更級日記 第19章
夫の死と阿弥陀仏の夢
病に伏しがちになった作者は、ようやく信濃守に任じられた夫を送り出す。翌年夫は帰京するが、秋に病んで十月に亡くなる。初瀬の鏡に映った泣き伏す影こそ自分の運命だったと悟り、物語にふけって信心を怠った生涯を悔いる。ただ一つの頼みは、かつて夢に見た阿弥陀仏の来迎の約束だった。訪ねて来た甥に「姨捨」の歌を詠み、ひとり荒れた家で日記は終わる。
- 1世世よののの中中なかにににとにかくにとにかくにとにかくに心心こころのみのみのみ盡盡つすすすににに、、、宮仕宮仕みやづかえとてもとてもとてもことことことはははひとすぢひとすぢひとすじににに仕仕つかうまつりうまつりうまつりつかつかつかばばばややや。。。いかゞいかゞいかがあらあらあらむむん。。。時々時々ときどき立立たちちちいでいでいでばばば何何なになるなるなるべくべくべくもももなかなかなかめりめりめり。。。
- 2年年としはははやゝやゝややはたはたはた過過すぎぎぎ行行ゆくくくにににわかわかしきわかわかしきわかわかしきやうやうようなるなるなるもももつきなうつきなうつきのうおぼえおぼえおぼえなげかなげかなげかるゝるゝるるうちうちうちににに、、、身身みののの病病やまいいといといと重重おもくくくなりなりなりててて、、、心心こころにににまかせまかせまかせててて物詣物詣ものもうでなどなどなどせせせししし事事ことももも、、、得得えせせせずずずなりなりなりたれたれたればばば、、、わくらはわくらはわくらわののの立立たちちち出出いでででももも絕絕たえええてててながらふながらふながらうべきべきべき心心こころちちちもももせせせぬぬぬまゝまゝままににに、、、
- 3幼幼おさなききき人々人々ひとびとをををいかにいかにいかにもももいかにいかにいかにももも我我わがががあらあらあらむむん世世よににに、、、見見みおくおくおく事事こともももがながながなとととふしふしふしおきおきおき思思おもひひいなげきなげきなげき賴賴たのむむむ。。。人人ひとのののよろこびよろこびよろこびののの程程ほどををを、、、心心こころもとなくもとなくもとなく待待まちちち嘆嘆なげかかかるゝるゝるるににに、、、秋秋あきににになりなりなりててて待待まちちちいでいでいでたるたるたるやうやうようなれなれなれどどど、、、思思おもひひいしししにににはははあらあらあらずずずいといといとほいほいほいなくなくなく口口くちをしをしおし。。。
- 4親親おやのののをりをりおりよりよりより立立たちちち歸歸かえりりりつゝつゝつつ見見みししし東路東路あずまじよりよりよりははは近近ちかきききやうやうようににに聞聞きこゆれゆれゆればばばいかゞいかゞいかがはははせせせむむんにににててて、、、程程ほどもももなくなくなくくだるくだるくだるべきべきべき事事ことどもどもども急急いそぐぐぐににに、、、門出門出かどではははむすめむすめむすめなるなるなる人人ひとののの新新あたらしくしくしく渡渡わたりりりたるたるたる所所ところににに八月八月はづき十餘日十餘日とおかあまりにににすすす。。。後後のちののの事事ことはははしらしらしらずずず。。。そのそのそのほどほどほどのののありさまありさまありさまははは物物もの騒騒さわがしきがしきがしきまでまでまで人人ひと多多おおくくくいきほひいきほひいきおいたりたりたり。。。
- 5廿七日廿七日にじゅうしちにちにににくだるくだるくだるににに男男おとこなるなるなるはははそひそひそいてててくだるくだるくだる。。。紅紅くれないのののうちうちうちたるたるたるににに萩萩はぎのののあをあをあお紫苑紫苑しおんののの織物織物おりものののの指貫指貫さしぬき着着きててて太刀太刀たちはきはきはきてててしりしりしりににに立立たちちちてててあゆみあゆみあゆみ出出いづるづるずるををを、、、それそれそれももも織物織物おりもののののあをにびあをにびあおにびいろいろいろののの指貫指貫さしぬき狩衣狩衣かりぎぬ着着きててて廊廊ろうのののほどほどほどにににててて馬馬うまにににのりのりのりぬぬぬ。。。
