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おくのほそ道 第45章

敦賀

比那が嵩・玉江・鶯の関・湯尾峠・燧が城と歌枕を経て、八月十四日の夕暮れ、敦賀に着く。その夜は月が美しく、気比神宮に夜参りして、遊行上人の砂持の故事を聞き、「月清し遊行のもてる砂の上」と詠む。翌十五日の名月の夜は、宿の主人の言ったとおり雨であった。

月光に照らされた気比神宮の社前、霜を敷いたように白く光る砂(AI生成)
月光に照らされた気比神宮の社前、霜を敷いたように白く光る砂
  1. 1漸白根やうやうしらね漸白根やうやうしらねようようしらねががが嶽たけ嶽たけたけかくれてかくれてかくれて、、、ががが嵩だけ嵩だけだけあらはるあらはるあらわる。。。橋はし橋はしはしをををわたりてわたりてわたりて、、、ののの蘆あし蘆あしあしははは穗ほ穗ほほににに出で出ででにけりにけりにけり。。。ののの關せき關せきせきををを過すぎ過すぎすぎててて、、、ををを越こ越ここればればれば、、、ががが城じやう城じやうじょう、、、初はつ初はつはつ鴈かり鴈かりかりををを聞きき聞ききききててて、、、十四日じふよつか十四日じふよつかじゅうよっかののの夕ゆふ夕ゆふゆうぐれぐれぐれ、、、津つ津つつににに宿やど宿やどやどをもをもをもとむとむとむ。。。
  2. 2そのそのその夜月殊晴よつきことはれ夜月殊晴よつきことはれよつきことはれたりたりたり。。。あすのあすのあすの夜よ夜よよもかくあるべきにやといへばもかくあるべきにやといへばもかくあるべきにやといえば、、、越路こしぢ越路こしぢこしじののの習なら習ならならひひい猶明夜なほめいや猶明夜なほめいやなおめいやののの陰晴いんせい陰晴いんせいいんせいはははかりがたしとあるじにかりがたしとあるじにかりがたしとあるじに酒さけ酒さけさけすゝめられてすゝめられてすすめられて、、、明神みやうじん明神みやうじんみょうじんににに夜參やさん夜參やさんやさんすすす。。。
  3. 3ののの御廟也ごべうなり御廟也ごべうなりごびょうなり。。。社頭神しやとうかみ社頭神しやとうかみしゃとうかみさびてさびてさびて、、、松まつ松まつまつののの木こ木ここののの間ま間ままににに月つき月つきつきのもれのもれのもれ入い入いいたるたるたる、、、おまへのおまへのおまえの白砂霜はくさしも白砂霜はくさしもはくさしもををを敷し敷ししるがごとしるがごとしるがごとし。。。往昔そのかみ往昔そのかみそのかみ、、、ののの上人しやうにん上人しやうにんしょうにん、、、大願發起だいぐわんほつき大願發起だいぐわんほつきだいがんほっきののの事こと事ことことありてありてありて、、、みづからみづからみずから草くさ草くさくさををを刈か刈かか、、、土石どせき土石どせきどせきををを荷にな荷になになひひひ泥渟でいてい泥渟でいていでいていをををかかかはははかせてかせてかせて、、、參詣往來さんけいわうらい參詣往來さんけいわうらいさんけいおうらいののの煩わづら煩わづらわずらなしなしなし。。。
  4. 4古例今これいいま古例今これいいまこれいいまにたえずにたえずにたえず。。。神前しんぜん神前しんぜんしんぜんににに眞砂まさご眞砂まさごまさごををを荷にな荷になになひひひ給たま給たまたまふふう。。。これこれこれををを遊行ゆぎやう遊行ゆぎやうゆぎょうのののととと申まう申まうもう侍はべ侍はべはべるとるとると亭主ていしゆ亭主ていしゆていしゅのかたりけるのかたりけるのかたりける。。。
  5. 5月つき月つきつき清きよ清きよきよししし遊行ゆぎやう遊行ゆぎやうゆぎょうのもてるのもてるのもてる砂すな砂すなすなののの上うへ上うへうえ
  6. 6十五日じふごにち十五日じふごにちじゅうごにち、、、亭主ていしゆ亭主ていしゆていしゅののの詞ことば詞ことばことばにたかはずにたかはずにたかわず雨あめ雨あめあめ降ふ降ふふ。。。
  7. 7名月めいげつ名月めいげつめいげつややや北國日和定ほくこくびよりさだめ北國日和定ほくこくびよりさだめほくこくびよりさだめなきなきなき

