土佐日記 第10章
帰京
二月十一日、石清水八幡宮を拝み、山崎に着く。迎えの車を待って、十六日の夜、月の照る桂川を渡って京に入る。わが家は聞いていた以上に荒れ果て、庭の松も半ば枯れていた。この家で生まれ、ともに帰ることのできなかった娘を思い、小松の歌を詠んで日記は結ばれる。

- 1十一日十一日じゅういちにち、、、雨雨あめいさゝかいさゝかいささか降降ふりりりてててやみやみやみぬぬぬ。。。かくかくかくてててさしさしさしのぼるのぼるのぼるににに東東ひんがしのののかたかたかたににに山山やまのののよこよこよこをれをれおれるるるををを見見みててて人人ひとににに問問とへへへばばば「「「八八や幡幡はたののの宮宮みや」」」ととといふいふいう。。。これこれこれををを聞聞ききききてててよろこびよろこびよろこびててて人人ひと々々びとをがみをがみおがみ奉奉たてまつるるる。。。山山やま崎崎ざきののの橋橋はし見見みゆゆゆ。。。嬉嬉うれしきしきしきことことこと限限かぎりりりなしなしなし。。。こゝこゝここににに相相そう應應おう寺寺じのののほとりほとりほとりににに、、、しばししばししばし船船ふねをををとゞめとゞめとどめてててとかくとかくとかく定定さだむるむるむる事事ことありありあり。。。このこのこの寺寺てらののの岸岸きしのののほとりほとりほとりににに柳柳やなぎ多多おおくくくありありあり。。。あるあるある人人ひとこのこのこの柳柳やなぎのののかげかげかげののの川川かわののの底底そこにににうつれうつれうつれるるるををを見見みてててよめよめよめるるる歌歌うた、、、「「「さゞれさゞれさざれ浪浪なみよするよするよするあやあやあやをををばばば靑靑あお柳柳やぎのののかげかげかげのののいといといとしししててて織織おるるるかかかとととぞぞぞ見見みるるる」」」
- 2十二日十二日じゅうににち、、、山山やま崎崎ざきにににとまれとまれとまれりりり。。。
- 3十三日十三日じゅうさんにち、、、なほなほなお山山やま崎崎ざきににに。。。
- 4十四日十四日じゅうしにち、、、雨雨あめふるふるふる。。。けふけふきょう車車くるま京京きょうへへへとりとりとりにににやるやるやる。。。
- 5十五日十五日じゅうごにち、、、今日今日きょう車車くるまゐゐいてててきききたれたれたれりりり。。。船船ふねのののむつかしさむつかしさむつかしさににに船船ふねよりよりより人人ひとののの家家いえにににうつるうつるうつる。。。このこのこの人人ひとののの家家いえよろこべよろこべよろこべるるるやうやうようにににてててあるじあるじあるじしししたりたりたり。。。このこのこのあるじあるじあるじののの又又またあるじあるじあるじのののよきよきよきををを見見みるるるににに、、、うたてうたてうたておもほゆおもほゆおもおゆ。。。いろいろいろいろいろいろにににかへりかへりかえりごとごとごとすすす。。。家家いえののの人人ひとのののいでいでいで入入いりりりにくげにくげにくげならならならずずずゐやゝかゐやゝかいややかなりなりなり。。。
- 6十六日十六日じゅうろくにち、、、けふけふきょうのののようさりようさりようさりつつつかたかたかた京京きょうへへへのぼるのぼるのぼるついでついでついでににに見見みれれればばば、、、山山やま崎崎ざきののの小小こ櫃櫃びつののの繪繪えもももまがりまがりまがりのののおほおほおおちちちののの形形かたもももかはらかはらかわらざりざりざりけりけりけり。。。「「「賣賣うるるる人人ひとののの心心こころをををぞぞぞ知知しらららぬぬぬ」」」とととぞぞぞいふいふいうなるなるなる。。。かくかくかくててて京京きょうへへへ行行ゆくくくににに島島しま坂坂さかにににててて人人ひとあるじあるじあるじしししたりたりたり。。。必必かならずずずしもしもしもあるあるあるまじきまじきまじきわざわざわざなりなりなり。。。立立たちちちてててゆきゆきゆきししし時時ときよりよりよりはははくるくるくる時時ときぞぞぞ人人ひとはははとかくとかくとかくありありありけるけるける。。。これこれこれにににもももかへりかへりかえりごとごとごとすすす。。。