- 6のゝしりのゝしりののしりみちみちみちてててくだりくだりくだりぬるぬるぬる後後のちこよなうこよなうこよのうつれづれつれづれつれづれなれなれなれどどど、、、いといといといたういたういとう遠遠とおきききほどほどほどならならならずずずととと聞聞きけけけばばば、、、さきざきさきざきさきざきのののやうやうようににに心細心細こころぼそくくくなどなどなどははは覺覺おぼえええででであるあるあるににに、、、送送おくりりりののの人々人々ひとびと又又またののの日日ひ歸歸かえりりりててて「「「いみじういみじういみじゅうきらきらしうきらきらしうきらきらしゅうててて下下くだりりりぬぬぬ」」」などなどなどいひいひいいててて「「「このこのこの曉曉あかつきにににいみじくいみじくいみじく大大おおきなるきなるきなる人人ひとだまだまだまののの立立たちちちててて京京きょうざまざまざまへへへなむなむなん來來きぬるぬるぬる」」」ととと語語かたれれれどどど供供ともののの人人ひとなどなどなどのののにににこそこそこそはははととと思思おもふふう。。。ゆゝしきゆゝしきゆゆしきさまさまさまににに思思おもひひいだにだにだによらよらよらむむんやややははは。。。
- 7今今いまはははいかでいかでいかでこのこのこのわかきわかきわかき人々人々ひとびとおとなびおとなびおとなびさせさせさせむむんととと思思おもふふうよりよりより外外ほかののの事事ことなきなきなきににに、、、かへるかへるかえる年年としののの四月四月うづきにににのぼりのぼりのぼり來來きててて夏夏なつ秋秋あきももも過過すぎぎぎぬぬぬ。。。九月九月ながつき廿五日廿五日にじゅうごにちよりよりよりわづらひわづらひわずらい出出いでゝでゝでて十月十月かんなづき五日五日いつかににに、、、夢夢ゆめのののやうやうようににに皆皆みないでいでいで思思おもふふう心地心地ここち、、、世世よののの中中なかににに又又また類類たぐひひいあるあるある事事こととととももも覺覺おぼえええずずず。。。
- 8初瀨初瀨はつせににに鏡鏡かがみ奉奉たてまつりりりしししににに、、、伏伏ふしししまろびまろびまろび泣泣なきききたるたるたる影影かげののの見見みえええけむけむけんはははこれこれこれにににこそこそこそはははありありありけれけれけれ。。。嬉嬉うれしげしげしげなりなりなりけむけむけん影影かげはははきしかたきしかたきしかたもももなかりなかりなかりききき。。。今今いま行行ゆくくくすゑすゑすえはははあべいあべいあべいやうやうようもももなしなしなし。。。
- 9廿三日廿三日にじゅうさんにち、、、はかなくはかなくはかなくももも煙煙けぶりににになすなすなすににに、、、去年去年こぞののの秋秋あきいみじくいみじくいみじくしししたてたてたてかしづかかしづかかしずかれれれててて、、、うちうちうちそひそひそいててて下下くだりりりしししををを見見みやりやりやりしししををを、、、いといといと黑黑くろききききぬきぬきぬのののうへうへうえにににゆゝしげゆゝしげゆゆしげなるなるなる物物ものををを着着きててて、、、車車くるまのののともともともににになくなくなくなくなくなく歩歩あゆみみみ出出いででで行行ゆくくくををを見見みいだしいだしいだしててて思思おもひひい出出いづるづるずる心心こころちちち、、、すべてすべてすべてたとへたとへたとえかたかたかたなきなきなきまゝまゝままににに、、、やがてやがてやがて夢路夢路ゆめじににに惑惑まどひひいてててぞぞぞ思思おもふふうにににそのそのその人人ひとやややみみみにににけむけむけんかしかしかし。。。
- 10昔昔むかしよりよりよりよしなきよしなきよしなき物語物語ものがたり歌歌うたののの事事ことをををのみのみのみ心心こころにににしめしめしめててて、、、夜晝夜晝よるひる思思おもひひいててて行行おこなひひいをををせせせましかましかましかばばば、、、いといといとかゝるかゝるかかる夢夢ゆめののの世世よををを見見みずずずもももやややあらあらあらましましまし。。。
