更級日記 第7章
御仏名の夜と父の任官
十二月の宮の御仏名に参って詠んだ月の歌。結婚して宮仕えから遠ざかり、光源氏のような人はこの世にいなかったと若い日の物語の夢を悔いる。続く記事では、物語の女君のような暮らしを夢見ていたころ、老いた父が遠い常陸介に任じられ、娘を京に残す嘆きを語る。
- 1十二月十二月しわす廿五日廿五日にじゅうごにち、、、宮宮みやのののににに召召めしししあれあれあればばばそのそのその夜夜よばかりばかりばかりととと思思おもひひいててて參參まいりりりぬぬぬ。。。白白しろききききぬきぬきぬどもどもどもににに濃濃こきききかいねりかいねりかいねりををを皆皆みな着着きててて四十餘人四十餘人しじゅうよにんばかりばかりばかり出出いででで居居いたりたりたり。。。しるべしるべしるべししし出出いでででししし人人ひとのののかげかげかげににに隱隱かくれれれてててあるあるあるがががうちうちうちにににうちうちうちほのめいほのめいほのめいててて曉曉あかつきにににはははまかづまかづまかず。。。
- 2雪雪ゆきうちうちうち散散ちりりりててていみじういみじういみじゅう烈烈はげしくしくしくさえさえさえこほるこほるこおる曉曉あかつきがたがたがたののの月月つきののの、、、ほのかほのかほのかににに濃濃こきききかいねりかいねりかいねりののの袖袖そでにににうつれうつれうつれるるるもももげにげにげにぬるゝがほぬるゝがほぬるるがおなりなりなり。。。道道みちすがらすがらすがら、、、
- 3「「「年年としはははくれくれくれ夜夜よはははあけがたあけがたあけがたののの月月つきかげかげかげののの袖袖そでにににうつれうつれうつれるるるほどほどほどぞぞぞはかなきはかなきはかなき」」」。。。
- 4かうかうこう立立たちちち出出いでででぬぬぬとととならならならばばば、、、さてもさてもさても宮宮みやづかへづかへづかえののの方方かたにににもももたちたちたち馴馴なれれれ、、、世世よにににまぎれまぎれまぎれたるたるたるもももねぢけがましきねぢけがましきねじけがましきおぼえおぼえおぼえもももなきなきなき程程ほどははは、、、おのづからおのづからおのずから人人ひとのののやうやうようにににもももおぼしおぼしおぼしもてなさもてなさもてなさせせせ給給たまふふうやうやうようもももあらあらあらましましまし。。。
- 5親親おやだちだちだちもももいといといと心得心得こころえずずず、、、ほどほどほどもももなくなくなくこめこめこめすゑすゑすえつつつ。。。さりとてさりとてさりとてそのそのその有樣有樣ありさまのののたちまちたちまちたちまちにににきらきらしききらきらしききらきらしきいきほひいきほひいきおいなどなどなどあんべいあんべいあんべいやうやうようもももなくなくなく、、、いといといとよしなかりよしなかりよしなかりけるけるけるすゞろすゞろすずろ心心こころにににてててももも殊殊ことののの外外ほかにににたがひたがひたがいぬるぬるぬるありさまありさまありさまなりなりなりかしかしかし。。。
- 6「「「いくいくいく千千ちたびたびたび水水みずののの田芹田芹たぜりをををつみつみつみしかしかしかどどど思思おもひひいしししことことことのののつゆつゆつゆもももかなはかなはかなわぬぬぬ」」」。。。
- 7とととばかりばかりばかりひとりごたひとりごたひとりごたれれれててて止止やみみみぬぬぬ。。。そのそのその後後のちははは何何なにとなくとなくとなくまぎらはしきまぎらはしきまぎらわしきににに、、、物語物語ものがたりのののことことこともももうちうちうち絕絕たえええ忘忘わすららられれれててて、、、物物ものまめやかまめやかまめやかなるなるなるさまさまさまににに心心こころもももなりなりなりはてゝはてゝはててぞぞぞ。。。などなどなどててて多多おおくくくののの年月年月としつきをををいたづらいたづらいたずらにににててて臥臥ふししし起起おきききしししににに、、、行行おこないをををももも物詣物詣ものもうでをををもももせせせざりざりざりけむけむけん。。。このこのこのあらましあらましあらまし事事ごととてもとてもとても思思おもひひいししし事事ことどもどもどもはははこのこのこの世世よにににあんべかりあんべかりあんべかりけるけるけることゞもことゞもことどもなりなりなりややや。。。
