古典ライブラリー

平家物語 巻第七

篠原合戦の事

義仲は勝利を謝して諸社に神領を寄進した。かつて石橋山で頼朝を射た斎藤別当実盛ら東国の武士たちは平家方にあり、実盛が木曾殿へ降ろうと持ちかけると、股野景久はそれを恥として討死を誓い、実盛も本心は同じだと明かして、皆が北国での討死を約した。五月二十一日、加賀の篠原で両軍が激突し、平家方の高橋長綱は、助けた若武者入善行重に油断して討たれ、武蔵三郎左衛門有国も立ったまま討死した。

  1. 1木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのやがてやがてやがてそこそこそこにてにてにて、、、諸しよ諸しよしょ社しや社しやしゃへへへ神じん神じんじん領りやう領りやうりょうををを寄よ寄よよせせせらるらるらる。。。多た多たた田だ田だだののの八や八やや幡はた幡はたはたへへへははは蝶てふ蝶てふちょう屋や屋ややののの莊しやう莊しやうしょう、、、菅すが菅すがすが生ふ生ふふののの社やしろ社やしろやしろへへへははは能の能のの美み美みみののの莊しやう莊しやうしょう、、、氣け氣けけ比ひ比ひひののの社やしろ社やしろやしろへへへははは飯はん飯はんはん原はら原はらはらののの莊しやう莊しやうしょう、、、白しら白しらしら山やま山やまやまののの社やしろ社やしろやしろへへへははは横よこ横よこよこ江え江ええ、、、宮みや宮みやみや丸まる丸まるまる二に二にに箇か箇かか所しよ所しよしょののの莊しやう莊しやうしょうををを寄き寄きき進しん進しんしんすすす。。。平へい平へいへい泉せん泉せんせん寺じ寺じじへへへははは藤ふぢ藤ふぢふじ島しま島しましま七しち七しちしち鄕がう鄕がうごうをををぞぞぞ寄よ寄よよせせせられられられけるけるける。。。
  2. 2去い去いいんんんぬるぬるぬる治ぢ治ぢじ承しよう承しようしょう四し四しし年ねん年ねんねん八はち八はちはち月ぐわつ月ぐわつがつ石いし石いしいし橋ばし橋ばしばし山やま山やまやまののの合かつ合かつかっ戰せん戰せんせんののの時とき時ときとき、、、兵ひやう兵ひやうひょう衞ゑ衞ゑえののの佐すけ佐すけすけ殿どの殿どのどの射い射いい奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりししし武ぶ武ぶぶ士し士ししどもどもども、、、みなみなみな逃に逃ににげげげ上のぼ上のぼのぼつつっててて、、、平へい平へいへい家け家けけののの御み御みみ方かた方かたかたにににぞぞぞ候さぶら候さぶらさぶらひひいけるけるける。。。宗むね宗むねむね徒と徒ととののの人ひと人ひとひと々びと々びとびとにににははは長なが長ながなが井ゐ井ゐいののの齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう實さね實さねさね盛もり盛もりもり、、、浮うき浮うきうき巢す巢すすののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ親ちか親ちかちか、、、股また股またまた野の野ののののの五ご五ごご郎らう郎らうろう景かげ景かげかげ久ひさ久ひさひさ、、、伊い伊いい藤とう藤とうとうののの九く九くく郎らう郎らうろう祐すけ祐すけすけ氏うぢ氏うぢうじ、、、眞ま眞まま下しも下しもしもののの四し四しし郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ直なほ直なほなおなりなりなり。。。これらこれらこれらはははみなみなみな軍いくさ軍いくさいくさのののあらあらあらんんん程ほど程ほどほど暫しばら暫しばらしばらくくく休やす休やすやすまままんんんとてとてとて、、、日ひ日ひひ毎ごと毎ごとごとににに寄よ寄よよりりりあひ〳〵あひ〳〵あいよりあい、、、巡じゆん巡じゆんじゅん酒しゆ酒しゆしゅをををしてしてしてぞぞぞ慰なぐさ慰なぐさなぐさみみみけるけるける。。。まづまづまず長なが長ながなが井ゐ井ゐいののの齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとうがががもともともとににに寄よ寄よよりりり合あ合ああひひいたりたりたりけるけるける日ひ日ひひ、、、實さね實さねさね盛もり盛もりもり申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「つら〳〵つら〳〵つらつら當たう當たうとう世せい世せいせいののの體てい體ていていををを見み見みみ候さふらふ候さふらふそうろうににに、、、源げん源げんげん氏じ氏じじののの方かた方かたかたはははいよ〳〵いよ〳〵いよいよ強つよ強つよつよくくく、、、平へい平へいへい家け家けけののの御み御みみ方かた方かたかたははは負まけ負まけまけ色いろ色いろいろににに見み見みみえええさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて候さふらふ候さふらふそうろう。。。いざいざいざ各おのおの各おのおのおのおの木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのへへへ參まゐ參まゐまいらららううう。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、みなみなみな、、、「「「さんなうさんなうさんのう。。。」」」とととぞぞぞ同どう同どうどうじじじけるけるける。。。
