大和物語 第6章(第47段〜第58段)
兼盛と安達の原の黒塚
紅葉に寄せた一条の君の歌、醍醐天皇と更衣・斎院との贈答、戒仙の山の歌、坂上遠道や宗于の三男の歌、死んだ恋人を待ちつづける女、平兼盛と兵衛の君・中興の娘の贈答、そしてみちのくの安達の原の黒塚に住む娘たちとのやりとりまで、十二の段。
- 1陽陽よう成成なり院院いんのののののの君君きみ、、、
- 2「「「奧山奧山おくやまにこゝろにこゝろにこころををを入入いれてたづねずばれてたづねずばれてたずねずばふかきふかきふかき紅葉紅葉もみじのいろのいろのいろををを見見みましやましやましや」」」。。。
- 3先帝先帝せんだいののの御時御時おおんとき、、、ののの君君きみとてさぶらひとてさぶらひとてさぶらい給給たもうけるうけるうけるののの、、、里里さとにまかりにまかりにまかり出出いででで給給たもうてうてうて、、、久久ひさしうしうしゅう參參まいりりり給給たまはざりけるにつかはしけるはざりけるにつかはしけるわざりけるにつかわしける、、、
- 4「「「大空大空おおぞらをををわたるわたるわたるはるはるはる日日ひのかげなれやよそにのみしてのどけかるらむのかげなれやよそにのみしてのどけかるらむのかげなれやよそにのみしてのどけかるらむ」」」。。。
- 5同同おなじじじ帝帝みかど、、、のみこののみこののみこの御許御許もとににに菊菊きくにつけてにつけてにつけて、、、
- 6「「「行行ゆきてきてきて見見みぬぬぬ人人ひとのためにとおもはずばのためにとおもはずばのためにとおもわずば誰誰たれかかか折折おらましらましらまし我我わががが宿宿やどののの菊菊きく」」」。。。
- 7齋院齋院さいいんののの御御おん返事返事かえりごと、、、
- 8「「「我我わががが宿宿やどににに色色いろをををりとむるりとむるりとむる君君きみなくばよそにもきくのなくばよそにもきくのなくばよそにもきくの花花はなををを見見みましやましやましや」」」。。。
- 9戒戒かい仙仙せん、、、山山やまにのぼりてにのぼりてにのぼりて、、、
- 10「「「雲雲くもならでこならでこならでこ高高たかききき嶺嶺ねにゐるものにゐるものにいるものはははうきうきうき世世よをををそむくそむくそむく我我わががが身身みなりけりなりけりなりけり」」」。。。
- 11齋院齋院さいいんよりよりよりうちにうちにうちに、、、
- 12「「「おなじえおなじえおなじえをををわきてわきてわきて霜霜じもおくおくおく秋秋あきなればなればなれば光光ひかりもつらくおもほゆるかなもつらくおもほゆるかなもつらくおもおゆるかな」」」。。。
- 13御御おんかへしかへしかえし、、、
- 14「「「花花はなののの色色いろををを見見みてもてもても知知しりなむりなむりなむ初初はつ霜霜しものこゝろわきてのこゝろわきてのこころわきてはははおかじとぞおかじとぞおかじとぞ思思おもふふう」」」。。。
- 15これもこれもこれもうちのうちのうちの御御おん、、、
- 16「「「わたつみのわたつみのわたつみの深深ふかききき心心こころをををおきながらおきながらおきながら恨恨うらみられぬるものにぞありけるみられぬるものにぞありけるみられぬるものにぞありける」」」。。。
- 17陽陽よう成成なり院院いんにありけるにありけるにありける上上うえのとほみちといふのとほみちといふのとおみちという男男おとこ、、、同同おなじじじ院院いんにありけるにありけるにありける女女おんな、、、障障さわるるる事事ことありてありてありて逢逢あはざりければはざりければわざりければ、、、