- 11初瀨初瀨はつせにににてててまへまへまえのののたびたびたびははは稻荷稻荷いなりよりよりより賜賜たまふふうしるししるししるしののの杉杉すぎよよよとてとてとてなげなげなげ出出いでででられられられしししををを、、、いでいでいでしししまゝまゝままににに稻荷稻荷いなりににに詣詣もうでででたらたらたらましかましかましかばばばかゝらかゝらかからずずずやややあらあらあらましましまし。。。
- 12年年としごろごろごろ天天あまてるてるてる御神御神おおんかみををを念念ねんじじじ奉奉たてまつれれれととと見見みゆるゆるゆる夢夢ゆめははは人人ひとののの御乳母御乳母おおんめのととてとてとて內內うちわたりわたりわたりにににありありあり。。。帝帝みかど后后きさきののの御御おおんかげかげかげににに隱隱かくるるるべきべきべきさまさまさまをををのみのみのみ、、、夢夢ゆめときときときもももあはせあはせあわせしかしかしかどもどもども、、、そのそのその事事ことはははひとつひとつひとつかなはかなはかなわででで止止やみみみぬぬぬ。。。
- 13唯唯ただ悲悲かなしげしげしげなりなりなりととと見見みししし鏡鏡かがみののの影影かげのみのみのみたがはたがはたがわぬぬぬあはれあはれあわれににに心心こころ憂憂うししし。。。かうかうこうのみのみのみ心心こころににに物物もののののかなふかなふかなうかたかたかたなうなうのうててて止止やみみみぬるぬるぬる人人ひとなれなれなればばば、、、功德功德くどくもももつくらつくらつくらずずずなどなどなどしししてててたゞよふたゞよふただよう。。。
- 14さすがさすがさすがににに命命いのちははは憂憂うきききにににももも絕絕たえええずずずながらふながらふながらうめれめれめれどどど、、、後後のちののの世世よもももおもふおもふおもうにににかなはかなはかなわずずずぞぞぞあらあらあらむむんかしかしかしとととぞぞぞうしろめたきうしろめたきうしろめたきににに、、、たのむたのむたのむことことことひとつひとつひとつぞぞぞありありありけるけるける。。。
- 15天喜天喜てんぎ三年三年さんねん十月十月かんなづき十三日十三日じゅうさんにちののの夜夜よののの夢夢ゆめににに、、、居居いたるたるたる所所ところののの屋屋やのののつまつまつまののの庭庭にはにににたちたちたち給給たまへへえりりり、、、さだかさだかさだかにににははは見見みえええ給給たまははわずずず、、、霧霧きり一重一重ひとえへだゝれへだゝれへだたれるるるやうやうようににに透透すきききててて見見みえええ給給たまふふうををを、、、せめてせめてせめてたえまたえまたえまににに見見み奉奉たてまつれれればばば、、、
- 16蓮華蓮華れんげののの座座ざのののつちつちつちをををあがりあがりあがりたるたるたる高高たかさささ三四尺三四尺さんししゃく、、、佛佛ほとけののの御御みたけたけたけ六尺六尺ろくしやくばかりばかりばかりにににててて金色金色こんじきにににひかりひかりひかりかゞやきかゞやきかがやき給給たまひひいててて、、、御手御手みて片片かたつつつ方方かたをををばばばひろげひろげひろげたるたるたるやうやうようににに、、、いまいまいま片片かたつつつ方方かたにににはははゐんゐんいんををを作作つくりりり給給たまひひいたるたるたるををを、、、
- 17ことことこと人人びとののの目目めにににははは見見みつけつけつけ奉奉たてまつらららずずず、、、我我わ一人一人ひとり見見み奉奉たてまつるるるににに、、、さすがさすがさすがにににいみじくいみじくいみじくけけけおそろしけれおそろしけれおそろしければばば簾垂簾垂すだれのののもともともと近近ちかくくくよりよりよりてててもももえええ見見み奉奉たてまつらららねねねばばば、、、佛佛ほとけ、、、さささはははこのこのこのたびたびたびははは歸歸かえりりりてててのちのちのちににに迎迎むかへへえににに來來こむむんとととのたまふのたまふのたまう聲聲こえ、、、我我わががが耳耳みみひとつひとつひとつににに聞聞きききき居居いててて人人ひとはははえええ聞聞ききききつけつけつけずずずととと見見みるるるににに、、、うちうちうち驚驚おどろきききたれたれたればばば十四日十四日じゅうよっかなりなりなり。。。
