなか山中やまなかやまなかにににたちたちたちててて行ゆ行ゆゆくくくををを、、、人々ひとびと人々ひとびとひとびと飽あ飽ああかかかずずず思おも思おもおもひひいててて皆みな皆みなみな泣な泣ななくくくををを、、、幼をさな幼をさなおさなききき心地ここち心地ここちここちにににはははましてましてましてこのこのこの宿やど宿やどやどりりりをををたゝたゝたたむむんことことことさへさへさへ飽あ飽ああかかかずずずおぼゆおぼゆおぼゆ。。。
  9. 9まだまだまだ曉あかつき曉あかつきあかつきよりよりより足柄あしがら足柄あしがらあしがらををを越こ越ここゆゆゆ。。。まいてまいてまいて山やま山やまやまののの中なか中なかなかののの恐おそろ恐おそろおそろしげしげしげなるなるなる事こと事ことこといはいはいわむむんかたかたかたなしなしなし。。。雲くも雲くもくもははは足あし足あしあしのののしたしたしたにににふまふまふまるるる。。。山やま山やまやまのののなからなからなからばかりばかりばかりののの木き木ききのののもともともとののの僅わづか僅わづかわずかなるなるなるににに葵あふひ葵あふひあおいののの唯ただ唯ただただ三筋みすぢ三筋みすぢみすじばかりばかりばかりあるあるあるををを「「「世よ世よよはなれはなれはなれてててかゝるかゝるかかる山中やまなか山中やまなかやまなかにににしもしもしも生お生おおひひいけむけむけんよよよ」」」ととと人々ひとびと人々ひとびとひとびとあはれがるあはれがるあわれがる。。。
  10. 10水みづ水みづみずはははそのそのその山やま山やまやまににに三所みところ三所みところみところににに流なが流ながながれれれたるたるたる辛から辛からからうじてうじてうじて越こ越ここえええ出い出いいでゝでゝでて關山せきやま關山せきやませきやまにににとゞまりとゞまりとどまりぬぬぬ。。。これこれこれよりよりよりははは駿河するが駿河するがするがなりなりなり。。。よこばしりよこばしりよこばしりののの關せき關せきせきののの傍かたはら傍かたはらかたわらににに岩壺いはつぼ岩壺いはつぼいわつぼととといふいふいう所ところ所ところところありありあり。。。えええもももいはいはいわずずず大おほ大おほおおきなるきなるきなる石いし石いしいしのののよはうよはうよほうなるなるなる中なか中なかなかににに穴あな穴あなあなのののあきあきあきたるたるたる中なか中なかなかよりよりより出い出いいづるづるずる水みづ水みづみずののの淸きよ淸きよきよくくくつめたきつめたきつめたき事こと事ことことかぎりなしかぎりなしかぎりなし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

野や山の葦や荻の中を分けて行くよりほかのことはなくて、武蔵と相模の国境にあって、あすた川という川は、在五中将が「いざこととはむ」と詠んだあたりである。中将の歌集には隅田川とある。

舟で渡ると相模の国に入った。にしとみという所の山は、山の絵をみごとに描いた屏風を立て並べたようである。片側は海で、浜のようすも、寄せては返す波のようすも、たいそう趣がある。

もろこし河原という所も、砂がたいそう白い中を二、三日かけて行く。「夏は大和撫子が濃く薄く、錦を敷いたように咲いています。今は秋の終わりなので見えません」というが、それでもあちこちにはこぼれ残って、しみじみと咲き続けている。「唐土という名の河原に、大和撫子が咲いているとは」などと人々はおもしろがる。

足柄山というのは、四、五日前から恐ろしげに暗く続いて見えている。だんだんと分け入る麓のあたりでさえ、空のようすもはっきりとは見えず、言いようもなく木々が茂りわたって、たいそう恐ろしげである。

麓に宿をとったところ、月もなく暗い夜で、闇に迷いそうなところへ、遊女が三人、どこからともなく現れた。五十歳ぐらいの者が一人、二十歳ぐらいの者と、十四、五歳ぐらいの者とがいる。(一行は)庵の前に大きな傘をさしかけさせて、(遊女たちを)座らせた。