- 18「「「秋秋あきののの野野のをををわくらむわくらむわくらむ鹿鹿しかもわがごとやしげきさはりにもわがごとやしげきさはりにもわがごとやしげきさわりに音音ねをばをばをば鳴鳴なくらむくらむくらむ」」」。。。
- 19右京右京うきょうのかみのかみのかみ宗于宗于むねゆきののの君君きみののの三三さん郞郞ろうにあたりけるにあたりけるにあたりける人人にんをををしてしてして親親おやにもにもにもはらからにもはらからにもはらからにも憎憎にくまれければまれければまれければ、、、足足あしのむかむのむかむのむかむ方方かたへへへ行行ゆかむとてかむとてかむとて人人ひとののの國國くにへへへいきけるいきけるいきける。。。さてさてさて思思おもひけるひけるいける友友ともだちのだちのだちの許許もとへへへ詠詠よみておこせたりけりみておこせたりけりみておこせたりけり、、、
- 20「「「をををりしてりしてりして行行ゆくくく旅旅たびなれどかりそめのなれどかりそめのなれどかりそめの命命いのちしらねばかへりしもせじしらねばかへりしもせじしらねばかえりしもせじ」」」。。。
- 21男男おとこ、、、限限かぎりなくなくなく思思おもひけるひけるいける女女おんなをををおきておきておきて人人ひとののの國國くにへへへいにけりいにけりいにけり。。。いつしかといつしかといつしかと待待まちけるにちけるにちけるに死死しにきとにきとにきと言言いひてひていて來來きたりければたりければたりければ、、、
- 22「「「今今いま來來こむといひてむといひてむといいて別別わかれしれしれし人人ひとなればかぎりとなればかぎりとなればかぎりと聞聞きけどなほぞけどなほぞけどなおぞ待待またるゝたるゝたるる」」」
- 23となむいひけるとなむいひけるとなむいいける。。。
- 24越前越前えちぜんののの權權ごんののの守守かみ盛盛もり、、、ののの君君きみといふといふという人人ひとにすみけるにすみけるにすみけるををを年年としごろごろごろはははなれてなれてなれて又又またいきけりいきけりいきけり。。。さてよみけるさてよみけるさてよみける、、、
- 25「「「夕夕ゆうさればさればされば道道みちももも見見みえねどえねどえねど故鄕故鄕ふるさとはもはもはもととと來來こししし駒駒こまにまかせてぞゆくにまかせてぞゆくにまかせてぞゆく」」」。。。
- 26女女おんな、、、かへしかへしかへし、、、
- 27「「「駒駒こまにこそまかせたりけれにこそまかせたりけれにこそまかせたりけれはははかなくもかなくもかなくも心心こころのくるとのくるとのくると思思おもひけるかなひけるかないけるかな」」」。。。
- 28近江近江おうみののの介介すけ平平たいらののののむすめのむすめのむすめをををいといたうかしづきけるいといたうかしづきけるいといとうかしずきけるををを、、、親親おやなくなりてなくなりてなくなりて後後ごとかくとかくとかくふれてふれてふれて人人ひとののの國國くににににはははかなきかなきかなき所所ところににに住住すみけるみけるみけるををを、、、あはれがりてあはれがりてあわれがりて兼兼かね盛盛もりがよみておこせたりけるがよみておこせたりけるがよみておこせたりける、、、
- 29「「「ののの人目人目ひとめまれなるまれなるまれなる山里山里やまざとににに家居家居いえいせむとせむとせむとははは思思おもひきやひきやいきや君君きみ」」」
- 30ととと詠詠よみてなむおこせたりければみてなむおこせたりければみてなむおこせたりければ、、、かへりごともせでよゝとぞかへりごともせでよゝとぞかえりごともせでよよとぞ泣泣なきけるきけるきける。。。女女おんなもいとらうあるもいとらうあるもいとろうある人人ひとなりけりなりけりなりけり。。。