  3. 3次つぎ次つぎつぎののの日ひ日ひひ、、、またまたまた浮うき浮うきうき巢す巢すすののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろうがががもともともとににに寄よ寄よよりりりあひあひあいたりたりたりけるけるける時とき時ときとき、、、齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとう、、、「「「さてさてさてももも昨日きのふ昨日きのふきのう實さね實さねさね盛もり盛もりもり申まう申まうもうししししししことことことはははいかにいかにいかに、、、各おのおの各おのおのおのおの。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、そのそのその中なか中なかなかににに股また股またまた野の野ののののの五ご五ごご郎らう郎らうろう景かげ景かげかげ久ひさ久ひさひさ、、、進すゝ進すゝすすみみみ出い出いいでででててて申まう申まうもうしししけるけるけるははは、、、「「「さすがさすがさすがわれらわれらわれらははは東とう東とうとう國ごく國ごくごくでででははは人ひと人ひとひとににに知し知ししららられれれててて名な名ななあるあるある者もの者ものものでででこそこそこそあれあれあれ。。。吉きつ吉きつきつににについついついてててあなたあなたあなたへへへ參まゐ參まゐまいりりり、、、こなたこなたこなたへへへ參まゐ參まゐまいらららんんんことことことははは見み見みみ苦ぐる苦ぐるぐるしかるしかるしかるべしべしべし。。。人ひと人ひとひと々びと々びとびとののの御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころどもどもどもをををばばば知し知ししりりり參まゐ參まゐまいらせらせらせずずず候さふらふ候さふらふそうろう。。。景かげ景かげかげ久ひさ久ひさひさにににおいおいおいてててははは、、、今こん今こんこん度ど度どど平へい平へいへい家け家けけののの御み御みみ方かた方かたかたででで討うち討うちうち死じに死じにじにせせせんんんととと、、、思おも思おもおもひひい切き切ききつつっててて候さふらふ候さふらふそうろうぞぞぞ。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、齋さい齋さいさい藤とう藤とうとう別べつ別べつべつ當たう當たうとうあざあざあざ笑わら笑わらわらつつっててて、、、「「「まことまことまことにににははは各おのおの各おのおのおのおのののの御おん御おんおん心こゝろ心こゝろこころどもどもどもをををがながながな引ひ引ひひかかかんんんとてとてとてこそこそこそ申まう申まうもうしししたれたれたれ。。。實さね實さねさね盛もり盛もりもりももも今こん今こんこん度ど度どど北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくにてにてにて討うち討うちうち死じに死じにじにせせせんんんととと思おも思おもおもひひい切き切ききつつっててて候さふら候さふらそうらへへえばばば、、、二ふた二ふたふた度たび度たびたび命いのち命いのちいのち生い生いいきききててて、、、都みやこ都みやこみやこへへへははは歸かへ歸かへかえるるるまじきまじきまじき由よし由よしよし、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどのへへへももも申まう申まうもうししし上あ上ああげげげ、、、人ひと人ひとひと人びと人びとびとにににもももそのそのそのやうやうようををを申まう申まうもうししし置お置おおききき候さふらふ候さふらふそうろう。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、皆みな皆みなみなまたまたまたこのこのこの議ぎ議ぎぎにににぞぞぞ同どう同どうどうじじじけるけるける。。。そのそのその約やく約やくやく束そく束そくそくををを違たが違たがたがへへえじじじとととややや、、、當たう當たうとう座ざ座ざざにににありありありけるけるける二に二にに十じふ十じふじゅう餘よ餘よよ人にん人にんにんののの侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいどもどもどもももも、、、今こん今こんこん度ど度どど北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくにてにてにて一いつ一いついっ所しよ所しよしょににに死し死ししににににににけるけるけるこそこそこそ無む無むむ慙ざん慙ざんざんなれなれなれ。。。
  4. 4平へい平へいへい家け家けけははは加か加かか賀が賀ががののの國くに國くにくに篠しの篠しのしの原はら原はらはらににに引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞいいいててて、、、人じん人じんじん馬ば馬ばばののの息いき息いきいきをををぞぞぞ休やす休やすやすめめめけるけるける。。。同おな同おなおなじきじきじき五ご五ごご月ぐわつ月ぐわつがつ二は二はは十つ十つつ日か日かかののの日ひ日ひひ、、、木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどの五ご五ごご萬まん萬まんまん餘よ餘よよ騎き騎きき、、、篠しの篠しのしの原はら原はらはらへへへぞぞぞ向むか向むかむかははわれれれけるけるける。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのののの方かた方かたかたよりよりより今いま今いまいま井ゐ井ゐいののの四し四しし郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね平ひら平ひらひら、、、まづまづまず五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ騎き騎ききにてにてにて馳は馳ははせせせ向むか向むかむかふふう。。。平へい平へいへい家け家けけののの方かた方かたかたにににははは畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやまののの庄しやう庄しやうしょう司じ司じじ重しげ重しげしげ能よし能よしよし、、、小を小をお山やま山やまやま田だ田だだののの別べつ別べつべつ當たう當たうとう有あり有ありあり重しげ重しげしげ、、、宇う宇うう都つの都つのつの宮みや宮みやみやののの左さ左ささ衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもん朝とも朝ともとも綱つな綱つなつな、、、これらこれらこれらははは大おほ大おほおお番ばん番ばんばん役やく役やくやくにてにてにて、、、折をり折をりおりふしふしふし在ざい在ざいざい京きやう京きやうきょうしししたりたりたりけるけるけるををを、、、大臣殿おほいどの大臣殿おほいどのおおいどの、、、「「「汝なんぢ汝なんぢなんじ等ら等ららははは古ふる古ふるふるいいい者もの者ものものなりなりなり、、、軍いくさ軍いくさいくさのののやうやうようをををももも掟おき掟おきおきてててよよよ。。。」」」