古典ライブラリー

平家物語 巻第一

鹿の谷の事

高倉天皇が元服し、清盛の娘徳子が入内する。左大将の欠員をめぐって、藤原成親は八幡や賀茂に祈るが不吉な兆しが続き、結局重盛・宗盛の兄弟が左右の大将となる。恨んだ成親は、東山鹿の谷の俊寛の山荘で、後白河法皇も加わる平家打倒の謀議を重ね、酒宴で瓶子を倒して「平氏たふれ候ひぬ」と戯れる。

  1. 1これこれこれににによつよつよっててて、、、主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう御ご御ごご元げん元げんげん服ぶく服ぶくぶくののの御おん御おんおんさだめさだめさだめ、、、そのそのその日ひ日ひひははは延の延ののびびびさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう五ご五ごご日にち日にちにち、、、院ゐん院ゐんいんののの殿てん殿てんてん上じやう上じやうじょうにににてててぞぞぞ御ご御ごご元げん元げんげん服ぶく服ぶくぶくののの御おん御おんおんさだめさだめさだめはははありありありけるけるける。。。攝せつ攝せつせっ政しやう政しやうしょう殿どの殿どのどのさてさてさてもももわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまふふうべきべきべきならならならねねねばばば、、、同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう一いち一いちいち月ぐわつ月ぐわつがつ九ここの九ここのここの日か日かか、、、兼けん兼けんけん宣せん宣せんせん旨じ旨じじををを蒙かうむ蒙かうむこうむらららせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう四よ四よよ日か日かか太だい太だいだい政じやう政じやうじょう大だい大だいだい臣じん臣じんじんににに上あが上あがあがらららせせせ給たま給たまたまふふう。。。やがてやがてやがて同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう七しち七しちしち日にち日にちにち、、、慶よろこ慶よろこよろこびびび申まう申まうもうしししのののありありありしかしかしかどもどもども、、、世よ世よよののの中なか中なかなかははは猶なほ猶なほなおにが〳〵しうにが〳〵しうにがにがしゅうぞぞぞ見み見みみえええししし。。。
  2. 2さるさるさる程ほど程ほどほどににに今こ今ここ年とし年としとしももも暮く暮くくれれれぬぬぬ。。。嘉か嘉かか應おう應おうおうももも三み三みみ年とせ年とせとせににになりなりなりにににけりけりけり。。。正しやう正しやうしょう月ぐわつ月ぐわつがつ五いつ五いついつ日か日かかののの日ひ日ひひ主しゆ主しゆしゅ上しやう上しやうしょう御ご御ごご元げん元げんげん服ぶく服ぶくぶくあつあつあっててて、、、同おな同おなおなじきじきじき十じふ十じふじゅう三さん三さんさん日にち日にちにち、、、朝てう朝てうちょうののの行ぎやう行ぎやうぎょう幸かう幸かうこうありありありけりけりけり。。。法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう、、、女によう女にようにょう院ゐん院ゐんいん、、、待ま待ままちちち受う受ううけけけ参まゐ参まゐまいらららせせせたまひたまひたまいててて、、、初うひ初うひうい冠かうぶり冠かうぶりこうぶりののの御おん御おんおんよそほひよそほひよそおい、、、いかばかりいかばかりいかばかりらうたくらうたくろうたく思おぼし思おぼしおぼし召め召めめささされれれけんけんけん。。。入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの御女おんむすめ御女おんむすめおんむすめ、、、女によう女にようにょう御ご御ごごににに参まゐ参まゐまいらららせせせ給たま給たまたまふふう。。。御おん御おんおん年とし年としとし十じふ十じふじゅう五ご五ごご歳さい歳さいさい、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう御ご御ごご猶いう猶いうゆう子し子ししののの儀ぎ儀ぎぎなりなりなり。。。
  3. 3妙めう妙めうみょう音おん音おんおん院ゐん院ゐんいん、、、そのそのその頃ころ頃ころころははは未いま未いまいまだだだ、、、内ない内ないない大だい大だいだい臣じん臣じんじんののの左さ左ささ大だい大だいだい將しやう將しやうしょうにににてててまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるががが、、、大たい大たいたい將しやう將しやうしょうををを辭じ辭じじししし申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことありありありけりけりけり。。。時とき時ときときににに德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん實じつ實じつじっ定てい定ていていののの卿きやう卿きやうきょう、、、そのそのその仁じん仁じんじんににに相あひ相あひあい當あた當あたあたりりり給たま給たまたまふふう。。。またまたまた花くわ花くわか山ざん山ざんざんののの院ゐん院ゐんいんののの中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん兼かね兼かねかね雅まさ雅まさまさののの卿きやう卿きやうきょうももも所しよ所しよしょ望まう望まうもうありありあり。。。そのそのその外ほか外ほかほか故こ故ここ中なか中なかなかののの御み御みみ門かど門かどかどののの藤とう藤とうとう中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごん家か家かか成せい成せいせいののの卿きやう卿きやうきょうののの三さん三さんさん男なん男なんなん、、、新しん新しんしん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょうもももひらひらひらににに申まう申まうもうさささるるる。。。
