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更級日記 第5章

里下がりの父母と西山の秋

京の家は深山のように荒れていた。底本の本文はここで綴じ違いのため宮仕えのころの記事に移り、初出仕から十日ほどで里に下がった作者を待つ老いた父母、清水寺の前世の夢、西山の田舎めいた住まいと、忘れられた秋の歌が続く。

  1. 1ひろびろひろびろひろびろとととあれあれあれたるたるたる所ところ所ところところののの過す過すすぎぎぎ來き來ききつるつるつる山々やまやま山々やまやまやまやまにににもももおとらおとらおとらずずず大おほ大おほおおきにきにきにおそろしげおそろしげおそろしげなるなるなる深山木みやまぎ深山木みやまぎみやまぎどもどもどものののやうやうようにににててて、、、母はは母ははははなくなくなくなりなりなりにににしししめひめひめいどもゝどもゝどもも生うま生うまうまれれれしししよりよりよりひとつひとつひとつにににてててよるよるよるははは左右さいう左右さいうさゆうににに臥ふ臥ふふししし起お起おおきききするするするもももあはれあはれあわれににに思おも思おもおもひひい出い出いいでででられられられなどなどなどしししててて、、、心こころ心こころこころもももそらそらそらにににながめながめながめ暮くら暮くらくらさささるるる。。。
  2. 2たちたちたち聞き聞きききききかいまむかいまむかいまむ人ひと人ひとひとのののけはひけはひけわいしししててていといといといみじくいみじくいみじく物もの物ものものつゝましつゝましつつまし。。。十日とをか十日とをかとをかばかりばかりばかりありありありてててまかでまかでまかでたれたれたればばばてゝてゝててはゝはゝははすびつすびつすびつににに火ひ火ひひなどなどなど興おこ興おこおこしししててて待ま待ままちちち居ゐ居ゐいたりたりたりけりけりけり。。。
  3. 3車くるま車くるまくるまよりよりよりおりおりおりたるたるたるをををうちうちうち見み見みみててて「「「おはするおはするおわする時とき時ときときこそこそこそ、、、人ひと人ひとひとめめめももも見み見みみえええさぶらひさぶらひさぶらいなどなどなどもももありありありけれけれけれ、、、このこのこの日頃ひごろ日頃ひごろひごろははは人聲ひとごゑ人聲ひとごゑひとごえもももせせせずずず前まへ前まへまえににに人ひと人ひとひとかげかげかげももも見み見みみえええずずず、、、いといといと心こころ心こころこころぼそくぼそくぼそくわびしかりわびしかりわびしかりつるつるつる。。。かうかうこうてててのみのみのみもももまろまろまろががが身み身みみをををばばばいかゞいかゞいかがせせせむむんとととかかかするするする」」」とととうちうちうち泣な泣ななくくくををを見み見みみるるるもももいといといと悲かな悲かなかなししし。。。
  4. 4つとめてつとめてつとめてももも「「「今日けふ今日けふきょうはははかくかくかくててておはすれおはすれおわすればばば、、、內うち內うちうちととと人ひと人ひとひとおほくおほくおおくこよなくこよなくこよなくにぎはゝしくにぎはゝしくにぎわわしくもももなりなりなりたるたるたるかなかなかな」」」とととうちうちうちいひいひいいててて對むか對むかむかひひい居ゐ居ゐいたるたるたるもももいといといとあはれあはれあわれににに、、、何なに何なになにのののにほひにほひにおいのののあるあるあるにににかかかととと涙なみだ涙なみだなみだぐましうぐましうぐましゅう聞きこ聞きこきこゆゆゆ。。。
  5. 5「「「ひじりひじりひじりなどなどなどすらすらすら先さき先さきさきののの世よ世よよのののことことこと夢ゆめ夢ゆめゆめににに見み見みみるるるはははいといといとかたかかたかかたかなるなるなるををを、、、いといといとかうかうこうあとあとあとはかないはかないはかないやうやうようにににはかばかしからはかばかしからはかばかしからぬぬぬ心地ここち心地ここちここちににに見み見みみるるるやうやうよう、、、のののらいらいらい堂だう堂だうどうににに居ゐ居ゐいたれたれたればばば、、、別當べつたう別當べつたうべっとうとととおぼしきおぼしきおぼしき人ひと人ひとひと出い出いいででで來き來ききててて、、、
