古典ライブラリー

平家物語 巻第十一

能登殿最後の事

建礼門院も硯と焼石を懐に入れて入水したが、渡辺眤に熊手で髪をかけて引き上げられた。内侍所の唐櫃を抱いて入水しようとした大納言佐局も止められ、唐櫃を開けようとした武士は目がくらみ鼻血を出した。教盛・経盛兄弟、資盛・有盛・行盛らは鎧の上に錨を負って入水したが、宗盛父子は沈みきれずに泳いでいるところを伊勢三郎義盛に引き上げられ、乳母子の景経も討たれた。能登守教経は義経を探して船から船へ飛び移ったが、義経は二丈ほど離れた味方の船へ身軽に飛び移って逃れた。教経は武具を捨てて大童になり、生け捕りにせよと呼ばわった。安芸太郎実光兄弟と郎等の三人が組みかかると、教経は郎等を海に蹴落とし、兄弟を両脇に挟んで「死出の山の供をせよ」と海に飛び込んだ。二十六歳であった。

  1. 1女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいんはははこのこのこのありさまありさまありさまををを見み見みみ參まゐ參まゐまいらららせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、今いま今いまいまはははかうかうこうとととややや思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけんけんけん、、、御おん御おんおん硯すゞり硯すゞりすずり、、、御おん御おんおん燒やき燒やきやき石いし石いしいし、、、左さ左ささ右いう右いうゆうののの御おん御おんおん懷ふところ懷ふところふところににに入い入いいれれれててて海うみ海うみうみににに入い入いいらららせせせ給たま給たまたまふふうををを、、、渡わた渡わたわた邊なべ邊なべなべののの源げん源げんげん五ご五ごご右う右うう馬ま馬ままののの允じよう允じようじょう眤むつる眤むつるむつる、、、小こ小ここ船ぶね船ぶねぶねをををつとつとつと漕こ漕ここぎぎぎ寄よ寄よよせせせててて、、、御おん御おんおん髪ぐし髪ぐしぐしををを熊くま熊くまくま手で手ででにににかけかけかけててて引ひき引ひきひき上あ上ああげげげ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの佐すけ佐すけすけののの局つぼね局つぼねつぼね、、、「「「あなあなあなあさましあさましあさまし、、、それそれそれははは女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいんにににてててわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまふふうぞぞぞ。。。あやまちあやまちあやまち仕つかまつ仕つかまつつかまつるるるななな。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれたりたりたりけれけれければばば、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんににに申まう申まうもうしししててて、、、いそぎいそぎいそぎ御ご御ごご所しよ所しよしょののの御おん御おんおん舟ふね舟ふねふねににに移うつ移うつうつししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。さてさてさて大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの佐すけ佐すけすけののの局つぼね局つぼねつぼねははは内ない内ないない侍し侍しし所どころ所どころどころののの御おん御おんおん唐から唐からから櫃うど櫃うどうどををを取と取ととつつっててて、、、海うみ海うみうみににに入い入いいらららんんんとととししし給たま給たまたまひひいけるけるけるががが、、、袴はかま袴はかまはかまののの裾すそ裾すそすそををを舷ふなばた舷ふなばたふなばたににに射い射いいつけつけつけられられられててて蹴け蹴けけまとひまとひまとい、、、仆たふ仆たふたおれれれ給たま給たまたまひひいけるけるけるををを、、、武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもども取と取ととりりり止とゞ止とゞとどめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。そのそのその後のち後のちのち御おん御おんおん唐から唐からから櫃うど櫃うどうどののの錠ぢやう錠ぢやうじょうをををねぢねぢねじ切き切ききつつっててて、、、御おん御おんおん蓋ふた蓋ふたふたををを既すで既すですでににに開ひら開ひらひらかかかんんんとととすすす。。。忽たちま忽たちまたちまちちちににに目め目めめくれくれくれ、、、鼻はな鼻はなはな血ぢ血ぢじたるたるたる。。。平へい平へいへい大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん時とき時ときとき忠たゞ忠たゞただののの卿きやう卿きやうきょうははは生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににせせせられられられててておはしおはしおわしけるけるけるががが、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに、、、内ない内ないない侍し侍しし所どころ所どころどころにににてててわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまふふうぞぞぞ。。。凡ぼん凡ぼんぼん夫ぷ夫ぷぷははは見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららぬぬぬ事こと事ことことぞぞぞ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、兵つはもの兵つはものつわものどもどもども舌した舌したしたををを振ふ振ふふつつっててて恐おそ恐おそおそれれれをのゝくをのゝくおののく。。。そのそのその後のち後のちのち判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん、、、時とき時ときとき忠たゞ忠たゞただののの卿きやう卿きやうきょうににに申まう申まうもうししし合あ合ああははわせせせててて、、、元もと元もともとののの如ごと如ごとごとくくくからげからげからげ納をさ納をさおさめめめ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららるるる。。。