  4. 4そのそのその大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんははは院ゐん院ゐんいんののの御ご御ごご氣き氣きき色しよく色しよくしょくよかりよかりよかりけれけれければばば、、、さま〴〵さま〴〵さまざまののの祈いの祈いのいのりりりををを始はじ始はじはじめめめらるらるらる。。。まづまづまず八や八やや幡はた幡はたはたににに百ひやく百ひやくひゃく人にん人にんにんののの僧そう僧そうそうををを籠こ籠ここめめめててて、、、眞しん眞しんしん讀どく讀どくどくののの大だい大だいだい般はん般はんはん若にや若にやにゃををを七なぬ七なぬなぬ日か日かか讀よ讀よよままませせせられられられけるけるける最さい最さいさい中ちゆう中ちゆうちゅうににに、、、甲かう甲かうこう良ら良ららののの大だい大だいだい明みやう明みやうみょう神じん神じんじんののの御おん御おんおん前まへ前まへまえなるなるなる橘たちばな橘たちばなたちばなののの木き木ききへへへ、、、男をとこ男をとこおとこ山やま山やまやまののの方かた方かたかたよりよりより、、、山やま山やまやま鳩ばと鳩ばとばと三み三みみつつつ飛と飛ととびびび來きた來きたきたつつっててて、、、食く食くくひひいあひあひあいてててぞぞぞ死し死ししににににににけるけるける。。。鳩はと鳩はとはとははは八はち八はちはち幡まん幡まんまん大だい大だいだい菩ぼ菩ぼぼ薩さつ薩さつさつののの第だい第だいだい一いち一いちいちののの使し使しし者しや者しやしゃなりなりなり。。。
  5. 5宮みや宮みやみや寺てら寺てらてらににに斯か斯かかかるかるかる不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎなしなしなしとてとてとて、、、時とき時ときときののの檢けん檢けんけん校げう校げうぎょう、、、匡きやう匡きやうきょう淸せい淸せいせい法ほふ法ほふほう印いん印いんいん、、、このこのこの由よし由よしよし内だい内だいだい裏り裏りりへへへ奏そう奏そうそう聞もん聞もんもんしししたりたりたりけれけれければばば、、、これこれこれたゞたゞただごとごとごとにににあらあらあらずずず、、、御おん御おんおん占うら占うらうらあるあるあるべしべしべしとてとてとて、、、神じん神じんじん祇ぎ祇ぎぎ官くわん官くわんかんにににしてしてして御おん御おんおん占うら占うらうらありありあり。。。重おも重おもおもききき御おん御おんおん愼つゝし愼つゝしつつしみみみととと占うらな占うらなうらなひひい申まう申まうもうすすす。。。但ただ但ただただしししこれこれこれははは君きみ君きみきみののの御おん御おんおん愼つゝし愼つゝしつつしみみみにににはははあらあらあらずずず、、、臣しん臣しんしん下か下かかののの愼つゝし愼つゝしつつしみみみとととぞぞぞ申まう申まうもうしししけるけるける。。。
  6. 6それそれそれににに大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんおそれおそれおそれももも致いた致いたいたささされれれずずず、、、晝ひる晝ひるひるははは人ひと人ひとひと目め目めめのののしげけれしげけれしげければばば、、、夜よ夜よよな〳〵な〳〵なよな步ほ步ほほ行かう行かうこうにににててて、、、中なか中なかなかののの御み御みみ門かど門かどかど烏からす烏からすからす丸まる丸まるまるののの宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょよりよりより、、、賀か賀かか茂も茂ももののの上かみ上かみかみののの社やしろ社やしろやしろへへへ、、、七なゝ七なゝなな夜よ夜よよつゞけつゞけつづけててて参まゐ参まゐまいららられれれけりけりけり。。。七なゝ七なゝなな夜よ夜よよににに滿まん滿まんまんずるずるずる夜よ夜よよ、、、宿しゆく宿しゆくしゅく所しよ所しよしょににに下げ下げげ向かう向かうこうしししててて、、、苦くる苦くるくるしさしさしさににに少すこ少すこすこしししまどろみまどろみまどろみたりたりたりけるけるける夢ゆめ夢ゆめゆめににに、、、賀か賀かか茂も茂ももののの上かみ上かみかみののの社やしろ社やしろやしろへへへ参まゐ参まゐまいりりりたるたるたるとととおぼしくおぼしくおぼしくててて、、、御ご御ごご寶はう寶はうほう殿でん殿でんでんののの御み御みみ戸と戸ととおしおしおしひらきひらきひらき、、、ゆゝしうゆゝしうゆゆしゅうけだかげけだかげけだかげなるなるなる御おん御おんおん聲こゑ聲こゑこえにににててて、、、
  7. 7さくらばなさくらばなさくらばな賀か賀かか茂も茂ももののの川かは川かはかわ風かぜ風かぜかぜうらむうらむうらむなななよよよ散ち散ちちるるるをををばばばえええこそこそこそとゞめとゞめとどめざりざりざりけれけれけれ
  8. 8大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんこれこれこれににに猶なほ猶なほなおおそれおそれおそれももも致いた致いたいたささされれれずずず、、、賀か賀かか茂も茂ももののの上かみ上かみかみののの社やしろ社やしろやしろののの御ご御ごご寶はう寶はうほう殿でん殿でんでんののの御おん御おんおん後うしろ後うしろうしろなるなるなる、、、杉すぎ杉すぎすぎののの洞うろ洞うろうろににに壇だん壇だんだんををを立た立たたててて、、、あるあるある聖ひじり聖ひじりひじりをををこめこめこめててて、、、吒だ吒だだ幾き幾ききののの法ほふ法ほふほうををを百ひやく百ひやくひゃく日にち日にちにち行おこな行おこなおこなははわれれれけるけるけるににに、、、あるあるある時とき時ときとき俄にはか俄にはかにはかににに空そら空そらそらかきかきかきくもりくもりくもり、、、雷いかづち雷いかづちいかずちおびたゞしうおびたゞしうおびただしゅう鳴な鳴ななつつっててて、、、かのかのかの大おほ大おほおお杉すぎ杉すぎすぎににに落お落おおちちちかゝりかゝりかかり、、、雷らい雷らいらい火くわ火くわかもえもえもえ上あが上あがあがつつっててて、、、宮ぐう宮ぐうぐう中ちゆう中ちゆうちゅう既すで既すですでににに危あやふ危あやふあやうくくく見み見みみえええけるけるけるををを、、、宮みや宮みやみや人びと人びとびとどもどもども走はし走はしはしりりり集あつ集あつあつまりまりまりててて、、、これこれこれををを打うち打うちうち消け消けけすすす。。。
