和泉式部日記 第5章
七夕と石山詣で
七月七日、宮から織女に身をなした七夕の歌が届き、月末には荻風の歌を交わす。宮はある夕暮れ、思いがけず車で訪れる。八月、女は所在なさを慰めようと石山寺にこもるが、宮は童をわざわざ石山まで遣わし、逢坂の関を越えて歌が行き交う。女は宮の歌に誘われるように京へ戻る。
- 1さささいふいふいう程程ほどににに七七しち月月がつにににもももなりなりなりぬぬぬ。。。七日七日なのかにににすきごとすきごとすきごとどもどもどもするするする人人ひと々々びとのののもともともとよりよりより、、、七七たな夕夕ばた彥彥ひこ星星ぼしなどなどなどいふいふいう事事ことどもどもども數多數多あまた見見みゆれゆれゆれどどど目目めもももたゞたゞただすすす。。。
- 2かゝるかゝるかかる折折おりなどなどなど宮宮みやのののすぐさすぐさすぐさずずずのたまはのたまはのたまわせせせしししものものものををを、、、むげむげむげににに忘忘わすれれれさせさせさせ給給たまひひいにににけるけるけるかなかなかなととと思思おもふふうほどほどほどにににぞぞぞ御御おおん文文ふみあるあるある、、、見見みれれればばばたゞたゞただ、、、「「「おもひおもひおもいきききややや七七たな夕夕ばたつめつめつめににに身身みをををなしなしなしててて天天あまののの河河かわ原原らをををながむながむながむべしべしべしとととははは」」」
- 3とととあれあれあればばば、、、さささはははいへいへいえどどど猶猶なおえええすぐしすぐしすぐし給給たまははわざざざめりめりめりととと思思おもふふうもももをかしうをかしうおかしゅうててて、、、「「「ながむながむながむらむらむらん空空そらをををだにだにだに見見みずずず七七たな夕夕ばたにににあまるあまるあまるばかりばかりばかりののの我我わががが身身みととと思思おもへへえばばば」」」
- 4とととあるあるあるををを御御ご覽覽らんじじじてててももも猶猶なおえええおぼしおぼしおぼし捨捨すつつつまじまじまじとととおぼすおぼすおぼすべしべしべし。。。つごもりつごもりつごもりがたがたがたににになりなりなりててていといといとおぼつかなくおぼつかなくおぼつかなくなりなりなりにににけるけるけるををを、、、「「「などなどなどかかか、、、時時とき々々どきははは人人ひと數數かずにににおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれぬぬぬなめりなめりなめりかしかしかし」」」とととのたまはのたまはのたまわせせせたれたれたればばば、、、女女おんな、、、
- 5「「「ねざめねざめねざめねねねばばばきかきかきかぬぬぬなるなるなるらむらむらん荻荻おぎ風風かぜははは吹吹ふかかかざらざらざらめめめやややははは秋秋あきのののよなよなよなよなよなよな」」」ととと聞聞きこえええたれたれたればばば立立たちちちかへりかへりかえり、、、「「「あああががが君君きみやややねざめねざめねざめねねねばばばななな物物もの思思おもふふう時時ときはははこそこそこそおろかおろかおろかにににももも」」」とてとてとて、、、
- 6「「「荻荻おぎ風風かぜはははふかふかふかばばばいいいももも寢寢ねででで今今いまよりよりよりぞぞぞおどろかすおどろかすおどろかすかかかととと聞聞きくくくべかりべかりべかりけるけるける」」」。。。
- 7かくかくかくててて二三日二三日ふつかみかありありありててて夕夕ゆうまぐれまぐれまぐれににに思思おもひひいもももかけかけかけぬぬぬににに、、、俄俄にわかににに御御み車車くるまををを引引ひききき入入いれれれててておりおりおりさせさせさせ給給たまふふう。。。晝晝ひるはははまだまだまだ見見みえええまゐらせまゐらせまいらせねねねばばばいといといと耻耻はずかしうかしうかしゅう思思おもへへえどどど、、、せむせむせむかたかたかたなうなうのうなるなるなる事事ことなどなどなどののの給給たまははわせせせててて歸歸かえらららせせせ給給たまひひいぬぬぬ。。。
