更級日記 第4章
富士の山から都へ
雪をいただき煙を上げる富士の山、清見が関、富士川の不思議な国司の名簿の話。遠江で病にかかりながらも浜名の橋、三河、尾張、美濃、近江と進み、十二月二日、約三か月の旅を終えて京の三条の宮の西に着く。
- 1富士富士ふじののの山山やまはははこのこのこの國國くになりなりなり。。。わがわがわが生生おひひい出出いでででししし國國くににににてててははは西面西面にしおもてににに見見みえええししし山山やまなりなりなり。。。そのそのその山山やまのののさまさまさまいといといと世世よににに見見みえええぬぬぬさまさまさまなりなりなり。。。
- 2さまさまさまことことことなるなるなる山山やまのののすがたすがたすがたのののこんじやうこんじやうこんじょうををを塗塗ぬりりりたるたるたるやうやうようなるなるなるににに、、、雪雪ゆきののの消消きゆるゆるゆる世世よもももなくなくなく積積つもりりりたれたれたればばば、、、色色いろ濃濃こききききぬきぬきぬににに白白しろききき袙袙あこめきたらきたらきたらむむんやうやうようににに見見みえええててて、、、山山やまののの巓巓いただきのののすこしすこしすこし平平たいらぎぎぎたるたるたるよりよりより烟烟けぶりははは立立たちちちのぼるのぼるのぼる。。。夕暮夕暮ゆうぐれははは火火ひののの燃燃もえええ立立たつつつももも見見みゆゆゆ。。。
- 3淸見淸見きよみががが關關せきははは片片かたつつつ方方かたははは海海うみなるなるなるににに關屋關屋せきやどもどもども數多數多あまたありありありててて海海うみまでまでまでくきぬきくきぬきくきぬきしししたりたりたり。。。烟烟けぶりりりあふあふあうにににやややあらあらあらむむん淸見淸見きよみががが關關せきののの浪浪なみももも高高たかくくくなりなりなりぬぬぬべしべしべし。。。おもしろきおもしろきおもしろき事事ことかぎりなしかぎりなしかぎりなし。。。
- 4田子田子たごののの浦浦うらははは浪浪なみ高高たかくくくててて舟舟ふねにににててて漕漕こぎぎぎめぐるめぐるめぐる。。。大井川大井川おおいがわととといふいふいうわたりわたりわたりありありあり。。。みづみづみずののの世世よののの常常つねならならならずずずすりこすりこすりこなどなどなどをををこくこくこくててて流流ながしししたらたらたらむむんやうやうようににに白白しろききき水水みず早早はやくくく流流ながれれれたりたりたり。。。
- 5富士川富士川ふじがわととといふいふいうははは富士富士ふじののの山山やまよりよりより落落おちちちくるくるくる水水みずなりなりなり。。。そのそのその國國くにののの人人ひとののの出出いでゝでゝでて語語かたるるるやうやうよう「「「一歳一歳ひととせごろごろごろ物物ものにににまかりまかりまかりたりたりたりしししにににいといといとあつかりあつかりあつかりしかしかしかばばば、、、このこのこの水水みずのののつらつらつらににに休休やすみみみつゝつゝつつ見見みれれればばば、、、川上川上かわかみののの方方かたよりよりより黄黄きなるなるなるものものもの流流ながれれれきききててて物物ものにににつきつきつきてててとゞまりとゞまりとどまりたるたるたるををを見見みれれればばばほぐほぐほぐなりなりなり。。。
- 6取取とりりりあげあげあげててて見見みれれればばば黄黄きなるなるなる紙紙かみににににににしししてててこくこくこく麗麗うるわしくしくしくかゝれかゝれかかれたりたりたり。。。怪怪あやしくしくしくててて見見みれれればばば、、、來年來年らいねんあくあくあくべきべきべきにににもももかみかみかみなくなくなくててて、、、またまたまたそへそへそえててて二人二人ふたりをををなしなしなしたりたりたり。。。あやしあやしあやしあさましあさましあさましととと思思おもひひいてててとりとりとり上上あげげげてててほしほしほしてててをさめをさめおさめたりたりたりしししををを、、、
