古典ライブラリー

百人一首 第16首

たちわかれ

中納言行平(在原行平)(ちゅうなごんゆきひら(ありわらのゆきひら))

あなたと別れて因幡の国へ行っても、因幡の山の峰に生える松のように、あなたが待っていると聞いたなら、すぐにでも帰ってこよう。

因幡へ旅立つ朝、馬の手綱を取って都を振り返る在原行平と、背後の山の峰に並ぶ松(AI生成)
因幡へ旅立つ朝、馬の手綱を取って都を振り返る在原行平と、背後の山の峰に並ぶ松
  1. 1たちたちたちわかれわかれわかれ初句
  2. 2のののやまやまやまののの二句
  3. 3みねみねみねにににおふるおふるおうる三句
  4. 4ととときかきかきかばばば四句
  5. 5いまいまいまかへりかへりかえり結句

引用の仕方

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現代語訳

あなたと別れて因幡の国へ行っても、その因幡の山の峰に生えている松のように、あなたが私を待っていると聞いたなら、すぐにでも帰ってこよう。

意訳

地方官として遠い因幡の国へ赴任するとき、都に残る人に贈った別れの歌である。「いなば(往なば・因幡)」「まつ(松・待つ)」と二つの掛詞を重ね、別れの悲しさを、「待っていてくれるならすぐ帰る」という温かな約束へと変えている。

江戸時代以降、この歌は「いなくなった猫や犬が帰ってくるおまじない」として広く知られるようになった。歌の下の句を紙に書いて貼っておくと、迷った動物が戻ってくると信じられたのである。待つ人のもとへ必ず帰るという歌の心が、時代を超えて受け継がれている。

語釈・文法注

いなば
「往なば」(行ってしまったならば)と、地名「因幡」(鳥取県東部)の掛詞。「いなばの山」は因幡国府の近くにある稲葉山とされる。
まつ
「松」と「待つ」の掛詞。
とし
「と」は引用の格助詞、「し」は強意の副助詞。「待つと(さえ)聞いたならば」。
いまかへりこん
「今帰り来む」。「今」はすぐに、「む(ん)」は意志の助動詞。「すぐに帰ってこよう」。

文法

掛詞(いなば・まつ)
「いなば」に「往なば」と「因幡」、「まつ」に「松」と「待つ」を掛ける。
序詞(いなばの山のみねにおふる)
「峰に生ふる」までが「まつ(松)」を導き、掛詞で「待つ」へと転じる。

和歌

詠者
中納言行平(在原行平)(818–893)
平城天皇の孫で、阿保親王の子。在原業平の異母兄。因幡守などの地方官を経て中納言に至った。一族の子弟のための学校「奨学院」を創設した。一時、須磨に籠居したと伝えられ、『源氏物語』須磨の巻に影響を与えた。
出典
『古今和歌集』巻八・離別・365(国歌大観番号)
状況
『古今和歌集』には「題しらず」として収める。855年、因幡守として赴任するときの歌とされる。

修辞

掛詞
「いなば(往なば・因幡)」「まつ(松・待つ)」。
序詞
「いなばの山のみねにおふる」が「まつ」を導く。

解説

『百人一首一夕話』によれば、行平は斉衡2年(855)正月に因幡守に任じられており、この歌はその赴任の際の別れの歌だという。

行平は、異母弟の業平とともに在原姓を賜った。文徳天皇の時代に事情があって須磨に籠居したとされ、そこで詠んだ「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ」(古今集)の歌は、『源氏物語』で光源氏が須磨に退く場面の下敷きとなった。謡曲『松風』も、須磨での行平と海女の姉妹の物語である。

迷い猫が帰るおまじないとしての用法は、江戸時代の随筆などに見えるもので、現在でも知られている。

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歌に詠まれた場所

出典

底本
尾崎雅嘉『百人一首一夕話』 天保4年(1833)刊、巻2。国立国会図書館デジタルコレクション
校合
古谷知新編『日本歴史図会』第12輯(百人一首一夕話) 国民図書、大正9–10年。国立国会図書館デジタルコレクション
松下大三郎・渡辺文雄編『国歌大観』歌集部 明治34–36年
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日