- 8そのそのその後後のち日日ひごろごろごろににになりなりなりぬるぬるぬるににに、、、いといといとおぼつかなきおぼつかなきおぼつかなきまでまでまで音音おともももししし給給たまははわねねねばばば、、、女女おんな、、、「「「つれづれつれづれつれづれととと秋秋あきののの日日ひごろごろごろのののふるふるふるまゝまゝままににに思思おもひひい知知しらせらせらせぬぬぬ怪怪あやしかりしかりしかりしししもももうべうべうべ人人ひとははは」」」ととと聞聞きこえええたりたりたりけれけれければばば、、、
- 9このこのこの程程ほどにににおぼつかなくおぼつかなくおぼつかなくなりなりなりにににけれけれけれどどど、、、されされされどどど、、、「「「人人ひとはははいさいさいさ我我われははは忘忘わすれれれずずず日日ひをををふれふれふれどどど秋秋あきのののゆふゆふゆうぐれぐれぐれありありありしししあふあふあうことことこと」」」とととののの給給たまははわせせせたりたりたり。。。
- 10哀哀あわれにににはかなくはかなくはかなく賴賴たのむむむ人人ひともももあらあらあらずずず。。。かやうかやうかようのののはかなしはかなしはかなしごとごとごとにににててて世世よののの中中なかををを慰慰なぐさめめめてててあるあるあるもももうちうちうち思思おもへへえばばばあさましうあさましうあさましゅう。。。
- 11かゝるかゝるかかるほどほどほどににに八八はち月月がつにににもももなりなりなりぬれぬれぬればばば、、、つれづれつれづれつれづれ慰慰なぐさめめめむむんとてとてとて石石いしににに詣詣もうでででゝゝて、、、七日七日なのかばかりばかりばかりあらあらあらむむんととと思思おもひひいてててまうでまうでもうでぬぬぬ。。。
- 12宮宮みや久久ひさしうしうしゅうもももなりなりなりぬるぬるぬるかなかなかなととと思思おぼしししててて御御おおん文文ふみつかはすつかはすつかわすににに、、、わらはわらはわらわ「「「一一ひと日日ひまかりまかりまかりてててさふらひさふらひさうらいしかしかしかどどど、、、石石いし山山やまににになむなむなんこのこのこのごろごろごろはははおはしますおはしますおわしますなるなるなる」」」ととと申申もうさささすれすれすればばば、、、「「「さささばばば今日今日きょうははは暮暮くれれれぬぬぬ。。。つとめてつとめてつとめてまかれまかれまかれ」」」とてとてとて御御おおんふみふみふみ書書かかかかせせせ、、、賜賜たまはりはりわりててて、、、石石いしやまやまやまにににきたりきたりきたり。。。
- 13佛佛ほとけののの御御お前前まえにににはははあらあらあらででで故故ふる里里さとのみのみのみ戀戀こいしくしくしくててて、、、かゝるかゝるかかるありきありきありきもももひきひきひきかへかへかえたるたるたる身身みののの有有あり樣樣さまととと思思おもふふうにににいといといと物物もの悲悲がなしうしうしゅうててて、、、まめやかまめやかまめやかににに佛佛ほとけををを念念ねんじじじ奉奉たてまつりりりてててあるあるある程程ほどににに、、、
- 14のののしもしもしもののの方方かたににに人人ひとのののけはひけはひけわいのののすれすれすればばば怪怪あやしうしうしゅうててて見見みおろしおろしおろしたれたれたればばばこのこのこの童童わらわなりなりなりけりけりけり。。。あはれあはれあわれににに思思おもひひいかけかけかけぬぬぬ所所ところににに來來きたれたれたればばば「「「なぞなぞなぞ」」」ととと問問とはははすれすれすればばば、、、御御おおん文文ふみをををさしさしさし出出いでででたるたるたるももも例例れいよりよりよりもももふとふとふと引引ひきききあけあけあけられられられててて見見みれれればばば
- 15「「「いといといと心心こころ深深ふかくくく入入いりりり給給たもうううにににけるけるけるをををなむなむなん。。。などなどなどかかかかくかくかくととともももののの給給たまははわざらざらざらむむん。。。ほだしほだしほだしまでまでまでこそこそこそおぼさおぼさおぼされれれざらざらざらめめめ。。。おくらしおくらしおくらし給給たまふふうににに心心こころうきうきうき」」」とてとてとて、、、「「「關關せき越越こえええててて今日今日きょうぞぞぞとふとふとうとととややや人人ひとはははしるしるしる思思おもひひい絕絕たえええせせせぬぬぬこゝろこゝろこころづかひづかひづかいををを。。。かくかくかくわざとわざとわざと尋尋たずねねねいついついつかかか出出いででで給給たまははわむむんとととするするする」」」とととありありあり。。。