  9. 9さてさてさてかのかのかの外げ外げげ法ほふ法ほふほう行おこな行おこなおこなひひいけるけるける聖ひじり聖ひじりひじりををを逐お逐おおひひい出いだ出いだいださささんんんとととすすす。。。「「「われわれわれ當たう當たうとう社しや社しやしゃににに百ひやく百ひやくひゃく日にち日にちにち参さん参さんさん籠ろう籠ろうろうののの志こころざし志こころざしこころざしありありありててて、、、今日けふ今日けふきょうははは七しち七しちしち十じふ十じふじゅう五ご五ごご日にち日にちにちににになるなるなる。。。全まつた全まつたまったくくく出い出いいでででまじまじまじ。。。」」」とてとてとて動はたら動はたらはたらかかかずずず。。。このこのこのよしよしよし社しや社しやしゃ家け家けけよりよりより内だい内だいだい裏り裏りりへへへ奏そう奏そうそう聞もん聞もんもん申まう申まうもうしししたりたりたりけれけれければばば、、、たゞたゞただ法ほふ法ほふほうにににまかせまかせまかせよよよととと、、、宣せん宣せんせん旨じ旨じじををを下くだ下くだくださささるるる。。。そのそのその時とき時ときとき神じん神じんじん人にん人にんにん白しら白しらしら杖づゑ杖づゑずえををを以もつ以もつもってててかのかのかの聖ひじり聖ひじりひじりがががうなじうなじうなじをををしらげしらげしらげててて、、、一いち一いちいち條でう條でうじょうののの大おほ大おほおお路ぢ路ぢじよりよりより、、、南みなみ南みなみみなみへへへ追お追おおつつっ越こ越ここしししてててけりけりけり。。。神かみ神かみかみははは非ひ非ひひ禮れい禮れいれいをををうけうけうけずずずととと申まう申まうもうすすすににに、、、このこのこの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん、、、非ひ非ひひ分ぶん分ぶんぶんののの大たい大たいたい將しやう將しやうしょうををを祈いの祈いのいのりりり申まう申まうもうささされれれけれけれければばばにににややや、、、斯か斯かかかるかるかる不ふ不ふふ思し思しし議ぎ議ぎぎももも出い出いいででで來き來ききにににけりけりけり。。。
  10. 10そのそのその頃ころ頃ころころ敍じよ敍じよじょ位ゐ位ゐい、、、除ぢ除ぢじ目もく目もくもくととと申まう申まうもうすすすははは、、、院ゐん院ゐんいん、、、内うち内うちうちののの御おん御おんおんはからひはからひはからいにににもももあらあらあらずずず、、、攝せつ攝せつせっ政しやう政しやうしょう、、、關くわん關くわんかん白ぱく白ぱくぱくののの御ご御ごご成せい成せいせい敗ばい敗ばいばいにににももも及およ及およおよばばばずずず、、、たゞたゞただ一いつ一いついっ向かう向かうこう平へい平へいへい家け家けけのののまゝまゝままにににてててありありありけれけれければばば、、、德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ、、、花くわ花くわか山ざん山ざんざんののの院ゐん院ゐんいんもももなりなりなり給たま給たまたまははわずずず、、、入にふ入にふにゅう道だう道だうどう相しやう相しやうしょう國こく國こくこくののの嫡ちやく嫡ちやくちゃく男なん男なんなん小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどの、、、そのそのその時とき時ときときははは未いま未いまいまだだだ大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんののの右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょうにににてててまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるががが左ひだり左ひだりひだりににに移うつ移うつうつりりりててて、、、次じ次じじ男なん男なんなん宗むね宗むねむね盛もり盛もりもり、、、中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごんにににててておはせおはせおわせしししががが、、、數す數すす輩はい輩はいはいののの上じやう上じやうじょう臈らふ臈らふろうををを超てう超てうちょう越えつ越えつえつしししててて、、、右みぎ右みぎみぎににに加くは加くはくわへへえられられられけるけるけるこそこそこそ、、、申まう申まうもうすすすばかりばかりばかりもももなかりなかりなかりしかしかしか。。。
  11. 11中なか中なかなかにににももも德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどのははは、、、一いち一いちいちののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんにににててて、、、華くわ華くわか族ぞく族ぞくぞく英えい英えいえい雄いう雄いうゆう、、、才さい才さいさい學かく學かくかく優いう優いうゆう長ちやう長ちやうちょう、、、家か家かか嫡ちやく嫡ちやくちゃくにににてててまし〳〵まし〳〵ましましけるけるけるががが、、、平へい平へいへい家け家けけののの次じ次じじ男なん男なんなん宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりののの卿きやう卿きやうきょうににに、、、加か加かか階かい階かいかい越こ越ここえええられられられ給たま給たまたまひひいぬるぬるぬるこそこそこそ、、、遺ゐ遺ゐい恨こん恨こんこんののの次し次しし第だい第だいだいなれなれなれ。。。定さだ定さださだめめめててて御ご御ごご出しゆつ出しゆつしゅっ家け家けけなどなどなどもももやややあらあらあらんんんずずずらんらんらんととと、、、人ひと人ひとひと々びと々びとびとさゝやきさゝやきささやきあはあはあわれれれけれけれけれどもどもども、、、德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ殿どの殿どのどのはははしばらくしばらくしばらく、、、世よ世よよのののならならならんんんやうやうようををを見み見みみんんんとてとてとて、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんををを辭じ辭じじしししててて籠ろう籠ろうろう居きよ居きよきょとととぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええししし。。。
