おくのほそ道 第25章
平泉
奥州藤原氏三代の栄華の跡、平泉を訪ねる。義経主従が討ち死にした高館にのぼり、杜甫の「国破れて山河あり」を思って涙し、「夏草や兵どもが夢の跡」と詠む。中尊寺では経堂と光堂を拝し、五百年の風雨に耐えた光堂を「五月雨の降のこしてや光堂」とたたえる。

- 1のののののの中中なかにしてにしてにして、、、大門大門だいもんののの跡跡あとははは一里一里いちりこなたにこなたにこなたに有有あり。。。ががが跡跡あとははは田野田野でんやににに成成なっててて、、、のみのみのみ形形かたををを殘殘のこすすす。。。にのぼればにのぼればにのぼれば、、、北上川南部北上川南部きたかみがわなんぶよりよりより流流ながるゝるゝるる大河也大河也たいがなり。。。
- 2衣川衣川ころもがわはははががが城城しろをををめぐりてめぐりてめぐりて、、、高館高館たかだちののの下下したにてにてにて大河大河たいがににに落入落入おちいる。。。ががが旧跡旧跡きゅうせきははは、、、衣衣ころもががが關關せきををを隔隔へだててて、、、南部口南部口なんぶぐちをををさしさしさし堅堅かためめめ、、、夷夷えぞをををふせぐとみえたりふせぐとみえたりふせぐとみえたり。。。
- 3偖偖さてももも義臣義臣ぎしんすぐつてすぐつてすぐつて此城此城このしろにこもりにこもりにこもり、、、功名一時功名一時こうみょういちじののの叢叢くさむらとなるとなるとなる。。。れてれてれて山河山河さんがありありあり。。。城春城春しろはるにしてにしてにして草青草青くさあおみたりとみたりとみたりと、、、笠打敷笠打敷かさうちしきててて時時ときのののうつるまでうつるまでうつるまで、、、泪泪なみだををを落落おとししし侍侍はべりぬりぬりぬ。。。
- 4夏草夏草なつくさややや兵兵つわものどもがどもがどもが夢夢ゆめののの跡跡あと
- 5卯卯うののの花花はなにににみゆるみゆるみゆる白毛哉白毛哉しらがかな 曾良曾良そら
- 6兼兼かねててて耳驚耳驚みみおどろかしたるしたるしたるすすす。。。經堂經堂きょうどうははは三將三將さんしょうののの像像ぞうをををのこしのこしのこし、、、ははは三代三代さんだいののの棺棺ひつぎををを納納おさめめめ、、、ののの佛佛ほとけををを安置安置あんちすすす。。。七寶散七寶散しっぽうちりうせてうせてうせて、、、珠珠たまののの扉風扉風とびらかぜにやぶれにやぶれにやぶれ、、、金金こがねののの柱霜雪柱霜雪はしらそうせつににに朽朽くててて、、、既頽廢空虚既頽廢空虚すでにたいはいくうきょののの叢叢くさむらととと成成なりべきべきべきををを、、、ににに圍圍かこててて、、、甍甍いらかををを覆覆おおててて風雨風雨ふううををを凌凌しの。。。暫時千歳暫時千歳しばらくちとせののの記念記念かたみとととはははなれりなれりなれり。。。
- 7五月雨五月雨さみだれののの降降ふのこしてやのこしてやのこしてや光堂光堂ひかりどう
現代語訳
藤原氏三代の栄華も、一睡の夢のようにはかなく消えて、平泉の館の大門の跡は、一里も手前にある。秀衡の館の跡は田や野となり、金鶏山だけが昔の形を残している。まず高館に登ると、北上川は南部地方から流れてくる大河である。衣川は和泉三郎の城のまわりをめぐって、高館の下で北上川に流れこんでいる。泰衡たちの館の跡は、衣が関を隔てた向こうにあって、南部地方からの入り口を固め、蝦夷の侵入を防いだものと見える。それにしても、義経が忠義の臣をよりすぐってこの城にこもり、功名を立てたのもほんのひととき、今はただの草むらとなっている。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」という杜甫の詩を思い、笠を敷いて腰をおろし、時が過ぎるのも忘れて涙を落としたのであった。
夏草や兵どもが夢の跡(夏草が生い茂っている。ここはかつて武士たちが功名を夢見て戦った跡なのだ)
卯の花に兼房みゆる白毛哉 曾良(白く咲く卯の花を見ていると、白髪をふり乱して戦った兼房の姿がしのばれることだ)
かねて話に聞いて驚嘆していた中尊寺の二堂が開かれていた。経堂には三代の将の像を残し、光堂には三代の棺を納め、三尊の仏を安置している。七宝はちりぢりに失われ、珠玉をちりばめた扉は風に破れ、金色の柱は霜や雪に朽ちて、もう少しで崩れ果てて何もない草むらになるところであったが、四方を新しく囲み、屋根をかぶせて風雨をしのいでいる。こうして、しばらくは千年の昔をしのぶ記念として残ることになった。
五月雨の降のこしてや光堂(毎年降る五月雨も、この光堂だけは降り残したのであろうか。五百年の歳月に耐え、光堂は今も輝いている)
意訳
平泉は、藤原清衡・基衡・秀衡の三代が百年にわたって栄えた都であった。しかしその栄華も「一睡の中」――中国の故事「邯鄲の夢」のように、一眠りする間の夢のように消えた。芭蕉はまず、失われたものの大きさを、地理を確かめるように淡々と書き記していく。
