平家物語 巻第十一
先帝御入水の事
子の教能を生け捕りにされた阿波民部重能は源氏に寝返り、平家の計略を明かしたため、源氏は大将たちの乗る兵船を狙って攻めた。四国・九州の兵も平家にそむき、平家は逃げ場を失う。知盛は御所の船に参って、見苦しい物を海に捨てさせ、自ら船を掃除し、女房たちの問いに「珍しい東男をご覧になるでしょう」と笑って答えた。二位尼は神璽を脇に挟み宝剣を腰に差して、八歳の安徳天皇を抱き、どこへ行くのかと問う帝に、東に向いて伊勢大神宮に別れを告げ、西に向いて念仏するよう勧め、「波の底にも都がございます」と慰めて、千尋の海底に沈んだ。
- 1阿阿あ波波わののの民民みん部部ぶ重重しげ能能よしはははこのこのこの三三さん箇箇か年年ねんががが閒閒あいだ、、、平平へい家家けににについついついててて忠忠ちゅうををを致致いたしししたりたりたりしかしかしか共共ども、、、子子し息息そく田田でん内内ない左左ざ衞衞え門門もん教教のり能能よしををを生生いけ捕捕どりにににせせせられられられててて、、、今今いまはははかなはかなはかなわじじじとととややや思思おもひひいけんけんけん、、、忽忽たちまちちちににに心心こころ變變がわりりりしししててて源源げん氏氏じととと一一ひとつつつににになりなりなりにににけりけりけり。。。新新しん中中ちゅう納納な言言ごん知知とも盛盛もりののの卿卿きょう、、、あつぱれあつぱれあっぱれ重重しげ能能よしめめめををを斬斬きつつっててて捨捨すつつつべかりべかりべかりつるつるつるものものものをををととと、、、後後こう悔悔かいせせせられられられけれけれけれどもどもどもかひかひかいぞぞぞなきなきなき。。。平平へい家家けののの方方かたののの謀謀はかりごとにににははは、、、よきよきよき武武む者者しゃをををばばば兵兵ひょう船船せんににに乘乘のせせせ、、、雜雜ぞう人人にんばらばらばらをををばばば唐唐とう船船せんににに乘乘のせせせててて、、、源源げん氏氏じ心心こころ憎憎にくさささににに唐唐とう船船せんををを攻攻せめめめばばば、、、中中なかににに取取とりりりこめこめこめててて討討うたたたんんんととと、、、支支し度度たくせせせられられられたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、重重しげ能能よしががが返返かえりりり忠忠ちゅうののの上上うえははは、、、唐唐とう船船せんにににははは目目めもももかけかけかけずずず、、、大大たい將將しょう軍軍ぐんのののやつしやつしやつし乘乘のりりり給給たまへへえるるる兵兵ひょう船船せんをををぞぞぞ攻攻せめめめたりたりたりけるけるける。。。そのそのその後後のちははは四四し國國こく、、、鎭鎭ちん西西ぜいののの兵兵つわもの共共ども、、、皆皆みな平平へい家家けををを背背そむいいいててて源源げん氏氏じにににつくつくつく。。。今今いままでまでまで從從したがひひいつきつきつきたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、君君きみににに向向むかつつっててて弓弓ゆみををを引引ひききき、、、主主しゅうににに對對たいしししててて太太た刀刀ちををを拔拔ぬくくく。。。かしこかしこかしこののの岸岸きしににに著著つかかかんんんとととすれすれすればばば、、、波波なみ高高たこうううしししてててかなひかなひかない難難がたししし。。。こゝこゝここののの汀汀みぎわににに寄寄よせせせんんんとととすれすれすればばば、、、敵敵かたき矢矢や先先さきををを揃揃そろへへえててて待待まちちちかけかけかけたりたりたり。。。源源げん平平ぺいののの國國くに爭爭あらそひひい、、、今日今日きょうををを限限かぎりりりとととぞぞぞ見見みえええたりたりたりけるけるける。。。