- 8光源氏光源氏ひかるげんじばかりばかりばかりののの人人ひとはははこのこのこの世世よにににおはしおはしおわしけりけりけりやややははは。。。ののの宇治宇治うじににに隱隱かくしししすゑすゑすえ給給たまふふうべくべくべくもももなきなきなき世世よなりなりなり。。。あなあなあなくるほしくるほしくるおしややや。。。
- 9國國くににににててて物詣物詣ものもうでををを僅僅わずかにににしししてててもももはかばかしくはかばかしくはかばかしく人人ひとのののやうやうようならならならむむんとととももも念念ねんぜぜぜられられられずずず。。。このこのこの頃頃ころののの世世よののの人人ひとははは十七八十七八じゅうしちはちよりよりよりこそこそこそ經經きょうよみよみよみ行行おこないをををもももすれすれすれ。。。さるさるさることことこと思思おもひひいかけかけかけられられられずずず。。。
- 10辛辛からうじてうじてうじて思思おもひひいよるよるよる事事ことははは、、、いみじくいみじくいみじくやんごとなくやんごとなくやんごとなくかたちかたちかたちありさまありさまありさま物語物語ものがたりにににあるあるある光源氏光源氏ひかるげんじなどなどなどやうやうようにににおはせおはせおわせむむん人人ひとををを、、、年年としににに一度一度ひとたびにににてててももも通通かよはしはしわし奉奉たてまつりりりててて、、、浮舟浮舟うきふねののの女君女君おんなぎみのののやうやうようににに山里山里やまざとにににかくしかくしかくしすゑすゑすえられられられててて花花はな紅葉紅葉もみじ月月つき雪雪ゆきをををながめながめながめててて、、、いといといと心細心細こころぼそげげげにににてててめでたからめでたからめでたからむむん御文御文おおんふみなどなどなどををを時々時々ときどき待待まちちち見見みなどなどなどこそこそこそせせせめめめとととばかりばかりばかり思思おもひひいつゞけつゞけつづけ、、、あらましあらましあらましごとごとごとにににももも覺覺おぼえええけりけりけり。。。
- 11親親おやとととなりなりなりなななばばばいみじういみじういみじゅうやんごとなくやんごとなくやんごとなく我我わががが身身みもももなりなりなりなななむむんととと、、、唯唯ただ行行ゆくへくへくえなきなきなき事事ことをををうちうちうち思思おもひひい過過すぐすぐすぐすににに、、、親親おやからうじてからうじてかろうじて遙遙はるかににに遠遠とおきききあづまあづまあずまににになりなりなりててて「「「年頃年頃としごろはははいつしかいつしかいつしか思思おもふふうやうやうようににに近近ちかききき所所ところにににをりをりおりたらたらたらばばば、、、まづまづまず胸胸むねあくあくあくばかりばかりばかりかしづきかしづきかしずきたてゝたてゝたててゐゐいてててくだりくだりくだりててて海海うみ山山やまののの氣色氣色けしきももも見見みせせせ、、、それそれそれをををばばばさるさるさるものものものにににててて我我わががが身身みよりよりよりももも高高たこうううもてなしもてなしもてなしかしづきかしづきかしずきててて見見みむむんとととこそこそこそ思思おもひひいつれつれつれ。。。