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

しだいに白山が見えなくなって、日野山が姿を現す。浅水の橋を渡って行くと、玉江の蘆はもう穂を出していた。鶯の関を過ぎて、湯尾峠を越えると、燧が城があり、帰山で初雁の声を聞いて、十四日の夕暮れ、敦賀の港に宿をとる。その夜の月はことに晴れわたっていた。「明日の夜もこのように晴れるでしょうか」と言うと、「越路の常として、やはり明日の夜が晴れるか曇るかは、はかりがたいことです」と宿の主人に言われ、酒をすすめられたのち、気比明神に夜の参詣をする。仲哀天皇の御廟である。社殿のあたりは神々しく、松の木の間から月の光が漏れ入って、神前の白砂は霜を敷いたようである。昔、遊行二世の上人が大きな願をおこされて、自ら草を刈り、土や石を運んで、ぬかるみを乾かされたので、参詣の人の行き来に困ることがなくなった。その古いならわしが今も絶えず、代々の遊行上人が神前に砂を運ばれる。これを遊行の砂持と申しますと、宿の主人が語った。

月清し遊行のもてる砂の上(遊行上人が運んだという神前の白砂の上に、月の光が清らかに照りわたっている)

十五日、宿の主人の言葉どおり、雨が降った。

名月や北國日和定なき(せっかくの中秋の名月なのに雨とは。北国の天気は、まことに変わりやすいものだ)

意訳

福井から敦賀への道は、歌枕を次々にたどる道でもあった。比那が嵩・浅水の橋・玉江の蘆・鶯の関・湯尾峠・燧が城・帰山・初雁――名所の名を連ねる文章は、軽やかな道行文の調子をもつ。

敦賀に着いた十四日の夜は、月が美しかった。明日の名月も見られるかと期待する芭蕉に、宿の主人は「北国の天気は当てにならない」と答える。その夜の気比明神の参詣は、月の光と白砂の美しさ、そして遊行上人の砂持の故事が一つになった、幻想的な場面となった。

翌日の十五夜は、主人の言ったとおり雨であった。名月を見るために旅を急いだ芭蕉は、その残念さを「北國日和定なき」と軽く受けとめる。前夜の月の美しさがあるからこそ、この句には余裕とおかしみがある。

語釈・文法注

比那が嵩
日野山。福井県越前市の山。歌枕。
あさむつの橋
浅水の橋。福井市浅水町。歌枕。
玉江の蘆
玉江。福井市花堂のあたり。蘆の名所として歌に詠まれた。
鶯の關
福井県南越前町の関の跡。歌枕。
湯尾峠
福井県南越前町の峠。
燧が城
燧が城。木曾義仲の家臣が築いた城の跡。
かへるやま
帰山。福井県南越前町の山。歌枕。
つるがの津
敦賀の港。
けいの明神
気比神宮。越前国一宮。福井県敦賀市。
仲哀天皇の御廟
気比神宮の祭神の一柱、仲哀天皇。ここを御廟とするのは誤伝。
遊行二世の上人
時宗の二祖、他阿真教(1237〜1319)。正安三年(1301)、気比神宮の参道の沼地を、自ら土石を運んで改修したという。
遊行の砂持
代々の遊行上人が気比神宮の神前に砂を運ぶ行事。今も続いている。

文法

かくあるべきにや
「にや」の後に「あらむ」が略されている。このように(晴れて)あるのだろうか。
はかりがたし
はかることができない。予測しがたい。
もれ入たる
「たる」は存続。(月の光が)漏れ入っている(ところは)。
詞にたかはず
底本どおり「たかはず」。通行本文は「たがはず」で、違わない。

発句・和歌

月清し遊行のもてる砂の上

作者
松尾芭蕉
状況
敦賀の気比神宮に夜参りし、遊行上人の砂持の故事を聞いて、神前の白砂を照らす月を詠んだ句。季語は「月」で秋。

修辞

季語
月。秋。
切れ
「月清し」で切れる(初句切れ)。

名月や北國日和定なき

作者
松尾芭蕉
状況
敦賀で、中秋の名月の夜に雨が降り、名月が見られなかったことを詠んだ句。季語は「名月」で秋。

修辞

季語
名月。秋(八月十五夜)。
切れ字
「や」。

解説

芭蕉が敦賀に着いたのは元禄二年八月十四日で、太陽暦では9月27日にあたる。敦賀では出雲屋弥市郎の宿に泊まった。気比神宮の境内には、遊行上人の砂持の像と芭蕉の句碑が立っている。

先に敦賀に来ていた曾良は、宿に金一両を預けて、芭蕉の世話を頼んでいたという。曾良と別れたあとも、旅の各地で人々の心づかいに支えられていたのである。

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出典

底本
藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、34〜35頁(コマ26)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日