- 2さるさるさる程程ほどににに源源げん氏氏じののの兵兵つわものどもどもども平平へい家家けののの船船ふねににに乘乘のりりり移移うつりりりけれけれければばば、、、水水すい主主しゅ楫楫かん取取どりどもどもども或或あるいははは射射い殺殺ころささされれれ、、、或或あるいははは切切きりりり殺殺ころささされれれててて、、、船船ふねををを直直なおすすすににに及及およばばばずずず、、、船船ふな底底ぞこにににみなみなみな倒倒たおれれれ伏伏ふしししにににけりけりけり。。。新新しん中中ちゅう納納な言言ごん知知とも盛盛もりののの卿卿きょう小小こ船船ぶねににに乘乘のつつっててて、、、いそぎいそぎいそぎ御御ご所所しょののの御御おん船船ふねへへへ參參まいらららせせせたまひたまひたまいててて、、、「「「世世よののの中中なかははは今今いまはははかうかうこうととと覺覺おぼえええ候候そうろう。。。見見み苦苦ぐるしきしきしき物物ものどもどもどもをををばばばみなみなみな海海うみへへへ入入いれれれててて、、、船船ふねののの掃掃そう除除じめさめさめされれれ候候そうらへへえ。。。」」」とととててて、、、掃掃はいいいたりたりたり、、、拭拭のごうううたりたりたり、、、塵塵ちり拾拾ひろひひい、、、艫艫とも舳舳へににに走走はしりりりまはつまはつまわっててて、、、手手てづからづからずから掃掃そう除除じししし給給たまひひいけりけりけり。。。女女にょう房房ぼうたちたちたち、、、「「「やゝやゝやや中中ちゅう納納な言言ごん殿殿どの、、、軍軍いくさののの樣樣ようはははいかにいかにいかにやややいかにいかにいかに。。。」」」ととと問問とひひい給給たまへへえばばば、、、「「「たゞたゞただ今今いま珍珍めずらしきしきしきあづまあづまあずま男男おとこをををこそこそこそ御御ご覽覽らんぜぜぜられられられ候候そうらははわんんんずずずらめらめらめ。。。」」」とととててて、、、からからからからからからととと笑笑わらははわれれれけれけれければばば、、、「「「なんでふなんでふなんじょうたゞたゞただ今今いまののの戲戲たわぶれれれぞぞぞややや。。。」」」とととててて、、、聲聲こえ々々ごえにににをめきをめきおめき叫叫さけびびび給給たまひひいけりけりけり。。。
- 3二二に位位い殿殿どのははは日日ひ頃頃ごろよりよりより思思おもひひい設設もうけけけ給給たまへへえるるる事事ことなれなれなればばば、、、鈍鈍にぶ色色いろののの二二ふた衣衣つぎぬうちうちうちかづきかづきかずき、、、練練ねり袴袴ばかまのののそばそばそば高高たかくくく取取とりりり、、、神神しん璽璽じををを脇脇わきににに挾挾はさみみみ、、、寶寶ほう劒劒けんををを腰腰こしにににさしさしさし、、、主主しゅ上上しょうををを抱抱いだききき參參まいらららせせせててて、、、「「「われわれわれははは女女おんななりなりなりともともとも、、、敵敵かたきののの手手てにににははは懸懸かかるるるまじまじまじ。。。主主しゅ上上しょうののの御御おん供供ともににに參參まいるるるなりなりなり。。。御御おん志志こころざし思思おもひひい給給たまははわんんん人人ひと々々びとははは急急いそぎぎぎ續續つづきききたまへたまへたまえややや。。。」」」とととててて、、、しづ〳〵しづ〳〵しずしずととと舷舷ふなばたへへへぞぞぞ歩歩あゆみみみ出出いでででられられられけるけるける。。。
