古典ライブラリー

古事記 上巻

稲羽の素兎と八十神の迫害

大国主神の兄の八十神たちは、稲羽の八上比売に求婚しに行く途中、皮を剝がれた兎にうそを教えて苦しめる。袋を負って後から来た大穴牟遅神は、兎に正しい治療法を教えて救う。八上比売が大穴牟遅神を選ぶと、怒った八十神は焼いた大石で彼を殺すが、母神の願いで蚶貝比売・蛤貝比売が生き返らせる。

  1. 1故かれ故かれかれ、、、此こ此ここののの大國主おほくにぬし大國主おほくにぬしおおくにぬしののの神かみ神かみかみののの御兄弟みはらから御兄弟みはらからみはらから、、、坐ま坐まましきしきしき。。。然しか然しかしかれどもれどもれども、、、皆みな皆みなみな、、、國くに國くにくにははは大國主おほくにぬし大國主おほくにぬしおおくにぬしののの神かみ神かみかみににに避さ避ささりまつりきりまつりきりまつりき。。。避さ避ささりまつりしりまつりしりまつりし所以このゆゑ所以このゆゑこのゆえははは、、、其そ其そそののの八十神やそがみ八十神やそがみやそがみ、、、各おのおの各おのおのおのおの、、、のののををを婚よば婚よばよばはむのはむのわむの心こころ心こころこころありてありてありて、、、共とも共ともともににに稻羽いなば稻羽いなばいなばににに行ゆ行ゆゆきけるきけるきける時とき時ときときににに、、、大穴牟遲おほなむぢ大穴牟遲おほなむぢおおなむじののの神かみ神かみかみにににををを負おほ負おほおおせせせ、、、從者ともびと從者ともびとともびととしてとしてとして率ゐ率ゐいててて往ゆ往ゆゆきききききき。。。こゝにこゝにここに、、、ののの前さき前さきさきににに到いた到いたいたりけるりけるりける時とき時ときときににに、、、なるなるなる菟うさぎ菟うさぎうさぎ伏ふ伏ふふせりせりせり。。。八十神やそがみ八十神やそがみやそがみ其そ其そそののの菟うさぎ菟うさぎうさぎににに言い言いいひけらくひけらくいけらく、、、「「「汝な汝なな、、、爲せ爲せせまくはまくはまくわ、、、此こ此ここののの潮うしほ潮うしほうしおををを浴あ浴ああみみみ、、、風かぜ風かぜかぜののの吹ふ吹ふふくにくにくに當あた當あたあたりてりてりて、、、高山たかやま高山たかやまたかやまののの尾上をのうへ尾上をのうへおのうえににに伏ふ伏ふふしてよしてよしてよ。。。」」」といふといふという。。。故かれ故かれかれ、、、其そ其そそののの菟うさぎ菟うさぎうさぎ、、、八十神やそがみ八十神やそがみやそがみののの敎をし敎をしおしふるふるうる從まにま從まにままにまにしてにしてにして伏ふ伏ふふしきしきしき。。。爾ここ爾ここここににに、、、其そ其そそののの潮うしほ潮うしほうしおののの乾かわ乾かわかわくくくまに〳〵まに〳〵まにまに、、、其そ其そそののの身み身みみののの皮かは皮かはかは、、、悉ことごと悉ことごとことごとににに風かぜ風かぜかぜににに吹ふ吹ふふききき拆さ拆ささえしえしえし故かれ故かれかれににに、、、痛いた痛いたいたみてみてみて泣な泣ななききき伏ふ伏ふふせればせればせれば、、、最後いやはて最後いやはていやはてににに來き來ききませるませるませる大穴牟遲おほなむぢ大穴牟遲おほなむぢおおなむじののの神かみ神かみかみ、、、其そ其そそののの菟うさぎ菟うさぎうさぎををを見み見みみててて、、、「「「何故など何故などなど、、、汝泣いましな汝泣いましないましなききき伏ふ伏ふふせるせるせる。。。」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまふにふにうに、、、菟答言うさぎまを菟答言うさぎまをうさぎもうさくさくさく、、、「「「僕あ僕ああ、、、ののの島しま島しましまににに在あ在あありてりてりて、、、此こ此ここののの地ところ地ところところににに渡わた渡わたわたらまくらまくらまく欲ほ欲ほほりつれどもりつれどもりつれども、、、渡わた渡わたわたらむらむらむ因よし因よしよしなかりしなかりしなかりし故かれ故かれかれににに、、、海うみ海うみうみのののををを欺あざむ欺あざむあざむきてきてきて言い言いいひけらくひけらくいけらく、、、『『『吾あ吾ああととと汝な汝ななととと、、、族ともがら族ともがらともがらののの多おほ多おほおおききき少すく少すくすくなきなきなきををを競くら競くらくらべてむべてむべてむ。。。故かれ故かれかれ、、、汝な汝ななははは、、、其そ其そそののの族ともがら族ともがらともがらのありののありののありの悉ことごと悉ことごとことごと率ゐ率ゐいててて來き來ききててて、、、此こ此ここののの島しま島しましまよりよりより氣多けた氣多けたけたののの前さき前さきさきまでまでまで皆みな皆みなみな列な列ななみみみ伏ふ伏ふふししし渡わた渡わたわたれれれ、、、吾あ吾ああ其そ其そそののの上うへ上うへうえををを蹈ふ蹈ふふみてみてみて走はし走はしはしりつゝりつゝりつつ讀よ讀よよみみみ渡わた渡わたわたらむらむらむ。。。