- 16近近ちこうううてててだにだにだにおぼつかなくおぼつかなくおぼつかなくものものものししし給給たまふふうににに、、、かくかくかくわざとわざとわざと尋尋たずねねね給給たまひひいつらむつらむつらむよよよとととをかしうをかしうおかしゅう覺覺おぼえええててて、、、「「「近江近江おうみ路路じはははわすれわすれわすれぬぬぬめりめりめりととと見見みしししほどほどほどににに關關せきうちうちうち越越こえええてててとふとふとう人人ひとはははたれたれたれ。。。
- 17いついついつかかかはははとととののの給給たまははわせせせたるたるたるははは、、、おぼろげおぼろげおぼろげににに思思おもひひい給給たまへへえててていりいりいりしかしかしかばばば」」」とてとてとて、、、「「「山山やまながらながらながら海海うみははは漕漕こぐぐぐともともとも都都みやこへへへはははなになになにかかか打打うちののの濱濱はまををを見見みるるるべきべきべき」」」とととぞぞぞ聞聞きこえええたるたるたる。。。
- 18御御ご覽覽らんじじじててて「「「苦苦くるしうしうしゅうともともとも又又またいけいけいけ」」」とてとてとて賜賜たまははわせせせたりたりたり。。。「「「とふとふとう人人ひととととがががあれあれあればばばあさましあさましあさましののの御御おおん物物ものいひいひいいややや」」」とてとてとて、、、「「「尋尋たずねねねゆくゆくゆく逢坂逢坂おうさか山山やまのののかひかひかいもももなくなくなくおぼめくおぼめくおぼめくばかりばかりばかりわするわするわするべしべしべしやややははは」」」。。。
- 19「「「まことまことまことややや、、、うきうきうきににによりよりよりひたやひたやひたやごもりごもりごもりととと思思おもふふうともともとも近江近江おうみののの海海うみはははうちうちうち出出いでででゝゝて見見みよよようきうきうきたびたびたびごとごとごとにににこそこそこそいふいふいうなれなれなれ」」」とととののの給給たまははわせせせたれたれたればばば、、、たゞたゞただかくかくかく、、、「「「關關せき山山やまのののせきせきせきとめとめとめられられられぬぬぬなみだなみだなみだこそこそこそ近江近江おうみののの海海うみとととながれながれながれ出出いづづずらめらめらめ」」」
- 20とてとてとてはしはしはしににに、、、「「「こゝろみこゝろみこころみにににおのおのおのががが心心こころもももこゝろみこゝろみこころみむむんいざいざいざ都都みやこへへへととときてきてきてさそひさそひさそい見見みむむむ」」」とととありありあり。。。
- 21思思おもひひいもももかけかけかけぬぬぬににに、、、いくいくいくものものものにににもももがながながなとととおぼせおぼせおぼせどどどいかゞいかゞいかがははは。。。かゝるかゝるかかるほどほどほどににに出出いでででにににけりけりけり。。。「「「さそひさそひさそい見見みよよよとととありありありしかしかしかどどど急急いそぎぎぎ出出いででで給給たまひひいにににけれけれければばばなむなむなん」」」とてとてとて、、、「「「あさましあさましあさましやややのりのりのりののの山山やま路路じににに入入いりりりそめそめそめててて都都みやこへへへいざいざいざとととたれたれたれさそひさそひさそいけむけむけん」」」。。。
- 22御御おおんかへりかへりかえりにににはははたゞたゞただ、、、「「「山山やまををを出出いでででゝゝてくらきくらきくらき道道みちにににぞぞぞたどりたどりたどりにににししし今今いま一一ひとたびたびたびののの逢逢あふふうことことことににによりよりより」」」。。。
現代語訳
そうこうするうちに七月にもなった。七日に、言い寄る男たちのもとから、七夕や彦星などということを詠んだ歌が大勢届くけれど、目もとめない。
こういう折などには、宮は見過ごさずにお便りをくださったのに、すっかりお忘れになってしまったことよと思っていると、お手紙がある。見ると、ただ、「思いもしなかった。織女の身になって、天の川原を(彦星を待って)眺めることになろうとは」