  2. 2さるさるさる程ほど程ほどほどににに、、、門かど門かどかど脇わき脇わきわきののの平へい平へいへい中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん教のり教のりのり盛もり盛もりもり、、、修しゆ修しゆしゅ理り理りりののの大だい大だいだい夫ぶ夫ぶぶ經つね經つねつね盛もり盛もりもり兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだい、、、手て手ててににに手て手ててををを取とり取とりとり組く組くくみみみ、、、鎧よろひ鎧よろひよろいののの上うへ上うへうえににに錨いかり錨いかりいかりををを負お負おおうううててて、、、海うみ海うみうみにににぞぞぞ沉しづ沉しづしずみみみ給たま給たまたまひひいけるけるける。。。小こ小ここ松まつ松まつまつ新しん新しんしん三さん三さんさん位み位みみののの中ちう中ちうちゅう將じやう將じやうじょう資すけ資すけすけ盛もり盛もりもり、、、同おな同おなおなじきじきじき少せう少せうしょう將しやう將しやうしょう有あり有ありあり盛もり盛もりもり、、、從いと從いといと弟こ弟ここののの左さ左ささ馬ま馬ままののの頭かみ頭かみかみ行ゆき行ゆきゆき盛もり盛もりもりももも手て手ててににに手て手ててををを取とり取とりとり組く組くくみみみ、、、これこれこれももも鎧よろひ鎧よろひよろいののの上うへ上うへうえににに錨いかり錨いかりいかりををを負お負おおうううててて、、、一ひと一ひとひと所ところ所ところところににに海うみ海うみうみにににぞぞぞ入い入いいりりり給たま給たまたまふふう。。。人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは斯か斯かか樣やう樣やうようにににししし給たま給たまたまへへえどもどもども、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの父ふ父ふふ子し子ししはははさささもももししし給たま給たまたまははわずずず、、、舷ふなばた舷ふなばたふなばたににに立た立たたちちち、、、四し四しし方はう方はうほう見み見みみ廻めぐ廻めぐめぐらしらしらしててておはしおはしおわしけれけれければばば、、、平へい平へいへい家け家けけののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもども、、、あまりあまりあまりののの心こゝろ心こゝろこころ憂う憂ううさささににに、、、側そば側そばそばをををつとつとつと走はし走はしはしりりり通とほ通とほとおるるるやうやうようにににててて、、、まづまづまず大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのををを海うみ海うみうみへへへがばがばがばととと突つ突つつききき入い入いいれれれ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。これこれこれををを見み見みみててて右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみ、、、やがてやがてやがて續つゞ續つゞつづいいいててて飛と飛ととびびび入い入いいりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。人ひと人ひとひと々びと々びとびとははは鎧よろひ鎧よろひよろいののの上うへ上うへうえににに重おも重おもおもききき物もの物ものものををを負お負おおうううたりたりたり、、、抱いだ抱いだいだいいいたりたりたりしししててて入い入いいれれればばばこそこそこそ沉しづ沉しづしずめめめ、、、このこのこの人ひと人ひとひと親おや親おやおや子こ子ここはははさささもももししし給たま給たまたまははわずずず。。。なまじひなまじひなまじいににに水すゐ水すゐすい練れん練れんれんののの上じやう上じやうじょう手ず手ずずにににててておはしおはしおわしけれけれければばば、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのははは、、、右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみ沉しづ沉しづしずまままばばばわれわれわれももも沉しづ沉しづしずまままんんん、、、助たす助たすたすからからからばばばわれわれわれももも共とも共ともともににに助たす助たすたすからからからんんんととと思おも思おもおもひひい、、、互たがひ互たがひたがいににに目め目めめををを見み見みみかはしかはしかわしててて、、、かなたかなたかなたこなたこなたこなたへへへ泳およ泳およおよぎぎぎありきありきありき給たま給たまたまひひいけるけるけるををを、、、伊い伊いい勢せ勢せせののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう義よし義よしよし盛もり盛もりもり、、、小こ小ここ船ぶね船ぶねぶねをををつとつとつと漕こ漕ここぎぎぎ寄よ寄よよせせせててて、、、まづまづまず右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんののの督かみ督かみかみををを熊くま熊くまくま手で手ででにににかけかけかけててて引ひき引ひきひき上あ上ああげげげ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのいとゞいとゞいとど沉しづ沉しづしずみみみもももやりやりやり給たま給たまたまははわざりざりざりしししををを、、、一ひと一ひとひと所ところ所ところところににに取とり取とりとり上あ上ああげげげ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつってててけりけりけり。。。
  3. 3乳めの乳めのめの母と母とと子ご子ごごののの飛ひ飛ひひ驒だ驒だだののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう左ざ左ざざ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもん景かげ景かげかげ經つね經つねつね、、、このこのこの由よし由よしよしををを見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつつつっててて、、、「「「わがわがわが君きみ君きみきみ取と取ととりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるははは何なに何なになに者もの者ものものぞぞぞ。。。」」」とととててて小こ小ここ船ぶね船ぶねぶねににに乘の乘ののりりり、、、義よし義よしよし盛もり盛もりもりががが船ふね船ふねふねにににおしおしおし竝なら竝ならならべべべててて乘の乘ののりりり移うつ移うつうつりりり、、、太た太たた刀ち刀ちちををを拔ぬ拔ぬぬいいいててて打う打ううつつってててかゝるかゝるかかる。。。義よし義よしよし盛もり盛もりもりあぶなうあぶなうあぶのう見み見みみえええけるけるける所ところ所ところところににに、、、義よし義よしよし盛もり盛もりもりががが童わらは童わらはわらわ、、、主しゆう主しゆうしゅうををを討う討ううたたたせせせじじじととと中なか中なかなかににに隔へだ隔へだへだたりたりたり、、、三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう左ざ左ざざ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんににに打う打ううつつってててかゝるかゝるかかる。。。三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう左ざ左ざざ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんががが打う打ううつつつ太た太たた刀ち刀ちちににに、、、義よし義よしよし盛もり盛もりもりががが童わらは童わらはわらわ、、、兜かぶと兜かぶとかぶとののの眞ま眞まま向かう向かうこううちうちうちわらわらわられれれててて、、、二に二ににののの太た太たた刀ち刀ちちににに頸くび頸くびくび打うち打うちうち落おと落おとおとさささるるる。。。