- 7かへるかへるかえる年年としのののににに、、、このこのこの文文ふみにににかゝれかゝれかかれたりたりたりししし一一ひとつつつたがはたがはたがわずずず、、、このこのこの國國くにののの守守かみとととありありありしししまゝまゝままなるなるなるををを、、、三月三月みつきのののうちうちうちににになくなくなくなりなりなりててて、、、又又またなりなりなりかはりかはりかわりたるたるたるもももこのこのこの傍傍かたわらににに書書かきききつけつけつけられられられししし人人ひとなりなりなり。。。
- 8かゝるかゝるかかることことことなむなむなんありありありししし。。。來年來年らいねんののの司召司召つかさめしなどなどなどははは、、、今年今年ことしこのこのこの山山やまにににそこばくそこばくそこばくののの神々神々かみがみ集集あつまりりりてててないないない給給たまふふうなりなりなりけりけりけりととと見見み給給たまへへえししし。。。めづらかめづらかめずらかなるなるなることことことにににさふらふさふらふそうろう」」」とととかたるかたるかたる。。。
- 9沼尻沼尻ぬまじりととといふいふいうところところところもももすがすがすがすがすがすがととと過過すぎぎぎててていみじくいみじくいみじくわづらひわづらひわずらい出出いでゝでゝでて遠江遠江とおとうみにににかゝるかゝるかかる。。。小夜小夜さやののの中山中山なかやまなどなどなど越越こえええけむけむけん程程ほどももも覺覺おぼえええずずず。。。
- 10いみじくいみじくいみじく苦苦くるしけれしけれしければばば天龍天龍てんりゅうととといふいふいう川川かはのののつらつらつらににに假屋假屋かりや造造つくりりり設設もうけけけたりたりたりけれけれければばば、、、そこそこそこにににててて日日ひごろごろごろ過過すぐるぐるぐる程程ほどにににぞぞぞやうやうやうやうようようをこたるをこたるおこたる。。。
- 11冬冬ふゆ深深ふかくくくなりなりなりたれたれたればばば河風河風かわかぜ烈烈はげしくしくしく吹吹ふききき上上あげげげててて堪堪たへへえがたくがたくがたく覺覺おぼえええけりけりけり。。。そのそのそのわたりわたりわたりしししつゝつゝつつ濱名濱名はまなののの橋橋はしににについついついたりたりたり。。。濱名濱名はまなののの橋橋はし下下くだりりりししし時時ときははは黑木黑木くろきををを渡渡わたしししたりたりたりししし。。。このこのこの度度たびははは跡跡あとだにだにだに見見みえええねねねばばば舟舟ふねにににててて渡渡わたるるる。。。入江入江いりえににに渡渡わたせせせししし橋橋はしなりなりなり。。。
- 12とととののの海海うみはははいといといといみじくいみじくいみじく荒荒あくくく浪浪なみ高高たかくくくててて、、、入江入江いりえのののいたづらいたづらいたずらなるなるなる洲洲すどもどもどもににに異異ことものものものもももなくなくなく松原松原まつばらののの茂茂しげれれれるるる中中なかよりよりより浪浪なみのののよせよせよせかへるかへるかえるもももいろいろいろいろいろいろののの玉玉たまのののやうやうようににに見見みえええ、、、誠誠まことににに松松まつののの末末すえよりよりより浪浪なみははは越越こゆるゆるゆるやうやうようににに見見みえええててていみじくいみじくいみじくおもしろしおもしろしおもしろし。。。
- 13それそれそれよりよりよりかみかみかみはははゐゐいののの鼻鼻はなととといふいふいう坂坂さかのののえええもももいはいはいわずずずわびしきわびしきわびしきをををのぼりのぼりのぼりぬれぬれぬればばば、、、三河三河みかわののの國國くにののの高師高師たかしののの濱濱はまととといふいふいう。。。ははは名名なのみのみのみしししててて橋橋はしのののかたかたかたもももなくなくなく何何なにののの見見み所所どころもももなしなしなし。。。