  12. 12新しん新しんしん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん成なり成なりなり親ちか親ちかちかののの卿きやう卿きやうきょうののの宣のたま宣のたまのたまひひいけるけるけるははは、、、「「「德とく德とくとく大だい大だいだい寺じ寺じじ、、、花くわ花くわか山ざん山ざんざんののの院ゐん院ゐんいんににに越こ越ここえええられられられたらたらたらんんんははは如い如いい何か何かかにににせせせんんん。。。平へい平へいへい家け家けけののの次じ次じじ男なん男なんなん宗むね宗むねむね盛もり盛もりもりににに加か加かか階かい階かいかい越こ越ここえええられられられぬるぬるぬるこそこそこそ、、、遺ゐ遺ゐい恨こん恨こんこんののの次し次しし第だい第だいだいなれなれなれ。。。いかにいかにいかにもももしてしてして、、、平へい平へいへい家け家けけををを亡ほろ亡ほろほろぼしぼしぼし、、、本ほん本ほんほん望まう望まうもうををを遂と遂ととげげげんんん。。。」」」とととのたまひのたまひのたまいけるけるけるこそこそこそ恐おそ恐おそおそろしけれろしけれろしけれ。。。
  13. 13父ちち父ちちちちののの卿きやう卿きやうきょうはははこのこのこの齡よはひ齡よはひよわいでででははは、、、わづかわづかわずか中ちゆう中ちゆうちゅう納な納なな言ごん言ごんごんまでまでまでこそこそこそ至いた至いたいたららられれれしかしかしか。。。そのそのその末ばつ末ばつばつ子し子ししにににててて、、、位くらゐ位くらゐくらい正じやう正じやうじょう二に二にに位ゐ位ゐい、、、官くわん官くわんかん大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんににに經へ經へへ上あが上あがあがつつっててて、、、大たい大たいたい國こく國こくこくあまたあまたあまた賜たま賜たまたまはつはつわっててて、、、子し子しし息そく息そくそく、、、所しよ所しよしょ從じゆう從じゆうじゅう、、、朝てう朝てうちょう恩おん恩おんおんににに誇ほこ誇ほこほこれれれりりり。。。何なに何なになにののの不ふ不ふふ足そく足そくそくあつあつあってててかかか、、、斯か斯かかかるかるかる心こころ心こころこころつかつかつかれれれけんけんけん、、、ひとへひとへひとえににに天てん天てんてん魔ま魔ままののの所しよ所しよしょ爲ゐ爲ゐいとととぞぞぞ見み見みみえええししし。。。平へい平へいへい治ぢ治ぢじにににももも越ゑち越ゑちえち後ご後ごごののの中ちゆう中ちゆうちゅう將じやう將じやうじょうとてとてとて、、、信のぶ信のぶのぶ賴より賴よりよりののの卿きやう卿きやうきょうににに同どう同どうどう心しん心しんしんののの間あひだ間あひだあいだ、、、そのそのその時とき時ときとき既すで既すですでににに誅ちう誅ちうちゅうせせせらるらるらるべかりべかりべかりしししををを、、、小こ小ここ松まつ松まつまつ殿どの殿どのどののののやう〳〵やう〳〵ようようににに申まう申まうもうしししててて、、、首くび首くびくびをををつぎつぎつぎ給たま給たまたまへへえりりり。。。然しか然しかしかるるるにににそのそのその恩おん恩おんおんををを忘わす忘わすわすれれれててて、、、外ぐわい外ぐわいがい人じん人じんじんもももなきなきなき所ところ所ところところににに兵ひやう兵ひやうひょう具ぐ具ぐぐををを整とゝの整とゝのととのへへえ、、、軍ぐん軍ぐんぐん兵びやう兵びやうびょうをををかたらひかたらひかたらい置お置おおききき、、、朝あさ朝あさあさ夕ゆふ夕ゆふゆうはははたゞたゞただ軍いくさ軍いくさいくさ合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんののの營いとな營いとないとなみみみののの外ほか外ほかほかははは、、、またまたまた他た他たた事じ事じじなしなしなしとととぞぞぞ見み見みみえええたりたりたりけるけるける。。。
  14. 14東ひがし東ひがしひがし山やま山やまやま鹿しし鹿ししししののの谷たに谷たにたにととといふいふいう所ところ所ところところははは、、、うしろうしろうしろ三み三みみ井ゐ井ゐい寺でら寺でらでらにににつゞいつゞいつづいててて、、、ゆゝしきゆゝしきゆゆしき城じやう城じやうじょう郭くわく郭くわくかくにににてててぞぞぞありありありけるけるける。。。それそれそれににに俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかん僧そう僧そうそう都づ都づずののの山さん山さんさん莊さう莊さうそうありありあり。。。かれかれかれににに常つね常つねつねははは寄よ寄よよりりりあひ〳〵あひ〳〵あいあい、、、平へい平へいへい家け家けけ亡ほろ亡ほろほろぼすぼすぼすべきべきべき謀はかりごと謀はかりごとはかりごとをををぞぞぞめぐらしめぐらしめぐらしけるけるける。。。