男たちが火をともして見ると、昔こはたといったという遊女の孫だという者で、髪がたいそう長く、額髪もたいそうきれいに垂れかかって、色白でこぎれいで、「これなら、相応の家の下仕えなどにもなれそうだ」などと人々が感心していると、声はまったく比べるものもなく、空に澄みのぼって、みごとに歌をうたう。

人々はたいそう感じ入って、そば近くに呼んで楽しんでいると、「西国の遊女は、とてもこうはいくまい」などと(人々が)言うのを聞いて、「難波あたりにくらべれば」と、みごとに歌った。

見た目もたいそうこぎれいで、声までも比べようもなく歌って、あれほど恐ろしげな山の中へ立ち去って行くのを、人々は名残惜しく思ってみな泣くのだが、幼い心には、なおさら、この宿を発つことまでも名残惜しく思われる。

まだ夜明け前から足柄山を越える。まして山の中の恐ろしげなことは言いようもない。雲は足の下に踏むようである。山の中ほどの、木の下のわずかな所に、葵がたった三本ほど生えているのを、「こんな俗世を離れた山の中にも、よく生えていたものだ」と人々は感心する。

水はその山に三か所流れている。やっとのことで越え出て、関山に泊まった。ここからは駿河の国である。横走りの関のそばに、岩壺という所がある。何とも言えず大きな四角い石の中に穴があいていて、その中から湧き出る水が、清らかで冷たいことはこの上もない。

意訳

隅田川は、『伊勢物語』の在原業平が「名にし負はばいざこととはむ都鳥」と詠んだ場所である。物語の舞台を自分が通ることに、少女はひそかに心をときめかせていただろう。

相模の海辺の景色は屏風絵にたとえられる。少女は実際の風景を、絵や物語を通して知っていた美しさに重ねて見ている。

「唐土」の名を持つ河原に「大和」撫子が咲くという言葉遊びに、大人たちが興じる。季節はずれに咲き残る花の哀れさも書きとめられる。

暗く恐ろしい足柄山の麓に、遊女たちが闇の中から現れる場面は、この旅でもっとも幻想的な場面である。美しい容姿と、空に澄みのぼる歌声。都の歌をよく知る彼女たちは、東国の山中にあって、都の文化を運ぶ者でもあった。

遊女たちが再び闇の山中へ去ってゆくと、大人たちは泣き、少女はその宿を離れることさえ惜しむ。束の間の出会いと別れが、少女の心に深く刻まれた。

翌朝の山越えでは、雲を足の下に踏み、山中にわずかに生えた葵に人々が心を寄せる。恐ろしい山の中で見つけた小さな命への感動である。

語釈・文法注

在五中將
在原業平(825〜880)。在原氏の五男で、近衛中将であったことからこう呼ばれた。『伊勢物語』の主人公とされる。
遊
遊女(あそび)。歌や舞で旅人をもてなした女性たち。宿場や港に住み、今様などの歌謡を得意とした。

文法

「いざこととはむ」
『伊勢物語』第九段、『古今和歌集』の業平の歌「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の一節。
「えかゝらじ」
「え……じ」は不可能の打消推量。とてもこのようではあるまい。
「難波わたりにくらぶれば」
遊女が即座に歌った今様の一節とみられる。西国(難波)の遊女と比べられたのに応じたもの。
「辛うじて」
「からくして」のウ音便。やっとのことで。
「よはうなる」
「四方なる」で、四角いの意と解した。

解説

武蔵から相模、駿河へと、旅は東海道を西へ進む。作者は地名とその土地の見どころを、物語や歌の名所と結びつけながら書きとめている。隅田川で業平を思い出すのも、物語好きの少女らしい。

足柄の遊女の場面は、『更級日記』の上京の旅の中でもとくに名高い。闇の中から現れ、歌い終えると再び闇の中へ消えてゆく遊女たちは、少女の目にこの世ならぬものとして映っている。のちの第4章でも、作者は美濃の野上で遊女の歌を聞き、「足柄なりし思ひ出でられて」と記す。

足柄山は相模と駿河の国境の山で、東海道の難所であった。関山(足柄の関のあたり)を越えると駿河の国に入る。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(更級日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、460–462頁(コマ242–243)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日