- 14二村二村ふたむらののの山山やまののの中中なかにににとまりとまりとまりたるたるたる夜夜よ、、、大大おおきなるきなるきなる柿柿かきののの木木きのののもともともとにににいほりいほりいおりをををつくりつくりつくりたれたれたればばば、、、夜一夜夜一夜よひとよ庵庵いおののの上上うえににに柿柿かきののの落落おちちちかゝりかゝりかかりたるたるたるををを人々人々ひとびと拾拾ひろひひいなどなどなどすすす。。。
- 15宮路宮路みやじののの山山やまととといふいふいう所所ところ越越こゆるゆるゆる程程ほど十月十月かんなづき晦日晦日つごもりなるなるなるににに紅葉紅葉もみじばばばちらちらちらでででさかりさかりさかりなりなりなり。。。「「「嵐嵐あらしこそこそこそ吹吹ふきききこここざりざりざりけれけれけれみやぢみやぢみやじ山山やままだまだまだもみぢもみぢもみじ葉葉ばののの散散ちらららでででのこれのこれのこれるるる」」」。。。
- 16三河三河みかわととと尾張尾張おわりとととなるなるなるしかすがしかすがしかすがののの渡渡わたりりり、、、げにげにげに思思おもひひい煩煩わずらひひいぬぬぬべくべくべくをかしをかしおかし。。。尾張尾張おわりののの國國くに鳴海鳴海なるみののの浦浦うらををを過過すぐるぐるぐるににに、、、夕汐夕汐ゆうしおたゞたゞただみちみちみちにににみちみちみちててて今宵今宵こよい宿宿やどからからからむむんもももちうげんちうげんちゅうげんににに潮潮しおみちみちみちきききなななばばばこゝこゝここをををももも過過すぎぎぎじじじととと、、、あるあるある限限かぎり走走はしりりり惑惑まどひひいすぎすぎすぎぬぬぬ。。。
- 17美濃美濃みのののの國國くになるなるなる境境さかいにににすのまたすのまたすのまたととといふいふいうわたりわたりわたりしししててて野上野上のがみととといふいふいう所所ところにににつきつきつきぬぬぬ。。。そこそこそこにににあそびあそびあそびどもどもども出出いででで來來きててて夜一夜夜一夜よひとよ歌歌うたうたふうたふうたうににに、、、足柄足柄あしがらなりなりなりししし思思おもひひい出出いでででられられられててて、、、哀哀あわれににに戀戀こいしきしきしきことことことかぎりなしかぎりなしかぎりなし。。。
- 18雪雪ゆきふりふりふり荒荒あれれれ惑惑まどふふうににに物物ものののの興興きょうもももなくなくなくててて、、、不破不破ふわののの關關せきあつみあつみあつみののの山山やまなどなどなど越越こえええててて近江近江おうみののの國國くにおきなかおきなかおきなかととといふいふいう人人ひとののの家家いえにににやどりやどりやどりててて四五日四五日しごにちありありあり。。。みつさかみつさかみつさか山山やまののの麓麓ふもとににに夜晝夜晝よるひる、、、時雨時雨しぐれ、、、霰霰あられふりふりふり亂亂みだれれれててて日日ひののの光光ひかりもももさやかさやかさやかならならならずずず。。。いみじういみじういみじゅうものものものむづかしむづかしむずかし。。。
- 19そこそこそこををを立立たちちちててて犬上犬上いぬかみ、、、神崎神崎かんざき、、、やすやすやす、、、くるもとくるもとくるもとなどなどなどいふいふいう所々所々ところどころ何何なにとととなくなくなく過過すぎぎぎぬぬぬ。。。湖湖みずうみのののおもておもておもてはるばるはるばるはるばるとととしししてててなでしまなでしまなでしま、、、竹生島竹生島ちくぶしまなどなどなどいふいふいう所々所々ところどころ見見みえええたるたるたるいといといとおもしろしおもしろしおもしろし。。。勢多勢多せたののの橋橋はし皆皆みなくづれくづれくずれててて渡渡わたりりりわづらふわづらふわずらう。。。粟津粟津あわづにににとゞまりとゞまりとどまりてててしはすしはすしわすののの二日二日ふつか京京きょうににに入入いるるる。。。