こゝにこゝにここに、、、吾あ吾ああががが族ともがら族ともがらともがらととと何いづ何いづいずれれれ多おほ多おほおおきといふきといふきという事こと事ことことををを知し知ししらむらむらむ。。。』』』かくかくかく言い言いいひしかばひしかばいしかば、、、欺あざむ欺あざむあざむかえてかえてかえて列な列ななみみみ伏ふ伏ふふせりしせりしせりし時とき時ときときににに、、、吾あ吾ああ其そ其そそののの上うへ上うへうえををを蹈ふ蹈ふふみてみてみて讀よ讀よよみみみ渡わた渡わたわたりりり來き來ききててて、、、地ところ地ところところににに下お下おおりむとするりむとするりむとする時とき時ときときににに、、、吾あ吾ああ、、、『『『汝な汝ななははは我あ我ああににに欺あざむ欺あざむあざむかえつかえつかえつ。。。』』』ととと言い言いいひひい竟を竟をおればればれば、、、卽すなは卽すなはすなわちちち最端いやはし最端いやはしいやはしににに伏ふ伏ふふせるせるせる鰐わに鰐わにわに、、、我あ我ああををを捕とら捕とらとらへてへてえて、、、悉ことごと悉ことごとことごとににに我あ我ああががが衣服きもの衣服きものきものををを剝は剝ははぎきぎきぎき。。。これにこれにこれに因よし因よしよしりてりてりて、、、泣な泣ななききき患うれ患うれうれひしかばひしかばいしかば、、、先立さきだ先立さきださきだちてちてちて行い行いいでませるでませるでませる八十神やそがみ八十神やそがみやそがみののの御言みこと御言みことみこと以も以ももちてちてちて、、、『『『潮うしほ潮うしほうしおををを浴あ浴ああみてみてみて風かぜ風かぜかぜににに當あた當あたあたりてりてりて伏ふ伏ふふせれせれせれ。。。』』』ととと、、、誨をし誨をしをしへへへ給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、敎をし敎をしをしへのへのへの如ごと如ごとごとせしかばせしかばせしかば、、、我あ我ああががが身み身みみ悉ことごと悉ことごとことごとににに傷そこな傷そこなそこなはははえつえつえつ。。。」」」ととと告まを告まをもうすすす。。。こゝにこゝにここに大穴牟遲おほなむぢ大穴牟遲おほなむぢおおなむじののの神かみ神かみかみ、、、其そ其そそののの菟うさぎ菟うさぎうさぎににに敎をし敎をしおしへたまはくへたまはくえたまわく、、、「「「今いま今いまいま急いま急いまいまくくく此こ此ここののの水門みなと水門みなとみなとににに往ゆ往ゆゆきてきてきて、、、水以みづも水以みづもみずもててて汝な汝ななががが身み身みみををを洗あら洗あらあらひてひてひて、、、卽すなは卽すなはすなわちそのちそのちその水門みなと水門みなとみなとのののののの黃はな黃はなはなををを取と取ととりてりてりて敷し敷ししききき散ち散ちちらしてらしてらして、、、其そ其そそののの上うへ上うへうえににに輾轉こいまろ輾轉こいまろこいまろびてばびてばびてば、、、汝な汝ななががが身み身みみ本もと本もともとののの膚はだ膚はだはだののの如ごと如ごとごと、、、必かなら必かならかならずずず癒い癒いいえなむものぞえなむものぞえなむものぞ。。。」」」ととと敎をし敎をしをしへへへ給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ、、、敎をし敎をしをしへのへのへの如爲ごとせ如爲ごとせごとせしかばしかばしかば、、、其そ其そそののの身み身みみ本もと本もともとののの如ごと如ごとごとくになりきくになりきくになりき。。。これこれこれ稻羽いなば稻羽いなばいなばのののといふといふという者もの者ものものなりなりなり。。。今いま今いまいまににに菟神うさぎがみ菟神うさぎがみうさぎがみとなもいふとなもいふとなもいう。。。故かれ故かれかれ、、、其そ其そそののの菟うさぎ菟うさぎうさぎ、、、大穴牟遲おほなむぢ大穴牟遲おほなむぢおおなむじののの神かみ神かみかみににに白まを白まをもうさくさくさく、、、「「「此こ此ここののの八十神やそがみ八十神やそがみやそがみははは、、、必かなら必かならかならずずず八上比賣やかみひめ八上比賣やかみひめやかみひめををを得え得ええ給たま給たまたまはじはじわじ、、、袋ふくろ袋ふくろふくろををを負お負おおひひい給たま給たまたまへれどもへれどもえれども、、、汝な汝ななががが命みこと命みことみことぞぞぞ獲え獲ええ給たま給たまたまひなむひなむいなむ。。。」」」ととと白まを白まをもうしきしきしき。。。故此大國主神之兄弟。八十神坐。然皆國者避於大國主神。所以避者。其八十神各。有欲婚稻羽之八上比賣之心。共行稻羽時。於大穴牟遲神負帒。爲從者率往。於是到氣多之前時。裸菟伏也。爾八十神謂其菟云。汝將爲者。浴此海鹽。