とあるので、そうは言ってもやはり見過ごしはなさらないようだと思うのも趣深くて、「あなたが眺めていらっしゃるという空さえ見ません。織女にも見捨てられるほどのわが身と思うので」
とあるのをご覧になっても、やはり見捨てることはできまいとお思いになるのだろう。月末ごろになって、たいそう間があいてしまったのを、(宮が)「どうして(便りをくれないのか)。時々は人並みに思ってくださらないのでしょうね」とおっしゃったので、女が、
「目を覚まさないから聞こえないのでしょう。荻を吹く風(わたしの便り)は吹かないことがありましょうか、秋の夜ごとに」と申し上げると、すぐに、「ああ、あなたよ。寝覚めないから、ですって。物思うときはと言うのに。いいかげんにも(言ったものだ)」と言って、
「荻を吹く風が吹いたら、寝ないで今からは、わたしを起こそうとしているのかと聞かなければならなかったのだな」。
こうして二、三日して、夕暮れに思いがけず、急に車を引き入れて(宮が)お降りになる。昼はまだお目にかかったことがないので、たいそう恥ずかしく思うけれど、どうしようもないことなどをおっしゃってお帰りになった。
その後何日もたつのに、たいそう気がかりになるほどお便りもくださらないので、女が、「所在なく秋の日々を過ごすうちに、思い知らされることです。あの不思議だった(夕暮れの)こともなるほど(人はそのようなもの)」と申し上げたところ、
(宮は)このところすっかり間があいてしまったけれど、それでも、「人はさあどうか知らないが、わたしは忘れない。日がたっても、秋の夕暮れにあった逢瀬のことを」とおっしゃった。
しみじみと、はかなく、頼りにする人もいない。このようなはかない歌のやりとりで世の中の憂さを慰めているのも、考えてみればあきれたことだ。
こうしているうちに八月にもなったので、所在なさを慰めようと石山寺に参詣して、七日ほど籠もっていようと思って参った。
宮は、ずいぶん間があいてしまったなとお思いになってお手紙をおやりになると、童が「先日参りましたが、石山寺にこのごろはいらっしゃるそうです」と申し上げさせたので、「それなら今日は日が暮れた。明朝早く行け」と言ってお手紙をお書きになり、(童は)いただいて石山寺に来た。
(女は)仏の御前にはいないで、ふるさとの京のことばかりが恋しくて、このような出歩きも、すっかり変わってしまった身の上だと思うとたいそうもの悲しくて、心をこめて仏を念じ申し上げていると、
高欄の下の方に人の気配がするので、不審に思って見下ろすと、あの童であった。しみじみと思いがけない所に来たので、「どうしたの」と尋ねさせると、お手紙を差し出したのも、いつもより(心が急いて)すぐに開けられて見ると、
「たいそう深く(仏道に)お入りになったのですね。どうして、こうだとおっしゃってくださらなかったのでしょう。(わたしを)出家の妨げとまではお思いにならないでしょうが、(あとに)取り残されるのがつらい」と言って、「逢坂の関を越えて今日訪ねてきたと、あなたは知っているでしょうか。絶えることのないわたしの心づかいを。こうしてわざわざ訪ねたのです。いつお出になるのですか」とある。
近くにいてさえ間遠になさるのに、このようにわざわざ訪ねてくださったのだと趣深く思われて、「近江路(の私)はお忘れになったようだと思っていたところに、関を越えて訪ねてきてくださるのはどなたでしょう。
いつ出るのかとおっしゃるのは、並々でない思いで籠もりましたので」と言って、「山にいながら海を漕ぐことがあっても(山寺にこもったまま近江の海を見ても)、どうして都に戻るために打出の浜を見ましょうか」と申し上げた。
(宮は)ご覧になって「つらくてもまた行け」と言って(文を)お与えになった。「とふ人はたれ(訪ねる人は誰)とは、あきれた言い草だ」と言って、「訪ねて行った逢坂山のかいもなく、とぼけるほどに忘れてよいものか」。
「それはそうと、つらいことがあるので籠もりきりでいようと思っても、近江の海に打ち出て(打出の浜から出て)みなさい。つらいたびごとにと言うではありませんか」とおっしゃったので、ただこのように、「関山の関でもせき止められない涙こそが、近江の海となって流れ出るのでしょう」