- 18このこのこの夢夢ゆめばかりばかりばかりぞぞぞ後後のちのののたのみたのみたのみとととしししけるけるけるををを、、、いもといもといもとなどなどなどひとひとひと所所ところにににててて朝夕朝夕あさゆう見見みるるるにににかうかうこうあはれあはれあわれににに悲悲かなしきしきしきことことことののの後後のちははは、、、所々所々ところどころににになりなりなりなどなどなどしししててて、、、誰誰たれももも見見みゆるゆるゆることことことかたうかたうかとうあるあるあるににに、、、いといといとくらいくらいくらい夜夜よ六六ろくはらはらはらにににあああなるなるなる甥甥おいのののきたるきたるきたるににに、、、めづらしうめづらしうめずらしゅうおぼえおぼえおぼえててて、、、
- 19「「「月月つきももも出出いでゝでゝでてやみやみやみにににくれくれくれたるたるたるににに何何なにとてとてとてこよひこよひこよいたづねたづねたずね來來きつつつらむらむらん」」」
- 20とととぞぞぞいはいはいわれれれにににけるけるける。。。ねんごろねんごろねんごろにににかたらふかたらふかたらう人人ひとののの、、、かうかうこうててて後後のちおとづれおとづれおとずれぬぬぬににに、、、
- 21「「「今今いまははは世世よにににあらあらあらじじじものものものとととややや思思おもふふうらむらむらんあはれあはれあわれなくなくなくなくなくなく猶猶なおこそこそこそはははふれふれふれ」」」。。。十月十月かんなづきばかりばかりばかり月月つきのののいみじういみじういみじゅうあかきあかきあかきををを、、、なくなくなくなくなくなくながめながめながめててて、、、
- 22「「「ひまひまひまもももなきなきなきなみだなみだなみだにににくもるくもるくもる心心こころにににもももあかしあかしあかしととと見見みゆるゆるゆる月月つきのののかげかげかげかなかなかな」」」。。。
- 23年月年月としつきははは過過すぎぎぎかはりかはりかわり行行ゆけけけどどど夢夢ゆめのののやうやうようなりなりなりしししほどほどほどををを思思おもひひい出出いづれづれずればばば、、、心地心地ここちもももまどひまどひまどい目目めもももかきかきかきくらすくらすくらすやうやうようなれなれなればばば、、、そのそのそのほどほどほどのののことことことはははまたまたまたさだかさだかさだかにににもももおぼえおぼえおぼえずずず。。。人々人々ひとびとははは皆皆みなほかほかほかにににすみすみすみあかれあかれあかれててて、、、故里故里ふるさとにににひとりひとりひとりいみじういみじういみじゅう心心こころぼそくぼそくぼそくかなしくかなしくかなしくててて、、、ながめながめながめあかしあかしあかしわびわびわびててて久久ひさしうしうしゅうおとづれおとづれおとずれぬぬぬ人人ひとににに、、、「「「茂茂しげりりりゆくゆくゆくよもきよもきよもきががが露露つゆにににそぼちそぼちそぼちつゝつゝつつ人人ひとにににとはとはとはれれれぬぬぬねねねをををのみのみのみぞぞぞなくなくなく」」」。。。
- 24尼尼あまなるなるなる人人ひとなりなりなり、、、
- 25「「「世世よのののつねつねつねののの宿宿やどのののよもぎよもぎよもぎにににおもひおもひおもいやれやれやれそむきそむきそむきはてはてはてたるたるたる庭庭にはのののくさむらくさむらくさむら」」」。。。
現代語訳
世の中のことに、あれこれと心ばかりを尽くしてきたが、宮仕えにしても、もとからひたすらお仕えし続けていたら(どうだったろう)。どうなっていただろうか。ときどき出仕するだけでは、何にもなりそうになかったようだ。
年はしだいに盛りを過ぎてゆくので、若々しくふるまうのも似つかわしくなく思われて嘆いているうちに、体の病気がたいそう重くなって、心にまかせて物詣でなどしていたこともできなくなったので、たまの外出も絶えて、長生きできそうな気持ちもしないままに、
幼い子どもたちを、なんとかして自分の生きているうちに、身の落ち着くのを見届けたいものだと、寝ても覚めても思い嘆いて頼りにしている。夫の任官の喜びの日を、待ち遠しく待ち嘆いていると、秋になって待ちかなったようではあるけれど、思っていたのとは違って、たいそう不本意で残念だ。