  15. 15あるあるある夜よ夜よよ、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうももも御ご御ごご幸かう幸かうこうなるなるなる。。。故こ故ここ少せう少せうしょう納な納なな言ごん言ごんごん入にふ入にふにゅう道だう道だうどう信しん信しんしん西ぜい西ぜいぜいののの子し子しし息そく息そくそく靜じやう靜じやうじょう憲けん憲けんけん法ほふ法ほふほう印いん印いんいんももも御おん御おんおん供とも供ともとも仕つかまつ仕つかまつつかまつらららるるる。。。そのそのその夜よ夜よよののの酒しゆ酒しゆしゅ宴えん宴えんえんににに、、、このこのこの由よし由よしよしををを仰おほ仰おほおおせせせ合あ合ああははわせせせられられられたりたりたりけれけれければばば、、、法ほふ法ほふほう印いん印いんいん、、、「「「あなあなあなあさましあさましあさまし。。。人ひと人ひとひとあまたあまたあまた承うけたまは承うけたまはうけたまわりりり候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。たゞたゞただ今いま今いまいま洩も洩ももれれれ聞きこ聞きこきこえええててて、、、天てん天てんてん下か下かかののの御おん御おんおん大だい大だいだい事じ事じじににに及およ及およおよびびび候さふら候さふらそうらひひいなななんんんずずず。。。」」」ととと申まう申まうもうささされれれけれけれければばば、、、
  16. 16大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん氣け氣けけ色しき色しきしきかはつかはつかわっててて、、、さつとさつとさっと立た立たたたたたれれれけるけるけるががが、、、御ご御ごご前ぜん前ぜんぜんににに立た立たたてててられられられたりたりたりけるけるける瓶へい瓶へいへい子じ子じじををを、、、狩かり狩かりかり衣ぎぬ衣ぎぬぎぬののの袖そで袖そでそでにににかけかけかけててて、、、引ひき引ひきひき倒たふ倒たふたおささされれれたりたりたりけるけるけるををを、、、法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおう叡えい叡えいえい覽らん覽らんらんあつあつあっててて、、、「「「あれあれあれはははいかにいかにいかに。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん立た立たたちちちかへつかへつかえっててて、、、「「「平へい平へいへい氏じ氏じじたふれたふれたおれ候さふら候さふらそうらひひいぬぬぬ。。。」」」とととぞぞぞ申まう申まうもうささされれれけるけるける。。。
  17. 17法ほふ法ほふほう皇わう皇わうおうもももゑつぼゑつぼえつぼににに入い入いいらららせせせおはしましおはしましおわしまし、、、「「「者もの者ものものどもどもども参まゐ参まゐまいつつっててて猿さる猿さるさる樂がう樂がうごう仕つかまつ仕つかまつつかまつれれれ。。。」」」ととと仰おほ仰おほおおせせせけれけれければばば、、、平へい平へいへい判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん康やす康やすやす賴より賴よりよりつとつとつと参まゐ参まゐまいつつっててて、、、「「「あゝあゝああ、、、あまりあまりあまりにににへいじへいじへいじののの多おほ多おほおおううう候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、もてもてもて醉ゑ醉ゑえひひいててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかん僧そう僧そうそう都づ都づず、、、「「「さてさてさてそれそれそれをををばばば、、、いかゞいかゞいかが仕つかまつ仕つかまつつかまつるるるべきべきべきやらやらやらんんん。。。」」」西さい西さいさい光くわう光くわうこう法ほふ法ほふほっ師し師しし、、、「「「たゞたゞただ首くび首くびくびををを取と取ととるるるにににははは如し如ししかかかじじじ。。。」」」とてとてとて、、、瓶へい瓶へいへい子じ子じじののの首くび首くびくびををを取と取ととつつってててぞぞぞ入い入いいりりりにににけるけるける。。。法ほふ法ほふほう印いん印いんいん、、、あまりあまりあまりのののあさましさあさましさあさましさににに、、、つや〳〵つや〳〵つやつやものものものももも申まう申まうもうささされれれずずず。。。かへす〴〵かへす〴〵かえすがえす恐おそ恐おそおそろしかりろしかりろしかりしししことことことどもどもどもなりなりなり。。。
  18. 18さてさてさて與よ與よよ力りき力りきりきののの輩ともがら輩ともがらともがらたれたれたれだれだれだれぞぞぞ。。。近あふ近あふおう江み江みみののの中ちゆう中ちゆうちゅう將じやう將じやうじょう入にふ入にふにゅう道だう道だうどう蓮れん蓮れんれん淨じやう淨じやうじょう、、、俗ぞく俗ぞくぞく名みやう名みやうみょう成なり成なりなり雅まさ雅まさまさ、、、法ほつ法ほつほっ勝しよう勝しようしょう寺じ寺じじののの執しゆ執しゆしゅ行ぎやう行ぎやうぎょう俊しゆん俊しゆんしゅん寛くわん寛くわんかん僧そう僧そうそう都づ都づず、、、山やま山やまやま城しろ城しろしろののの守かみ守かみかみ基もと基もともと兼かね兼かねかね、、、式しき式しきしき部ぶ部ぶぶののの大たい大たいたい輔ふ輔ふふ雅まさ雅まさまさ綱つな綱つなつな、、、平へい平へいへい判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん康やす康やすやす賴より賴よりより、、、宗そう宗そうそう判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん信のぶ信のぶのぶ房ふさ房ふさふさ、、、新しん新しんしん平へい平へいへい判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん資すけ資すけすけ行ゆき行ゆきゆき、、、武ぶ武ぶぶ士し士ししにににははは多た多たた田だ田だだののの藏くら藏くらくら人うど人うどうど行ゆき行ゆきゆき綱つな綱つなつなをををはじめはじめはじめとととしてしてして、、、北ほく北ほくほく面めん面めんめんののの者もの者ものものどもどもども多おほ多おほおおくくく與よ與よよ力りき力りきりきしししてててけりけりけり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

