蜻蛉日記 中巻 第24章
石山詣への旅立ち
七月の盂蘭盆、兼家は例年どおり亡き母の供養の品を届けてくる。兼家の心変わりの理由を侍女たちと推し量るうちに、作者は勧められて石山寺へ十日ほど籠もることにする。妹にも知らせず夜明け前に家を出て、賀茂の河原、粟田山、山科を徒歩で急ぎ、走井で若狭守の一行に出くわして屈辱を味わい、打出の浜から舟で石山に着く。
- 1七月七月しちがつ十日十日とおかにににもももなりなりなりぬれぬれぬればばば世世よののの人人ひとさわぐさわぐさわぐまゝまゝままにににぼにぼにぼにののの事事こと年年とし頃頃ごろはははままま心心こころにににものものものしししつるつるつるもももはなれはなれはなれやややしししぬぬぬらむらむらんととと哀哀あわれなななままま人人ひとももも悲悲かなしうしうしゅうおぼすおぼすおぼすらむらむらんかしかしかし。。。しばししばししばし試試こころみみみてててすらすらすら齋齋いもいもももせせせむむんかしかしかしととと思思おもひひいつゞくるつゞくるつづくるににに、、、淚淚なみだのののみだりみだりみだり暮暮くらすすすににに例例れいのののごとごとごと調調ちょうじじじててて文文ふみ添添そひひいてててありありあり。。。「「「なきなきなき人人ひとをををこそこそこそ思思おぼししし忘忘わすれれれざりざりざりけれけれけれとととをしからをしからおしからででで悲悲かなしきしきしきものものものににになむなむなん」」」ととと書書かきききてててものものものしししけりけりけり。。。かくかくかくてててのみのみのみ思思おもふふうににに猶猶なおいといといと怪怪あやししし。。。「「「珍珍めずらしきしきしき人人ひとににに移移うつりりりてててなどなどなどもももなしなしなし。。。俄俄にはかにににかゝるかゝるかかる事事ことををを思思おもふふうににに心心こころさへさへさへ知知しりりりたるたるたる人人ひとのののうせうせうせ給給たまひひいぬるぬるぬる、、、小小を野野のののの宮宮みやのののおとゞおとゞおとどののの御御おおんどもどもどもありありあり。。。これこれこれらららをををぞぞぞ思思おもひひいかくらかくらかくらむむん。。。近近おうぞぞぞあやしきあやしきあやしきことことことなどなどなどありありありててていろいろいろめくめくめく者者ものなめれなめれなめればばば、、、それそれそれらららにににこゝこゝここににに通通かよふふうととと知知しらららせせせじじじとととかねてかねてかねて斷斷たちちち置置おかかかむむんとととならならならむむん」」」ととといへいへいえばばば、、、聞聞きくくく人人ひと「「「いでいでいでややや、、、さらさらさらずずずともともともかれかれかれらららいといといと心心こころ安安やすしししととと聞聞きくくく人人ひとなれなれなればばば、、、何何なにかかかはははわざわざしうわざわざしうわざわざしゅうかまへかまへかまえ給給たまははわずずずともともともありありありなむなむなん」」」などなどなどぞぞぞいふいふいう。。。「「「もしもしもしさらさらさらずずずばばば光光こうだいだいだいのののみこみこみこたちたちたちがががならならならむむん方方かたこそこそこそととともももあれあれあれかくかくかくもももあれあれあれ、、、唯唯ただいといといと怪怪あやしきしきしきををを入入いるるる日日ひををを見見みるるるやうやうようにににてててのみのみのみやややはははおはしますおはしますおわしますべきべきべき。。。こゝこゝここかしこかしこかしこににに詣詣もうでででなどなどなどもももししし給給たまへへえかしかしかし」」」などなどなど唯唯ただこのこのこの頃頃ころはははことことことごとごとごとなくなくなく明明あくれくれくればばばいひいひいい暮暮くるれるれるればばば歎歎なげきききててて、、、さらにさらにさらにいといといと暑暑あつききき程程ほどなりなりなりともともともげにげにげにさささいひいひいいてててのみのみのみやややはははととと思思おもひひい立立たちちちててて、、、石石いしににに十日十日とおかばかりばかりばかりととと思思おもひひい立立たつつつ。。。