と書いて、端に、「試しに自分の心も試してみましょう。さあ都へと来て誘ってみてください」とある。
(宮は)思いもかけないことで、行けるものなら行きたいとお思いになるけれど、どうしてできようか。そうしているうちに(女は)寺を出てしまった。(宮から)「誘ってみよとあったけれど、急いで出ておしまいになったので」と言って、「あきれたことだ。仏の道の山路に入り始めて、都へさあと誰が誘ったのだろう」。
お返事にはただ、「山を出て、暗い道(煩悩の道)をたどってしまいました。もう一度お逢いするために」。
意訳
七夕、言い寄る男たちの歌には目もくれない女のもとに、宮から「織女の身になって天の川を眺めることになろうとは」という歌が届く。待つ側の嘆きを宮自身が演じてみせた、ひねった恋歌である。女は「織女にも見捨てられる身」と、さらに自分を低くして返す。
月末、荻を吹く風を便りに見立てた応酬のあと、宮は昼間に突然訪れる。昼の顔を見られる恥じらいが描かれ、二人の距離が少しずつ縮まっていることがうかがえる。それでもまた便りが途絶え、女は「うべ人は」と男心の頼みがたさを嘆く。
八月、女は石山寺に籠もる。だが心は仏よりも京に向いている。そこへ宮の使いの童が、坂の下から現れる。宮が逢坂の関を越えてまで文を寄こしたことに、女は「近江路は忘れたのかと思っていた」と応じ、「とふ人はたれ」ととぼけてみせる。
宮は「打出の浜から出てみよ」と寺を出るよう促し、女は「都へ誘いに来てみて」と甘える。宮が迷っているうちに、女は自分から寺を出てしまう。「仏の道を捨てて、もう一度逢うために暗い道をたどった」という女の最後の歌は、信仰よりも恋を選ぶ自分を正直に認めた歌である。
語釈・文法注
- 石山
- 石山寺。近江国(滋賀県大津市)の真言宗の寺。本尊の観音は霊験あらたかとされ、平安時代の女性たちがしばしば籠もった。
- かうら
- 高欄(こうらん)。建物の縁や廊のまわりにめぐらした欄干。
- 打出の濱
- 打出の浜。近江国、大津の琵琶湖岸。石山寺から京へ戻る道筋にあたる。「うち出づ」(出かける)を掛ける。
文法
- 「目もたゞす」
- 底本のまま。「目も立てず」(目もとめない)の意に解した。
- 「ねざめねばな物思ふ時はこそおろかにも」
- 底本のまま。通行本文は「寝覚めとか。物思ふ時は、とこそ。おろかにも」。女の「寝覚めねば」を取り上げて、「物思ふときは(寝覚めがちなもの)」と言うではないか、と軽くとがめる。
- 「うべ人は」
- 「なるほど人(男)というものは」と言いさした形。歌に添えたことば。
- 「とふ人とがあれば」
- 底本のまま。女の歌の「とふ人はたれ」を受けて、「訪ねる人は誰か」とはあきれた言い方だ、の意に解した。
- 「いくものにもがな」
- 「もがな」は願望。行けるものなら行きたい。
和歌
おもひきや七夕つめに身をなして天の河原をながむべしとは
- 詠者
- 帥宮
- 状況
- 七月七日、しばらく途絶えていた宮が送った歌。
修辞
- 見立て
- 待つ身の自分を織女(七夕つめ)に見立てる。ふつうは女が織女で、男が彦星である。
- 反語
- 「思ひきや」で、思いもしなかったと嘆いてみせる。
ながむらむ空をだに見ず七夕にあまるばかりの我が身と思へば
- 詠者
- 女
- 状況
- 宮の七夕の歌への返事。
修辞
- 掛詞
- 「あまる」に「余る(はみ出す)」と「天」を響かせ、織女からも見捨てられる身と言う。
ねざめねばきかぬなるらむ荻風は吹かざらめやは秋のよなよな
- 詠者
- 女
- 状況
- 便りがないとなじる宮への返事。
修辞
- 見立て
- 荻を吹く風の音を、自分からの便りに見立てる。
- 反語
- 「吹かざらめやは」で、吹かないことがあろうか、と言う。
荻風はふかばいも寢で今よりぞおどろかすかと聞くべかりける
- 詠者
- 帥宮
- 状況
- 女の荻風の歌への返事。
修辞
- 言葉の受け
- 女の「荻風」「ねざめ」を受けて、これからは寝ずに聞こうと言う。
つれづれと秋の日ごろのふるまゝに思ひ知らせぬ怪しかりしも
- 詠者
- 女
- 状況