- 31同同おなじじじ兼兼かね盛盛もりみちのくにゝてみちのくにゝてみちのくににて、、、ののの三三さんのみこのむすめにありけるのみこのむすめにありけるのみこのむすめにありける人人ひとといふといふという所所ところににに住住すみけりみけりみけり。。。そのむすめどもにおこせたりけるそのむすめどもにおこせたりけるそのむすめどもにおこせたりける、、、
- 32「「「みちのくのみちのくのみちのくの安達安達あだちののの原原はらののの黑塚黑塚くろづかににに鬼鬼おにこもれりとこもれりとこもれりと聞聞きくくくはははまことかまことかまことか」」」
- 33といひたりけりといひたりけりといいたりけり。。。かくてかくてかくて「「「そのむすめそのむすめそのむすめををを得得えむむむ」」」ととと言言いひければひければいければ、、、親親おや「「「まだいとわかくなむあるまだいとわかくなむあるまだいとわかくなむある。。。今今いまさるべからむさるべからむさるべからむ折折おりにににををを」」」ととと言言いひければひければいければ、、、京京きょうにいくとてにいくとてにいくとて山吹山吹やまぶきにつけてにつけてにつけて、、、
- 34「「「花花はなざかりざかりざかり過過すぎもやするとぎもやするとぎもやすると蛙蛙かわず鳴鳴なくくくののの山吹山吹やまぶきうしろめたしもうしろめたしもうしろめたしも」」」
- 35といひけりといひけりといいけり。。。かくてかくてかくて取取とりのみゆといふのみゆといふのみゆという事事ことををを君君きみのめのめのめ詠詠よみたりけるといふなむみたりけるといふなむみたりけるというなむ、、、このこのこの黑塚黑塚くろづかのあるじなりけりのあるじなりけりのあるじなりけり。。。
- 36「「「大空大空おおぞらののの雲雲くものかよひぢのかよひぢのかよいじ見見みてしがなとりのみゆけばあとてしがなとりのみゆけばあとてしがなとりのみゆけばあとはははかもなしかもなしかもなし」」」
- 37ととと詠詠よみたりけるみたりけるみたりけるををを、、、盛盛もりのおほぎみおなじのおほぎみおなじのおおぎみおなじ所所ところををを、、、
- 38「「「ののの浦浦うらにににははは海人海人あまややや絕絕たえにけむなどすなどりのみゆるえにけむなどすなどりのみゆるえにけむなどすなどりのみゆる時時ときなきなきなき」」」
- 39となむよみけるとなむよみけるとなむよみける。。。さてこのさてこのさてこの心心こころかけしむすめかけしむすめかけしむすめ、、、ことをとこしてことをとこしてことおとこして京京きょうににに上上のぼりたりければりたりければりたりければ、、、聞聞ききてきてきて兼兼かね盛盛もり「「「上上のぼりものしりものしりものし給給たまふなるふなるうなるをををつげつげつげ給給たまはせではせでわせで」」」ととと言言いひたりければひたりければいたりければ、、、「「「井手井手いでののの山吹山吹やまぶきうしろめたしもうしろめたしもうしろめたしも」」」といへりけるといへりけるといえりける文文ふみををを「「「これなむみちのこれなむみちのこれなむみちの國國くに」」」とておこせたりければとておこせたりければとておこせたりければ、、、男男おとこ、、、
- 40「「「年年としををを經經へてぬれわたりつるてぬれわたりつるてぬれわたりつる衣手衣手ころもでををを今日今日きょうのなみだにのなみだにのなみだに朽朽くちやしぬらむちやしぬらむちやしぬらむ」」」
- 41といへりけりといへりけりといえりけり。。。
現代語訳
〔第47段〕陽成院の一条の君の歌、
「奥山に心をこめて分け入って訪ねなかったら、深い紅葉の色を見ることができたでしょうか」。