義よし義よしよし盛もり盛もりもりはははなほなほなおあぶなうあぶなうあぶのう見み見みみえええけるけるけるををを、、、鄰となり鄰となりとなりののの船ふね船ふねふねよりよりより堀ほり堀ほりほりののの彌や彌やや太た太たた郎らう郎らうろう親ちか親ちかちか經つね經つねつね、、、よつよつよっぴいぴいぴいてててひようひようひょうととと放はな放はなはなつつつ。。。三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう左ざ左ざざ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもん内うち内うちうち兜かぶと兜かぶとかぶとををを射い射いいさせさせさせてててひるむひるむひるむ所ところ所ところところににに、、、堀ほり堀ほりほりののの彌や彌やや太た太たた郎らう郎らうろう、、、義よし義よしよし盛もり盛もりもりががが船ふね船ふねふねににに乘の乘ののりりり移うつ移うつうつりりり、、、三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう左ざ左ざざ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんににに組く組くくんんんででで伏ふ伏ふふすすす。。。堀ほり堀ほりほりががが郎らう郎らうろう等どう等どうどうやがてやがてやがて續つゞ續つゞつづいいいててて乘の乘ののりりり移うつ移うつうつりりり、、、三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう左ざ左ざざ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもんががが腰こし腰こしこしののの刀かたな刀かたなかたなををを拔ぬ拔ぬぬききき、、、鎧よろひ鎧よろひよろいののの草くさ草くさくさ摺ずり摺ずりずり引ひき引ひきひき上あ上ああげげげててて、、、柄つか柄つかつかももも拳こぶし拳こぶしこぶしももも通とほ通とほとおれ〳〵れ〳〵れとおれととと、、、三み三みみ刀かたな刀かたなかたな刺さ刺ささいいいててて首くび首くびくびををを取と取ととるるる。。。大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのははは乳めの乳めのめの母と母とと子ご子ごごががが目め目めめののの前まへ前まへまえにににてててかやうかやうかようににになるなるなるををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、いかばかりいかばかりいかばかりののの事こと事ことことをををかかか思おも思おもおもははわれれれけんけんけん。。。
  4. 4およそおよそおよそ能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのののの矢や矢やや先さき先さきさきにににまはるまはるまわる者もの者ものものこそこそこそなかりなかりなかりけれけれけれ。。。教のり教のりのり經つね經つねつねははは今日けふ今日けふきょうををを最さい最さいさい後ご後ごごとととややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、赤あか赤あかあか地ぢ地ぢじののの錦にしき錦にしきにしきののの直ひた直ひたひた垂たれ垂たれたれににに唐から唐からから綾あや綾あやあや縅をどし縅をどしおどしののの鎧よろひ鎧よろひよろい著き著ききててて、、、鍬くは鍬くはくわ形がた形がたがた打う打ううつつったるたるたる兜かぶと兜かぶとかぶとののの緒を緒をををををしめしめしめ、、、いかいかいかものものものづくりづくりずくりののの太た太たた刀ち刀ちちををを佩は佩ははききき、、、二に二にに十じふ十じふじゅう四し四ししさいさいさいたるたるたる切きり切きりきり斑ふ斑ふふののの矢や矢やや負お負おおひひい、、、滋しげ滋しげしげ籐どう籐どうどうののの弓ゆみ弓ゆみゆみ持も持ももつつっててて、、、さしさしさしつめつめつめ引ひ引ひひきききつめつめつめ、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに射い射いい給たま給たまたまへへえばばば、、、者もの者ものものどもどもども多おほ多おほおおくくく手て手てて負お負おおひひい、、、射い射いい殺ころ殺ころころさささるるる。。。矢や矢やや種だね種だねだね皆みな皆みなみなつきつきつきけれけれければばば、、、黑こく黑こくこく漆しつ漆しつしつののの大おほ大おほおお太だ太だだ刀ち刀ちち、、、白しら白しらしら柄え柄ええののの大おほ大おほおお長なぎ長なぎなぎ刀なた刀なたなた左さ左ささ右いう右いうゆうににに持も持ももつつっててて、、、さん〴〵さん〴〵さんざんににに薙な薙なないいいででで廻まは廻まはまわりりり給たま給たまたまふふう。。。
  5. 5新しん新しんしん中ちう中ちうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん知とも知ともとも盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょう、、、能の能のの登と登とと殿どの殿どのどののののもともともとへへへ使し使しし者じや者じやじゃををを立た立たたてててててて、、、「「「いたういたういとう罪つみ罪つみつみなななつくりつくりつくり給たま給たまたまひひいそそそ。。。さりさりさりとてとてとてはははよきよきよき敵かたき敵かたきかたきかかかははは。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、能の能のの登と登とと殿どの殿どのどの、、、「「「さてさてさてははは大たい大たいたい將しやう將しやうしょうににに組く組くくめめめ、、、ござんござんござんなれなれなれ。。。」」」とととててて、、、打うち打うちうち物もの物ものものくきくきくきみじかみじかみじかににに取と取ととりりり、、、艫とも艫ともとも舳へ舳へへにににさん〴〵さん〴〵さんざんににに薙な薙なないいいででで廻まは廻まはまわりりり給たま給たまたまふふう。。。されどもされどもされども判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんををを見み見みみ知し知ししりりり給たま給たまたまははわねねねばばば、、、物もの物ものもの具のぐ具のぐのぐのののよきよきよき武む武むむ者しや者しやしゃをををばばば、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんかかかととと目め目めめをををかけかけかけててて飛と飛ととんんんでででかゝるかゝるかかる。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんももも内ない内ないない々ない々ないない面おもて面おもておもてににに立た立たたつつつやうやうようにににはははししし給たま給たまたまへへえどもどもども、、、とかうとかうとこう違ちが違ちがちがへへえててて能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのにににははは組く組くくまままれれれずずず。。。