- 20くらくくらくくらくいきいきいき着着つくくくべしべしべし。。。申申さるののの時時ときばかりばかりばかりににに立立たちちちててて行行ゆけけけばばば、、、關關せき近近ちかくくくなりなりなりててて山山やまづらづらづらにににかりそめかりそめかりそめなるなるなるきりかけきりかけきりかけととといふいふいう物物ものしししたるたるたるかみかみかみよりよりより、、、ののの佛佛ほとけのののいまだいまだいまだ荒荒あら作作づくりりりにににおはするおはするおわするががが、、、顏顏かおばかりばかりばかり見見みやらやらやられれれたりたりたり。。。
- 21哀哀あわれににに人人ひとばなればなればなれててていづこいづこいずこととともももなくなくなくおはするおはするおわする佛佛ほとけかなかなかなとととうちうちうち見見みやりやりやりててて過過すぎぎぎぬぬぬ。。。こゝらこゝらここらののの國々國々くにぐにををを過過すぎぎぎぬるぬるぬるににに、、、駿河駿河するがののの淸見淸見きよみががが關關せきととと逢坂逢坂おうさかののの關關せきとととばかりばかりばかりはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。いといといと暗暗くらくくくなりなりなりててて三條三條さんじょうののの宮宮みやののの西西にしなるなるなる所所ところにににつきつきつきぬぬぬ。。。
現代語訳
富士の山はこの国(駿河)にある。わたしが育った国(上総)では、西の方に見えた山である。その山のようすは、まったくこの世のものとは思えないようすである。
格別なようすの山の姿が、紺青を塗ったようであるところに、雪が消えるときもなく積もっているので、濃い色の衣の上に白い袙を着たように見えて、山の頂の少し平らになった所から、煙が立ちのぼっている。夕暮れには火が燃え立つのも見える。
清見が関は、片側は海で、関所の建物がたくさんあって、海まで柵を作ってある。(富士の)煙と(波のしぶきが)溶けあうのだろうか、清見が関の波も高くなるにちがいない。趣深いことこの上ない。
田子の浦は波が高くて、舟で漕いでまわって行く。大井川という渡し場がある。水がふつうとは違って、すり粉などを濃く溶いて流したように、白い水が速く流れている。
富士川というのは、富士の山から流れ落ちてくる川である。その国の人が出てきて語るには、「先年、用事で出かけたとき、たいそう暑かったので、この川のほとりで休みながら見ていると、川上の方から黄色いものが流れて来て、物にひっかかって止まったのを見ると、反故紙(書き損じの紙)でした。
拾い上げて見ると、黄色い紙に、丹(朱)で濃く、きちんと書いてありました。不思議に思って見ると、来年欠員になるはずの国々の守の名が書いてあって、またそれに添えて二人の名が書いてありました。不思議だ、驚いたことだと思って、取り上げて干してしまっておいたところ、
翌年の司召(国司の任命)で、この紙に書かれていたことと一つも違わず、この国(駿河)の守と書いてあったとおりの人がなったのですが、(その人は)三か月のうちに亡くなって、また代わりになった人も、その横に書きつけてあった人でした。
こういうことがあったのです。来年の司召などは、今年この山にたくさんの神々が集まって、お決めになるのだったのだと拝見しました。めずらしいことでございます」と語る。
沼尻という所もすらすらと過ぎて、(わたしは)ひどく病気になって、遠江にさしかかる。小夜の中山などを越えたときのことも覚えていない。
たいそう苦しいので、天竜という川のほとりに仮屋を造って用意してあったので、そこで何日か過ごすうちに、だんだんと病気がよくなる。