父のときから行ったり来たりして見た東国よりは近いように聞こえるので、しかたがないと、まもなく任国に下る準備を急いでいると、門出は娘が新しく移った家で、八月の十日過ぎにする。その後のことは知らない(夢中だった)。その間のようすは、騒がしいほど人が多く、勢いが盛んだった。
二十七日に下るときに、息子は付き添って下る。紅の打衣に、萩襲の青い紫苑色の織物の指貫を着て、太刀を佩いて(父の)後ろに立って歩み出るのを(見送る)。それ(夫)も織物の青鈍色の指貫に狩衣を着て、廊のあたりで馬に乗った。
大騒ぎして下って行ったあと、この上なく所在ないけれど、それほど遠い所でもないと聞くので、以前(父のとき)のように心細くなどは思わないでいると、見送りの人々が次の日帰って来て、「たいそうきらびやかに下っていきました」などと言って、「今朝の明け方、たいそう大きな人魂が立って、京の方へ飛んで来ました」と語るけれど、(一行の)供の人などのだろうと思う。(夫の身に)不吉なことがあるなどとは、思いも寄らなかった。
今は、なんとかしてこの若い子どもたちを一人前にしようと思うよりほかのことはないうちに、翌年の四月に(夫は)上京して来て、夏も秋も過ぎた。九月二十五日から病気になって、十月五日に(亡くなり)、夢のようで、(何も)見えないような心地は、世の中にまたほかに例があることとも思われない。
初瀬に鏡を奉納したとき、伏しころんで泣いている影が見えたというのは、このことだったのだ。うれしそうだったという影は、これまでにもなかった。これから先も、ありそうにない。
二十三日、はかなく(亡骸を)煙にするとき、去年の秋、たいそう着飾らせてかしずかれて、(父に)付き添って下っていったのを見送った(息子)が、たいそう黒い喪服の上に、不吉な(喪の)物を着て、車のお供に泣く泣く歩み出て行くのを見送って思い出す気持ちは、何ともたとえようもないままに、そのまま夢路に迷うようにして思うに、あの人(夫)は(わたしのこの姿を)見ているだろうか。
昔から、つまらない物語や歌のことばかり心にしめないで、夜も昼も(仏を)思って勤行をしていたなら、とてもこんな夢のような(はかない)世の中を見ずにすんだだろうか。
初瀬で、前の参詣のときは、「稲荷からくださる霊験の杉だよ」と言って(夢に)投げ出されたのに、そのまま退出してすぐに稲荷に参詣していたなら、こんなことにはならなかったのではないだろうか。
長年、「天照御神をお祈り申し上げよ」と見た夢は、(わたしが)高貴な方の御乳母となって内裏あたりに仕え、帝や后のご庇護を受けるはずだというようにばかり、夢解きも判じていたけれど、そのことは一つもかなわないで終わってしまった。
ただ悲しそうだと見た鏡の影だけが違わなかったのは、しみじみと情けない。このように、心に思うことのかなう方面もなくて終わってしまった身なので、功徳も積まないで、ただよっている。
それでも命は、つらいことにも絶えずに長らえているようだけれど、来世も思うようにはならないのだろうと気がかりなのに、頼みとすることが一つだけあった。
天喜三年十月十三日の夜の夢に、わたしの住んでいる家の軒先の庭に、阿弥陀仏が立っていらっしゃった。はっきりとはお見えにならず、霧が一重隔てているように透けてお見えになるのを、霧の切れ間から無理にも拝見すると、
蓮華の台座の、地面から上がっている高さは三、四尺、仏のお背丈は六尺ほどで、金色に光り輝いていらっしゃって、御手の片方は広げたようにして、もう片方には印を結んでいらっしゃるのを、
ほかの人の目にはお見つけ申し上げることができず、わたし一人が拝見しているが、さすがにたいそう恐れ多いので、簾のそば近くに寄ってもお見申し上げることができないでいると、仏が、「それでは、このたびは帰って、のちに迎えに来よう」とおっしゃる声が、わたしの耳にだけ聞こえて、ほかの人は聞きつけられないと夢に見て、はっと目覚めると、十四日だった。