高館は、兄頼朝に追われた源義経が最期を迎えた場所である。弁慶をはじめとする忠臣たちが命を賭けて戦った功名も、今は草むらの中に消えた。杜甫の「春望」を引き、時を忘れて涙を流す芭蕉の姿は、作品全体の中でも最も感情の深い場面の一つである。
「夏草や」の句は、生い茂る夏草という目の前の生命の旺盛さと、そこに消えていった人々の夢とを対比させ、自然の永遠と人の営みのはかなさを詠む。一方、光堂の句では、五百年の風雨に耐えて残ったものを「降のこしてや」とたたえる。壺の碑の章と同じく、失われたものと残されたものとが一つの章の中で向き合っている。
語釈・文法注
- 三代の榮耀
- 奥州藤原氏、清衡・基衡・秀衡の三代の栄華。
- 一睡の中
- 「邯鄲の夢」の故事。盧生が邯鄲で一眠りする間に、栄華をきわめた一生の夢を見たという。はかないことのたとえ。
- 秀衡が跡
- 秀衡の館、伽羅御所の跡。
- 金鷄山
- 平泉の小山。秀衡が富士山をかたどって築き、黄金の鶏を埋めたと伝える。
- 高館
- 義経の館があった丘。衣川の館とも。義経はここで藤原泰衡の軍に攻められて自害した。
- 和泉が城
- 和泉三郎忠衡の館。
- 康衡
- 藤原泰衡。秀衡の子。父の遺言にそむいて義経を討ったが、まもなく源頼朝に滅ぼされた。底本は「康衡」と刷る。
- 國破れて山河あり
- 杜甫の「春望」の「国破れて山河在り、城春にして草木深し」による。
- 兼房
- 増尾十郎兼房。義経の家臣。白髪の老武者で、義経の最期を見届けたのち、館に火を放って討ち死にしたと『義経記』に見える。
- 二堂
- 中尊寺の経堂と金色堂(光堂)。
- 光堂
- 中尊寺金色堂。天治元年(1124)に清衡が建てた阿弥陀堂で、内外に金箔をはる。藤原氏三代の遺体(ミイラ)と泰衡の首級が納められている。
- 三尊の佛
- 阿弥陀如来と観音・勢至の二菩薩。
- 四面新に圍て
- 鎌倉時代に建てられた覆堂のこと。
文法
- 一睡の中にして
- 「にして」は、〜であって。一睡の間の夢のようであって。
- すぐつて
- 「すぐりて」の促音便。えりすぐって。
- 草青みたり
- 「青み」は四段動詞「青む」の連用形、「たり」は存続。草が青々と茂っている。杜甫の詩の「草木深し」を言いかえたもの。
- 降のこしてや
- 「や」は疑問の係助詞。降り残したのであろうか。
- 成べきを
- 「べき」は当然・推量。「を」は逆接。なってしまうはずのところを。
発句・和歌
夏草や兵どもが夢の跡
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 平泉の高館に登り、義経主従や藤原氏の栄華の跡をしのんで詠んだ句。杜甫の「春望」をふまえる。季語は「夏草」。
修辞
- 季語
- 夏草。夏。
- 切れ字
- 「や」。
- 対比
- 茂る夏草(自然の生命力)と、消えた兵たちの夢(人の営みのはかなさ)。
卯の花に兼房みゆる白毛哉
- 作者
- 河合曾良
- 状況
- 高館で、白く咲く卯の花に、白髪をふり乱して戦った義経の家臣、増尾兼房の姿を重ねた句。季語は「卯の花」で夏。
修辞
- 季語
- 卯の花。夏。
- 見立て
- 卯の花の白さを兼房の白髪に見立てる。
- 切れ字
- 「哉」。
五月雨の降のこしてや光堂
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 中尊寺の金色堂(光堂)を拝しての句。五百年の風雨の中で朽ちずに輝き続ける光堂を、五月雨さえ降り残したのかとたたえる。季語は「五月雨」で夏。
修辞
- 季語
- 五月雨。夏。
- 切れ字
- 「や」。
- 擬人法
- 五月雨が光堂を避けて降り残したと見る。
解説
曾良の『随行日記』によれば、平泉を訪れたのは五月十三日で、一関から日帰りしている。高館・衣川・中尊寺などをめぐったが、日記には「経堂ハ別当留守ニテ不開」とあり、実際には経堂は開いていなかった。本文の「二堂開帳す」は事実とは異なる。
「夏草や」の句は、『おくのほそ道』の中で最もよく知られた句の一つである。杜甫の詩の「草木深し」を「草青みたり」と言いかえ、春の詩を夏の句に転じている。高館には句碑が立ち、毎年、中尊寺では芭蕉をしのぶ催しが行われている。
光堂の句は、はじめ「五月雨や年々降るも五百たび」と詠まれ、のちに推敲されたと考えられている。光堂は、芭蕉の訪れた時代にはすでに覆堂に守られており、1962年からの解体修理を経て、現在は鉄筋コンクリートの新覆堂の中に保存されている。中尊寺は2011年、「平泉」として世界遺産に登録された。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、19頁(コマ18)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日