〔第48段〕先帝(醍醐天皇)の御代に、刑部の君といってお仕えしていらっしゃった更衣が、里に退出なさって、長いあいだ参内なさらなかったので、帝がお送りになった歌、
「大空を渡る春の日の光だからでしょうか。よそにばかりいて、のどかにしているのは」。
〔第49段〕同じ帝が、斎院の皇女(宣子内親王)のもとに、菊に添えて、
「行って見ることのできない人のためと思わなかったら、誰がわが家の菊を折ったりしましょう」。
斎院の御返事、
「わたしの家に、色を折りとめてくださるあなたがいなかったら、よそにいて菊の花を見ることなどできたでしょうか」。
〔第50段〕戒仙が山に登って、
「雲でもないのに、こんなに高い嶺にいるのは、つらい世に背を向けたわが身であることよ」。
〔第51段〕斎院から内裏(醍醐天皇)に、
「同じ枝なのに、分けへだてして霜の置く秋なので、光もつらく思われることです」。
御返し、
「花の色を見てもお分かりでしょう。初霜は、心で分けへだてして置いたりはしないと思います」。
〔第52段〕これも内裏の御歌、
「海の底のような深い心を置いていながら、恨まれてしまうものだったのですね」。
〔第53段〕陽成院にいた坂上遠道という男が、同じ院にいた女と、さしさわりがあって逢えなかったので、
「秋の野を分けて行く鹿も、わたしと同じように、しげき障りに声をあげて鳴いているのだろうか」。
〔第54段〕右京大夫宗于の君の三男にあたる人が、博打をして親にも兄弟にも憎まれたので、足の向く方へ行こうと、よその国へ行った。そうして、親しく思っていた友だちのもとへよんでよこした歌、
「道しるべの枝を折りながら行く旅だけれど、かりそめの命の行方も分からないので、帰りはしないつもりだ」。
〔第55段〕男が、限りなく愛していた女を残して、よその国へ行ってしまった。女は早く帰ってほしいと待っていたが、男は死んだと言って知らせが来たので、
「すぐに帰ると言って別れた人だから、もうこれきりだと聞いても、やはり待たれてしまう」
と言った。
〔第56段〕越前の権守兼盛は、兵衛の君という人のもとに通っていたが、長年離れていて、また訪ねて行った。そうしてよんだ歌、
「夕方になって道も見えないけれど、昔なじみの里へは、昔来た馬にまかせて行くのです」。
女の返し、
「馬にまかせていらしたのでしたか。はかなくも、あなたの心が来てくださったのだと思っていました」。
〔第57段〕近江の介平中興が娘をたいへん大切に育てていたが、親が亡くなってのち、あれこれと落ちぶれて、よその国の心細い所に住んでいたのを、気の毒に思って兼盛がよんでよこした歌、
「あちらこちらから人目もまれな山里に住もうとは、思ったでしょうか、あなたは」
とよんでよこしたので、娘は返事もしないで、おいおいと泣いた。この女もたいへん才気のある人であった。
〔第58段〕同じ兼盛が陸奥の国にいた時、閑院の三の皇子の娘であった人が、黒塚という所に住んでいた。その娘たちによんでよこした歌、
「陸奥の安達の原の黒塚に鬼が籠もっていると聞くのは、本当ですか」
と言った。そうして「その娘を妻にもらいたい」と言ったので、親が「まだたいへん幼いのです。いずれしかるべき時に」と言ったので、兼盛は京に上るといって、山吹に添えて、
「花盛りが過ぎてしまいはしないかと、蛙の鳴く井手の山吹が気がかりです」
と言った。ところで、「名取の御湯」ということを、常忠の君の妻がよんだという、その人が、この黒塚の主であった。
「大空の雲の通い路を見たいものです。鳥が飛んでいくばかりで、跡かたもないので」
とよんだのを、兼盛の大君(兼盛の妻)が同じ所の名をよみこんで、
