更級日記 第1章
上総からの旅立ち
東国の果ての上総で育った少女は、姉や継母の語る物語にあこがれ、等身の薬師仏に「京へ上らせて物語を見せてください」と祈る。十三歳の秋、父の任果てて上京の旅が始まり、黒戸の浜の月を詠み、出産した乳母と別れて下総を進む。
- 1あづまぢあづまぢあずまじののの道道みちのののはてはてはてよりよりよりもももなほなほなお奧奧おくつかたつかたつかたににに生生おひひい出出いでたるでたるでたる人人ひと、、、いかばかりいかばかりいかばかりかかかはははあやしかりあやしかりあやしかりけむけむけんををを、、、いかにいかにいかに思思おもひひい始始はじめけるめけるめけることことことにににかかか、、、世世よののの中中なかにににととといふいふいうものゝものゝもののあんあんあんなるなるなるをををいかでいかでいかで見見みばばばやややととと思思おもひひいつゝつゝつつ、、、
- 2つれづれつれづれつれづれなるなるなるひるまひるまひるまよひゐよひゐよいいなどなどなどににに、、、姉姉あね繼母繼母ままははなどなどなどやうやうようののの人々人々ひとびとののの、、、そのそのその物語物語ものがたりかのかのかの物語物語ものがたり、、、光源氏光源氏ひかるげんじのののあるあるあるやうやうようなどなどなどところどころところどころところどころ語語かたるるるををを聞聞きくくくににに、、、いとゞいとゞいとどゆかしさゆかしさゆかしさまされまされまされどどど、、、我我わががが思思おもふふうまゝまゝままにににそらそらそらにににいかでいかでいかでかかか覺覺おぼえええ語語かたらららむむん。。。
- 3いみじくいみじくいみじく心心こころもとなきもとなきもとなきまゝまゝままににに等身等身とうしんにににををを作作つくりりりててて、、、手洗手洗てあらひひいなどなどなどしししてててひとまひとまひとまにににみそかみそかみそかににに入入いりりりつゝつゝつつ「「「京京きょうににに疾疾とくくくのぼせのぼせのぼせ給給たまひひいててて物語物語ものがたりののの多多おおくくく候候さぶらふふうなるなるなるあるあるある限限かぎり見見みせせせ給給たまへへえ」」」ととと身身みををを捨捨すてゝてゝてて額額ぬかをををつきつきつきいのりいのりいのり申申もうすすすほどほどほどににに、、、
- 4十三十三じゅうさんににになるなるなる年年としのぼらのぼらのぼらむむんとてとてとて九月九月ながつき三日三日みか門出門出かどでしししてててたちたちたちととといふいふいう所所ところにににうつるうつるうつる。。。
- 5年頃年頃としごろ遊遊あそびなれびなれびなれつるつるつる所所ところををを毀毀こぼちちらしちちらしちちらしててて立立たちちち騒騒さわぎぎぎててて日日ひののの入入いりりり際際ぎわのののいといといとすごくすごくすごく霧霧きりりり渡渡わたりりりたるたるたるににに、、、車車くるまににに乘乘のるるるとてとてとてうちうちうち見見みやりやりやりたれたれたればばば、、、人人ひとまままにににははは參參まいりりりつゝつゝつつ額額ぬかをををつきつきつきししし藥師佛藥師佛やくしぶつののの立立たちちち給給たまへへえるるるををを見見み捨捨すててて奉奉たてまつるるるかなしくかなしくかなしくててて、、、人人ひと知知しれずれずれずうちうちうちなかなかなかれれれぬぬぬ。。。
- 6門出門出かどでしししたるたるたる所所ところはははめぐりめぐりめぐりなどなどなどもももなくなくなくてててかりそめかりそめかりそめののの萱屋萱屋かややののの蔀蔀しとみなどなどなどもももなしなしなし。。。簾垂簾垂すだれかけかけかけ幕幕まくなどなどなど引引ひきききたりたりたり。。。南南みなみははは遙遙はるかににに野野のののの方方かた見見みやらやらやらるるる。。。ひんがしひんがしひんがし西西にしははは海海うみ近近ちかくくくててていといといとおもしろしおもしろしおもしろし。。。