こうして、天皇の御元服の取り決めは、その日は延期されて、同じ月の二十五日、院の殿上で御元服のお取り決めがあった。摂政殿(基房)はそのままでいらっしゃるわけにもいかないので、同じ年の十一月九日に兼宣旨をお受けになって、同じ十四日に太政大臣にお上りになった。そして同じ十七日にお礼の申し上げがあったけれども、世の中はやはり苦々しい様子に見えた。

そのうちにその年も暮れた。嘉応も三年になった。正月五日に天皇が御元服なさって、同じ十三日に朝覲の行幸があった。法皇と女院(建春門院)がお待ち受けになって、初冠の天皇のお姿を、どれほどかわいらしくお思いになったことだろう。入道相国の御娘(徳子)が女御として入内なさった。御年十五歳で、法皇の御猶子という扱いである。

妙音院殿(藤原師長)は、そのころはまだ内大臣で左大将でいらっしゃったが、大将を辞退なさることがあった。そのとき、徳大寺大納言実定卿がその任にふさわしい方であった。また花山院中納言兼雅卿も望んでいた。そのほか、故中御門藤中納言家成卿の三男、新大納言成親卿も、ひたすら望み申された。

その大納言は、院のご機嫌がよかったので、さまざまな祈りを始められた。まず石清水八幡宮に百人の僧をこもらせて、大般若経を七日間真読させていたさなかに、甲良の大明神の御前の橘の木へ、男山の方から山鳩が三羽飛んで来て、つつき合って死んでしまった。鳩は八幡大菩薩の第一のお使いである。