  6. 6そこそこそこはははさきさきさきののの生しやう生しやうしょうにににこのこのこの御寺みてら御寺みてらみてらののの僧そう僧そうそうにににてててなむなむなんありありありししし、、、佛師ぶつし佛師ぶつしぶつしにににててて佛ほとけ佛ほとけほとけをををいといといと多おほ多おほおおくくく作つく作つくつくりりり奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりししし功徳くどく功徳くどくくどくににによりよりよりててて、、、ありありありしししすざうすざうすぞうまさりまさりまさりててて人ひと人ひとひとととと生うま生うまうまれれれたるたるたるなりなりなり、、、
  7. 7これこれこれははは御堂みだう御堂みだうみどうのののひんがしひんがしひんがしにににおはするおはするおわする丈六ぢやうろく丈六ぢやうろくじょうろくののの佛ほとけ佛ほとけほとけはははそこそこそこののの作つく作つくつくりりりたりたりたりしししなりなりなり、、、はくはくはくをををおしおしおしさしさしさしてててなくなくなくなりなりなりにににしししぞぞぞととと。。。あなあなあないみじいみじいみじ。。。さはさはさわあれあれあれにににはくはくはくおしおしおし奉たてまつ奉たてまつたてまつらららむむんととといへいへいえばばばなくなくなくなりなりなりにににしかしかしかばばば、、、ことことこと人びと人びとびとはくはくはくおしおしおし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりてててことびとことびとことびと供養くやう供養くやうくようもももしししてててしししととと見み見みみててて、、、
  8. 8後のち後のちのち淸水きよみづ淸水きよみづきよみずにににねんごろねんごろねんごろににに參まゐ參まゐまいりりり仕つか仕つかつかうまつらうまつらうまつらましましましかかかばばば、、、さきさきさきののの世よ世よよにににそのそのその御寺みてら御寺みてらみてらににに佛ほとけ佛ほとけほとけ念ねん念ねんねんじじじ申まう申まうもうしししけむけむけん力ちから力ちからちからにににおのづからおのづからおのずからやうやうようもももをこがましくをこがましくおこがましく見み見みみえええしかしかしかばばば、、、我わ我わわはははかくかくかくてててとぢとぢとじ籠こも籠こもこもりりりぬぬぬべきべきべきぞぞぞ」」」とととのみのみのみ殘のこ殘のこのこりなげりなげりなげににに世よ世よよををを思おも思おもおもひひいいふいふいうめるめるめるににに心こころ心こころこころぼそさぼそさぼそさ堪た堪たたへへえずずず。。。
  9. 9東ひんがし東ひんがしひんがしははは野の野のののののはるばるはるばるはるばるとととあるあるあるににに、、、ひんがしひんがしひんがしののの山際やまぎは山際やまぎはやまぎわははは比叡ひえ比叡ひえひえののの山やま山やまやまよりよりよりしししててて稻荷いなり稻荷いなりいなりなどなどなどいふいふいう山やま山やまやままでまでまであらはあらはあらわににに見み見みみえええ渡わた渡わたわたりりり、、、西にし西にしにしははは雙ならび雙ならびならびのののののの松風まつかぜ松風まつかぜまつかぜいといといと耳みみ耳みみみみ近ちか近ちかちこううう心細こころぼそ心細こころぼそこころぼそくくく聞きこ聞きこきこえええててて、、、
  10. 10內うち內うちうちにににはははいたゞきいたゞきいただきのののもともともとまでまでまで田た田たたととといふいふいうものゝものゝもののひたひたひたひきひきひきならすならすならす音おと音おとおとなどなどなど、、、田舍ゐなか田舍ゐなかいなかののの心こころ心こころこころちちちしししててていといといとをかしきをかしきおかしきににに、、、月つき月つきつきのののあかきあかきあかき夜よ夜よよなどなどなどはははいといといとおもしろきおもしろきおもしろきををを詠なが詠ながながめめめ明あか明あかあかししし暮くら暮くらくらすすすににに、、、知し知ししりりりたりたりたりししし人ひと人ひとひと、、、里さと里さとさと遠とほ遠とほとおくくくなりなりなりててて音おと音おとおともももせせせずずず。。。便たより便たよりたよりにににつけつけつけててて、、、何事なにごと何事なにごとなにごとかかかあらあらあらむむんとととつたふるつたふるつたうる人ひと人ひとひとににに驚おどろ驚おどろおどろきききててて、、、
  11. 11「「「おもひおもひおもいいでゝいでゝいでて人ひと人ひとひとこそこそこそ訪と訪ととはははねねね山やま山やまやまざとざとざとのののまがきまがきまがきののの荻をぎ荻をぎおぎにににあきあきあき風かぜ風かぜかぜぞぞぞふくふくふく」」」
  12. 12ととといひいひいいてててやるやるやる。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