- 7夕霧夕霧ゆうぎりたちたちたち渡渡わたりりりててていみじういみじういみじゅうをかしけれをかしけれおかしければばばあさいあさいあさいなどなどなどもももせせせずずず。。。かたがたかたがたかたがた見見みつゝつゝつつこゝこゝここををを立立たちちちなななむむんことことこともももあはれあはれあわれににに悲悲かなしきしきしきににに、、、同同おなじじじ月月つきののの十五日十五日じゅうごにち雨雨あめかきかきかきくらしくらしくらし降降ふるるるににに、、、境境さかいををを出出いでゝでゝでて下野下野しもつけののの國國くにのののいかたいかたいかたととといふいふいう所所ところにににとまりとまりとまりぬぬぬ。。。
- 8庵庵いおなどなどなどもももうきうきうきぬぬぬばかりばかりばかりににに雨雨あめ降降ふりりりなどなどなどすれすれすればばば、、、恐恐おそろしくろしくろしくててていいいもももねねねられられられずずず。。。野中野中のなかにににおりおりおりたちたちたちたるたるたる所所ところににに唯唯ただ木木きぞぞぞ三三みつつつたてたてたてるるる。。。
- 9そのそのその日日ひははは雨雨あめにににぬれぬれぬれたるたるたる物物ものどもどもどもほしほしほし、、、國國くにににに立立たちちちおくれおくれおくれたるたるたる人々人々ひとびと待待まつつつとてとてとてそこそこそこににに日日ひををを暮暮くらしししつつつ。。。十七日十七日じゅうしちにちのののつとめてつとめてつとめて立立たつつつ。。。
- 10昔昔むかし下下しもつさつさつさののの國國くにににに眞野眞野まののののちやうちやうちょうととといふいふいう人人ひと住住すみみみけりけりけり。。。引布引布ひきぬのををを千千ちむらむらむら万万よろずむらむらむら織織おらせらせらせさらささらささらさせせせけるけるけるががが家家いえののの跡跡あととてとてとて深深ふかききき川川かはををを舟舟ふねにににててて渡渡わたるるる。。。昔昔むかしののの門門かどののの柱柱はしらのののまだまだまだ殘殘のこりりりたるたるたるとてとてとて、、、大大おおきなるきなるきなる柱柱はしら、、、川川かはののの中中なかににに四四よつつつ立立たてててりりり。。。人々人々ひとびと歌歌うたよむよむよむををを聞聞ききききてててこゝろこゝろこころのののうちうちうちににに、、、
- 11「「「くちくちくちもももせせせぬぬぬこのこのこの川柱川柱かわばしらのこらのこらのこらずずずばばばむかしむかしむかしのののあとあとあとをををいかでいかでいかで知知しらららましましまし」」」。。。
- 12そのそのその夜夜よははは黑戶黑戶くろとののの濱濱はまととといふいふいう所所ところににに泊泊とまるるる。。。片片かたつつつ方方かたははは廣廣ひろやかやかやかなるなるなる所所ところのののすなごすなごすなごはるばるはるばるはるばるととと白白しろきききににに、、、松原松原まつばらしげりしげりしげりててて月月つきのののいみじういみじういみじゅうあかきあかきあかきににに、、、風風かぜののの音音おともももいみじういみじういみじゅう心心こころぼそしぼそしぼそし。。。人々人々ひとびとをかしがりをかしがりおかしがりててて歌歌うたよみよみよみなどなどなどするするするににに、、、
- 13「「「まどろままどろままどろまじじじこよひこよひこよいならならならででではははいついついつかかか見見みむむんくろどくろどくろどののの濱濱はまののの秋秋あきののの夜夜よののの月月つき」」」。。。
- 14そのそのそのつとめてつとめてつとめてそこそこそこををを立立たちちちててて下下しもつさつさつさののの國國くにととと武藏武藏むさしののの境境さかいにににてててあるあるあるふとゐふとゐふとい川川がわととといふいふいう、、、かゝみのせまつざとかゝみのせまつざとかかみのせまつざとのののわたりわたりわたりののの津津つににに泊泊とまりりりててて、、、夜一夜夜一夜よひとよ舟舟ふねにににてててかずかずかずかずかずかず物物ものなどなどなど渡渡わたすすす。。。
- 15めのとめのとめのとなるなるなる人人ひとははは男男おとこなどなどなどもももなくなしなくなしなくなしててて、、、さかひさかひさかいにににててて子子こ產產うみみみたりたりたりしかしかしかばばば離離はなれれれてててべちべちべちにににのぼるのぼるのぼる。。。いといといと戀戀こいしけれしけれしければばばいかまほしくいかまほしくいかまほしく思思おもふふうにににせうとせうとしょうとなるなるなる人人ひと抱抱いだきききてててゐゐいててていきいきいきたりたりたり。。。