- 4主主しゅ上上しょう今今こ年年としははは八八はっ歳歳さいにににぞぞぞならならならせせせおはしますおはしますおわします。。。御御おん年年としののの程程ほどよりよりより遙遙はるかかかにににねびねびねびさせさせさせ給給たまひひいててて、、、御御おん容容かたちいつくしういつくしういつくしゅう、、、あたりあたりあたりももも照照てりりり輝輝かがやくくく許許ばかりりりなりなりなり。。。御御おん髪髪ぐし黑黑くろうううゆら〳〵ゆら〳〵ゆらゆらととと、、、御御おん背背せ中中なか過過すぎぎぎさせさせさせ給給たまひひいけりけりけり。。。主主しゅ上上しょうあきれあきれあきれたるたるたる御御おんありさまありさまありさまにににててて、、、「「「そも〳〵そも〳〵そもそも尼尼あま前前ぜ、、、われわれわれをををばばば何何いず地地ちへへへ具具ぐしししててて行行ゆかかかんんんとととはははするするするぞぞぞ。。。」」」ととと仰仰おおせせせけれけれければばば、、、二二に位位い殿殿どの幼幼おさなききき君君きみににに向向むかひひい參參まいらららせせせ、、、涙涙なみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流流ながいいいててて、、、「「「君君きみははは未未いまだだだしろしめさしろしめさしろしめされれれ候候そうらははわずずずややや。。。先先せん世世ぜののの十十じゅう善善ぜん戒戒かい行行ぎょうののの御御おん力力ちからににによつよつよっててて、、、今今いま萬萬ばん乘乘じょうののの主主あるじとととははは生生うまれれれさせさせさせ給給たまへへえどもどもども、、、惡惡あく緣緣えんににに引引ひかかかれれれててて、、、御御ご運運うん既既すでににに盡盡つきききさせさせさせ給給たまひひい候候そうらひひいぬぬぬ。。。まづまづまず東東ひがしににに向向むかははわせせせ給給たまひひいててて、、、伊伊い勢勢せ大大だい神神じん宮宮ぐうににに御御おん暇暇いとま申申もうさささせせせおはしましおはしましおわしまし、、、そのそのその後後のち西西にしににに向向むかははわせせせ給給たまひひいててて、、、西西さい方方ほう淨淨じょう土土どののの來來らい迎迎ごうににに預預あずからららんんんととと誓誓ちかははわせせせおはしましおはしましおわしましててて御御おん念念ねん佛佛ぶつ候候そうろうべしべしべし。。。このこのこの國國くにははは粟粟そく散散さん邊邊へん土土どととと申申もうしししててて、、、ものものものうきうきうき境境さかいにににててて候候そうろう。。。あのあのあの波波なみののの下下したにににこそこそこそ、、、極極ごく樂樂らく淨淨じょう土土どとととてててめでたきめでたきめでたき都都みやこののの候候そうろう。。。それそれそれへへへ具具ぐししし參參まいらららせせせ候候そうろうぞぞぞ。。。」」」とととさま〴〵さま〴〵さまざまににに慰慰なぐさめめめ參參まいらららせせせしかしかしかばばば、、、山山やま鳩鳩ばと色色いろののの御御ぎょ衣衣いにににびんづらびんづらびんずら結結ゆははわせせせ給給たまひひいててて、、、御御おん涙涙なみだににに溺溺おぼれれれ、、、小小ちいさうさうそう美美うつくしきしきしき御御おん手手てををを合合あははわせせせ、、、まづまづまず東東ひがしににに向向むかははわせせせ給給たまひひいててて、、、伊伊い勢勢せ大大だい神神じん宮宮ぐう、、、正正しょう八八はち幡幡まん宮宮ぐうににに御御おん暇暇いとま申申もうさささせせせおはしましおはしましおわしまし、、、そのそのその後後のち西西にしににに向向むかははわせせせ給給たまひひいててて御御おん念念ねん佛佛ぶつありありありしかしかしかばばば、、、二二に位位い殿殿どのやがてやがてやがて抱抱いだききき參參まいらららせせせててて、、、「「「波波なみののの底底そこにににももも都都みやこののの候候そうろうぞぞぞ。。。」」」ととと慰慰なぐさめめめ參參まいらららせせせててて、、、千千ち尋尋ひろののの底底そこにににぞぞぞ沉沉しずみみみ給給たまふふう。。。