- 2忍忍しのびびびてててととと思思おもへへえばばばはらからはらからはらからととといふいふいうばかりばかりばかりののの人人ひとももも知知しらららせせせずずず、、、心心こころ一一ひとつつつににに思思おもひひい立立たちちちててて明明あけけけぬぬぬらむらむらんととと思思おもふふう程程ほどににに出出いででで走走はしりりりててて、、、加加か茂茂も川川がわののの程程ほどばかりばかりばかりなどなどなどにににぞぞぞ、、、いかでいかでいかで聞聞ききききあへあへあえつつつらむらむらん、、、追追おひひいててて物物ものしししたるたるたる人人ひともももありありあり。。。有有あり明明あけののの月月つきはははいといといと明明あかけれけれけれどどど逢逢あふふう人人ひともももなしなしなし。。。河河かわ原原らにににははは死死しににに人人びともももふせりふせりふせりととと見見み聞聞きけけけどどど怖怖おそろしくしくしくもももあらあらあらずずず。。。粟粟あわ田田た山山やまととといふいふいう程程ほどににに行行ゆききき去去さりりりててていといといと苦苦くるしきしきしきをををうちうちうち休休やすめめめばばば、、、ともともともかくかくかくももも思思おもひひいわかわかわかれれれずずず唯唯ただ淚淚なみだぞぞぞこぼるゝこぼるゝこぼるる。。。人人ひとやややるるるととと淚淚なみだはははつれなしつれなしつれなしづくりづくりずくりててて唯唯ただ走走はしりりりててて行行ゆきききもてもてもて行行ゆくくく。。。山山やま階階しなにににててて明明あけけけ離離はなるゝるゝるるにににぞぞぞいといといとけんしようけんしようけんしようなるなるなる心心ここちちちすれすれすればばば、、、あれあれあれかかか人人ひとかかかににに覺覺おぼゆるゆるゆる。。。人人ひとははは皆皆みなおくらかしおくらかしおくらかしさいだてさいだてさいだてなどなどなどしししてててかすかかすかかすかにににててて步步あゆみみみいけいけいけばばば、、、逢逢あふふうものものもの見見みるるる人人ひとあやしげあやしげあやしげににに思思おもひひいててて、、、さゝめきさゝめきささめき騷騷さわぐぐぐぞぞぞひとひとひとわびしきわびしきわびしき。。。からうじてからうじてかろうじていきいきいきすぎすぎすぎててて、、、走走はしり井井いにににてててわりごわりごわりごなどなどなどものものものすすすとてとてとて幕幕まく引引ひきききまはしまはしまわしてててとかくとかくとかくするするするほどほどほどににに、、、いみじくいみじくいみじくのゝしるのゝしるののしる者者ものくくく。。。いかにいかにいかにせせせむむん、、、誰誰たれならならならむむん、、、供供ともなるなるなる人人ひと見見み知知しるるるべきべきべきものものものにににもももこそこそこそあれあれあれ、、、あなあなあないみじいみじいみじととと思思おもふふう程程ほどににに、、、馬馬うまににに乘乘のりりりたるたるたる者者ものあまたあまたあまた車車くるま二二ふたつつつ三三みつつつ引引ひききき續續つづけけけてててのゝしりのゝしりののしりてててくくく。。。若若わか狹狹さののの守守かみののの車車くるまなりなりなりけりけりけりととといふいふいう。。。立立たちちちもももとまらとまらとまらででで行行ゆききき過過すぎぎぎてててははは、、、思思おもふふうことことことなげなげなげにににてててももも行行ゆくくくかなかなかな、、、きるきるきるははは明明あけけけ暮暮くれれれひざまづきひざまづきひざまずきありくありくありくものものものぐしぐしぐしてててゆばゆばゆばにににこそこそこそとととあああめれめれめれととと思思おもふふうにににももも胸胸むねさくるさくるさくる心心ここちちちすすす。。。げすげすげすどもどもども車車くるまののの口口くちにににつけつけつけるるるもももさささあらあらあらぬぬぬももも、、、このこのこの幕幕まくちかちかちかわわわ立立たちちち寄寄よりりりつゝつゝつつとととあみだあみだあみだ騷騷さわぐぐぐふるまひふるまひふるまいのののなめうなめうなもう覺覺おぼゆるゆるゆることことこと物物ものににに似似にずずず。。。我我わががが供供ともののの人人ひと僅僅わずかにににあふあふあう「「「立立たちちちのきのきのきててて」」」などなどなどいふいふいうめれめれめればばば「「「例例れいももも行行ゆきききゝゝきののの人人ひとよるよるよる所所ところをををははは知知しりりり給給たまははわぬぬぬかかか。。。咎咎とがめるめるめるははは」」」などなどなどいふいふいうををを見見みるるる心心ここちちちはははいかゞいかゞいかがはははあるあるある。。。やりやりやり過過すごしごしごしててて今今いまははは立立たちちちててて行行ゆけけけばばば、、、關關せきうちうちうち越越こえええてててうちいでうちいでうちいでのののにににしにしにしにかへりかへりかえりててていたりいたりいたりたれたれたればばば、、、先先さきだだだちちちししし人人ひと船船ふねににに菰菰こもやかたやかたやかたひきひきひきててて設設もうけけけたりたりたり。。。