- 12われわれわれももも人人ひとももも宿世宿世すくせのののつたなかりつたなかりつたなかりけれけれければばば、、、ありありありありありありてててかくかくかく遙遙はるかなるなるなる國國くにににになりなりなりにににたりたりたり。。。幼幼おさなかりかりかりししし時時ときあづまあづまあずまののの國國くににににゐゐいててて下下くだりりりてててだにだにだに心心こころちちちももも聊聊いささかあしけれあしけれあしければばば、、、これこれこれをををややや此此こののの國國くにににに見見み捨捨すてゝてゝてて惑惑まどははわむむんとととすすすらむらむらんととと思思おもふふう。。。
- 13人人ひとののの國國くにのののおそろしきおそろしきおそろしきにににつけつけつけてててももも我我わががが身身みひとつひとつひとつならならならばばばやすらかやすらかやすらかならならならましましましををを、、、所所ところせうせうしょうひきひきひき具具ぐしししててて、、、いはいはいわまほしきまほしきまほしき事事こともももえええ言言いははわずずずせせせまほしきまほしきまほしき事事こともももえええせせせずずずなどなどなどあるあるあるががが侘侘わびしうしうしゅうもももあるあるあるかなかなかなととと心心こころををを碎碎くだきききしししににに、、、
- 14今今いまはははまいてまいてまいておとなおとなおとなににになりなりなりにににたるたるたるををを、、、ゐゐいててて下下くだりりりててて我我わががが命命いのちももも知知しらららずずず京京きょうののの中中なかにににてててさすらへさすらへさすらえむむんははは例例れいのののことことこと、、、あづまあづまあずまののの國國くに田舍人田舍人いなかびとににになりなりなりててて惑惑まどははわむむんはははいみじかるいみじかるいみじかるべしべしべし。。。
- 15京京きょうにににてててももも賴賴たのもしうもしうもしゅう迎迎むかへへえ取取とりりりてててむむんととと思思おもふふう類類るいししし族族ぞくもももなしなしなし。。。さりとてさりとてさりとてわづかわづかわずかににになりなりなりたるたるたる國國くにををを辭辭じししし申申もうすすすべきべきべきにににあらあらあらねねねばばば京京きょうにににとゞめとゞめとどめててて永永ながききき別別わかれにににててて止止やみみみぬぬぬべきべきべきなりなりなり。。。
- 16京京きょうにににもももさるさるさるべきべきべきさまさまさまにににもてなしもてなしもてなしてててとゞめとゞめとどめむむんとととははは思思おもひひいよるよるよる事事ことにににもももあらあらあらずずず」」」ととと夜晝夜晝よるひるなげかなげかなげかるゝるゝるるををを聞聞きくくく心心こころちちち、、、花花はな紅葉紅葉もみじのののおもひおもひおもいももも皆皆みな忘忘わすれれれててて悲悲かなしくしくしくいみじくいみじくいみじく思思おもひひい嘆嘆なげかかかるれるれるれどどどいかゞいかゞいかがはははせせせむむん。。。
現代語訳
十二月二十五日、宮の御仏名にお召しがあったので、その夜だけと思って参上した。白い衣を重ねた上に濃い紅の搔練をみな着て、四十人あまりの女房が並んでいた。(わたしは)案内してくれた人の陰に隠れて、その中にちらりと姿を見せて、明け方には退出する。
雪がちらついて、たいそう激しく冷えこんで凍る明け方の月が、ほのかに濃い紅の搔練の袖に映っているのも、本当に(涙に)濡れた顔のようである。帰り道で、
「年は暮れ、夜は明け方となった月の光が、わたしの袖に映っている、その束の間のはかないことよ」。
このように出仕したのならば、そのまま宮仕えにもなじみ、世間に立ちまじっても、ひねくれ者だという評判もない間は、自然と人並みにも扱っていただけることもあっただろうに。
親たちもまったく理解がなく、まもなく(わたしを家に)閉じこめてしまった(結婚させてしまった)。かといって、その暮らしぶりが急にきらびやかな勢いを得るというようなこともなく、たいそうつまらないとりとめのない心にも、思っていたのとは格別に違ってしまった暮らしぶりであることよ。