「塩竈の浦には漁師がいなくなってしまったのでしょうか。どうして漁(すなどり)をする姿が見えないのでしょう」
とよんだ。さて、兼盛が心をかけていたその娘が、別の男を夫にして京に上ったので、それを聞いて兼盛が「上京なさったそうなのに知らせてもくださらないで」と言ってやると、親は「井手の山吹が気がかりです」と兼盛が書いた手紙を「これが陸奥のみやげです」と言って返してよこしたので、男は、
「長年ずっと涙に濡れ続けてきた袖を、今日の涙で朽ちさせてしまうのでしょうか」
と言った。
意訳
〔第47段〕奥山に分け入ったからこそ見られた深い紅葉。手間をかけて求めてこそ得られる美しさを、恋の思いの深さにも重ねて読むことができる。
〔第48〜52段〕醍醐天皇の歌のやりとり。里に下がったきりの更衣には「春の日の光のように、よそでのどかにしているのか」と恨み、斎院の妹には菊を贈り合う。斎院が「同じ枝なのに霜(帝の愛)が分けへだてする」と、ほかの人への厚遇をすねてみせると、帝は「霜は分けへだてなどしない」となだめた。兄妹の親しい戯れである。
〔第50段〕雲より高い山の上にいるのは、世を捨てたわたし――戒仙の歌には、出家者の孤高と寂しさが同居している。
〔第53〜55段〕思うように逢えない恋、家を追われた若者、死んだ恋人。坂上遠道は鹿の声に自分の泣き声を重ね、宗于の三男は「帰るつもりはない」と旅立つ。第55段の女は、死の知らせを聞いてもなお「すぐ帰る」と言った人を待ち続ける。一首の短い歌に、受け入れられない死の悲しみが凝縮している。
〔第56段〕久しぶりに訪れた兼盛が「馬が覚えていた道をまかせて来た」と言うと、女は「あなたの心が来たのではなく、馬だったのね」と言い返す。言葉尻をとらえた、軽妙な切り返しである。
〔第57段〕親を亡くして地方の山里に落ちぶれた娘。兼盛の「こんな所に住むとは思っていたか」という同情の歌は、かえって娘の誇りを傷つけたのか、娘はただ泣くばかりで返事をしなかった。
〔第58段〕陸奥の黒塚に住む皇族の娘たちに、兼盛は「鬼が籠もっていると聞くのは本当か」と、美しい娘たちを隠し置く家を鬼の住みかにたとえてからかった。のちに謡曲「黒塚(安達原)」の鬼女伝説の源となった歌である。娘をもらう約束は果たされず、娘は別の男と都に上ってしまった。兼盛の手紙は「みやげ」として送り返され、兼盛は涙に暮れる。
語釈・文法注
- 陽成院の一條の君
- 陽成院に仕えた女房。
- 刑部の君
- 醍醐天皇の更衣。
- 更衣
- 女御に次ぐ天皇の妻の位。
- 齋院のみこ
- 賀茂の斎院であった醍醐天皇の皇女、宣子内親王か。醍醐天皇の同母の妹で、宇多天皇の皇女の君子内親王とする説もある。
- 坂上のとほみち
- 坂上遠道。陽成院に仕えた人。
- ばくやう
- 博奕。ばくち。
- しをり
- 枝折り。木の枝を折って道しるべにすること。
- 越前の權の守兼盛
- 平兼盛(?〜990)。三十六歌仙の一人。百人一首に「しのぶれど色に出でにけりわが恋は」がある。
- 兵衞の君
- 女房の名。
- 平の中興
- 平中興(?〜930)。近江介などを歴任した。その娘は第105段にも登場する。
- はふれ
- 「はふる」は落ちぶれる、さまよう。
- 遠近
- あちらこちら。
- 閑院の三のみこ
- 清和天皇の皇子、貞元親王か。閑院に住んだ。
- 黑塚
- 陸奥国安達郡(今の福島県二本松市)の地名。鬼女伝説の地として知られる。
- 井手の山吹
- 山城国井手(今の京都府綴喜郡井手町)は山吹と蛙(かじか)の名所。
- 名取のみゆ
- 名取の御湯。陸奥国名取郡(今の宮城県名取市)の温泉。
- つねたゞの君
