おくのほそ道 第47章
大垣
敦賀まで迎えに来た路通とともに美濃の大垣に入ると、伊勢から曾良も、越人も駆けつけ、如行の家に門人たちが集まって、死者がよみがえったかのように喜びいたわる。九月六日、伊勢の遷宮を拝もうと再び舟に乗り、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と詠んで旅を結ぶ。巻末には素龍清書本の由来を記す奥書がある。

- 1ももも、、、此此こみなとまでみなとまでみなとまで出出でむかひてむかひてむかいて、、、みのゝみのゝみのの國國くにへへへととと伴伴ともなふふう。。。駒駒こまにたすけられてにたすけられてにたすけられてののの庄庄しょうににに入入いればばば、、、曾良曾良そらももも伊勢伊勢いせよりよりより來來きたりりり合合あわ、、、ももも馬馬うまをををとばせてとばせてとばせてかかか家家いえににに入集入集いりあつまるるる。。。
- 2、、、、、、其外其外そのほかしたしきしたしきしたしき人々日夜人々日夜ひとびとにちやとぶらひてとぶらひてとぶらいて、、、のものにあふがごとくのものにあふがごとくのものにあうがごとく、、、且且かつ悦悦よろこびびび且且かついたはるいたはるいたわる。。。旅旅たびののの物物ものうさもいまだやまざるにうさもいまだやまざるにうさもいまだやまざるに、、、長月六日長月六日ながつきむいかになればになればになれば、、、伊勢伊勢いせのののおがまんとおがまんとおがまんと、、、又又また舟舟ふねにのりてにのりてにのりて、、、
- 3蛤蛤はまぐりののの行秋行秋ゆくあきぞぞぞ
- 4此一書此一書このいっしょははは芭蕉翁奥羽芭蕉翁奥羽ばしょうおうおううののの紀行紀行きこうにしてにしてにしてががが筆也書筆也書ひつなりしょののの縱五寸五歩横四寸七歩紙縱五寸五歩横四寸七歩紙たてごすんごぶよこしすんしちぶかみののの重五十三首尾重五十三首尾かさねごじゅうさんしゅびににに白紙白紙はくしををを加加くわうふふう外外ほかににに素龍素龍そりょうがががののの表紙紫表紙紫ひょうしむらさきののの糸外題糸外題いとげだいははは金金こがねののの眞砂眞砂まさごちらしたるちらしたるちらしたる白地白地しろじにおくのにおくのにおくのほそほそほそ道道みちととと自筆自筆じひつににに書書かててて隨身隨身ずいじんししし給給たまふふう遷化遷化せんげのののががが許許もとににに有又眞蹟有又眞蹟ありまたしんせきのののののの許許もとににに有草稿有草稿ありそうこうののの書故文章所々相違書故文章所々相違しょゆえぶんしょうしょしょそういすすす今去來今去來いまきょらいががが本本ほんををを以以もっててて摸寫摸寫もしゃするするする者也者也ものなり。。。
- 5京寺町二條上京寺町二條上きょうてらまちにじょうあがルルル町町まち
現代語訳
路通もこの港まで出迎えてくれて、美濃の国へとともに行く。馬に助けられて大垣の庄に入ると、曾良も伊勢からやって来て合流し、越人も馬を飛ばして来て、如行の家に皆が集まった。前川子・荊口父子、そのほか親しい人々が昼も夜も訪ねてきて、まるで死んだ者が生き返ったのに会ったかのように、喜んだり、いたわったりしてくれる。旅の疲れもまだとれないうちに、九月六日になったので、伊勢の遷宮を拝もうと、また舟に乗って、
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ(蛤の蓋と身が別れるように、親しい人々と別れて、私は二見が浦へと旅立っていく。去りゆく秋とともに)
〔奥書〕この一書は、芭蕉翁の奥羽の紀行であって、素龍の筆である。本の大きさは縦五寸五分、横四寸七分、紙数は五十三枚で、初めと終わりに白紙を加える。ほかに素龍の跋文があるが、今は省略する。行成紙の表紙に紫の糸で綴じ、外題は金の砂子をちらした白地に「おくのほそ道」と翁が自筆で書いて、身辺に置いておられた。翁が亡くなられたのち、門人の去来のもとにある。また、翁の真蹟の本が門人の野坡のもとにあるが、草稿の本であるので文章があちこち違っている。今、去来の本によって写したものである。
京寺町二条上ル町 井筒屋庄兵衛板
意訳