- 5悲悲かなしきしきしきかなかなかなややや無無む常常じょうののの春春はるののの風風かぜ、、、忽忽たちまちちちににに花花はなののの御御おん姿姿すがたををを散散ちらしらしらし、、、いたましきいたましきいたましきかなかなかな分分ぶん斷斷だんののの荒荒あらききき浪浪なみ、、、玉玉ぎょく體體たいををを沉沉しずめめめ奉奉たてまつるるる。。。殿殿でんをををばばば長長ちょう生生せいととと名名なづけづけづけててて、、、長長ながききき住住すみ家家かととと定定さだめめめ、、、門門もんをををばばば不不ふ老老ろうととと號號こうしししててて、、、老老おいいいせせせぬぬぬ關關とざしとととははは書書かきききたれたれたれどもどもども、、、未未いまだだだ十十じっ歳歳さいののの中中うちにににしししててて底底そこののの水水み屑屑くずとととならならならせせせおはしますおはしますおわします。。。十十じゅう善善ぜん帝帝てい位位いののの御御おん果果か報報ほう、、、申申もうすすすもももなか〳〵なか〳〵なかなかおろかおろかおろかなりなりなり。。。雲雲うん上上じょうののの龍龍りょう下下くだつつっててて海海かい底底ていののの魚魚うおとととなりなりなり給給たまふふう。。。大大たい梵梵ぼん高高こう臺臺だいののの閣閣かくののの上上うえ、、、釋釋しゃく提提だい喜喜き見見けんののの宮宮みやののの中中うち、、、古古いにしえははは槐槐かい門門もん棘棘きょく路路ろののの閒閒あいだににに九九きゅう族族ぞくををを靡靡なびかししし、、、今今いまははは船船ふねののの内内うち、、、波波なみののの下下したにににててて御御おん身身みををを一一いち時時じににに亡亡ほろぼしぼしぼし給給たまふふうこそこそこそ悲悲かなしけれしけれしけれ。。。
現代語訳
阿波民部重能はこの三年の間、平家に忠節を尽くしてきたが、子息田内左衛門教能を生け捕りにされて、今はもうかなうまいと思ったのか、たちまち心変わりして源氏と一つになった。新中納言知盛卿は、ああ重能めを斬って捨てるべきだったと後悔されたが、どうにもならない。平家方の計略では、よい武者を兵船に乗せ、雑兵どもを唐船に乗せて、源氏が奥ゆかしい唐船を攻めたら、中に取り囲んで討とうと用意されていたが、重能が裏切ったうえは、唐船には目もくれず、大将軍が身をやつして乗っておられる兵船を攻めた。その後は四国・九州の兵たちもみな平家にそむいて源氏についた。今まで従ってきた者たちが、君に向かって弓を引き、主に向かって太刀を抜く。あちらの岸に着こうとすれば、波が高くて着けない。こちらの汀に寄せようとすれば、敵が矢先をそろえて待ち構えている。源平の国争いも、今日を限りと見えた。
やがて源氏の兵たちが平家の船に乗り移ったので、水主や楫取たちは射殺されたり切り殺されたりして、船を立て直すこともできず、船底にみな倒れ伏した。新中納言知盛卿は小舟に乗って急いで御所の御船に参られ、「世の中はもうこれまでと思われます。見苦しい物はみな海へ捨てて、船の掃除をなさいませ」といって、掃いたり拭いたり、塵を拾ったり、艫や舳を走り回って自ら掃除なさった。女房たちが「まあ中納言殿、戦の様子はどうですか、どうですか」とお尋ねになると、「もうすぐ珍しい東男をご覧になるでしょう」といって、からからと笑われたので、「何ですか、こんなときに冗談を」といって、声々に泣き叫ばれた。
二位殿は前々から覚悟しておられたことなので、鈍色の二衣を頭からかぶり、練絹の袴の脇を高くはさみ上げ、神璽を脇に挟み、宝剣を腰に差し、主上をお抱き申して、「私は女であっても、敵の手にはかかるまい。主上のお供に参るのです。お志のある方々は急いで続きなさい」といって、静かに舷へ歩み出られた。