「この宮寺にこのような不思議はかつてない」といって、時の検校の匡清法印がこのことを内裏へ奏上したので、これはただ事ではない、お占いをすべきだということで、神祇官でお占いがあった。重い御謹慎の兆しと占い申した。ただし、これは天皇の御謹慎ではなく、臣下の謹慎だと申した。

それなのに大納言は恐れもせず、昼は人目が多いので、毎夜徒歩で、中御門烏丸の宿所から賀茂の上社へ、七夜続けて参詣された。七夜目が満ちた夜、宿所に帰って、疲れて少しまどろんだときの夢に、賀茂の上社へ参ったと思われて、御宝殿の御扉を押し開き、たいそう気高いお声で、

桜の花よ、賀茂の川風を恨むなよ。散るのをとどめることはできないのだから。

大納言はこれにもなお恐れもせず、賀茂の上社の御宝殿の後ろにある杉の木のうろに壇を設け、ある聖をこもらせて、荼枳尼天の法を百日間行わせたところ、あるとき急に空がかき曇り、雷がおびただしく鳴って、その大杉に落ちかかり、雷火が燃え上がって、社殿も危なく見えたのを、神官たちが走り集まって消し止めた。

そしてその外法を行っていた聖を追い出そうとした。聖は「私はこの社に百日こもる志があって、今日で七十五日になる。決して出ない」といって動かない。このことを社家から内裏へ奏上したところ、「ただ法に従って処置せよ」と宣旨が下された。そこで神人が白い杖でその聖のうなじを打ちすえて、一条大路から南へ追い出した。神は礼にかなわないことを受けないというのに、この大納言が分に過ぎた大将の位を祈り申したためであろうか、このような不思議も起こったのである。

そのころの叙位・除目は、院や天皇のおはからいでもなく、摂政・関白のご裁断にもよらず、ただひたすら平家の思いのままであったので、徳大寺も花山院もなれず、入道相国の嫡男の小松殿が、そのときはまだ大納言で右大将でいらっしゃったのが左大将に移り、次男の宗盛が中納言でいらっしゃったのが、多くの上位の人々を飛び越えて右大将に加えられたことは、言いようもないことであった。

なかでも徳大寺殿は首席の大納言で、名門の家柄、才学にすぐれ、家の嫡男でいらっしゃったのに、平家の次男宗盛卿に位を越えられなさったのは、残念なことであった。きっと御出家なさるのではないかと、人々はささやき合われたけれども、徳大寺殿はしばらく世の成り行きを見ようといって、大納言を辞して引きこもってしまわれたということである。

新大納言成親卿がおっしゃるには、「徳大寺や花山院に越えられたのならまだしも、平家の次男の宗盛に位を越えられたことこそ、残念でならない。何としてでも平家を滅ぼして、本望を遂げよう」とおっしゃったのは恐ろしいことである。

父の卿は、この年齢では、わずか中納言にまでしか至られなかった。その末子でありながら、位は正二位、官は大納言にまで上って、大国をいくつも賜り、子息も家来も朝廷の恩に誇っていた。何の不足があって、このような心をお持ちになったのか、ひとえに天魔のしわざと思われた。平治の乱でも越後中将として藤原信頼に同心したので、そのときすでに処刑されるはずであったのを、小松殿がいろいろと申し上げて命を助けられたのである。それなのにその恩を忘れて、他人のいない所で武具を整え、兵を味方に引き入れて置き、朝夕ただ戦の準備のほかには、ほかのこともしないように見えた。

東山の鹿の谷という所は、後ろが三井寺に続いていて、すばらしい城郭のような所であった。そこに俊寛僧都の山荘があった。そこにいつも寄り集まっては、平家を滅ぼす計略をめぐらしていた。

ある夜、法皇もお出ましになった。故少納言入道信西の子息、静憲法印もお供していた。その夜の酒宴で、このことをご相談なさったところ、法印は「ああ、あさましい。大勢の人が聞いてしまいました。今にも漏れ聞こえて、天下の一大事になってしまいましょう」と申されたので、

大納言は顔色を変えて、さっと立たれたが、御前に置かれていた瓶子を、狩衣の袖にひっかけて倒されたのを、法皇がご覧になって「あれはどうした」とおっしゃると、大納言は振り返って「平氏(瓶子)が倒れました」と申された。