とてとてとて今こん今こんこん度ど度どど北ほつ北ほつほっ國こく國こくこくへへへ向む向むむけけけられられられたりたりたり。。。かれらかれらかれら兄きやう兄きやうきょう弟だい弟だいだい、、、三さん三さんさん百びやく百びやくびゃく餘よ餘よよ騎き騎ききでででうちうちうち向むか向むかむかふふう。。。畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやま、、、今いま今いまいま井ゐ井ゐい、、、始はじ始はじはじめめめははは五ご五ごご騎き騎きき、、、十じつ十じつじっ騎き騎ききづゝづゝずつ出いだ出いだいだししし合あ合ああははわせせせててて勝しよう勝しようしょう負ぶ負ぶぶをををせせせさせさせさせけるけるけるががが、、、後のち後のちのちにににははは兩りやう兩りやうりょう方はう方はうほう亂みだ亂みだみだれれれ合あ合あおうううてててぞぞぞ戰たゝか戰たゝかたたかひひいけるけるける。。。同おな同おなおなじきじきじき二に二にに十じふ十じふじゅう一いち一いちいち日にち日にちにちののの午むま午むまうまののの刻こく刻こくこく、、、草くさ草くさくさもももゆるがゆるがゆるがずずず照て照ててらすらすらす日ひ日ひひににに、、、源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺいののの兵つはもの兵つはものつわもの共ども共どもども、、、われわれわれ劣おと劣おとおとらららじじじととと戰たゝか戰たゝかたたかへへえばばば、、、遍へん遍へんへん身しん身しんしんよりよりより汗あせ汗あせあせ出い出いいでででててて、、、水みづ水みづみずををを流なが流ながながすすすににに異こと異ことことならならならずずず。。。今いま今いまいま井ゐ井ゐいががが方かた方かたかたにににももも兵つはもの兵つはものつわもの多おほ多おほおおくくく亡ほろ亡ほろほろびびびにににけりけりけり。。。畠はたけ畠はたけはたけ山やま山やまやま、、、家いへ家いへいえののの子こ子ここ、、、郎らう郎らうろう等どう等どうどう多おほ多おほおおくくく討う討ううたたたせせせ、、、力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばででで引ひき引ひきひき退しりぞ退しりぞしりぞくくく。。。次つぎ次つぎつぎににに平へい平へいへい家け家けけののの方かた方かたかたよりよりより高たか高たかたか橋はし橋はしはしののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがん長なが長ながなが綱つな綱つなつな、、、五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ騎き騎ききででで馳は馳ははせせせ向むか向むかむかふふう。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのののの方かた方かたかたよりよりより樋ひ樋ひひ口ぐち口ぐちぐちののの次じ次じじ郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね光みつ光みつみつ、、、落おち落おちおち合あひ合あひあいののの五ご五ごご郎らう郎らうろう兼かね兼かねかね行ゆき行ゆきゆき、、、三さん三さんさん百びやく百びやくびゃく餘よ餘よよ騎き騎ききでででうちうちうち向むか向むかむかふふう。。。源げん源げんげん平ぺい平ぺいぺいののの兵つはもの兵つはものつわものどもどもども暫しば暫しばしばししし支さゝ支さゝささへへえててて防ふせ防ふせふせぎぎぎ戰たゝか戰たゝかたたかふふう。。。されどもされどもされども高たか高たかたか橋はし橋はしはしががが方かた方かたかたののの勢せい勢せいせいははは、、、國くに國くにくに々ぐに々ぐにぐにのののかりかりかり武む武むむ者しや者しやしゃなりなりなりけれけれければばば、、、一いつ一いついっ騎き騎ききももも落お落おおちちち合あ合ああははわずずず、、、われわれわれ先さき先さきさきにににとととぞぞぞ落お落おおちちち行ゆ行ゆゆきききけるけるける。。。高たか高たかたか橋はし橋はしはし心こゝろ心こゝろこころははは猛たけ猛たけたきょううう思おも思おもおもへへえどもどもども、、、後うしろ後うしろうしろあばらあばらあばらににになりなりなりけれけれければばば、、、力ちから力ちからちから及およ及およおよばばばずずずたゞたゞただ一いつ一いついっ騎き騎きき、、、南みなみ南みなみみなみををを指さ指ささしししてててぞぞぞ落お落おおちちち行ゆ行ゆゆきききけるけるける。。。
  5. 5こゝこゝここににに越ゑつ越ゑつえっ中ちゆう中ちゆうちゅうののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん入にふ入にふにゅう善ぜん善ぜんぜんののの小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろう重しげ重しげしげ行ゆき行ゆきゆき、、、よいよいよい敵かたき敵かたきかたきととと目め目めめをををかけかけかけ、、、鞭むち鞭むちむち鐙あぶみ鐙あぶみあぶみをををあはせあはせあわせててて馳は馳ははせせせ來きた來きたきたりりり、、、おしおしおし竝なら竝ならならべべべてててむずむずむずととと組く組くくむむむ。。。高たか高たかたか橋はし橋はしはし、、、入にふ入にふにゅう善ぜん善ぜんぜんをををつかんつかんつかんででで鞍くら鞍くらくらののの前まへ前まへまえ輪わ輪わわにににおしおしおしつけつけつけ、、、ちつちつちっとととももも働はたら働はたらはたらかかかさささずずず、、、「「「さてさてさてわわわ君ぎみ君ぎみぎみははは何なに何なになに者もの者ものものぞぞぞ、、、名な名ななのれのれのれ、、、聞き聞ききかかかううう。。。」