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おくのほそ道 第28章

立石寺

人々にすすめられて、尾花沢から引き返し、山形領の立石寺に参詣する。岩の上に岩を重ねた山に、松や柏が年を経て茂り、扉を閉ざした堂々が静まりかえっている。その静けさの中で、「閑さや岩にしみ入蟬の聲」と詠む。

切り立つ岩山に点在する立石寺の堂と、夏の日ざし(AI生成)
切り立つ岩山に点在する立石寺の堂と、夏の日ざし
  1. 1山形領やまがたりやう山形領やまがたりやうやまがたりょうにににととと云い云いい山寺やまでら山寺やまでらやまでらありありあり。。。ののの開基かいき開基かいきかいきにしてにしてにして、、、ののの地也ちなり地也ちなりちなり。。。一見いつけん一見いつけんいっけんすべきよしすべきよしすべきよし人々ひとびと人々ひとびとひとびとのすゝむるにのすゝむるにのすすむるに依よ依よよててて、、、尾花澤をばなざは尾花澤をばなざはおばなざわよりとつてよりとつてよりとつて返かへ返かへかえししし、、、ばかりばかりばかり也なり也なりなり。。。
  2. 2日ひ日ひひいまだいまだいまだ暮くれ暮くれくれずずず。。。梺ふもと梺ふもとふもとのののににに宿やど宿やどやどかりかりかり置お置おおててて、、、山上さんしやう山上さんしやうさんじょうののの堂だう堂だうどうにのぼるにのぼるにのぼる。。。岩いは岩いはいわににに巖いはほ巖いはほいわおををを重かさね重かさねかさねててて山やま山やまやまとしとしとし、、、、、、土石老どせきおい土石老どせきおいどせきおいててて、、、苔滑こけなめらか苔滑こけなめらかこけなめらかににに岩上がんしやう岩上がんしやうがんしょうののの院々扉ゐんゐんとびら院々扉ゐんゐんとびらいんいんとびらををを閉とぢ閉とぢとじててて物もの物ものものののの音ね音ねねきこえずきこえずきこえず。。。
  3. 3岸きし岸きしきしをををめぐりめぐりめぐり岩いは岩いはいわををを這は這ははててて、、、佛閣ぶつかく佛閣ぶつかくぶつかくををを拜はい拜はいはいししし、、、としてとしてとして心こころ心こころこころすみすみすみ行ゆく行ゆくゆくのみおぼゆのみおぼゆのみおぼゆ。。。
  4. 4閑しづか閑しづかしずかさやさやさや岩いは岩いはいわにしみにしみにしみ入蟬いるせみ入蟬いるせみいるせみののの聲こゑ聲こゑこえ

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

山形領に立石寺という山寺がある。慈覚大師が開いた寺で、格別に清らかで静かな所である。一度見ておくのがよいと人々がすすめるので、尾花沢から引き返して向かった。その間は七里ほどである。着いたとき、日はまだ暮れていなかった。ふもとの宿坊に宿を借りておいて、山上の堂に登る。岩に岩を重ねて山となし、松や柏は年を経て古び、土や石も古くなって苔がなめらかにおおい、岩の上の多くの堂は扉を閉じて、物音ひとつ聞こえない。崖をめぐり、岩をはうようにして仏閣を拝むと、すばらしい景色はひっそりと静まりかえって、心が澄んでいくように感じられるばかりである。

閑さや岩にしみ入蟬の聲(なんという静けさだろう。蟬の声だけが、岩にしみ入るように響いている)

意訳

立石寺は、本来の旅の予定にはなかった寺である。人々のすすめで、わざわざ七里の道を引き返して訪れた。

本文は、岩・松柏・土石・苔と、古びて静まりかえった山寺のたたずまいを、漢文調の短い句を重ねて描いていく。「佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ」と、景色の静けさが心の静けさへと移っていく。

句では、蟬がしきりに鳴いているのに「閑さ」と詠む。蟬の声が岩にしみ込んでいくように感じられるほど、あたりが深く静まりかえっているのである。音によって静けさを表すという逆説的な表現に、この句の深さがある。

語釈・文法注

立石寺
山形市山寺にある天台宗の寺。通称「山寺」。貞観二年(860)に慈覚大師円仁が開いたと伝える。
慈覺大師
円仁(794〜864)。最澄の弟子で、唐に渡って学んだ天台宗の僧。東北地方に多くの寺を開いたと伝えられる。
清閑の地
清らかで静かな所。
其間七里
尾花沢から立石寺までは約七里(約二十八キロ)。
梺の坊
ふもとの宿坊。参拝者を泊める寺の宿舎。
松柏
松とこのてがしわ(ひのき科の常緑樹)。常緑樹の代表。
寂寞
ひっそりとして静かなこと。

文法

一見すべきよし
「べき」は適当。一度見るのがよいということを。
岩に巖を重て山とし
岩の上に大岩を重ねて山としていて。
心すみ行のみおぼゆ
「おぼゆ」は、感じられる。心が澄んでいくようにばかり感じられる。
閑さや
「閑さ」は形容詞「しづかなり」の語幹に「さ」がついた名詞。「や」は切れ字。

発句・和歌

閑さや岩にしみ入蟬の聲

作者
松尾芭蕉
状況
立石寺の山上で、静まりかえった岩山に蟬の声だけが響くのを聞いて詠んだ句。季語は「蟬」で夏。

修辞

季語
蟬。夏。
切れ字
「や」。
逆説的表現
蟬の声によって、かえって山寺の深い静けさをきわだたせる。

解説

曾良の『随行日記』によれば、立石寺を訪れたのは五月二十七日で、太陽暦では7月13日にあたる。尾花沢の人々にすすめられ、予定を変えて訪れたのであった。

「閑さや」の句は、はじめ「山寺や石にしみつく蟬の聲」、ついで「さびしさや岩にしみ込む蟬の聲」と推敲を重ね、現在の形になったと考えられている。

この句の蟬が何蟬であったかについて、昭和の初めに、歌人の斎藤茂吉がアブラゼミだと主張し、独文学者の小宮豊隆がニイニイゼミだと反論して論争になった。茂吉が実地調査をした結果、季節と場所からニイニイゼミと考えるのが妥当とされ、茂吉も自説を改めた。立石寺の山上には、この句を書いた短冊を埋めたという「せみ塚」がある。

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出典

底本
藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、21〜22頁(コマ19–20)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日