おくのほそ道 第2章
旅立ち
三月二十七日の明け方、芭蕉は親しい人々に見送られて深川から舟で隅田川をさかのぼり、千住で舟をおりる。前途三千里の思いに胸がふさがり、「行春や鳥啼魚の目は泪」を旅の最初の句とする。

- 1ももも末末すえののの七日七日なぬか、、、明明あぼのゝぼのゝぼのの空空そら朧朧おぼろ々々ばるとしてとしてとして、、、月月つきはははにてにてにて光光ひかりおさまれるおさまれるおさまれる物物ものからからから、、、ののの峯幽峯幽みねかすかにみえてにみえてにみえて、、、ののの花花はなののの梢梢こずえ又又またいつかいつかいつかはははととと心心こころぼそしぼそしぼそし。。。
- 2むつまじきかぎりむつまじきかぎりむつまじきかぎりははは宵宵よいよりつどひてよりつどひてよりつどいて舟舟ふねににに乘乘のててて送送おくるるる。。。じゆとじゆとじゆと云云い所所ところにてにてにて船船ふねをををあがればあがればあがれば、、、のおもひのおもひのおもい胸胸むねにににふさがりてふさがりてふさがりて、、、のちまたにのちまたにのちまたに離別離別りべつののの泪泪なみだをををそゝぐそゝぐそそぐ。。。
- 3行行ゆ春春はるややや鳥鳥とり啼啼な魚魚うおののの目目めははは泪泪なみだ
- 4是是これをををののの初初はじめとしてとしてとして、、、行道行道ゆくみちなななをををすゝまずすゝまずすすまず。。。人々人々ひとびとははは途中途中とちゅうににに立立たちならびてならびてならびて、、、後後うしろかげのみゆるかげのみゆるかげのみゆる迄迄まではははととと見送見送みおくなるべしなるべしなるべし。。。
現代語訳
三月も末の二十七日、明け方の空はおぼろにかすみ、月は有明の月で光は薄れているものの、富士の峰がかすかに見えて、上野や谷中の桜の梢を、またいつ見られることかと心細い。親しい人たちはみな前の晩から集まって、舟に乗って見送ってくれる。千住という所で舟からあがると、これから先の三千里もの長い道のりを思って胸がいっぱいになり、この世は幻のようなものと知りながら、その幻の分かれ道で、別れの涙を流す。
行春や鳥啼魚の目は泪(過ぎゆく春を惜しんで、鳥は悲しげに鳴き、魚の目にも涙が浮かんでいるようだ)
これを旅の句の書き初めとして出発したが、道ははかどらない。見送りの人々は道の途中に立ち並んで、私たちのうしろ姿が見えるうちはと、見送っているのだろう。
意訳
旅立ちの朝の情景は、有明の月・富士・上野谷中の桜と、名残を惜しむように一つ一つ数え上げられる。どれも、二度と見られないかもしれないものとして目に映っている。
「前途三千里」は誇張だが、生きて帰れるか分からない長い旅への不安と覚悟がこもる。「幻のちまた」は、この世を仮の宿と見る仏教的な無常観をふまえた言葉で、そのはかない世の別れ道だからこそ、別れはいっそう切ない。
発句では、去りゆく春への惜別が、人々との別れの悲しみに重ねられている。鳥や魚にまで涙を見る誇張によって、見送る人と見送られる人の思いが、自然全体に広がっていく。
語釈・文法注
- 彌生も末の七日
- 三月二十七日。元禄二年三月二十七日は、太陽暦の1689年5月16日にあたる。
- 在明
- 有明の月。夜が明けてもまだ空に残っている月。
- 不二の峯
- 富士山。「不二」は二つとないの意をこめた表記。
- 上野谷中
- 上野と谷中。どちらも江戸の桜の名所。
- 千じゆ
- 千住。日光街道・奥州街道の最初の宿場。隅田川の北岸にある。
- 前途三千里
- これから先の長い道のり。実際の旅程はおよそ六百里だが、漢詩風に誇張していう。
- 幻のちまた
- この世を幻と見て、その幻の世の分かれ道。
- 矢立の初
- 旅に出て最初に書く句。「矢立」は筆と墨壺を組み合わせた携帯用の筆記具。
文法
- 光おさまれる物から
- 「おさまれ」は四段動詞「をさまる」の已然形、「る」は存続の助動詞「り」の連体形。「物から」は逆接の接続助詞で、〜ものの。
- いつかはと
- 「いつかは(見む)」の略。また見られるのはいつのことか、の意。
- 行道なをすゝまず
- 「なを」は「なほ」。歴史的仮名遣いでは「なほ」と書くが、底本は「なを」と刷る。
- 見送なるべし
- 「なる」は断定、「べし」は推量。見送っているのであろう。
発句・和歌
行春や鳥啼魚の目は泪
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 千住で見送りの人々と別れるときの句。旅の最初の句(矢立の初め)とされる。季語は「行春」で晩春。
修辞
- 季語
- 行春(ゆくはる)。晩春。
- 切れ字
- 「や」。
- 擬人法
- 鳥が鳴き、魚の目に涙があるとして、自然も別れを悲しむように表している。陶淵明の「羈鳥は旧林を恋ひ、池魚は故淵を思ふ」をふまえるとする説がある。
解説
曾良の『随行日記』によれば、出発は三月二十七日で、本文と一致する。深川から千住までは隅田川をさかのぼって舟で行き、千住で陸に上がった。千住は江戸から奥州・日光へ向かう最初の宿場で、見送りの人々とはここで別れるのが通例であった。
「行春や」の句は、旅立ちの別れの句であると同時に、去りゆく春への惜別の句でもある。冒頭の章の「草の戸も」の句が春の雛祭を詠むのに対し、この句は春の終わりを詠み、作品全体の時間の流れが季語によって刻まれていく。旅の終わりの大垣で詠まれる「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」は、この句と「行春」「行秋」で対応し、別れで始まり別れで終わる構成になっている。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、2〜3頁(コマ10)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日