當風吹而。伏高山尾上。故其菟。從八十神之敎而伏。爾其鹽隨乾。其身皮悉風見吹拆。故。痛苦泣伏者。最後之來大穴牟遲神。見其菟言何由汝泣伏。菟答言。僕在淤岐島。雖欲度此地。無度因。故。欺海和邇〈此二字以音下效此〉言。吾與汝競欲計族之多小。故汝者。隨其族在悉率來。自此島至于氣多前。皆列伏度。爾吾蹈其上走乍讀度。於是知與吾族孰多。如此言者。見欺而列伏之時。吾蹈其上讀度來。今將下地時。吾云汝者我見欺言竟。卽伏最端和邇捕我。悉剝我衣服。因此泣患者。先行八十神之命以。誨告浴海鹽當風伏。故爲如敎者。我身悉傷。於是大穴牟遲神。敎告其菟。今急往此水門。以水洗汝身。卽取其水門之蒲黃。敷散而。輾轉其上者。汝身如本膚必差。故爲如敎。其身如本也。此稻羽之素菟者也。於今者謂菟神也。故其菟白大穴牟遲神。此八十神者。必不得八上比賣。雖負帒。汝命獲之。
  2. 2於是ここに於是ここにここに、、、八上比賣やかみひめ八上比賣やかみひめやかみひめ、、、八十神やそがみ八十神やそがみやそがみににに答こた答こたこたへけらくへけらくえけらく、、、「「「吾あ吾ああははは、、、汝等いましたち汝等いましたちいましたちののの言い言いいははは聞き聞ききかじかじかじ、、、大穴牟遲おほなむぢ大穴牟遲おほなむぢおおなむじののの神かみ神かみかみににに嫁あ嫁ああはなはなわな。。。」」」といふといふという。。。故かれ故かれかれ爾ここ爾ここここににに、、、八十神やそがみ八十神やそがみやそがみ怒いか怒いかいかりてりてりて、、、大穴牟遲おほなむぢ大穴牟遲おほなむぢおおなむじののの神かみ神かみかみををを殺ころ殺ころころさむとあひさむとあひさむとあい議はか議はかはかりてりてりて、、、伯伎ははき伯伎ははきははきののの國くに國くにくにのののののの山本やまもと山本やまもとやまもとににに至いた至いたいたりてりてりて云い云いいひけるひけるいけるははは、、、「「「此こ此ここののの山やま山やまやまににに赤猪あかゐ赤猪あかゐあかいあるなりあるなりあるなり。。。故かれ故かれかれ我共われども我共われどもわれども追お追おおひひい下お下おおりなばりなばりなば、、、汝な汝なな待ま待ままちちち取と取ととれれれ、、、若も若ももししし待ま待ままちちち取と取ととらずばらずばらずば、、、必かなら必かならかならずずず汝な汝ななををを殺ころ殺ころころさむさむさむ。。。」」」といひてといひてといいて、、、猪ゐ猪ゐいににに似に似ににたるたるたる大石おほいし大石おほいしおおいしををを、、、火以ひも火以ひもひもててて燒や燒ややきてきてきて、、、轉まろば轉まろばまろばししし落おと落おとおとしきしきしき。。。爾かれ爾かれかれ、、、追お追おおひひい下お下おおりりり取と取ととるるる時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの石いは石いはいわににに燒や燒ややききき著つ著つつかえてかえてかえて死し死ししせせせ給たま給たまたまひきひきいき。。。爾ここ爾ここここににに、、、其そ其そそののの御祖みおや御祖みおやみおやののの命みこと命みことみこと、、、哭な哭ななききき患うれ患うれうれひてひていて、、、天あめ天あめあめににに參上まゐのぼ參上まゐのぼまいのぼりてりてりて、、、神產巢日かみむすび神產巢日かみむすびかみむすびののの命みこと命みことみことににに請まを請まをもうししし給たま給たまたまふふう時とき時ときときににに、、、乃すなは乃すなはすなわちちちととととととををを遣おこ遣おこおこせてせてせて、、、作つく作つくつくりりり活い活いいかさしめかさしめかさしめ給たま給たまたまふふう。。。爾かれ爾かれかれ、、、𧏛貝比賣きさがひひめ𧏛貝比賣きさがひひめきさがいひめ、、、きさけきさけきさけがしてがしてがして、、、蛤貝比賣うむがひひめ蛤貝比賣うむがひひめうむがいひめ水みづ水みづみずををを持も持ももちてちてちて、、、ののの乳汁ちしる乳汁ちしるちしるととと塗ぬ塗ぬぬりしかばりしかばりしかば、、、麗うるは麗うるはうるわはははしきしきしき壯夫をとこ壯夫をとこおとこになりてになりてになりて出い出いいででで遊行あるき遊行あるきあるききききききき。。。於是八上比賣。答八十神言。吾者不聞汝等之言。將嫁大穴牟遲神。故爾八十神怒。欲殺大穴牟遲神共議而。至伯伎國之手間山本云。赤猪在此山。故和禮〈此二字以音〉共追下者。汝待取。若不待取者。必將殺汝云而。以火燒似猪大石而。轉落。爾追下取時。卽於其石所燒著而死。爾其御祖命哭患而。參上于天。請神產巢日之命時。乃遣𧏛貝比賣與蛤貝比賣。令作活。爾𧏛貝比賣岐佐宜〈此三字以音〉集而。蛤貝比賣持水而。塗母乳汁者。成麗壯夫〈訓壯夫云袁等古〉而。出遊行。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