冬も深くなったので、川風が激しく吹き上げて、たえがたく思われた。そのあたりを渡りながら、浜名の橋に着いた。浜名の橋は、(父の任国へ)下ったときには、皮のついたままの丸木を渡してあった。このたびは、橋の跡さえ見えないので、舟で渡る。入江に渡した橋である。
外海はたいそうひどく荒れて波が高くて、入江の何もない洲にはほかのものもなく、松原の茂る中から波が寄せては返すのも、色とりどりの玉のように見え、本当に松の梢の上から波が越えてくるように見えて、たいそう趣がある。
そこから先は、いのはなという坂の、言いようもなくつらいのを登ってしまうと、三河の国の高師の浜という所である。八橋は名ばかりで、橋のあともなく、何の見どころもない。
二村の山の中に泊まった夜、大きな柿の木の下に仮小屋を造ったので、一晩じゅう、小屋の上に柿の実が落ちかかってくるのを、人々は拾ったりする。
宮路の山という所を越えるころは、十月の末だというのに、紅葉は散らないで盛りである。「嵐はここまでは吹いて来なかったのだなあ。宮路山では、まだ紅葉の葉が散らないで残っている」。
三河と尾張との境にある「しかすが」の渡しは、本当に(その名のとおり、渡ろうかどうしようかと)思い悩みそうで、おもしろい。尾張の国の鳴海の浦を通るとき、夕潮がどんどん満ちてきて、今夜宿をとるにも中途半端で、潮が満ちてきたらここも通れないだろうと、一行は皆走りまどうように通り過ぎた。
美濃の国の境にある墨俣という渡しを渡って、野上という所に着いた。そこに遊女たちが出て来て、一晩じゅう歌をうたうにつけても、足柄山でのことが思い出されて、しみじみと恋しいことこの上ない。
雪が降り荒れて道に迷うので、何の興もなくて、不破の関、あつみの山などを越えて、近江の国のおきなかという人の家に泊まって四、五日過ごした。みつさか山の麓で、夜も昼も時雨や霰が降り乱れて、日の光もはっきりしない。たいそううっとうしい。
そこを出発して、犬上、神崎、野洲、くるもとなどという所々を、何ということもなく過ぎた。琵琶湖の湖面がはるばると広がって、なでしま、竹生島などという所々が見えているのは、たいそう趣がある。勢多の橋はすっかり崩れていて、渡るのに苦労する。粟津に泊まって、十二月二日に京に入る。
暗くなってから着くようにしよう(ということで)、申の時(午後四時ごろ)ごろに出発して行くと、逢坂の関の近くになって、山のそばに、仮ごしらえの切懸という板塀を作ってある上から、丈六の仏がまだ荒彫りのままでいらっしゃるのが、顔だけ見えた。
しみじみと、人里離れて、どこということもなくいらっしゃる仏だなあと見やって通り過ぎた。これほど多くの国々を過ぎてきたが、駿河の清見が関と逢坂の関ほどの所はなかった。たいそう暗くなってから、三条の宮の西にある家に着いた。
意訳
富士の山は、上総では西の空に見えていた山である。近くで見る富士は、紺青の山肌に雪をまとい、頂から煙を上げている。当時の富士山は活動期で、夕暮れには火も見えた。作者は衣の重ねの色にたとえて、その姿を描く。
富士川の話は、旅の途中で聞いた不思議な話である。川に流れてきた紙に、翌年の国司の名が書かれていて、そのとおりになったという。富士の山に神々が集まって人事を決めるという言い伝えで、受領の娘である作者にとって、司召は家の浮沈にかかわる切実なものだった。
遠江で作者は病にかかり、小夜の中山を越えたことも覚えていない。天竜川のほとりで養生してようやく回復する。浜名の橋は、下ったときにはあったのに、今は跡もない。四年の歳月を感じさせる。
八橋は『伊勢物語』の業平がかきつばたの歌を詠んだ名所だが、名ばかりで見どころもない。物語の名所への期待と現実の落差が、ここでも書かれる。一方、宮路山の紅葉は盛りで、少女は散らずに残る紅葉を歌に詠む。
美濃の野上で遊女の歌を聞くと、足柄の夜が思い出される。旅のあいだに出会ったものが、少女の中に積み重なってゆく。