この夢だけを来世の頼みとしていたが、甥たちなどとも一つ所にいて朝夕会っていたのに、このようなしみじみと悲しいこと(夫の死)のあとは、別々の所に住むようになったりして、誰にも会うことが少なくなったところに、たいそう暗い夜、六角に住んでいる甥が訪ねて来たので、めずらしく思われて、
「月も出ないで、闇に暮れている姨捨(のようなわたし)のところに、どうして今宵訪ねて来てくれたのでしょう」
と、つい詠まれたのだった。親しく語り合っていた人が、こうなってからのち便りをくれないので、
「今はもうこの世にはいないものと思っているのでしょうか。悲しいことに、泣く泣くもまだ生きながらえておりますのに」。十月ごろ、月がたいそう明るいのを、泣く泣く眺めて、
「絶え間なく流れる涙に曇るわたしの心にも、明るく見える月の光であることよ」。
年月は移り変わってゆくけれど、夢のようだったころ(夫の死)を思い出すと、心も乱れ、目の前も暗くなるようなので、そのころのことは、今もはっきりとは覚えていない。人々はみなよそに住み別れて、もとの家にひとり、たいそう心細く悲しくて、物思いに夜を明かしかねて、長く便りをくれない人に、「茂ってゆく蓬の露にぬれながら、誰にも訪ねてもらえず、声をあげて泣いてばかりいます」。
(返事をくれたのは)尼である人で、
「世間並みの家の蓬を思いやってください。(わたしの)世を捨てはてた庭の草むらは、どれほどでしょう」。
意訳
晩年の作者は、宮仕えもひたすら続けていれば違ったかと思い返す。年を重ね、病も重くなり、物詣でもできなくなる。子どもたちの将来を見届けたいと願い、夫の任官を待つ。
夫俊通がようやく信濃守に任じられるが、作者の思っていた国ではなかった。それでも父の任国の東国よりは近いと思いなおし、夫と息子を華やかに送り出す。見送りの人が語った人魂の話を、作者は気にとめなかった。のちに思えば、それが不吉の前兆だった。
翌年四月に帰京した夫は、九月末に病み、十月五日に亡くなる。作者は、初瀬の鏡に映った泣き伏す影はこのことだったと悟る。華やかな影は一度もなかった。去年の秋に美しく装って父に付き添った息子が、黒い喪服で野辺送りの車について歩く姿に、作者の悲しみは極まる。
物語や歌にばかり心を寄せず、勤行をしていたら、稲荷に詣でていたらと、作者は悔いを重ねる。天照御神の夢も、乳母として帝や后に仕える運命と解いていたのに、何一つかなわなかった。ただ悲しい鏡の影だけが当たった。
その中で、ただ一つの頼みは、天喜三年に見た阿弥陀仏の夢だった。金色に輝く阿弥陀仏が庭に立ち、「のちに迎えに来む」と告げる。物語を夢見た少女は、最後に来世の救いを夢に託す。
夫の死後、家族は散り散りになり、作者はひとり残る。闇夜に訪ねて来た甥に、自分を姨捨山に捨てられた老女にたとえる歌を詠む。訪れる人もない荒れた家で、蓬の露に泣く作者と、世を捨てた尼の返歌とで、日記は静かに終わる。
語釈・文法注
- 阿彌陀佛
- 阿弥陀如来。西方の極楽浄土の仏で、念仏する人を臨終のときに迎えに来る(来迎)と信じられた。平安時代中期から浄土信仰が広まった。
- 姨捨
- 信濃の国の更級にある山。老いた伯母(おば)を山に捨てた男が、月を見て後悔し連れ帰ったという伝説がある。『古今和歌集』の「わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」で知られ、書名『更級日記』はこの歌によるとされる。
文法
- 「ひとすぢに仕うまつりつかばや」
- 底本のまま。ひたすらお仕えしていたら(よかったか)の意に解した。
- 「やゝはた過ぎ行く」
- 底本は「はた」と書き、脇に異本の字の注記がある。通行本文は「ややさだ過ぎゆく」で、盛りの年を過ぎるの意。
- 「わくらはの立ち出で」
- たまの外出。「わくらは」は、たまたま、まれにの意。
- 「人のよろこび」
- 夫の任官の喜び。夫橘俊通は天喜五年(1057)に信濃守に任じられた。
- 「皆いで思ふ心地」