広々と荒れた家で、通り過ぎてきた山々にも劣らず、大きく恐ろしげな深山の木々のようで、(――ここから宮仕えのころの記事)母を亡くした姪たちも、生まれたときからいっしょで、夜は(わたしの)左右に寝起きしていたのも、しみじみと思い出されたりして、心も上の空でぼんやりと物思いにふけって過ごしてしまう。

(局のあたりで)立ち聞きしたり、のぞき見したりする人の気配がして、たいそうひどく気がひける。十日ほどして里に下がると、父と母は炭櫃に火などをおこして待っていた。

(わたしが)車から降りたのを見て、「あなたがいるときは、人の出入りも見え、侍なども来ていたのに、このごろは人の声もせず、前に人影も見えず、たいそう心細くわびしかった。こうしてばかりいて、わたしの身をどうしようというのか」と泣くのを見るのも、たいそう悲しい。

翌朝も、「今日はこうしてあなたがいるので、内も外も人が多く、この上なくにぎやかになったことだ」と言って向かい合っているのも、たいそうしみじみとして、(わたしに)何の取り柄があるというのかと、涙ぐましく聞こえる。

(――ここから別の時期の記事)「聖などでさえ、前世のことを夢に見るのはたいそう難しいというのに、まったくこのようにとりとめもなく、しっかりしない心で見た夢は、清水寺の礼堂にいると、別当と思われる人が出て来て、

『あなたは前世で、この御寺の僧だったのです。仏師として仏をたいそう多くお造り申し上げた功徳によって、前世の素性よりまさって、人として生まれたのです。

この御堂の東にいらっしゃる丈六の仏は、あなたが造ったものです。箔を押しかけたまま亡くなってしまったのです』と言う。『まあ大変。それでは、あれに箔をお押し申し上げましょう』と言うと、『亡くなってしまったので、ほかの人が箔をお押し申し上げて、ほかの人が供養もしてしまった』と(言うのを)夢に見て、

その後、清水寺に心をこめて参詣してお仕え申し上げていたら、前世でその御寺で仏を念じ申し上げた力で、おのずからよいこともあっただろうに、(それも)ばかばかしく思われたので(参詣もしなかった)。(――以下、父の言葉)わたしはこうして引きこもっていよう」とばかり、先のなさそうに世の中のことを思って言うようなので、心細さにたえられない。

(西山の家は)東は野がはるばると広がっていて、東の山ぎわは、比叡山から稲荷山などという山まではっきりと見わたされ、西は双が岡の松風がたいそう耳近く心細く聞こえて、

内側には、庭先まで田というものがあって、鳴子を引き鳴らす音などが田舎の心地がして、たいそう趣深いうえに、月の明るい夜などはたいそう風情があるのを、物思いにふけって明かし暮らしていると、知り合いだった人は、里が遠くなったので便りもよこさない。ついでのあった人に託して、「どうしていますか」と言づてをよこした人に驚いて、