物物ものももも覺覺おぼえええずずず這這はひひい乘乘のりりりたれたれたればばば遙遙はる々々ばるとととさしさしさし出出いだしししててて行行ゆくくく。。。いといといと心心ここ地地ちいといといと侘侘わびしくしくしくももも苦苦くるしうしうしゅうもももいみじういみじういみじゅうものものもの悲悲がなしうしうしゅう思思おもふふうことことこと類類たぐひひいなしなしなし。。。さるさるさるのののをはりをはりおわりばかりばかりばかりににに寺寺てらののの中中なかににに着着つきききぬぬぬ。。。ゆやゆやゆやにににものものものなどなどなどしきしきしきたりたりたりけれけれければばばいきいきいきててて臥臥ふししし。。。心心ここちちちせせせむむん方方かた知知しらららずずず苦苦くるしきしきしきまゝまゝままににに臥臥ふしししまろびまろびまろびうるうるうるかなかなかな。。。
現代語訳
七月十日にもなったので、世間の人が(盂蘭盆の準備に)騒ぐにつれて、盆の供養のことは、長年は(あの人が)真心をこめてしてくれていたのも、離れてしまったのだろうかと、悲しく、亡き人(母)もさぞ悲しくお思いだろう。しばらく様子を見て、自分で精進でもしようと思い続けていると、涙に乱れて暮らしているところへ、いつものように(供養の品を)整えて手紙を添えてよこした。「亡き人のことはお忘れにならなかったのだと、惜しまず(悲しまず)にはいられません」と書いて送った。こうしてばかり思っていると、やはりひどく妙だ。(侍女たちが)「目新しい人に心を移したというわけでもありません。急にこんなことになったのを考えると、気心を知っていた人(小野宮実頼)がお亡くなりになったので、小野宮の大臣のお召人(めしうど)たちがいます。その人たちに心をかけているのでしょう。近江という人が、妙なことなどがあって色めいた者のようですから、その人たちに、こちらへ通っていると知らせまいと、前もって(通いを)断っておこうというのでしょう」と言うと、聞いている人は、「いやいや、そうでなくても、あの人たちはたいそう気安いと聞く人たちだから、何もわざわざ手をまわしなさらなくてもよいでしょうに」などと言う。「もしそうでなければ、先帝の皇女たちのどなたかという筋でしょう。それはともかく、ただたいそう妙なことを、沈む日を見るようにして(ぼんやりと)ばかりいらっしゃってよいでしょうか。あちこちに参詣などもなさいませ」などと、ただこの頃は、ほかのことはなく、朝になれば言い、夕方になれば嘆いて、たいそう暑い時期であっても、ほんとうにそう言ってばかりいられようかと思い立って、石山に十日ほどと思い立つ。
こっそりと思うので、妹ほどの人にも知らせず、自分一人で思い立って、夜が明けたかと思うころに家を走り出て、賀茂川のあたりまで来た時に、どうして聞きつけたのだろう、追いかけて来た人もいる。有明の月はたいそう明るいけれど、行き会う人もない。河原には死人も倒れていると見聞きしたけれど、恐ろしくもない。粟田山というあたりまで行って、たいそう苦しいのでひと休みすると、何も考えられず、ただ涙ばかりがこぼれる。人が来るかと、涙はそ知らぬふりをして、ただ走るようにして進んで行く。山科で夜がすっかり明けたので、ひどく人目にさらされた気持ちがして、自分が自分でないように思われる。供の人は皆、後に遅らせたり先に立たせたりして、目立たないように歩いて行くと、行き会う者や見る人が不審そうに思って、ささやき騒ぐのがほんとうにつらい。やっとのことで通り過ぎて、走井で弁当などを食べようと幕を引き回してあれこれしているうちに、ひどく騒々しい者たちが来る。どうしよう、誰だろう、供の者が顔見知りであるかもしれない、ああたいへんだと思っているうちに、馬に乗った者が大勢、車を二、三台引き連ねて騒ぎながら来る。若狭守の車だという。立ち止まりもせずに通り過ぎていくのを見て、何の悩みもなさそうに行くことよ、あの人たちは明け暮れ(上の人に)ひざまずいて歩く者たちの仲間なのに(あんなに得意げに)と思うにつけても、胸が裂ける思いがする。下人たちで、車の口についている者もそうでない者も、この幕の近くに立ち寄っては、水浴びをして騒ぐ振る舞いが、無礼に思われることといったらない。私の供の人が、やっとのことで「立ちのいて」などと言うと、「いつも行き来する人が寄る所だということをご存じないのか。とがめるとは」などと言うのを見る気持ちは、どんなものであろうか。やり過ごして、今度はこちらが出発して行くと、関を越えて打出の浜に、死にそうになって着くと、先に行った人が、船に菰の屋形を引いて用意していた。何もわからず這い乗ると、はるばると漕ぎ出して行く。たいそう気分がひどくつらく、苦しくも、ひどく悲しく思うことはたとえようもない。申の刻の終わりごろに寺に着いた。湯屋に(寝る)ものなどを敷いてあったので、行って横になった。気分はどうしようもなく苦しいので、横になって転げまわっていた。
