百人一首 第7首
天の原
大空をはるかに仰ぐと、月が出ている。あれは故郷の春日の三笠山に出たのと同じ月なのだろうか。唐の地で故郷を思って詠んだ望郷の歌。

現代語訳
大空をはるかに仰ぎ見ると、月が出ている。あの月は、故郷の春日にある三笠の山に出ていた月と同じ月なのだなあ。
意訳
遠い異国で長い年月を過ごした人が、ようやく帰国できることになり、海から昇る月を見て故郷を思った歌である。若い日に奈良の都で見た三笠山の月と、今目の前にある月とが一つに重なり、望郷の思いがあふれ出ている。
しかし、仲麿の乗った船は嵐に遭って遠く南へ流され、仲麿は二度と日本の土を踏むことなく、唐でその生涯を終えた。そのことを知って読むと、この歌の懐かしさは、いっそう切なく響く。
語釈・文法注
- あまの原
- 「天の原」。広々とした大空。
- ふりさけ
- 「振り放け見る」。遠くを仰ぎ見ること。
- 春日
- 奈良の都の東、春日大社のあたりの地名。
- みかさの山
- 三笠山(御蓋山)。春日大社の背後にある山で、奈良の都からよく見えた。遣唐使は出発の前に、春日で航海の無事を祈った。
- かも
- 詠嘆の終助詞。「〜だなあ」。
文法
- 詠嘆の「かも」
- 「出でし月かも」と結び、今見ている月が故郷の月と同じであることへの感慨を表す。
- 過去の「し」
- 過去の助動詞「き」の連体形。若い日に自分が見た、三笠山に出ていた月を指す。
和歌
- 詠者
- 安倍仲麿(698–770)
奈良時代の遣唐留学生。717年に唐へ渡り、科挙に合格して玄宗皇帝に仕え、高官に昇った。李白・王維ら唐の詩人とも交流した。753年に帰国を目指したが船が難破し、再び唐に戻ってその地で没した。 - 出典
- 『古今和歌集』巻九・羇旅・406(国歌大観番号)
- 状況
- 詞書に「もろこしにて月を見てよみける」とある。左注によれば、帰国の際、明州(現在の中国浙江省寧波)の海辺で唐の人々が送別の宴を開き、夜になって月が美しく出たのを見て詠んだという。
修辞
- 時間と空間の重ね合わせ
- 唐の空の月と、若き日に奈良で見た三笠山の月とを重ねる。
解説
仲麿は19歳で遣唐留学生として唐に渡り、唐の官吏登用試験に合格して皇帝の側近として仕えた。日本人として異例の出世であり、唐の名を「朝衡」と名乗った。
753年、仲麿は遣唐使藤原清河とともに帰国の途についたが、船は暴風で安南(現在のベトナム)に漂着した。李白は仲麿が遭難死したと思い、死を悼む詩「晁卿衡を哭す」を作っている。仲麿は苦難の末に長安へ戻り、帰国を果たせないまま唐で没した。
『百人一首一夕話』は、この月が幼い頃に奈良の三笠山に出た月と同じだと気づき、久しぶりに故郷へ帰ろうと思い立ったからこそ心を動かされたのだと説いている。また、唐の人々に歌の意味を漢語に訳して示した、という逸話も伝えている。
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歌に詠まれた場所
出典
- 底本
- 尾崎雅嘉『百人一首一夕話』 天保4年(1833)刊、巻1。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校合
- 古谷知新編『日本歴史図会』第12輯(百人一首一夕話) 国民図書、大正9–10年。国立国会図書館デジタルコレクション松下大三郎・渡辺文雄編『国歌大観』歌集部 明治34–36年
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日