- 7よるよるよるににになしなしなしててて京京きょうにににはははいらいらいらむむんととと思思おもへへえばばば、、、急急いそぎぎぎしもしもしもせせせぬぬぬ程程ほどににに月月つきいでいでいでぬぬぬ。。。桂桂かつら川川がわ月月つきあかきあかきあかきにににぞぞぞわたるわたるわたる。。。人人ひと々々びとのののいはくいはくいわく「「「このこのこの川川かわ飛飛あ鳥鳥すか川川がわにににあらあらあらねねねばばば、、、淵淵ふち瀨瀨せ更更さらにににかはらかはらかわらざりざりざりけりけりけり」」」ととといひいひいいてててあるあるある人人ひとのののよめよめよめるるる歌歌うた、、、「「「ひさかたひさかたひさかたののの月月つきにににおひおひおいたるたるたるかつらかつらかつら川川がわそこそこそこなるなるなる影影かげもももかはらかはらかわらざりざりざりけりけりけり」」」。。。又又またあるあるある人人ひとのののいへいへいえるるる、、、「「「あまあまあまぐもぐもぐものののはるかはるかはるかなりなりなりつるつるつる桂桂かつら川川がわそでそでそでをををひでひでひでゝゝてもももわたりわたりわたりぬるぬるぬるかなかなかな」」」。。。又又またあるあるある人人ひとよめよめよめるるる、、、「「「桂桂かつら川川がわわがわがわがこゝろこゝろこころにににもももかよはかよはかよわねねねどどどおなじおなじおなじふかさふかさふかさはははながるながるながるべらべらべらなりなりなり」」」。。。
- 8みやこみやこみやこのののうれしきうれしきうれしきあまりあまりあまりににに歌歌うたもももあまりあまりあまりぞぞぞおほかるおほかるおおかる。。。夜夜よ更更ふけけけてててくれくれくればばば所所ところ々々どころももも見見みえええずずず。。。京京きょうににに入入いりりり立立たちちちてててうれしうれしうれし。。。家家いえにににいたりいたりいたりててて門門かどににに入入いるるるににに、、、月月つきあかけれあかけれあかければばばいといといとよくよくよくありありありさまさまさま見見みゆゆゆ。。。聞聞ききききしししよりよりよりもももましましましててていふいふいうかひかひかいなくなくなくぞぞぞこぼれこぼれこぼれ破破やれれれたるたるたる。。。家家いえををを預預あずけけけたりたりたりつるつるつる人人ひとののの心心こころももも荒荒あれれれたるたるたるなりなりなりけりけりけり。。。中中なか垣垣がきこそこそこそあれあれあれ、、、ひとつひとつひとつ家家いえのののやうやうようなれなれなればばばのぞみのぞみのぞみててて預預あずかれれれるるるなりなりなり。。。さるさるさるはははたよりたよりたよりごとごとごとににに物物ものももも絕絕たえええずずず得得えさせさせさせたりたりたり。。。こよひこよひこよいかゝるかゝるかかることことことゝゝと聲聲こわ高高だかにににものものものもももいはいはいわせせせずずず、、、いといといとはははつらくつらくつらく見見みゆれゆれゆれどどど志志こころざしをををばばばせせせむむんとととすすす。。。
- 9さてさてさて池池いけめいめいめいてててくぼまりくぼまりくぼまり水水みずづけづけずけるるる所所ところありありあり。。。ほとりほとりほとりににに松松まつもももありありありききき。。。五五いつ年年とせ六六む年年とせのののうちうちうちににに千千ち年年とせややや過過すぎぎぎにににけむけむけん、、、かたかたかた枝枝えはははなくなくなくなりなりなりにににけりけりけり。。。いまいまいま生生おひひいたるたるたるぞぞぞまじれまじれまじれるるる。。。大大おおかたかたかたののの皆皆みなあれあれあれにににたれたれたればばば、、、「「「あはれあはれあわれ」」」とととぞぞぞ人人ひと々々びといふいふいう。。。思思おもひひい出出いでででぬぬぬ事事ことなくなくなく思思おもひひい戀戀こいしきしきしきがががうちうちうちににに、、、このこのこの家家いえにににててて生生うまれれれししし女女おんな子子ごのののもろとももろとももろともににに歸歸かえらららねねねばばばいかゞいかゞいかがはははかなしきかなしきかなしき。。。船船ふな人人びとももも皆皆みな子子こだかりだかりだかりてててのゝしるのゝしるののしる。。。
- 10かゝるかゝるかかるうちうちうちににに猶猶なおかなしきかなしきかなしきににに堪堪たへへえずずずしししててて密密ひそかににに心心こころ知知しれれれるるる人人ひとととといへいへいえりりりけるけるけるうたうたうた、、、「「「うまれうまれうまれしししもももかへらかへらかえらぬぬぬものものものををを我我わがががやどやどやどににに小小こ松松まつのののあるあるあるををを見見みるるるがががかなしさかなしさかなしさ」」」とととぞぞぞいへいへいえるるる。。。猶猶なおあかあかあかずずずやややあらあらあらむむん、、、またまたまたかくかくかくなむなむなん、、、「「「見見みししし人人ひとののの松松まつのののちとせちとせちとせにににみましかみましかみましかばばばとほくとほくとおくかなしきかなしきかなしきわかれわかれわかれせせせましましましややや」」」。。。わすれわすれわすれがたくがたくがたくくちをしきくちをしきくちおしきことことことおほかれおほかれおおかれどどどえええつくさつくさつくさずずず。。。とまれとまれとまれかくまれかくまれかくまれ疾疾とくくくやりやりやりてててむむん。。。