さて、この大国主神の兄弟には、八十神(大勢の神々)がいらっしゃった。けれども、みな国を大国主神にお譲りした。譲ったわけは、こうである。その八十神はそれぞれ、稲羽の八上比売に求婚しようという心があって、そろって稲羽に出かけたとき、大穴牟遅神に袋を背負わせ、従者として連れていった。そして気多の岬に着いたとき、毛をむしられて赤裸になった兎が伏せていた。八十神はその兎に、「おまえがしなければならないのは、この海の潮を浴び、風の吹くのに当たって、高い山の頂に伏せることだ」と言った。そこでその兎は、八十神の教えたとおりにして伏せていた。すると、その潮が乾くにつれて、その体の皮がすっかり風に吹かれて裂けてしまったので、痛くて泣き伏せていると、最後にやって来た大穴牟遅神がその兎を見て、「どうしておまえは泣き伏せているのか」とお尋ねになった。

兎は答えて言った。「私は淤岐の島にいて、この地に渡りたいと思いましたが、渡る手立てがありませんでした。そこで海の鰐(わに)をだまして、『私とおまえと、どちらの一族が多いか比べてみよう。だから、おまえはその一族をありったけ残らず連れて来て、この島から気多の岬まで、みな並んで伏せて連なれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう。そうすれば、私の一族とどちらが多いかわかるだろう』と言いました。こう言うと、だまされて並んで伏せたので、私はその上を踏んで数えながら渡って来て、今にも地に下りようとするときに、『おまえたちは私にだまされたのだ』と言い終わるやいなや、いちばん端に伏していた鰐が私を捕まえて、すっかり私の毛皮を剝いでしまいました。それで泣き悲しんでいると、先に行かれた八十神がおっしゃるには、『海の潮を浴びて風に当たって伏せていよ』と教えてくださいました。そこで教えのとおりにしたところ、私の体はすっかり傷ついてしまったのです」と申し上げた。そこで大穴牟遅神はその兎に、「今すぐこの河口に行って、真水でおまえの体を洗い、すぐにその河口の蒲の花粉を取って敷き散らし、その上に転がれば、おまえの体はもとの膚のように、きっと治るだろう」とお教えになった。そこで教えのとおりにすると、その体はもとのようになった。これが稲羽の素兎(白兎)というものである。今は兎神という。そしてその兎は大穴牟遅神に、「あの八十神は、きっと八上比売を得られないでしょう。袋を背負っておられても、あなた様こそが妻にされるでしょう」と申し上げた。