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、「「「越ゑつ越ゑつえっ中ちゆう中ちゆうちゅうののの國くに國くにくにののの住ぢゆう住ぢゆうじゅう人にん人にんにん入にふ入にふにゅう善ぜん善ぜんぜんののの小こ小ここ太た太たた郎らう郎らうろう行ゆき行ゆきゆき重しげ重しげしげ、、、生しやう生しやうしょう年ねん年ねんねん十じふ十じふじゅう八はつ八はつはっ歳さい歳さいさい。。。」」」とととぞぞぞ名な名なな乘の乘ののつつったるたるたる。。。高たか高たかたか橋はし橋はしはし涙なみだ涙なみだなみだをををはら〳〵はら〳〵はらはらととと流なが流ながながいいいててて、、、「「「あなあなあな無む無むむ慙ざん慙ざんざん、、、去こ去ここ年ぞ年ぞぞ後おく後おくおくれれれたるたるたる長なが長ながなが綱つな綱つなつなががが子こ子ここもももあらあらあらばばば、、、今こ今ここ年とし年としとしははは十じふ十じふじゅう八はつ八はつはっ歳さい歳さいさいぞぞぞかしかしかし。。。わわわ君ぎみ君ぎみぎみねぢねぢねじ切き切ききつつっててて捨す捨すすつつつべけれべけれべけれどもどもども、、、さらばさらばさらば助たす助たすたすけけけんんん。。。」」」とてとてとて赦ゆる赦ゆるゆるしししけりけりけり。。。高たか高たかたか橋はし橋はしはしののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんははは御み御みみ方かた方かたかたののの勢せい勢せいせい待ま待ままたたたんんんとてとてとて、、、馬むま馬むまうまよりよりより下お下おおりりりててて息いき息いきいきつぎつぎつぎゐゐいたりたりたり。。。入にふ入にふにゅう善ぜん善ぜんぜんももも休やす休やすやすみみみゐゐいたりたりたりけるけるけるががが、、、あつぱれあつぱれあっぱれよいよいよい敵かたき敵かたきかたき、、、われわれわれをををばばば助たす助たすたすけけけたれたれたれどもどもども、、、いかにいかにいかにもももしてしてして討う討ううたたたばやばやばやととと思おも思おもおもひひいゐゐいたるたるたる所ところ所ところところににに、、、高たか高たかたか橋はし橋はしはしこれこれこれをををばばば夢ゆめ夢ゆめゆめにににももも知し知ししらららずずず、、、うちうちうちとけとけとけててて物もの物ものもの語がたり語がたりがたりをををぞぞぞしししゐゐいたるたるたる。。。入にふ入にふにゅう善ぜん善ぜんぜんははは聞きこ聞きこきこゆるゆるゆる早はや早はやはや業わざ業わざわざののの男をとこ男をとこおとこにてにてにてありありありけれけれければばば、、、高たか高たかたか橋はし橋はしはしががが見み見みみぬぬぬひまひまひまににに刀かたな刀かたなかたなををを拔ぬ拔ぬぬききき、、、立た立たたちちち上あが上あがあがりりり、、、高たか高たかたか橋はし橋はしはしののの判はう判はうほう官ぐわん官ぐわんがんががが内うち内うちうち兜かぶと兜かぶとかぶとをををしたゝかしたゝかしたたかににに刺さ刺ささすすす。。。刺さ刺ささささされれれてててひるむひるむひるむ所ところ所ところところににに、、、入にふ入にふにゅう善ぜん善ぜんぜんががが郎らう郎らうろう等どう等どうどう後おく後おくおくれれれ馳ば馳ばばせせせににに三さん三さんさん騎き騎きき馳は馳ははせせせ來きた來きたきたつつっててて落お落おおちちち合あ合あおうううたりたりたり。。。高たか高たかたか橋はし橋はしはし心こゝろ心こゝろこころははは猛たけ猛たけたきょううう思おも思おもおもへへえどもどもども、、、敵かたき敵かたきかたきはははあまたあまたあまたなりなりなり、、、手て手ててははは負お負おおひひいつつつ、、、運うん運うんうんややや盡つ盡つつきききにににけんけんけん、、、そこそこそこにてにてにて遂つひ遂つひついににに討う討ううたたたれれれぬぬぬ。。。
  6. 6次つぎ次つぎつぎににに平へい平へいへい家け家けけののの方かた方かたかたよりよりより武む武むむ藏さし藏さしさしののの三さぶ三さぶさぶ郎らう郎らうろう右う右うう衞ゑ衞ゑえ門もん門もんもん有あり有ありあり國くに國くにくに、、、三さん三さんさん百びやく百びやくびゃく餘よ餘よよ騎き騎ききでででをめいをめいおめいててて驅か驅かかくくく。。。木き木きき曾そ曾そそ殿どの殿どのどのののの方かた方かたかたよりよりより仁に仁にに科しな科しなしな、、、高たか高たかたか梨なし梨なしなし、、、山やま山やまやま田だ田だだののの次じ次じじ郎らう郎らうろう、、、五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく餘よ餘よよ騎き騎ききでででうちうちうち向むか向むかむかふふう。。。これこれこれもももしばししばししばし支さゝ支さゝささへへえててて防ふせ防ふせふせぎぎぎ戰たゝか戰たゝかたたかふふう。。。されどもされどもされども有あり有ありあり國くに國くにくにはははあまりあまりあまりににに深ふか深ふかふか入い入いいりりりしてしてして戰たゝか戰たゝかたたかひひいけるけるけるががが、、、馬むま馬むまうまをををももも射い射いいさせさせさせ、、、歩かち歩かちかち立だち立だちだちににになりなりなり、、、兜かぶと兜かぶとかぶとをををももも打う打ううちちち落おと落おとおとささされれれ、、、大おほ大おほおお童わらは童わらはわらわににになつなつなっててて、、、矢や矢やや種だね種だねだねみなみなみな盡つ盡つつきききけれけれければばば、、、打うち打うちうち物もの物ものもの拔ぬ拔ぬぬいいいててて戰たゝか戰たゝかたたかひひいけるけるけるががが、、、矢や矢やや七なゝ七なゝななつつつ八や八ややつつつ射い射いい立た立たたてててられられられ、、、敵かたき敵かたきかたきののの方かた方かたかた睨にら睨にらにらまへまへまえ、、、立たち立たちたち死じに死じにじににににこそこそこそ死し死ししににににににけれけれけれ。。。大たい大たいたい將しやう將しやうしょうかやうかやうかようににになるなるなる上うへ上うへうえははは、、、そのそのその勢せい勢せいせいみなみなみな落お落おおちちちぞぞぞゆくゆくゆく。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