されどもされどもされどもいかゞいかゞいかがはははししし給たま給たまたまひひいたりたりたりけんけんけん、、、判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんののの船ふね船ふねふねににに乘の乘ののりりりあたりあたりあたり、、、あはあはあわやややととと目め目めめをををかけかけかけててて飛と飛ととんんんでででかゝるかゝるかかる。。。判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんかなはかなはかなわじじじとととややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、長なぎ長なぎなぎ刀なた刀なたなたをををばばば弓ゆん弓ゆんゆん手で手ででののの脇わき脇わきわきにににかいかいかい挾はさ挾はさはさみみみ、、、御み御みみ方かた方かたかたののの船ふね船ふねふねののの二に二にに丈ぢやう丈ぢやうじょう許ばか許ばかばかりりり退の退ののきききたりたりたりにににけるけるけるににに、、、ゆらりゆらりゆらりととと飛と飛ととびびび乘の乘ののりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。能の能のの登と登とと殿どの殿どのどの早はや早はやはや業わざ業わざわざややや劣おと劣おとおとららられれれたりたりたりけんけんけん、、、續つゞ續つゞつづいいいてててももも飛と飛ととびびび給たま給たまたまははわずずず。。。能の能のの登と登とと殿どの殿どのどの今いま今いまいまはははかうかうこうとととややや思おも思おもおもははわれれれけんけんけん、、、太た太たた刀ち刀ちち長なぎ長なぎなぎ刀なた刀なたなたをををももも海うみ海うみうみへへへ投な投ななげげげ入い入いいれれれ、、、兜かぶと兜かぶとかぶとももも脱ぬ脱ぬぬいいいででで捨す捨すすてててられられられけりけりけり。。。鎧よろひ鎧よろひよろいののの袖そで袖そでそで、、、草くさ草くさくさ摺ずり摺ずりずりをををもももかなぐりかなぐりかなぐり捨す捨すすててて、、、胴どう胴どうどうばかりばかりばかり著き著ききててて大おほ大おほおお童わらは童わらはわらわににになりなりなり、、、大おほ大おほおお手で手ででををを廣ひろ廣ひろひろげげげててて船ふね船ふねふねののの屋や屋やや形かた形かたかたににに立たち立たちたち出い出いいでででててて、、、大だい大だいだい音おん音おんおん聲じやう聲じやうじょうをををあげあげあげててて、、、「「「源げん源げんげん氏じ氏じじののの方かた方かたかたにににわれわれわれととと思おも思おもおもははわんんん者もの者ものものあらあらあらばばば、、、寄よ寄よよつつっててて教のり教のりのり經つね經つねつね組く組くくんんんででで生いけ生いけいけ捕どり捕どりどりにににせせせよよよ。。。鎌かま鎌かまかま倉くら倉くらくらへへへ下くだ下くだくだりりり、、、兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけにににものものもの一ひと一ひとひと言こと言ことこといはいはいわんんんととと思おも思おもおもふふうなりなりなり。。。寄よ寄よよれれれややや寄よ寄よよれれれ。。。」」」とととのたまへのたまへのたまえどもどもども、、、寄よ寄よよるるる者もの者ものもの一ひと一ひとひと人り人りりもももなかりなかりなかりけりけりけり。。。
  6. 6こゝこゝここににに土と土とと佐さ佐ささののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん、、、安あ安ああ藝き藝ききののの鄕がう鄕がうごうををを知ち知ちち行ぎやう行ぎやうぎょうしししけるけるける安あ安ああ藝き藝ききののの大たい大たいたい領りやう領りやうりょう實さね實さねさね康やす康やすやすががが子こ子ここににに、、、安あ安ああ藝き藝ききののの太た太たた郎らう郎らうろう實さね實さねさね光みつ光みつみつとととててて、、、およそおよそおよそ二に二にに三さん三さんさん十じふ十じふじゅう人にん人にんにんががが力ちから力ちからちからあらはしあらはしあらわしたるたるたる大だい大だいだい力ぢから力ぢからじからののの剛かう剛かうこうののの者もの者ものもの、、、われわれわれにににちつちつちっとととももも劣おと劣おとおとらららぬぬぬ郎らう郎らうろう等どう等どうどう一ひと一ひとひと人り人りり具ぐ具ぐぐしししたりたりたりけりけりけり。。。弟おとうと弟おとうとおとうとののの次じ次じじ郎らう郎らうろうももも普ふ普ふふ通つう通つうつうにににはははすぐれすぐれすぐれたるたるたる兵つはもの兵つはものつわものなりなりなり。。。彼かれ彼かれかれ等ら等らら三さん三さんさん人にん人にんにん寄よ寄よよりりりあひあひあいててて、、、たとひたとひたとい能の能のの登と登とと殿どの殿どのどの心こゝろ心こゝろこころこそこそこそ剛かう剛かうこうにににおはすおはすおわすともともとも、、、何なに何なになに程ほど程ほどほどののの事こと事ことことかかかあるあるあるべきべきべき。。。長たけ長たけたけ十じふ十じふじゅう丈ぢやう丈ぢやうじょうののの鬼おに鬼おにおになりなりなりともともとも、、、われわれわれららら三さん三さんさん人にん人にんにんががが摑つか摑つかつかみみみつきつきつきたらたらたらんんんににに、、、などなどなどかかか從したが從したがしたがへへえざるざるざるべきべきべきとととててて、、、小こ小ここ船ぶね船ぶねぶねににに乘の乘ののりりり、、、能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのののの船ふね船ふねふねににに押おし押おしおし竝なら竝ならならべべべててて乘の乘ののりりり移うつ移うつうつりりり、、、太た太たた刀ち刀ちちののの鋒きつさき鋒きつさききっさきををを整とゝの整とゝのととのへへえててて、、、一いち一いちいち面めん面めんめんににに打う打ううつつってててかゝるかゝるかかる。。。能の能のの登と登とと殿どの殿どのどのこれこれこれををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、まづまづまずまつまつまつ先さき先さきさきににに進すゝ進すゝすすんんんだるだるだる安あ安ああ藝き藝ききののの太た太たた郎らう郎らうろうががが郎らう郎らうろう等どう等どうどうににに裾すそ裾すそすそをををあはせあはせあわせててて、、、海うみ海うみうみへへへどうどうどうととと蹴け蹴けけ入い入いいれれれ給たま給たまたまふふう。。。續つゞ續つゞつづいいいてててかゝるかゝるかかる安あ安ああ藝き藝ききののの太た太たた郎らう郎らうろうをををばばば弓ゆん弓ゆんゆん手で手ででののの脇わき脇わきわきにににかいかいかい挾はさ挾はさはさみみみ、、、弟おとうと弟おとうとおとうとののの次じ次じじ郎らう郎らうろうをををばばば馬め馬めめ手て手ててののの脇わき脇わきわきににに取と取ととつつっててて挾はさ挾はさはさみみみ、、、一ひと一ひとひとしめしめしめしめしめしめててて、、、「「「いざいざいざうれうれうれおのれおのれおのれららら、、、死し死しし出で出ででののの山やま山やまやまののの供とも供ともともせせせよよよ。。。」」」とととててて、、、生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん二に二にに十じふ十じふじゅう六ろく六ろくろくにににててて、、、海うみ海うみうみへへへつゝつゝつつとととぞぞぞ入い入いいりりり給たま給たまたまふふう。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