「何千回も、水辺の田芹を摘んで(苦労して)きたけれど、思ったことは少しもかなわないことだ」。
とだけひとりごとを言って、それきりになった。その後は、何かと忙しさにまぎれて、物語のことも思い出さず忘れてしまって、すっかり実直な心になってしまって……。どうして長い年月を、むなしく寝たり起きたりして過ごしていたのに、勤行も物詣でもしなかったのだろう。あの夢見ていたことも、思っていたことも、この世にありうることだったろうか。
光源氏ほどの人は、この世にいらっしゃるだろうか、いはしない。薫大将が宇治に(浮舟を)隠しすえなさるようなこともない世の中である。ああ、なんとばかげていたことか。
(――ここから別の時期の記事)国で物詣でをわずかにしても、しっかりと人並みになろうとも祈る気になれない。このごろの世の人は、十七、八歳から経を読み、勤行もするものだ。(わたしは)そんなことは思いもよらない。
やっと思いつくことといえば、たいそう高貴で、容貌もようすも物語にある光源氏などのようでいらっしゃる人を、一年に一度でも通わせ申し上げて、浮舟の女君のように山里に隠しすえられて、花や紅葉や月や雪を眺めて、たいそう心細げなようすで、すばらしいお手紙などをときどき待って見たりしたいものだとばかり思い続けて、空想の中でも思っていたのだった。
親が(よい官に)なったら、わが身もたいそう高貴になるだろうと、ただあてにならないことを思って過ごしていると、親はやっとのことで、はるかに遠い東国(常陸)の国司に任じられて、「長年、早く思いどおりに近い国の国司になったら、まず胸がすっきりするほど大切にお世話して(任国へ)連れて下り、海や山の景色も見せ、それはもちろんのこととして、わが身よりも高い身分に扱って大切にしてやろうと思っていた。
わたしもおまえも宿縁がつたなかったので、あげくの果てに、このように遠い国の国司になってしまった。幼かったとき、東国に連れて下ったときでさえ、少しでも気分が悪いと、この子をこの国に見捨てて、途方に暮れることになるのだろうかと思った。
他国の恐ろしさにつけても、わが身一つならば安心していられるだろうに、大勢を連れて行って、言いたいことも言えず、したいこともできないでいるのがつらいことだと、心をくだいていたのに、
今はまして大人になってしまったのを、連れて下って、わたしの命もどうなるかわからず、(わたしが死んで)京の中で落ちぶれてさまようのはよくあることだが、東国の田舎者になってさまようのは、たいそうひどいことだろう。
京でも頼もしく引き取ってくれようと思える親類もない。かといって、やっとのことでなった国司を辞退申し上げるべきでもないので、(おまえを)京に残して、長い別れで終わってしまうにちがいない。
京でも、しかるべきようすに取りはからって残しておこうとは、思いもよらないことだ」と、夜も昼も嘆いていらっしゃるのを聞く気持ちは、花や紅葉を楽しむ思いもすっかり忘れて、悲しく、ひどく嘆かれるけれど、どうしようもない。
意訳
十二月の御仏名の夜、作者は宮家に参る。大勢の女房の陰に隠れるようにして、明け方に退出する。凍える明け方の月が、紅の袖に映るのを、涙に濡れた顔のようだと見る。年の暮れと夜明けを重ねた歌に、宮仕えにも打ちこめないはかなさがにじむ。
宮仕えに慣れれば人並みに扱われたかもしれないのに、親はまもなく作者を結婚させて家に閉じこめた。結婚は橘俊通とのもので、作者は三十三歳ごろだった。田芹を摘む苦労をしても思いはかなわないという歌は、物語のような人生を夢見た心の挫折を詠む。
「光源氏ばかりの人はこの世におはしけりやは」は、この日記の中でもっとも有名な一節の一つである。物語の夢から覚めた晩年の作者が、若い日の自分をきびしくふり返っている。