- 16皆人皆人みなひとははは假初假初かりそめののの假屋假屋かりやなどなどなどいへいへいえどどど風風かぜすさまじくすさまじくすさまじくひきひきひき綿綿わたなどなどなどもももしししなどなどなどしししたるたるたるににに、、、これこれこれははは男男おとこなどなどなどももも添添そははわねねねばばば、、、いといといと手手てはなちはなちはなちにににあらあらしげあらあらしげあらあらしげににに、、、苦苦とまととといふいふいうものものものををを一重一重ひとえうちうちうち葺葺ふきききたれたれたればばば月月つきのののこりこりこりなくなくなくさしさしさし入入いりりりたるたるたるににに、、、
- 17紅紅くれないのののきぬきぬきぬ上上うえににに着着きてててうちうちうちなやみなやみなやみててて臥臥ふしししたるたるたる、、、月影月影つきかげさやうさやうさようののの人人ひとにににはははこよなくこよなくこよなく透透すきききててていといといと白白しろくくく淸淸きよげげげにににててて珍珍めずらしししととと思思おもひひいてててかきかきかき撫撫なでででつゝつゝつつうちうちうち泣泣なくくくををを、、、いといといと哀哀あわれれれににに見見み捨捨すてててがたくがたくがたく思思おもへへえどどど、、、急急いそぎぎぎいでいでいでわかるゝわかるゝわかるる心地心地ここちいといといと飽飽あかかかずずずわりなしわりなしわりなし。。。
- 18俤俤おもかげににに覺覺おぼえええつゝつゝつつ悲悲かなしけれしけれしければばば月月つきののの興興きょうももも覺覺おぼえええずずずくんじくんじくんじ臥臥ふしししぬぬぬ。。。
- 19つとめてつとめてつとめて舟舟ふねににに車車くるまかきかきかきすゑすゑすえててて渡渡わたしししててて、、、あなたあなたあなたののの岸岸きしににに車車くるまひきひきひき立立たてゝてゝてておくりおくりおくりににに來來きつるつるつる人々人々ひとびとこれこれこれよりよりより皆皆みな歸歸かえりりりぬぬぬ。。。のぼるのぼるのぼるはははとまりとまりとまりなどなどなどしししててていきいきいき別別わかるゝるゝるる程程ほど、、、行行ゆくくくもももとまるとまるとまるももも皆皆みな泣泣なきききなどなどなどすすす。。。をさなをさなおさな心地心地ここちにににももも哀哀あわれににに見見みゆゆゆ。。。
現代語訳
東国への道の果てよりも、さらに奥の方で生まれ育った人(わたし)は、どんなにか田舎じみていただろうに、どうして思いはじめたことか、世の中に物語というものがあるそうだが、なんとかして見たいものだと思い続けて、
退屈な昼間や宵の団らんのおりなどに、姉や継母などといった人々が、あの物語この物語、光源氏のありさまなどを、ところどころ語るのを聞くと、ますます読みたい気持ちはつのるけれど、わたしの思うとおりに、どうして(人が)そらで覚えて語ってくれようか。
たいそうもどかしいままに、自分の背丈と同じ高さの薬師仏を造って、手を洗い清めるなどして、人のいないときにひそかに(仏間に)入っては、「京に早く上らせてくださって、物語がたくさんあるそうですが、それを全部見せてください」と、身を投げ出して額をついてお祈り申し上げるうちに、
十三歳になる年、上京しようというので、九月三日に門出をして、いまたちという所に移る。
長年遊びなれた家を、(建具などを)取りはずして散らかし、大騒ぎして、日の入りぎわのたいそうもの寂しく霧が一面に立ちこめているときに、車に乗ろうとしてふと見やると、人のいないときにはお参りしては額をついた薬師仏が立っていらっしゃるのをお見+捨て申し上げるのが悲しくて、人+知れず泣いてしまった。
門出をして移った所は、周囲の囲いなどもなく、仮ごしらえの萱ぶきの家で、蔀なども付いていない。簾をかけ、幕などを引いてある。南ははるかに野原の方まで見わたせる。東と西は海が近くて、たいそう趣がある。