女院(建礼門院)はこのありさまをご覧になって、もうこれまでと思われたのであろうか、御硯と御焼石を左右の御懐に入れて海にお入りになったのを、渡辺の源五右馬允眤が小舟をさっと漕ぎ寄せて、御髪を熊手にかけて引き上げ申した。大納言佐局が「ああ情けない。それは女院でいらっしゃいますよ。粗相をするな」と申されたので、判官に申し上げて、急いで御所の御船にお移し申した。さて大納言佐局は内侍所の御唐櫃を持って海に入ろうとなさったが、袴の裾を舷に矢で射つけられて足にからまり、倒れられたのを、武士たちが取り押さえ申した。その後、御唐櫃の錠をねじ切って、御蓋を開けようとすると、たちまち目がくらみ、鼻血が垂れた。平大納言時忠卿は生け捕りにされておられたが、「何をする。それは内侍所でいらっしゃるぞ。凡人の見申すものではない」とおっしゃったので、兵たちは舌を巻いて恐れおののいた。その後判官は時忠卿と相談して、元のようにくくってお納め申した。

そのうちに、門脇の平中納言教盛と修理大夫経盛の兄弟は手に手を取り組み、鎧の上に錨を背負って海に沈まれた。小松新三位中将資盛、同じく少将有盛、従弟の左馬頭行盛も手に手を取り組み、これも鎧の上に錨を背負って、一緒に海に入られた。人々はこのようにされたが、大臣殿父子はそうもなさらず、舷に立って四方を見回しておられたので、平家の侍たちはあまりの情けなさに、そばをさっと走り抜けるようにして、まず大臣殿を海へざぶんと突き落とし申した。これを見て右衛門督(清宗)もすぐに続いて飛びこまれた。人々は鎧の上に重い物を背負ったり抱いたりして入ったからこそ沈んだのに、この親子はそうもなさらない。なまじ水泳が上手だったので、大臣殿は、右衛門督が沈んだら自分も沈もう、助かったら自分もともに助かろうと思い、互いに目を見かわして、あちらこちらへ泳ぎ回っておられるところを、伊勢三郎義盛が小舟をさっと漕ぎ寄せて、まず右衛門督を熊手にかけて引き上げ申した。大臣殿はいっそう沈みきれずにおられたのを、一緒に引き上げ申してしまった。