- 藤原常忠か。未詳。その妻が、黒塚の主(閑院の三の皇子の娘)である。
- 兼盛のおほぎみ
- 兼盛の妻とも娘とも解される。
- 鹽竈の浦
- 陸奥国の歌枕(今の宮城県塩竈市)。
- つと
- みやげ。
文法
- 見ましや
- 「まし」は反実仮想、「や」は反語。「見ることができただろうか、いや見られなかった」。
- かげなれや
- 「なれや」は已然形+「や」で、「…だからだろうか」。
- 誰か折らまし
- 「ずば…まし」の反実仮想に、反語の「誰か」が加わる。
- こ高き嶺
- 底本は「こ高き」と書く。通行本文には「いと高き」とするものがある。
- 音をば鳴くらむ
- 「らむ」は現在推量。今ごろ鳴いているのだろう。
- 足のむかむ方へ
- 「む」は婉曲。足の向くような方へ。
- かへりしもせじ
- 「し」「も」は強意。「じ」は打消の意志。
- 待たるゝ
- 「るる」は自発の助動詞「る」の連体形。自然と待たれる。
- まかせたりけれ
- 「こそ」の結びで已然形。下に逆接の気持ちで続く。
- 思ひきや君
- 「きや」は過去の「き」+反語の「や」。思ったでしょうか、思わなかったでしょう。
- 見てしがな
- 「てしがな」は願望の終助詞。見たいものだ。
- などすなどりのみゆる時なき
- 「など」の結びで連体形「なき」。
- 朽ちやしぬらむ
- 「や」は疑問、「し」は強意。朽ちてしまうのだろうか。
和歌
奧山に こゝろを入れて たづねずば ふかき紅葉の いろを見ましや
- 詠者
- 一条の君(陽成院の)
- 状況
- 奥山の紅葉を見て。
修辞
- 反実仮想
- 「ずば…まし」。
大空を わたるはる日の かげなれや よそにのみして のどけかるらむ
- 詠者
- 醍醐天皇
- 状況
- 里に下がったまま参内しない更衣、刑部の君に。
修辞
- 比喩
- 春の日の光は、遠くからのどかに照らすだけで近寄らない。
行きて見ぬ 人のためにと おもはずば 誰か折らまし 我が宿の菊
- 詠者
- 醍醐天皇
- 状況
- 斎院の皇女に、菊を贈って。
我が宿に 色をりとむる 君なくば よそにもきくの 花を見ましや
- 詠者
- 斎院の皇女
- 状況
- 帝の歌への返し。
修辞
- 掛詞
- 「きく」に「菊」と「聞く」を掛ける。
雲ならで こ高き嶺に ゐるものは うき世をそむく 我が身なりけり
- 詠者
- 戒仙
- 状況
- 山に登って。
おなじえを わきて霜おく 秋なれば 光もつらく おもほゆるかな
- 詠者
- 斎院の皇女
- 状況
- 醍醐天皇に。帝の愛が分けへだてされていると戯れて。
修辞
- 掛詞
- 「え」に「枝」と「縁(え)」を響かせる。
- 比喩
- 霜に帝の恵みを、同じ枝にきょうだいをたとえる。
花の色を 見ても知りなむ 初霜の こゝろわきては おかじとぞ思ふ
- 詠者
- 醍醐天皇
- 状況
- 斎院の歌への返し。
わたつみの 深き心を おきながら 恨みられぬる ものにぞありける
- 詠者
- 醍醐天皇
- 状況
- 恨み言を言われて。
修辞
- 比喩
- 海の深さに心の深さをたとえる。
秋の野を わくらむ鹿も わがごとや しげきさはりに 音をば鳴くらむ
- 詠者
- 坂上遠道
- 状況
- 同じ陽成院に仕える女に、さしさわりがあって逢えなくて。
修辞
- 掛詞
- 「しげき」に草の「繁き」と障りの「繁き」を掛ける。
しをりして 行く旅なれど かりそめの 命しらねば かへりしもせじ
- 詠者
- 源宗于の三男
- 状況
- 博打で家を追われ、旅立つにあたって友に。
修辞
- 対照
- 帰り道のしるべの「しをり」をしながら、帰るつもりはないと言う。