現代語訳
十一日。雨が少し降ってやんだ。こうして川をさかのぼって行くと、東の方に山が横たわっているのを見て、人に尋ねると、「八幡の宮(石清水八幡宮)」と言う。これを聞いて喜んで、人々は拝み申し上げる。山崎の橋が見える。うれしいことはこの上ない。ここで、相応寺のあたりにしばらく船をとめて、あれこれ取り決めることがある。この寺の岸のあたりに柳がたくさんある。ある人が、この柳の影が川の底に映っているのを見て詠んだ歌は、「さざ波が寄せてできる綾模様を、青柳の影の糸で織っているのかと見ることだ」。
十二日。山崎に泊まっている。
十三日。やはり山崎に。
十四日。雨が降る。今日、牛車を京へ取りにやる。
十五日。今日、牛車を引いて来た。船の中のわずらわしさに、船からある人の家に移る。この人の家は、喜んでいる様子で、ごちそうしてくれた。この主人の、またいっそう愛想のよいのを見ると、かえっていやな感じがする。いろいろとお礼をする。家の人の出入りの様子も感じがよく、礼儀正しい。
十六日。今日の夕方、京へのぼる途中に見ると、山崎の小櫃の看板の絵も、曲がりの大路の様子も変わっていなかった。「売る人の心はわからない」と言うそうだ。こうして京へ行くと、島坂で、ある人がもてなしてくれた。必ずしもする必要のないことである。出発したときよりも、帰って来たときのほうが、人はあれこれとしてくれるものだ。これにもお礼をする。
夜になってから京に入ろうと思うので、急ぎもしないうちに月が出た。桂川を、月の明るい中で渡る。人々が言うには、「この川は飛鳥川ではないので、淵も瀬もまったく変わっていないことだ」と言って、ある人が詠んだ歌は、「月に生えている桂の名を持つ桂川は、川底に映る月の影も、昔と変わらないことだ」。また、ある人が言ったのは、「天の雲のようにはるか遠くにあった桂川を、今、袖を濡らして渡ったことだ」。また、ある人が詠んだのは、「桂川は私の心に通じているわけではないけれど、私の心と同じ深さで流れているようだ」。
都に帰ったうれしさのあまりに、歌もあまりに多くなる。夜が更けてから来たので、あちこちの様子も見えない。京に入ってうれしい。家に着いて門を入ると、月が明るいので、たいそうよく様子が見える。聞いていたよりもいっそう、言いようもなく壊れ荒れている。家を預けておいた人の心も荒れていたのだった。中垣はあるけれど、一つの家のようなものだから、向こうから望んで預かったのである。それに、ついでのあるたびに、品物も絶えず与えていたのだ。今夜は「こんなひどいことを」と、声高に言わせもせず、たいそう薄情に見えるけれど、お礼はしようと思う。
さて、池のようにくぼんで水がたまっている所がある。そのほとりには松もあった。五、六年のうちに千年も過ぎてしまったのだろうか、片方の枝はなくなってしまっていた。今新しく生えたのが混じっている。だいたい全体が荒れてしまっているので、「ああ、ひどい」と人々は言う。思い出さないことはなく、恋しく思うなかでも、この家で生まれた女の子が一緒に帰らないので、どんなに悲しいことか。同じ船で帰った人たちも、みな子どもたちが集まって騒いでいる。
こうしたなかで、やはり悲しさに耐えられずに、ひそかに心の通じ合う人と詠み交わした歌は、「この家で生まれた子も帰って来ないのに、わが家に小松が生えているのを見るのは悲しいことだ」と詠んだ。それでも思いが尽きないのだろうか、またこう詠んだ。「亡くなったあの子を、千年も生きる松のように、ずっと見ていられたなら、遠い国で悲しい別れをしただろうか」。忘れがたく、残念なことは多いけれど、書き尽くすことはできない。ともかくも、こんなものは早く破り捨ててしまおう。
意訳
石清水八幡宮を拝み、山崎の橋が見えると、喜びは頂点に達する。山崎で迎えの車を待ち、十六日の夜、月光の下で桂川を渡る一行の口からは、歌が次々にあふれ出る。帰って来た人を急にもてなす人々を見て「出発のときより帰るときのほうが、人はあれこれしてくれる」と書くところには、旅立ちの日と同じ、人の心への醒めたまなざしがある。
しかし、帰り着いたわが家は荒れ果てていた。管理を頼んだ隣人の不誠実を責めたい気持ちを抑え、書き手は「お礼はしよう」と言う。池のほとりの松は半分枯れ、新しい小松が生えている。その小松を見たとき、この家で生まれ、土佐で亡くなった娘への悲しみがあふれ出す。周りでは、同じ船で帰った人々が子どもに囲まれてにぎやかに騒いでいる。