- 宮が昼に突然訪れたあと、また便りが途絶えたころの歌。
修辞
- 掛詞
- 「ふる」に「経る」と「降る」を響かせる。
人はいさ我は忘れず日をふれど秋のゆふぐれありしあふこと
- 詠者
- 帥宮
- 状況
- 女の歌への返事。
修辞
- 引歌
- 「人はいさ」は『古今和歌集』紀貫之「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」の句を借りる。
- 倒置
- 「ありしあふこと(を)忘れず」を倒置して強める。
關越えて今日ぞとふとや人はしる思ひ絕えせぬこゝろづかひを
- 詠者
- 帥宮
- 状況
- 石山寺に籠もった女のもとへ、童に持たせた歌。
修辞
- 掛詞
- 「関」は逢坂の関で、「逢ふ」を響かせる。
近江路はわすれぬめりと見しほどに關うち越えてとふ人はたれ
- 詠者
- 女
- 状況
- 石山寺で宮の文を受け取って返した歌。
修辞
- 掛詞
- 「近江」に「逢ふ身」を掛け、逢う身(わたし)を忘れたのかと言う。
山ながら海は漕ぐとも都へはなにか打出の濱を見るべき
- 詠者
- 女
- 状況
- いつ寺を出るのかと問う宮への答え。
修辞
- 掛詞
- 「打出」に地名の打出の浜と「(寺を)出る」を掛ける。
- 縁語
- 「海」「漕ぐ」「浜」は海の縁語。
尋ねゆく逢坂山のかひもなくおぼめくばかりわするべしやは
- 詠者
- 帥宮
- 状況
- 「とふ人はたれ」ととぼけた女への返事。
修辞
- 掛詞
- 「かひ」に「峡(山あい)」と「甲斐」を掛ける。
うきによりひたやごもりと思ふとも近江の海はうち出でゝ見よ
- 詠者
- 帥宮
- 状況
- 寺を出るよう促す歌。
修辞
- 掛詞
- 「近江」に「逢ふ身」、「うち出で」に打出の浜を掛ける。
關山のせきとめられぬなみだこそ近江の海とながれ出づらめ
- 詠者
- 女
- 状況
- 宮の誘いへの返事。
修辞
- 縁語
- 「関」「せき止め」、「涙」「海」「流れ」を重ねる。
- 誇張
- 涙が近江の海(琵琶湖)になると言う。
こゝろみにおのが心もこゝろみむいざ都へときてさそひ見む
- 詠者
- 女
- 状況
- 返事の端に書き添えた歌。
修辞
- 反復
- 「こゝろみ」をくり返し、自分の心を試してみたいと言う。
あさましやのりの山路に入りそめて都へいざとたれさそひけむ
- 詠者
- 帥宮
- 状況
- 女が誘いを待たずに寺を出たと知って送った歌。
修辞
- 掛詞
- 「のり」に「法(仏法)」と「乗り」を響かせる。
山を出でゝくらき道にぞたどりにし今一たびの逢ふことにより
- 詠者
- 女
- 状況
- 宮の歌への返事。
修辞
- 仏教語
- 「くらき道」は煩悩の迷いの道。
- 本歌
- 和泉式部の代表歌「くらきよりくらき道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」(『拾遺和歌集』)と通じる表現。
解説
石山詣では、平安時代の女性の物詣での代表的なものである。『蜻蛉日記』の作者も石山寺に籠もり、紫式部が石山寺で『源氏物語』の構想を得たという伝説もある。京から石山寺へは逢坂の関を越えて行くので、「逢ふ」を響かせる逢坂・近江(逢ふ身)の歌枕が、恋の贈答にうってつけだった。
宮の使いの童が、坂の下の高欄の下に現れる場面は、仏の前で心ここにあらずだった女が、恋の側に引き戻される瞬間を鮮やかに描く。「例よりもふと引きあけられて」という一句に、宮の文を待ちかねていた女の心がよく表れている。
最後の「山を出でてくらき道にぞたどりにし」は、和泉式部の名歌「くらきよりくらき道にぞ入りぬべき」を思わせる。仏道と恋の間で揺れながら、恋を選ぶ自分を見つめる姿は、和泉式部の歌の世界そのものである。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(和泉式部日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、431–434頁(コマ227–229)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日