夕霧が一面に立ちこめて、たいそう趣深いので、朝寝などもしない。あちこちを見ながら、ここを去ってしまうことも、しみじみと悲しく思われるうちに、同じ月の十五日、雨があたりを暗くして降るなかを、国境を出て、下野の国のいかたという所に泊まった。
仮小屋なども浮いてしまいそうなほど雨が降るので、恐ろしくて寝ることもできない。野原の中の、小高いところもなく平らな所に、ただ木が三本立っている。
その日は雨にぬれた物などを干し、国にあとから出発する人々を待つというので、そこで一日を過ごした。十七日の早朝に出発する。
昔、下総の国に、まののちょうという人が住んでいた。布を千むら万むらと織らせては、さらさせた(長者の)家の跡だといって、深い川を舟で渡る。昔の門の柱がまだ残っているといって、大きな柱が川の中に四本立っている。人々が歌を詠むのを聞いて、心の中で、
「朽ちもしないこの川の柱が残っていなかったら、昔の跡をどうして知ることができただろうか」。
その夜は黒戸の浜という所に泊まる。片側は広々とした所で、砂浜がはるばると白く続くところに、松原が茂っていて、月がたいそう明るく、風の音もたいそう心細い。人々が趣深がって歌を詠んだりするので、
「眠るまい。今宵でなかったら、いつ見ることができようか。この黒戸の浜の、秋の夜の月を」。
その翌朝、そこを出発して、下総の国と武蔵の国との境にあるふとい川という川の、かかみのせまつざとの渡し場に泊まって、一晩じゅう舟でたくさんの荷物などを渡す。
乳母である人は、夫なども亡くして、国境で子を産んだので、(わたしたちとは)離れて別に上京する。たいそう恋しいので会いに行きたく思っていると、兄にあたる人がわたしを抱いて連れて行ってくれた。
みなは仮ごしらえの仮屋などといっても、風が冷たく吹きこまないように引き綿なども張りめぐらしてあるのに、こちらは夫も付き添っていないので、たいそうなげやりで粗末なようすで、苫というものを一重に葺いてあるだけなので、月の光がすっかり差しこんでいるところに、
紅の衣を上に着て、苦しそうに横になっている(乳母の)姿は、月の光に照らされて、ああいう身分の人にしては格別に透きとおるようで、たいそう白くきれいで、(乳母はわたしの来訪を)めずらしいと思って、なでながら泣くのを、たいそうかわいそうで見+捨てにくく思うけれど、急いで出て別れる気持ちは、まったく名残惜しくやりきれない。
(乳母の)面影が浮かんで悲しいので、月を楽しむ気にもなれず、ふさぎこんで寝てしまった。
早朝、舟に車をかつぎのせて渡して、向こう岸に車を引き立てて、見送りに来た人々は、ここから皆帰っていった。上京する者は、とどまる者と別れて行くので、行く人もとどまる人もみな泣いたりする。幼い心にもしみじみと悲しく見える。
意訳
冒頭の一文は、作者の一生を貫く物語へのあこがれを宣言する。「あづまぢの道のはてよりもなほ奥つかた」と、自分が都から最も遠い田舎の育ちであることを強調し、それほどの田舎者がなぜ物語を夢見たのかと、老いた作者がふり返っている。
物語の本そのものは手もとになく、姉や継母が記憶で語る断片を聞くだけである。聞けば聞くほど読みたい気持ちはつのる。手の届かないものへの渇きが、この日記の出発点になっている。
少女は等身大の薬師仏を造らせ、「物語をあるだけ見せてください」と額をついて祈る。病気平癒や現世の利益を願う薬師仏に、物語を願う。少女らしい一途さと、のちに作者自身が悔いる「物語への耽溺」とが、すでにここに表れている。
旅立ちの日、取り壊されてゆく家に、祈りをささげた薬師仏だけが残される。霧の夕暮れの中でそれを見+捨てて泣く場面は、京へのあこがれと、慣れ親しんだ土地への名残とを同時に描く。
門出の仮住まいは粗末だが、海と野の景色が美しく、朝寝もせずに眺める。旅の始まりの高揚と、去りゆく土地への哀惜が入りまじる。
旅の記事では、地名と言い伝えと歌が連ねられる。まののちょうの家の跡の柱、黒戸の浜の月。少女は大人たちの歌を聞きながら、自分も心の中で歌を詠む。
乳母との別れは、旅の前半の山場である。夫を亡くし、旅の途中で出産した乳母は、粗末な苫屋に横たわる。月光に白く浮かぶその姿は美しく、だからこそ哀れである。少女は乳母と離れがたく、月も楽しめないほど沈みこむ。