乳母子の飛騨三郎左衛門景経がこれを見申して、「わが君を取り申すのは何者だ」といって小舟に乗り、義盛の船に押し並べて乗り移り、太刀を抜いて打ってかかった。義盛が危うく見えたところに、義盛の童が主人を討たせまいと間に割って入り、三郎左衛門に打ってかかった。三郎左衛門の打つ太刀に、義盛の童は兜の真っ向を打ち割られ、二の太刀で首を打ち落とされた。義盛がなお危うく見えたところを、隣の船から堀弥太郎親経が引きしぼってひょうと放つ。三郎左衛門が内兜を射られてひるむところに、堀弥太郎が義盛の船に乗り移って三郎左衛門に組んで伏した。堀の郎等もすぐに続いて乗り移り、三郎左衛門の腰の刀を抜いて、鎧の草摺を引き上げ、柄も拳も通れとばかりに三刀刺して首を取った。大臣殿は乳母子が目の前でこのようになるのをご覧になって、どれほどの思いをされたことであろうか。

およそ能登殿の矢先に回る者はいなかった。教経は今日を最後と思われたのであろうか、赤地の錦の直垂に唐綾縅の鎧を着て、鍬形を打った兜の緒をしめ、厳物作りの太刀を佩き、二十四本差した切斑の矢を負い、滋籐の弓を持って、矢継ぎ早にさんざんに射られたので、多くの者が手負い、射殺された。矢種が尽きると、黒漆の大太刀と白柄の大長刀を左右に持って、さんざんに薙いで回られた。