後半は錯簡で、少女時代の終わり、二十代半ばのころの記事に移る。人々が若くして経を読み勤行するころ、作者は光源氏のような人に年に一度でも通ってもらい、浮舟のように山里に隠れ住みたいと夢見ていた。
その夢を断ち切るように、老いた父が遠い常陸介に任じられる。父は、娘を大切に育てて任国に連れて行きたかったが、今は娘も大人になり、連れて行くことも京に残すこともできないと、夜も昼も嘆く。受領の家の哀しさと、父の深い愛情とが、長い言葉の中に表れている。
語釈・文法注
- 御佛名
- 仏名会。十二月十九日から三日間、三世の諸仏の名を唱えて一年の罪を懺悔する法会。宮中のほか、皇族や貴族の家でも行われた。
- 薰大將
- 『源氏物語』宇治十帖の主人公、薫。宇治に浮舟を隠し住まわせた。
文法
- 「ぬるゝがほ」
- 濡れたような顔つき。月の光が袖に映るのを、涙に濡れた袖に見立てた。
- 「ねぢけがましき」
- ひねくれているような。
- 「こめすゑつ」
- 家に閉じこめておく。結婚させて家庭に入れたことをいう。
- 「おはしけりやは」
- 「やは」は反語。いらっしゃっただろうか、いはしない。
- 錯簡
- 底本では「あなくるほしや」のあとに、少女時代の記事「國にて物詣を僅にしても」が続く。通行本文では「あなものぐるほし」のあとに「いかによしなかりける心なり」と続き、「物詣でをわづかにしても」以下は、第13章の東山の記事のあとに置かれる。
- 「類し族」
- 類親族(るいしぞく)。親類。
- 「さすらへむは例のこと」
- 京の中で落ちぶれてさまようのは、よくあること(それはまだしも)。
和歌
年はくれ夜はあけがたの月かげの袖にうつれるほどぞはかなき
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 十二月二十五日、宮の御仏名に参って明け方に退出する道で、濃い紅の袖に月の光が映るのを見て詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「あけがた」に「明け方」と年の「明け」を響かせる。
- 対句
- 「年はくれ」「夜はあけ」と、暮れると明けるを対にする。
いく千たび水の田芹をつみしかど思ひしことのつゆもかなはぬ
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 結婚して家庭に入ったものの、思い描いていた暮らしとはまったく違ってしまったことを嘆いたひとりごと。
修辞
- 故事
- 身分の低い男が后に恋して芹を摘んで献じたが、かなわなかったという芹摘みの故事による。かいのない苦労のたとえ。
- 縁語
- 「水」「田芹」「つゆ」と水辺にちなむ語を重ねる。
解説
作者は長久元年(1040)ごろ、三十三歳で橘俊通と結婚した。俊通は受領の家の人で、物語の貴公子とはほど遠い堅実な官人だった。作者はこの結婚を、親たちが「こめすゑつ」と、閉じこめられたように書いている。
「光源氏ばかりの人はこの世におはしけりやは」に始まる一節は、物語にあこがれた少女の夢の終わりを示す言葉として知られる。物語に夢中で勤行も物詣でもしなかったことを悔いる心は、作品の後半でさらに強くなる。
後半の父の任官の記事は、錯簡で別の時期のものが続いている。父孝標が常陸介に任じられたのは長元五年(1032)で、作者は二十五歳だった。通行本文では、この記事は第13章の東山の記事のあとに置かれ、第8章の父の旅立ちへと続く。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(更級日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、468–470頁(コマ246–247)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日