最後の二首は、帰らない子と、生えてきた小松、千年を生きる松を重ねて、亡き子への尽きない思いを詠む。「忘れがたく、くちをしきこと多かれど、え尽くさず。とまれかくまれ、とく破りてむ」という結びの言葉は、五十五日の旅の記録を閉じながら、言葉にできない悲しみがなお残っていることを伝えている。
語釈・文法注
文法
- 「さゞれ浪よするあやをば」
- 「あや」は綾織物の模様。さざ波の模様を、青柳の糸で織った綾に見立てる。
- 「うたておもほゆ」
- 「うたて」は、いやに、不快に。あまりの愛想のよさに、かえっていやな感じがする。
- 「賣る人の心をぞ知らぬ」
- 店の看板などは変わらないが、売る人の心は変わったかどうかわからない、という意の言いならわしかとされる。
- 「この川飛鳥川にあらねば」
- 『古今和歌集』雑下の「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」をふまえ、飛鳥川ではないので、淵も瀬も変わらない、とする。
- 「とまれかくまれ疾くやりてむ」
- 「とまれかくまれ」は「ともあれかくもあれ」の約。「やる」は破り捨てる。「て」は強意、「む」は意志。ともかくも早く破り捨ててしまおう。
和歌
さゞれ浪よするあやをば靑柳のかげのいとして織るかとぞ見る
- 詠者
- ある人
- 状況
- 山崎の相応寺のほとりで、川底に映る柳の影を見て詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- さざ波の模様を綾織物に、柳の枝を糸に見立てる。
- 縁語
- 「あや」「いと」「織る」は織物の縁語。
ひさかたの月におひたるかつら川そこなる影もかはらざりけり
- 詠者
- ある人
- 状況
- 月の明るい夜、桂川を渡りながら詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 「ひさかたの」は「月」にかかる枕詞。
- 掛詞
- 月に生えているという「桂」の木と「桂川」をかける。
あまぐものはるかなりつる桂川そでをひでゝもわたりぬるかな
- 詠者
- ある人
- 状況
- 同じく桂川を渡るときに詠んだ歌。
桂川わがこゝろにもかよはねどおなじふかさはながるべらなり
- 詠者
- ある人
- 状況
- 同じく桂川を渡るときに、京に帰る喜びの深さを詠んだ歌。
修辞
- 比喩
- 川の深さに、自分の喜び(思い)の深さを重ねる。
うまれしもかへらぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ
- 詠者
- 亡き子の親(書き手が「心知れる人」と詠み交わした歌)
- 状況
- 荒れたわが家に帰り着き、庭に生えた小松を見て、この家で生まれて帰らなかった娘を思って詠んだ歌。
修辞
- 対比
- 帰らない子と、新しく生えた小松とを対比する。
見し人の松のちとせにみましかばとほくかなしきわかれせましや
- 詠者
- 同上
- 状況
- 前の歌に続けて、亡き子への思いを詠んだ歌。日記の最後の歌。
修辞
- 反実仮想
- 「〜ましかば〜まし」で、もしそうであったなら…ただろうに、と現実と違うことを仮に想像する。
解説
一行は石清水八幡宮(今の京都府八幡市)を拝み、山崎(京都府大山崎町)で船を下りて、陸路で京に向かった。山崎は淀川の水運と陸路の結節点で、港町としてにぎわっていた。
桂川を渡る場面の「月におひたるかつら」は、月に桂の木が生えているという中国の伝説をふまえたもので、第4章の「棹にさはるは桂なるらし」とも響き合う。夜に京に入ろうとするのは、旅姿を人目にさらさないためとも考えられる。
荒れ果てた家と、帰らない子への悲しみで日記が結ばれるのは、旅の記録であると同時に、亡き子を悼む文学でもある『土佐日記』の性格をよく示している。結びの「とく破りてむ」は、書いたものを人に見せるほどのものではないと謙遜する、当時の文章の型にならったものとされる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(土佐日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、19–21頁(コマ12–13)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日