そこで八上比売は八十神に、「私はあなたたちの言うことは聞きません。大穴牟遅神に嫁ぎましょう」と答えた。それで八十神は怒って、大穴牟遅神を殺そうと相談し、伯伎(伯耆)の国の手間の山のふもとに来て、「この山に赤い猪がいる。我々が追い下ろしたら、おまえが待ち受けて捕まえろ。もし捕まえなかったら、必ずおまえを殺すぞ」と言って、猪に似た大きな石を火で焼いて、転がし落とした。大穴牟遅神は、追い下ろされたものを捕まえようとして、その石に焼きつかれて亡くなってしまわれた。そこでその母の神は泣き悲しんで、天に昇り、神産巣日命にお願い申し上げると、すぐに蚶貝比売(赤貝の女神)と蛤貝比売(はまぐりの女神)を遣わして、生き返らせなさった。蚶貝比売が貝殻を削って粉を集め、蛤貝比売が水を持ってきて、それを母の乳汁のようにして塗ると、大穴牟遅神はりっぱな若者になって、出歩くようになった。

意訳

「因幡の白兎」として昔話や唱歌でも親しまれてきた話です。兄たちの袋を背負わされた末っ子が、苦しむ者を助け、その報いとして美しい姫を得るという筋は、昔話の「末子成功譚」の典型です。意地悪な兄たちと心やさしい弟という対比が、大国主神の人柄をよく表しています。

兎がワニ(鰐)を並ばせてその背を渡るのは、動物が知恵で相手をだまして川や海を渡る話として、東南アジアのマメジカとワニの話など、似た話が各地にあります。古事記の「和邇」は、日本の海にはワニがいないことから、サメ(フカ)を指すと考えられています。だまして得意になった兎が、最後の一言で失敗するところに、昔話らしい教訓がうかがえます。