意訳
〔盂蘭盆〕兼家の訪れが途絶えても、盆には例年どおり作者の母の供養の品が届く。作者は「亡き人を忘れずにいてくださったのですね」と皮肉まじりに書き送る。
〔侍女たちの推量〕兼家の心変わりの理由を、侍女たちはあれこれ推し量る。亡き小野宮実頼のもとにいた女房たちか、あるいは先帝の皇女か。そして「沈む夕日を見るようにぼんやりしていないで、参詣にでもお出かけなさい」と勧める。
〔石山への道〕作者は妹にも知らせず、夜明け前に家を飛び出す。賀茂の河原、粟田山、山科を、人目を避けて徒歩で急ぐ。走井では若狭守の一行に出くわし、下人たちに「とがめるとは何だ」と言い返される屈辱を味わう。打出の浜から舟で湖を渡り、夕方、ようやく石山寺に着いた作者は、苦しさに転げまわる。前の唐崎の旅とは対照的な、悲壮な旅立ちである。
語釈・文法注
- めしうど
- 召人。主人の寵愛を受ける女房。正式な妻ではない。
- 近江
- 小野宮実頼の召人の一人の女房名。のちに兼家との間に子をもうけたとされる。
- 石山
- 石山寺。近江国(今の滋賀県大津市)、瀬田川のほとりにある寺。本尊は如意輪観音。平安時代の女性の参詣でにぎわい、紫式部がここで『源氏物語』を書き始めたという伝説もある。
- うちいでの濱
- 打出の浜。大津の湖岸。ここから舟で石山へ渡った。
文法
- 「年頃はま心にものしつるも」
- 底本の注記に「二字にや」とある。長年は真心をこめてしてくれていたのも、の意に解する。
- 「哀なま人も」
- 底本どおり。注記に「き」の脱字かとあり、「哀れ、なき人も」と解する。
- 「すら齋もせむ」
- 「すら」は底本の注記に「みづから」の誤りかとある。自分で精進もしよう、の意に解する。
- 「淚のみだり暮すに」
- 底本どおり。注記に「に」の脱字かとあり、「涙に乱り暮らすに」と解する。
- 「なき人をこそ思し忘れざりけれと」
- 亡き人(母)のことはお忘れにならなかったのですね。生きている自分のことは忘れたのに、という皮肉をこめる。
- 「光だいのみこたち」
- 底本どおり。注記に「先帝」かとあり、先帝(村上天皇)の皇女たち、と解する。
- 「けんしようなる」
- 「顕証なる」。人目にあらわなさま。
- 「きるは」
- 底本の注記に「さ」の異文があり、「さるは」と解する。
- 「ゆばにこそ」
- 底本どおり。注記に「け」の異文があり、意味がとりにくい。
- 「とあみだ騷ぐ」
- 底本の注記に「三字ゆあみ」などとあり、「水浴み(ゆあみ)騒ぐ」と解する。
- 「しにかへりて」
- 死に返るほど(疲れ果てて)。
- 「臥しまろびうるかな」
- 底本の注記に「四字ぞなく」とある。横になって転げまわった、の意に解する。
解説
天禄元年(970)七月、作者は石山寺に参籠した。石山寺は、京から逢坂の関を越え、打出の浜から舟で琵琶湖を渡って行く。唐崎祓の一か月後のことで、唐崎の旅が気晴らしだったのに対し、石山詣は仏に救いを求める切実な旅であった。
侍女たちが兼家の心変わりの理由を推量する場面には、当時の貴族社会の男女関係がよく表れている。亡くなった実頼の召人だった近江という女房は、のちに兼家との間に子をもうけたとされる。作者の周囲では、夫の新しい女性関係がうわさとして語られていた。
妹にも知らせず、夜明け前に徒歩で出かけるという異例の旅立ちは、作者の追いつめられた心を物語る。走井で若狭守の一行に出くわし、身分の低い者たちに侮られる場面には、夫に見捨てられた妻の屈辱が凝縮されている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(蜻蛉日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、80–82頁(コマ43–44)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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