見送りの人々との別れで、下総の旅は一区切りとなる。「をさな心地にも哀に見ゆ」は、少女の目と、それを書く老いた作者の目とが重なる言い方である。
語釈・文法注
- 物語
- 平安時代の仮名で書かれた作り物語。『源氏物語』のほか、『竹取物語』『伊勢物語』などがある。作者が少女時代を過ごした11世紀初めには、『源氏物語』が書かれて間もないころだった。
- 藥師佛
- 薬師如来。病を治し、現世の願いをかなえる仏として信仰された。「等身」は、願う人の背丈と同じ高さに造ること。
- 今たち
- 上総の国府(今の千葉県市原市あたり)の近くの地名とされるが、場所は確かでない。
文法
- 「いかばかりかはあやしかりけむを」
- 「かは」は反語に近い強い疑問。「けむ」は過去の推量。どんなにか田舎じみていただろうに。
- 「あんなる」
- 「あるなる」の撥音便。「なる」は伝聞の助動詞。あるそうだ。
- 「いかでか覺え語らむ」
- 「いかでか」は反語。人々がわたしの思うとおりにそらで覚えて語ってくれようか、いや語ってはくれない。
- 「候ふなる」
- 「なる」は伝聞の助動詞。たくさんあるそうですが。
- 「下野の國」
- 底本は「下野の國のいかた」と書く。通行本文は「下総の国のいかだ」で、上総を出て下総に入ったところの地名である。底本のまま翻刻し、「しもつけ」と読んだ。
- 「引布」
- 底本の字のまま。通行本文は「手作り」(手織りの布)で、ここでは「ひきぬの」と読んだ。
- 「かゝみのせまつざと」
- 底本のまま。通行本文は「まつさとの渡りの津」とし、「かゝみのせ」は本文の乱れとみられる。
- 「苦」
- 底本は「苦」と刷るが、意味から苫(とま。菅や茅で編んだむしろ)の誤植とみて「とま」と読んだ。
- 「くんじ臥しぬ」
- 「くんず」は、気がふさぐ、しょげること。ふさぎこんで寝てしまった。
和歌
くちもせぬこの川柱のこらずばむかしのあとをいかで知らまし
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- まののちょうの家の跡といわれる川の中の柱を見て、人々が歌を詠むのを聞き、心の中で詠んだ歌。
修辞
- 反実仮想
- 「ずば……まし」で、柱が残っていなかったら昔の跡を知るすべもなかっただろうと詠む。
まどろまじこよひならではいつか見むくろどの濱の秋の夜の月
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 黒戸の浜に泊まった夜、白い砂浜と松原を照らす月の美しさに、人々が歌を詠んだときの歌。
修辞
- 倒置
- 「まどろまじ」と結論を先に置き、その理由をあとに続ける。
- 名詞止め
- 「秋の夜の月」で結んで、景色の余韻を残す。
解説
『更級日記』は、菅原孝標の娘が、十三歳で上総(今の千葉県中部)を発ってから、五十歳を過ぎて夫を亡くすまでの約四十年を、晩年にふり返って書いた回想記である。冒頭の一文は、物語にあこがれた少女の姿を描いて、作品全体の主題を示している。
作者の父菅原孝標は、学者の家である菅原道真の子孫で、寛仁元年(1017)から上総介として赴任していた。寛仁四年(1020)、任期を終えて帰京するのに従って、作者の上京の旅が始まる。九月三日の門出から、京に着く十二月二日まで、約三か月の旅である。
上京の旅の記事は、のちの回想によるもので、地名や伝説、詠んだ歌を連ねる紀行文になっている。国文大観の本文は、通行本文と地名の表記が違う所(下野・いかた)や乱れのある所(かゝみのせまつざと)があり、底本どおりに翻刻した。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(更級日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、457–459頁(コマ240–241)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日