近江では雪や時雨に降りこめられ、琵琶湖の眺めを楽しみながら、ついに京に入る。逢坂の関の近くで見た荒彫りの丈六の仏は、のちに第16章で、完成した関寺の仏として再び見ることになる。三か月の旅の果て、少女は物語の都にたどり着いた。
語釈・文法注
- 司召
- 国司などの地方官を任命する儀式(県召の除目)。毎年春に行われた。受領(国司)の家にとっては、任官できるかどうかが暮らしを左右した。
- 八橋
- 三河の国の地名(今の愛知県知立市)。『伊勢物語』第九段で、業平が「から衣きつつなれにし」の歌を詠んだ所として名高い。
- 丈六
- 一丈六尺(約4.8メートル)の仏像。ここで見た仏は、のちに完成した関寺の弥勒仏とされる。
文法
- 「わが生ひ出でし國にては西面に見えし山なり」
- 「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、自分が直接体験した過去を表す。上総から西の方に見えていた山。
- 「くきぬきしたり」
- 「くきぬき」は釘貫で、柱を並べて横木を通した柵。
- 「ににして」
- 底本は「黄なる紙ににして」と書く。通行本文は「丹にて」で、丹(朱の顔料)で書いたの意。底本のまま翻刻した。
- 「あくべきにもかみなくて」
- 底本のまま。通行本文はここに「来年なるべき国どもを、除目のごとみな書きて、この国来年あくべきにも、守なして」などとあり、底本は脱文があるとみられる。訳は通行本文によって補った。
- 「ない給ふ」
- 「なし給ふ」のイ音便。任命なさる。
- 「さふらふ」
- 会話の中の丁寧語「候ふ」。ございます。
- 「しかすがの渡り」
- 三河の国の渡し場の名。「しかすがに(そうはいうものの)」という語に掛けて、渡ろうか渡るまいかと思い悩みそうだと興じている。
- 「ちうげんに」
- 中間に。中途半端なさまで。
和歌
嵐こそ吹きこざりけれみやぢ山まだもみぢ葉の散らでのこれる
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 十月の末、宮路山を越えるとき、紅葉がまだ散らずに盛りであるのを見て詠んだ歌。
修辞
- 係り結び
- 「こそ……けれ」で、嵐だけはここまで吹いて来なかったのだと強調する。
- 倒置
- 理由を上の句で述べ、目の前の景色を下の句で示す。
解説
駿河から近江までの旅は、東海道の名所を次々に過ぎてゆく。富士の山、清見が関、田子の浦、浜名の橋、八橋、宮路山、鳴海の浦、不破の関、琵琶湖と、歌枕が多く、作者の筆も名所への関心にあふれている。
富士の山の噴煙の描写は、平安時代の富士山の活動を伝える記録としても知られる。富士川の話は、司召(地方官の人事)を神々が決めるという不思議な話で、受領の家の娘らしい関心が表れている。
国文大観の本文は、富士川の話の途中に脱文があるとみられ、通行本文と字句の違う所もある。底本どおりに翻刻し、文法注に断った。
一行は寛仁四年(1020)十二月二日に京に入り、三条の宮(後一条天皇の姉の脩子内親王の邸)の西にある家に落ち着いた。「いと暗くなりて」とあるように、到着は夜であった。国文大観の本文では、この後に宮仕えのころの記事が続く(第5章)。これは古写本の頁の綴じ違い(錯簡)によるもので、通行本文では、ここに荒れた家のようすと物語を求める記事(第10章)が続く。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(更級日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、462–464頁(コマ243–244)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日