- 底本のまま。通行本文は「見ないで思ふ」(見えないで思う、の意か)などとされ、本文に乱れがあるとみられる。
- 「その人やみにけむかし」
- 底本のまま。あの人(夫)は見ていたであろうか、の意に解した。
- 「夢ときもあはせしかども」
- 夢解き(夢の吉凶を判じる人)も、そのように判じたけれど。
- 「ゐんを作り」
- 印を結ぶ。仏が手の指で形を作ること。
- 「六はら」
- 底本は「六はら」と書く。通行本文は「六角」で、京の六角小路のあたりと解される。
- 「よもき」
- 底本は清音で書く。「よもぎ(蓬)」。荒れた家のたとえ。
和歌
月も出でゝやみにくれたる姨捨に何とてこよひたづね來つらむ
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 夫の死後、ひとり暮らす家に、暗い夜、甥が訪ねて来たときに思わず詠んだ歌。
修辞
- 本歌
- 「わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」(古今集)をふまえる。
- 見立て
- 夫に先立たれた自分を、姨捨山に捨てられた老女にたとえる。
- 掛詞
- 「やみにくれ」に、闇に暮れることと、悲しみにくれることを掛ける。
今は世にあらじものとや思ふらむあはれなくなく猶こそはふれ
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 夫の死後、便りをくれなくなった親しい人に送った歌。
修辞
- 掛詞
- 「なくなく」に「泣く泣く」と「無く無く」を、「ふれ」に「経れ(過ごす)」を響かせる。
ひまもなきなみだにくもる心にもあかしと見ゆる月のかげかな
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 十月ごろ、明るい月を泣く泣く眺めて詠んだ歌。
修辞
- 対比
- 涙に曇る心と、明るく見える月とを対比する。
茂りゆくよもきが露にそぼちつゝ人にとはれぬねをのみぞなく
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 家族と離れてひとり暮らす家で、長く便りをくれない人に送った歌。
修辞
- 掛詞
- 「ね」に、声をあげて泣く「音」と、蓬の「根」を響かせる。
- 見立て
- 茂る蓬で、訪れる人もない荒れた家を表す。
世のつねの宿のよもぎにおもひやれそむきはてたる庭のくさむら
- 詠者
- 尼である人
- 状況
- 作者の歌への返歌。世を捨てた尼の庵の荒れようを詠んで応えた。
修辞
- 対比
- 世間並みの家の蓬と、世を背いた尼の庭の草むらとを対比する。
解説
夫橘俊通は天喜五年(1057)七月に信濃守に任じられ、八月二十七日に任国へ下った。翌康平元年(1058)四月に帰京したが、九月に病み、十月五日に五十七歳で亡くなった。作者は五十一歳だった。
作者は夫の死に、初瀬の鏡の夢(第9章)の悲しい影を思いあわせ、物語や歌に心を奪われて信心を怠った生涯を悔いる。若い日の夢がすべて外れ、悲しい予言だけが当たったという述懐は、物語にあこがれた少女の一生をしめくくる言葉として重い。
阿弥陀仏の来迎の夢は天喜三年(1055)、夫の死の三年前のことである。作者はこの夢だけを来世の頼みとして、日記を書き終えている。最後の「姨捨」の歌は、書名『更級日記』のゆかりとされる。日記はこのあと、康平二年(1059)ごろまでの記事で終わる。
国文大観の本文では、この章は第18章に続いて、通行本文と同じ順である。底本には通行本文と違う所や乱れのある所があり、底本どおりに翻刻して文法注に断った。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(更級日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、495–498頁(コマ259–261)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日