木曾殿はすぐにそこで、諸社へ神領を寄進された。多田の八幡へは蝶屋の荘、菅生の社へは能美の荘、気比の社へは飯原の荘、白山の社へは横江・宮丸の二か所の荘を寄進した。平泉寺へは藤島七郷を寄せられた。

去る治承四年八月の石橋山の合戦のとき、兵衛佐殿(頼朝)を射た武士たちは、みな逃げ上って平家の味方になっていた。その主な人々は、長井の斎藤別当実盛、浮巣三郎重親、股野五郎景久、伊藤九郎祐氏、真下四郎重直である。この人々は、戦が始まるまでしばらく休もうといって、毎日寄り集まっては酒を酌み交わして慰めあっていた。まず長井の斎藤別当のもとに集まった日、実盛が言うには、「つくづく当世のありさまを見ますと、源氏の方はいよいよ強く、平家の方は負け色に見えます。さあ皆で木曾殿へ参ろう」と言ったので、皆「それがよい」と同意した。

次の日、また浮巣三郎のもとに集まったとき、斎藤別当が「さて昨日実盛が申したことはどうですか、皆さん」と言うと、その中の股野五郎景久が進み出て言うには、「なんといってもわれらは東国では人に知られた名のある者である。形勢のよい方についてあちらへ参り、こちらへ参りするのは見苦しいことだ。皆さんのお心は存じませんが、景久は今度平家の味方として討死しようと覚悟しております」と言ったので、斎藤別当はあざ笑って、「本当は皆さんのお心を試そうとして申したのです。実盛も今度北国で討死しようと覚悟しておりますので、二度と生きて都へは帰るまいと、大臣殿にも申し上げ、人々にもそのように申しおいてあります」と言ったので、皆またこの考えに同意した。その約束を違えまいとしたのか、その座にいた二十余人の侍たちも、今度北国で一か所で死んでしまったのは痛ましいことである。