「思い出して人が訪ねてくれるわけではないのに、山里の垣根の荻に、秋風だけが(訪れるように)吹いている」

と詠んで送る。

意訳

この章は、国文大観の本文の大きな特徴を示す章である。京に着いた家の荒れたようすを述べる文が、途中から宮仕えに出たころの記事に飛ぶ。古写本の頁の順が入れ替わったままの本文(錯簡本)で、ここでは底本の順に従って読む。

初めての宮仕えから十日ほどで里に戻ると、老いた父母は火をおこして待っていた。娘がいないと家に人も来ないと嘆く父の言葉には、娘の宮仕えに頼る受領の家の心細さがにじむ。翌朝の喜びようも、娘にはかえって涙ぐましい。

続く清水寺の夢は、作者が前世で仏師だったと告げられる夢である。自分が造った丈六の仏に、箔を押し終えないまま死んだという。夢を信じて参詣していればよかったと悔いる言葉は、晩年の作者の、信心の薄さへの反省につながる。

「我はかくてとぢ籠りぬべきぞ」は、任を終えて帰京し、隠居を決めた父の言葉である。老いた父の弱気が娘を心細くさせる。

西山の家は、比叡山から稲荷山まで見わたせ、双が岡の松風が聞こえる田舎めいた所である。月夜の美しさの中で、訪ねてくる人もない寂しさを、荻を吹く秋風に託して歌に詠む。

語釈・文法注

淸水
清水寺。京の東山にある観音信仰の寺で、平安時代には参籠する人が多かった。
雙の岡
双が岡。京の西、仁和寺の南にある丘。

文法

錯簡
国文大観の本文では、第4章の京に着く記事の途中「大きにおそろしげなる深山木どものやうにて」から、宮仕えのころの記事「母なくなりにしめひどもゝ」へ続く。古写本の頁の順が入れ替わったままの本文で、底本の順のまま翻刻した。
「てゝはゝ」
父と母。「てて」は父を親しんでいう語。
「まろ」
自分をさす語。ここでは父が自分のことをいう。
「內と」
内外(うちと)。家の内も外も。
「ありしすざう」
前世の素性(すじょう)と解した。
「仕うまつらましかば」
「ましかば……まし」の反実仮想の前半。参詣してお仕えしていたなら。
「ひたひきならす」
「ひた」は引板(ひきいた)、鳴子のこと。田の鳥を追うために引き鳴らす板。

和歌

おもひいでゝ人こそ訪はね山ざとのまがきの荻にあき風ぞふく

詠者
作者(菅原孝標女)
状況
西山の住まいで、知り合いが訪ねて来なくなったころ、ついでに言づてをよこした人に驚いて詠んで送った歌。

修辞

係り結び
「こそ……ね」で、人は訪ねてくれないと強調し、下の句へ逆接でつなぐ。
対比
訪れない人と、訪れる秋風とを対比する。
掛詞的な連想
荻の葉を吹く風の「そよ」という音から、便りを待つ心を響かせる。

解説

『更級日記』の古写本の多くは、藤原定家の写した本(御物本)をもとにしているが、その本は頁の綴じ違いがあったため、江戸時代から明治の版本や活字本の多くは、記事の順が入れ替わった本文になっていた。大正時代に佐佐木信綱・玉井幸助らがこの錯簡を正し、今の通行本文の順になった。国文大観(明治36年)は錯簡のある本文で、このサイトでは底本の順のまま翻刻している。

この章の前半(父母の待つ里下がり)は、通行本文では第6章の宮仕えの記事のあとに、清水寺の夢は後半の物詣での記事の中に、父の「我はかくてとぢ籠りぬべきぞ」の言葉と西山の住まいは、第9章の父の帰京のあとに置かれる。錯簡によって、まったく違う時期の記事が一続きになっている。

西山の住まいの記事は、常陸の任を終えて帰京した父と暮らした長元九年(1036)ごろのことと考えられる。作者は二十代の終わりで、まだ宮仕えにも出ていなかった。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(更級日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、464–465頁(コマ244)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日