大穴牟遅神が教えた、真水で洗って蒲の花粉の上に転がるという治療法は、蒲の花粉(蒲黄)が止血や傷の手当てに使われた古代の医療の知識を反映しています。後半では、嫉妬した八十神に焼け石で殺された大穴牟遅神が、赤貝と蛤の女神によって生き返ります。貝殻の粉と蛤の汁を混ぜた「母乳のような」膏薬で火傷を治す場面で、大国主神が医療やまじないの神として信仰されたことにつながっています。

語釈・文法注

八十神
大勢の神々。「八十」は数の多いことを表す。大国主神の異母兄弟たち。
稻羽
因幡。今の鳥取県東部。
八上比賣
稲羽の八上(鳥取県八頭郡のあたり)の女神。大国主神の最初の妻となる。
袋を負せ
大国主神が兄たちの荷物持ちをさせられたことを表す。後世、大黒天と大国主神が結びつき、袋を背負った大黒様の姿の由来ともされた。
氣多の前
気多の岬。鳥取市白兎海岸の西の岬に当てる説がある。近くに白兎神社がある。
赤裸なる菟
毛をむしられて赤肌になった兎。
淤岐の島
隠岐の島とする説と、白兎海岸の沖の小島(淤岐ノ島)とする説がある。
鰐
原文は「和邇」。日本近海にはワニはいないので、サメ(フカ)のこととされる。山陰地方では今もサメを「わに」と呼ぶ。
蒲の黃
蒲の花粉。漢方で「蒲黄(ほおう)」といい、止血や傷の治療に用いる。原文は「蒲黄」。
素菟
「しろうさぎ」。白い兎の意とも、毛のない裸の兎(素=しろ)の意ともいう。
手間の山本
伯耆国の手間山のふもと。鳥取県西伯郡南部町に赤猪岩神社があり、焼け石の伝承が残る。
𧏛貝比賣
赤貝(きさがい)の女神。底本の字は虫偏に「宀」と「八」と「虫」を重ねた「𧏛」で、通行本文の「𧏛貝」と同じ。貝殻を削った粉(きさげ)を集めた。
蛤貝比賣
蛤(うむぎ)の女神。蛤の汁を母乳のようにして、火傷に塗った。
きさけ焦がして
原文は「岐佐宜集而」。赤貝の殻を削って(こそげて)粉を集めること。底本の訓み下しは「きさけ焦がして」とする。
母の乳汁
母乳。貝殻の粉と蛤の汁を混ぜた白い薬を母乳にたとえた。

文法

爲まくは
「す」の未然形+推量の助動詞「む」のク語法「まく」+係助詞「は」。「(おまえが)すべきことは」。
欺かえて
「欺く」の未然形+受身の上代の助動詞「ゆ」の連用形「え」。「だまされて」。「傷はえつ」「燒き著かえて」も同じ「ゆ」。
癒えなむものぞ
「癒ゆ」の連用形+強意の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」。「きっと治るだろう」。
嫁はな
「嫁(あ)ふ」の未然形+意志の終助詞「な」。「嫁ぎましょう」。
素菟
原文「稻羽之素菟」。「素」を「しろ」と訓むのは宣長の説による。

解説

稲羽の素兎の話は、大国主神(大穴牟遅神)の物語の始まりです。古事記の上巻では、高天の原の天照大御神の物語と並んで、出雲の大国主神の物語が大きな比重を占めており、この話から国作り・国譲りまで、大国主神を主人公とする話が続きます。

兄たちの荷物持ちだった弟が、困っている者を助け、最後には兄たちを差し置いて姫を得るという筋は、世界中の昔話に見られる型です。一方、八十神によって二度も殺され、そのたびに生き返るという試練は、次の根の堅州国での試練とともに、大国主神が大いなる神へと成長するための「死と再生」の儀礼を思わせます。

この話は、明治以降、唱歌「大黒様」(「大きな袋を肩にかけ…」)や国語の教科書を通じて広く知られるようになりました。鳥取市の白兎海岸には白兎神社があり、皮膚病や傷を治す神、また縁結びの神として信仰されています。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。62〜66頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日