平家は加賀国篠原に退いて、人馬の息を休めていた。同じ五月二十日、木曾殿の五万余騎が篠原へ向かわれた。木曾殿の方から今井四郎兼平がまず五百余騎で駆けつけた。平家の方には畠山庄司重能、小山田別当有重、宇都宮左衛門朝綱がいた。この人々は大番役でちょうど在京していたのを、大臣殿が「おまえたちは古参の者だ。戦の指図もせよ」といって、今度北国へ向けられたのである。彼ら兄弟が三百余騎で立ち向かった。畠山と今井は、はじめは五騎、十騎ずつ出し合って勝負をさせていたが、後には両軍入り乱れて戦った。同じ二十一日の午の刻(正午ごろ)、草も揺れない炎天の下で、源平の武士たちが負けまいと戦うと、全身から汗が出て、水を流すようであった。今井の方にも兵が多く討たれた。畠山は家の子・郎等を多く討たせ、力及ばず退いた。次に平家の方から高橋判官長綱が五百余騎で駆けつけた。木曾殿の方からは樋口次郎兼光と落合五郎兼行が三百余騎で立ち向かった。源平の武士たちはしばらく持ちこたえて防ぎ戦った。しかし高橋の手勢は諸国から駆り集めた武者であったので、一騎も踏みとどまらず、我先にと逃げて行った。高橋は心では勇ましく思ったが、背後ががら空きになったので、どうしようもなく、ただ一騎で南をさして落ちて行った。