新中納言知盛卿が能登殿のもとに使者を立てて、「あまり罪をお作りなさるな。そんな者たちがよい敵だろうか」とおっしゃったので、能登殿は「それでは大将に組めということだな」といって、打物の柄を短く持ち、艫や舳でさんざんに薙いで回られた。けれども判官の顔をご存じないので、武具のりっぱな武者を判官かと目をつけて飛びかかった。判官も内々は正面に立つようにはしておられたが、あれこれと行き違って能登殿とは組まれない。けれどもどうなさったのか、判官の船に乗り当たって、それと目をつけて飛びかかった。判官はかなうまいと思われたのか、長刀を左の脇に挟みこみ、味方の船で二丈ほど離れていた船に、ゆらりと飛び移られた。能登殿は早業では劣っておられたのか、続いて飛ぶことはなさらなかった。能登殿は、もはやこれまでと思われたのか、太刀も長刀も海へ投げ入れ、兜も脱いで捨てられた。鎧の袖や草摺もかなぐり捨て、胴だけを着けてざんばら髪になり、両手を大きく広げて船の屋形に立ち出て、大音声をあげて、「源氏の方でわれこそと思う者がいたら、寄って教経に組んで生け捕りにせよ。鎌倉へ下って、兵衛佐に一言いってやろうと思うのだ。寄れや寄れ」とおっしゃったが、寄る者は一人もなかった。