法皇も大笑いなさって、「者ども、参って猿楽をせよ」とおっしゃったので、平判官康頼がさっと参って、「ああ、あまりにへいじ(瓶子・平氏)が多うございますので、酔ってしまいました」と申す。俊寛僧都が「さて、それをどういたしましょうか」と言うと、西光法師が「ただ首を取るにこしたことはない」といって、瓶子の首を折り取って奥へ入ってしまった。法印はあまりのあさましさに、まったくものも申されない。かえすがえすも恐ろしいことであった。

さて、謀反に加わった者はだれだれか。近江中将入道蓮浄(俗名成雅)、法勝寺の執行俊寛僧都、山城守基兼、式部大輔雅綱、平判官康頼、宗判官信房、新平判官資行、武士では多田蔵人行綱をはじめとして、北面の者どもが多く加わっていた。

意訳

章段の前半は、高倉天皇の元服と、清盛の娘徳子の入内を語る。徳子が後白河法皇の猶子として入内したことは、平家と皇室の結びつきがいっそう強まったことを示している。一方で、摂政基房は殿下乗合の屈辱を受けたまま太政大臣に昇り、「世の中は猶にがにがしう」と、平家への反感がくすぶり続けていたことが語られる。

左大将の欠員をめぐる争いが、鹿ケ谷の陰謀の直接のきっかけとなる。藤原成親は大将の位を望んで八幡や賀茂に祈るが、山鳩が死に、夢に「散るをばえこそとどめざりけれ」という神の歌を聞き、荼枳尼天の法を行わせた杉には雷が落ちる。神仏に拒まれても恐れない成親の姿は、その後の破滅を予告している。結局、大将の地位は重盛と宗盛の兄弟が占め、成親は平家への恨みを募らせる。

後半の鹿ケ谷の場面は、『平家物語』の中でもよく知られた場面である。法皇も加わった酒宴で、成親が瓶子(へいじ)を倒して「平氏(へいじ)たふれ候ひぬ」と言い、西光が瓶子の首を取って見せる。言葉遊びの座興のように見えて、実は平家打倒の謀議であり、それを法皇が笑って受け入れている。この軽はずみな謀議が、やがて密告によって露見し、多くの人々の運命を狂わせていく。

語釈・文法注

朝覲
天皇が年頭などに、上皇や皇太后の御所に行幸して拝礼すること。
妙音院殿
藤原師長(1138〜1192)。頼長の子で、琵琶の名手として知られた。のち太政大臣となる。
吒幾爾の法
荼枳尼天を本尊として願望の成就を祈る密教の修法。外法とされ、人の命を縮めるともいわれた。

文法

「さてもわたらせ給ふべきならねば」
そのままの地位でいらっしゃるわけにもいかないので、の意。殿下乗合の後、基房を慰める意味もあって太政大臣に昇進させたことをいう。
「散るをばえこそとゞめざりけれ」
「え…ざり」は不可能を表し、係助詞「こそ」を受けて過去の助動詞「けり」の已然形「けれ」で結ぶ。散るのはとどめることができないのだ、の意で、成親の望みがかなわないことを神が告げたもの。
「動かず」
底本は「動」に「はたら」とふりがなを付ける。動こうとしない、の意。
「平氏たふれ候ひぬ」
倒れた「瓶子(へいじ)」に「平氏(へいし)」を掛けた洒落。
「たゞ首を取るには如かじ」
「如かじ」は、及ぶまい、…にこしたことはない、の意。瓶子の首(口の部分)を取ることに、平家の首を取ることを掛ける。

和歌

さくらばな賀茂の川風うらむなよ散るをばえこそとゞめざりけれ

詠者
賀茂の神(成親の夢の中の声)
状況
大将の位を祈って賀茂の上社に七夜参詣した成親が、満願の夜の夢で、御宝殿の中から聞いた神の歌。

修辞

比喩
「さくらばな」を成親に、「散る」を望みがかなわないことにたとえ、神にもとどめられないと告げる。

解説

鹿ケ谷の陰謀は、治承元年(1177)に発覚した平家打倒の計画である。藤原成親・西光・俊寛らが東山鹿ケ谷の俊寛の山荘に集まって謀議したとされ、後白河法皇も関わっていたと伝えられる。物語は事件の発端を、嘉応から安元にかけての大将人事に置き、成親の個人的な恨みを強調しているが、実際には後白河院の近臣たちと平家との対立が背景にあった。

重盛が左大将、宗盛が右大将に並んだのは治承元年(1177)正月で、「わが身の栄華の事」に述べられていた兄弟左右に並ぶ栄誉がこれにあたる。この人事で徳大寺実定は越えられ、のちに厳島に参詣して清盛の歓心を買い、大将の地位を得たという話が巻第二の「徳大寺厳島詣での事」に語られる。

与力の人々のうち、俊寛・康頼・成経(成親の子)はのちに鬼界が島に流され、西光は斬られ、成親は備前で殺される。密告者となる多田行綱の名が、ここですでに挙げられている。

関連

出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、280–284頁(コマ169–171)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日