主上は今年八歳におなりであった。お年のほどよりはるかに大人びておられて、お姿は気高く美しく、あたりも照り輝くほどである。御髪は黒くゆらゆらと、お背中より長く垂れておられた。主上は驚きあきれたご様子で、「尼前よ、私をどこへ連れて行こうとするのか」と仰せになると、二位殿は幼い君に向かい申して、涙をはらはらと流して、「君はまだご存じないのですか。前世で十善の戒行を保たれたお力によって、今は天子とお生まれになりましたが、悪縁に引かれて、ご運はもう尽きてしまわれました。まず東に向かわれて伊勢大神宮にお別れを申され、その後西に向かわれて、西方浄土のお迎えにあずかろうとお誓いになってお念仏なさいませ。この国は粟散辺土と申して、つらい所でございます。あの波の下にこそ、極楽浄土というすばらしい都がございます。そこへお連れ申すのです」とさまざまにお慰め申したので、山鳩色の御衣に美豆良を結われた帝は、御涙にむせびながら小さくかわいらしい御手を合わせ、まず東に向かわれて伊勢大神宮・正八幡宮にお別れを申され、その後西に向かわれてお念仏なさったので、二位殿はすぐにお抱き申して、「波の底にも都がございますよ」とお慰め申して、千尋の海の底に沈まれた。
悲しいことよ、無常の春の風がたちまち花のようなお姿を散らし、痛ましいことよ、生死を分かつ荒波が玉体を沈め申した。御殿を長生殿と名づけて長い住まいと定め、門を不老門と名づけて、老いることのない関とは書いたけれども、まだ十歳にもならないうちに海底の藻屑となられた。十善の帝位のご果報も、申すまでもなく言葉では言い尽くせない。雲の上の竜が下って海底の魚となられたのである。大梵天の高台の楼閣の上、帝釈天の喜見城の宮の中のように尊い身で、昔は大臣・公卿の間に一族を従わせておられたのに、今は船の中、波の下で、お身を一時に滅ぼされたのは悲しいことである。
意訳
平家物語の中でもとりわけ哀切な、安徳天皇の入水の場面である。船を掃除し、迫り来る敵を「珍しきあづま男」と笑ってみせる知盛の姿には、滅びを前にした武人の覚悟と余裕がにじむ。
「尼前、われをば何地へ具して行かんとはするぞ」という幼い帝の問いと、「波の底にも都の候ぞ」と答える二位尼の言葉は、この物語を代表する一節として古来人々の涙を誘ってきた。長生殿・不老門の名と、十歳にもならずに海に沈んだ帝の運命との対比が、無常の思いをいっそう深くしている。
語釈・文法注
文法
- 「源氏心憎さに唐船を攻めば」
- 源氏が、立派な唐船には大将が乗っていると思って攻めたならば。
- 「返り忠」
- 寝返り。裏切り。
- 「珍しきあづま男をこそ御覽ぜられ候はんずらめ」
- まもなく珍しい東国の男(源氏の武者)をご覧になるでしょう。敵が乗りこんでくることを戯れていう。
- 「鈍色の二衣」
- 喪服の色である鈍色(濃い灰色)の衣を二枚重ねたもの。
- 「神璽」「寶劒」
- 三種の神器のうちの八尺瓊勾玉と草薙剣。
- 「ねびさせ給ひて」
- 大人びておられて。
- 「尼前」
- 尼に対する敬称。ここでは祖母二位尼をさす。
- 「十善戒行」
- 殺生・偸盗などの十悪を犯さない戒。前世でこれを保った果報で天子に生まれるとされた。
- 「粟散邊土」
- 粟粒を散らしたような辺地の小国。日本をさす。
- 「山鳩色の御衣」
- 天皇の常の装束である麹塵(きくじん)色の袍。
- 「びんづら」
- 美豆良。髪を左右に分けて耳のあたりで束ねた少年の髪形。
- 「殿をば長生と名づけて…門をば不老と號して」
- 唐の長生殿、漢の不老門にちなむ。長寿を願う名であったのに、の意。
- 「槐門棘路」
- 大臣(槐門)と公卿(棘路)。
解説
安徳天皇は元暦二年(1185)三月二十四日、壇の浦で祖母の二位尼(平時子)に抱かれて入水した。数え八歳。下関市の赤間神宮は安徳天皇を祀り、近くに御陵がある。宝剣はこのとき海に沈み、ついに見つからなかったと伝える。一方、安徳天皇が生き延びて各地に落ち延びたという伝説も、四国・九州の山間に多く残っている。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、790–793頁(コマ424–425)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日