そこへ越中国の住人入善小太郎重行が、よい敵だと目をつけて、鞭と鐙を合わせて駆けて来て、馬を並べてむずと組みついた。高橋は入善をつかんで鞍の前輪に押しつけ、少しも身動きさせず、「さてそなたは何者だ。名のれ、聞こう」と言ったので、「越中国の住人入善小太郎行重、十八歳」と名のった。高橋ははらはらと涙を流して、「ああかわいそうに。去年死に別れた長綱の子が生きていれば、今年は十八歳だ。そなたの首をねじ切って捨てるべきところだが、それなら助けよう」といって許した。高橋判官は味方の軍勢を待とうとして、馬から下りて息をついていた。入善も休んでいたが、あっぱれよい敵だ、自分を助けてはくれたが、なんとかして討ちたいものだと思っていたところに、高橋はそれを夢にも知らず、うちとけて話をしていた。入善は名高い早業の男であったので、高橋が見ていないすきに刀を抜いて立ち上がり、高橋判官の内兜をしたたかに刺した。刺されてひるんだところへ、入善の郎等が遅れて三騎駆けつけて来て加勢した。高橋は心では勇ましく思ったが、敵は大勢であり、傷は負っている。運が尽きたのであろうか、そこでついに討たれた。

次に平家の方から武蔵三郎右衛門有国が三百余騎でわめいて駆けた。木曾殿の方から仁科・高梨・山田次郎が五百余騎で立ち向かった。これもしばらく持ちこたえて防ぎ戦った。しかし有国はあまりに深入りして戦ったので、馬も射られて徒歩となり、兜も打ち落とされてざんばら髪になり、矢もすべて尽きたので、刀を抜いて戦ったが、矢を七つ八つ射立てられ、敵の方をにらみつけたまま、立ったまま死んでしまった。大将がこのようになったので、その手勢はみな逃げて行った。

意訳

篠原の戦いと、次の章段「実盛最後の事」の前置きとを描く章段である。かつて頼朝を射た東国武士たちは、勝ち目のない平家方にとどまって討死する道を選ぶ。形勢を見て主を替えることを恥とする武士の意地が、実盛と景久のやりとりに表れている。

高橋長綱が、亡き子と同い年の若武者を助けて、かえって討たれる話は、戦場の非情さと人情とを対比させている。炎天の下で汗を流して戦う描写も印象深い。

語釈・文法注

文法

「さんなう」
それがよい。「さるなう」の音便で、同意を表す。
「吉について」
形勢のよい方について。
「がな引かん」
なんとか引き出そう。試してみよう。
「入善の小太郎重行」
同じ章段の名のりでは「行重」とあり、底本のまま。
「大童」
兜が脱げて髪が乱れ、ざんばら髪になったさま。

解説

篠原の戦いは寿永二年(1183)六月一日(物語では五月二十一日)の戦いで、倶利伽羅峠に続いて平家は大敗した。この戦いで斎藤別当実盛が討死する(次の「実盛最後の事」)。義仲が寄進した神領のうち、白山や平泉寺への寄進は、北陸の宗教勢力を味方につける意味もあった。

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出典

底本
『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、562–565頁(コマ310–311)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日