百五十日に及ぶ旅は、美濃の大垣で終わる。迎えに来た路通、伊勢から来た曾良、馬を飛ばしてきた越人、そして大垣の門人たち。「蘇生のものにあふがごとく」――生きて帰れるかもわからない旅から戻った師を、人々は死者がよみがえったように迎えた。冒頭の章で「古人も多く旅に死せるあり」と語った芭蕉は、こうして生きて旅を終えた。
しかし芭蕉は、旅の疲れもとれないうちに、伊勢の遷宮を拝みに、また舟で旅立っていく。結びの句は、伊勢の二見と、蛤の「蓋・身」とを掛け、人々との別れと去りゆく秋とを重ねる。旅立ちの章の「行春や」と対応して「行秋」で終わり、作品全体が「別れ」で始まり「別れ」で終わる円環をなしている。旅の終わりは、新たな旅の始まりでもある。
奥書は、素龍が清書し、芭蕉が自ら題簽を書いて大切に持っていた本が、芭蕉の死後、去来の手に渡り、それを写して出版したことを記す。この奥書によって、本文が素龍清書本の系統であることがわかる。
語釈・文法注
- 露通
- 八十村路通。芭蕉の門人で、乞食僧であった。敦賀まで芭蕉を迎えに来た。底本は「露通」と刷る。
- 大垣の庄
- 美濃国大垣。大垣藩の城下町。岐阜県大垣市。
- 越人
- 越智越人。名古屋の俳人で、芭蕉の門人。
- 如行
- 近藤如行。大垣藩士で、芭蕉の門人。底本は「如行か家」と刷る。
- 前川子
- 津田前川。大垣藩士で、俳人。
- 荊口父子
- 宮崎荊口とその子の此筋・千川・文鳥。大垣藩士で、俳人。
- 蘇生のものにあふがごとく
- 死んだ者が生き返ったのに会うかのように。
- 伊勢の迁宮
- 伊勢神宮の式年遷宮。二十年ごとに社殿を建て替え、神体を移す。元禄二年九月に内宮・外宮の遷宮が行われた。底本は「迁宮」と刷る。
- ふたみ
- 二見が浦(伊勢の名所)と、蛤の「蓋・身」を掛ける。
- 素龍
- 柏木素龍(?〜1716)。能書家で、芭蕉の依頼で『おくのほそ道』を清書した。
- 行成紙
- 平安時代の能書家、藤原行成にちなむ、模様を刷った上質の紙。
- 去來
- 向井去来。京都の俳人で、芭蕉の高弟。
- 野坡
- 志太野坡。江戸の俳人で、芭蕉の門人。
- 井筒屋庄兵衞
- 京都の書肆。芭蕉や蕉門の俳書を多く出版した。元禄十五年(1702)に『おくのほそ道』を刊行した。
文法
- 如行か家
- 底本どおり「か」と刷る。通行本文は「如行が家」。
- あふがごとく
- 「ごとく」は比況の助動詞「ごとし」の連用形。会うかのように。
- おがまんと
- 「ん」は意志。拝もうと。
- わかれ行秋ぞ
- 「ぞ」は強意の係助詞で、句末に置いて言い切る。
発句・和歌
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 大垣で人々と別れ、伊勢の遷宮を拝みに舟で旅立つときの句。『おくのほそ道』の結びの句。季語は「行秋」で晩秋。
修辞
- 季語
- 行秋(ゆくあき)。秋。
- 掛詞
- 「ふたみ」に、蛤の「蓋と身」と、伊勢の「二見が浦」を掛ける。「わかれ行」に、別れて行くと「行く秋」を掛ける。
- 縁語
- 蛤・ふた(蓋)・み(身)。
- 対応
- 旅立ちの句「行春や鳥啼魚の目は泪」の「行春」と対応する。
解説
芭蕉が大垣に着いたのは、元禄二年八月二十一日ごろ、九月六日に大垣を発って伊勢に向かった。江戸の深川を出たのが三月二十七日であるから、およそ百五十日の旅であった。大垣市の水門川沿いには「奥の細道むすびの地」の碑が立ち、「奥の細道むすびの地記念館」がある。
「蛤の」の句は、旅立ちの「行春や」の句と見事に対応している。春に始まり秋に終わる。別れの涙で始まり、別れで終わる。そして、旅の終わりにまた新しい旅へ出ていく。『おくのほそ道』は、旅を人生そのものとする冒頭の思想を、この結びで静かに確かめて終わる。
芭蕉は旅のあと、数年をかけて推敲を重ね、元禄七年(1694)初夏ごろ、能書家の素龍に清書させた。芭蕉はこの清書本に自ら題簽を書いて大切に持ち歩き、同年十月、大坂で亡くなった。遺言によってこの本は去来に贈られ、元禄十五年(1702)、京都の井筒屋から出版された。底本の巻末にあるのは、その刊本の奥書である。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、35〜36頁(コマ26–27)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日