ここに土佐国の住人で、安芸郷を治めていた安芸大領実康の子に、安芸太郎実光といって、およそ二、三十人分の力を持つ大力の剛の者がいた。自分に少しも劣らない郎等を一人連れていた。弟の次郎も人並みすぐれた兵である。この三人が寄り集まって、「たとえ能登殿がどれほど剛の者でいらしても、何ほどのことがあろう。身の丈十丈の鬼であっても、われら三人がつかみかかったら、どうして従えられないことがあろう」といって、小舟に乗り、能登殿の船に押し並べて乗り移り、太刀の切っ先をそろえて一斉に打ってかかった。能登殿はこれをご覧になって、まずまっ先に進んできた安芸太郎の郎等を、裾を合わせるように蹴って、海へどうと蹴落とされた。続いてかかってくる安芸太郎を左の脇に挟みこみ、弟の次郎を右の脇に取って挟み、ぐっと一締め締めて、「さあおまえたち、死出の山の供をせよ」といって、年二十六で海へさっと飛びこまれた。

意訳

壇の浦の合戦で平家の人々がそれぞれの最期を迎える場面である。錨を負って静かに沈む教盛・経盛兄弟や資盛らに対し、沈みきれずに泳ぎ回って捕らえられる宗盛父子の姿は、潔さを欠く総大将の哀れさとして描かれる。

能登守教経の最期は、平家随一の猛将にふさわしい壮絶なものである。義経の八艘飛びとして名高い身軽な跳躍に逃げられた後、武具を捨てて大童となり、敵を両脇に挟んで「死出の山の供せよ」と海に飛びこむ姿は、敗者の側にありながら最後まで屈しない武士の意地を鮮やかに印象づける。

語釈・文法注

文法

「御燒石」
温めて懐に入れ、体を温める石。
「蹴まとひ」
足にからみついて。
「内侍所」
三種の神器の一つ、八咫鏡。またそれを納めた所。
「舌を振つて」
舌を巻いて。ひどく恐れるさま。
「なまじひに水練の上手にて」
なまじ水泳が上手だったので(かえって沈めなかった)。
「柄も拳も通れ〳〵と」
刀の柄も握る拳も通れとばかりに、深く。
「いたう罪なつくり給ひそ」
あまり罪(殺生)を作りなさるな。
「打物くきみじかに取り」
太刀や長刀の柄を短く持って。
「二丈許り退きたりにけるに」
底本の本文。二丈ほど離れていた船に。
「大童」
兜を脱いで髻が解け、髪を振り乱した姿。
「裾をあはせて」
裾を合わせるように、ぴたりと蹴って。
「いざうれ」
さあおまえたち。「うれ」は相手をいやしめて呼ぶ語。

解説

平教経は教盛の子で、平家随一の猛将として知られる。『平家物語』では壇の浦で入水したとするが、『吾妻鏡』には一の谷で討たれたとあり、その最期には異説がある。義経が船から船へ飛び移って教経の手を逃れた話は、のちに「八艘飛び」として語られるようになった。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、793–796頁(コマ425–427)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日