今來むと いひて別れし 人なれば かぎりと聞けど なほぞ待たるゝ
- 詠者
- 女
- 状況
- 旅に出た恋人の死を知らされて。
夕されば 道も見えねど 故鄕は もと來し駒に まかせてぞゆく
- 詠者
- 平兼盛
- 状況
- 長年離れていた兵衛の君を、また訪ねて。
修辞
- 故事
- 老馬は道を知るという故事(『韓非子』)をふまえる。
駒にこそ まかせたりけれ はかなくも 心のくると 思ひけるかな
- 詠者
- 兵衛の君
- 状況
- 兼盛の歌への返し。
修辞
- 切り返し
- 相手の「駒にまかせて」を逆手にとり、心で来たのではないとなじる。
遠近の 人目まれなる 山里に 家居せむとは 思ひきや君
- 詠者
- 平兼盛
- 状況
- 親を亡くして地方に落ちぶれた中興の娘に。
修辞
- 倒置
- 末句「思ひきや君」で問いかける。
みちのくの 安達の原の 黑塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか
- 詠者
- 平兼盛
- 状況
- 陸奥の黒塚に住む閑院の三の皇子の娘たちに。『拾遺和歌集』雑下にも入る。
修辞
- 見立て
- 美しい娘たちを隠し置く家を、鬼の住みかに見立てる。
花ざかり 過ぎもやすると 蛙鳴く 井手の山吹 うしろめたしも
- 詠者
- 平兼盛
- 状況
- 娘をもらう約束を得られないまま京へ上るにあたり、山吹に添えて。
修辞
- 比喩
- 「井手の山吹」に、年ごろを過ぎる娘をたとえる。
大空の 雲のかよひぢ 見てしがな とりのみゆけば あとはかもなし
- 詠者
- 常忠の君の妻
- 状況
- 「名取の御湯」を詠みこんで。
修辞
- 物名
- 「とりのみゆ」に地名「名取の御湯」を詠みこむ。
鹽竈の 浦には海人や 絕えにけむ などすなどりの みゆる時なき
- 詠者
- 兼盛の大君
- 状況
- 同じく「名取の御湯」を詠みこんで。
修辞
- 物名
- 「すなどりのみゆる」に「名取の御湯」を詠みこむ。
年を經て ぬれわたりつる 衣手を 今日のなみだに 朽ちやしぬらむ
- 詠者
- 平兼盛
- 状況
- 約束した娘が別の男と上京し、自分の手紙を「みやげ」として返されて。
解説
第58段の「みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」は、平兼盛の歌として『拾遺和歌集』にも入る。もとは、閑院の三の皇子の娘たちが陸奥の黒塚に住んでいたのを、美しい娘たちを「鬼」が隠しているとからかった戯れの歌であった。のちにこの歌から、安達が原の鬼婆の伝説が生まれ、謡曲「黒塚(安達原)」などに発展した。
平兼盛は、天徳四年(960)の内裏歌合で、壬生忠見の「恋すてふ」と競って勝った「しのぶれど」の歌で知られる。この章では、昔の女を訪ねる兼盛、落ちぶれた娘を見舞う兼盛、陸奥で娘に求婚する兼盛と、さまざまな姿で描かれ、ひとつの人物像を作り出している。
第48〜52段には、醍醐天皇の歌が並ぶ。「延喜の帝」と呼ばれ、のちに理想の聖代とされた天皇だが、ここでは更衣や斎院の妹と、親しみのこもった歌を交わす一人の人として描かれている。
第55段の「今来むといひて別れし人なれば」は、『古今和歌集』にも似た発想の歌があるが、死の知らせを受けてもなお待ってしまうという心の動きを、物語の場面と結びつけて印象深いものにしている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、14〜17頁(コマ11–12)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日