更級日記 第8章
父との別れとこしのびの森
七月十三日、父は常陸へ旅立つ。涙ながらに簾を上げて見つめ合い、残された作者は父の歌に返歌する。太秦に籠って父の無事を祈り、冬の嵐に荻の枯れ葉を詠む。東国から届いた父の便りには、「子偲びの森」で娘を思って泣いたとあった。
- 1七月七月ふみづき十三日十三日じゅうさんにちにににくだるくだるくだる。。。五日五日いつかかねかねかねてててははは見見みむむんもももなかなかなかなかなかなかなるなるなるべけれべけれべければばばうちうちうちにににももも參參まいらららずずず。。。まいてまいてまいてそのそのその日日ひははは立立たちちちさわぎさわぎさわぎててて時時ときなりなりなりぬれぬれぬればばば今今いまはははとてとてとて簾垂簾垂すだれをををひきひきひきあげあげあげてててうちうちうち見見み合合あわせせせててて涙涙なみだをををほろほろほろほろほろほろととと落落おとしししててて、、、やがてやがてやがて出出いでででぬるぬるぬるををを見見み送送おくるるる心心こころちちち目目めもももくれくれくれ惑惑まどひひいてててやがてやがてやがてふさふさふされれれぬるぬるぬるににに、、、とまるとまるとまるをのこをのこおのこのののおくりおくりおくりしししてててかへるかへるかえるににに、、、ふところがみふところがみふところがみににに、、、
- 2「「「思思おもふふうことことことこゝろこゝろこころにににかなふかなふかなう身身みなりなりなりせせせばばば秋秋あきのののわかれわかれわかれをををふかくふかくふかく知知しらららましましまし」」」
- 3とととばかりばかりばかりかゝれかゝれかかれたるたるたるををを、、、えええ見見みやらやらやられれれずずず、、、ことことことよろしきよろしきよろしき時時ときこそこそこそ腰腰こしをれをれおれかゝりかゝりかかりたるたるたることことことももも思思おもひひいつゞけつゞけつづけらるれらるれらるれ、、、ともかくもともかくもともかくも言言いふふうべきべきべきかたかたかたもももおぼえおぼえおぼえぬぬぬまゝまゝままににに、、、
- 4「「「かけかけかけてててこそこそこそ思思おもははわざりざりざりしかしかしかこのこのこの世世よにににてててしばししばししばしももも君君きみにににわかるわかるわかるべしべしべしとととははは」」」
- 5とととやややかゝれかゝれかかれにににけむけむけん。。。いとゞいとゞいとど人人ひと目目めももも見見みえええずずず寂寂さびしくしくしく心心こころぼそくぼそくぼそくうちうちうちながめながめながめつゝつゝつつ、、、いづこいづこいずこばかりばかりばかりととと明暮明暮あけくれ思思おもひひいやるやるやる。。。道道みちののの程程ほどももも知知しりりりにににしかしかしかばばば遙遙はるかににに戀戀こいしくしくしく心心こころぼそきぼそきぼそき事事ことかぎりなしかぎりなしかぎりなし。。。明明あくるくるくるよりよりよりくるゝくるゝくるるまでまでまでひんがしひんがしひんがしののの山際山際やまぎわををを詠詠ながめめめててて過過すぐすぐすぐす。。。
- 6八月八月はづきばかりばかりばかりにににににに籠籠こもるるるににに、、、一條一條いちじょうよりよりより詣詣もうづるづるずる道道みちににに、、、男車男車おとこぐるま二二ふたつつつばかりばかりばかり引引ひききき立立たてゝてゝてて物物ものへへへ行行ゆくくくににに、、、諸共諸共もろともにににくくくべきべきべき人人ひと待待まつつつなるなるなるべしべしべし、、、過過すぎぎぎててて行行ゆくくくににに隨身隨身ずいじんだつだつだつものものものをををおこせおこせおこせててて、、、
- 7「「「花花はな見見みにににゆくゆくゆくととときみきみきみををを見見みるるるかなかなかな」」」
- 8ととといはせいはせいわせたれたれたればばば、、、「「「かゝるかゝるかかるほどほどほどのののことことことはははいらへいらへいらえぬぬぬもももびんなしびんなしびんなし」」」などなどなどあれあれあればばば、、、
- 9「「「千種千種ちくさなるなるなるこゝろこゝろこころならひならひならいににに秋秋あきののの野野のののの」」」
- 10とととばかりばかりばかりいはせいはせいわせててていきいきいき過過すぎぎぎぬぬぬ。。。七日七日なぬか侍侍さぶらふふうほどほどほどももも「「「唯唯ただ東路東路あずまじのみのみのみ思思おもひひいやらやらやられれれてててよしなしよしなしよしなし。。。とかくとかくとかくしししてててはなれはなれはなれてててたひらかたひらかたいらかにににあひあひあい見見みせせせ給給たまへへえ」」」ととと申申もうせせせばばば、、、佛佛ほとけもももあはれあはれあわれととと聞聞きききき入入いれれれさせさせさせ給給たまひひいけむけむけんかしかしかし。。。
- 11冬冬ふゆににになりなりなりててて日日ひくらしくらしくらし雨雨あめふりふりふりくらいくらいくらいたるたるたる夜夜よ、、、雲雲くもかへるかへるかえる風風かぜ烈烈はげしうしうしゅううちうちうち吹吹ふきききててて空空そら晴晴はれれれててて月月つきいみじういみじういみじゅうあかうあかうあこうなりなりなりててて軒軒のき近近ちかききき荻荻おぎのののいみじくいみじくいみじく風風かぜにににふかふかふかれれれてててくだけくだけくだけまどふまどふまどうがががいといといとあはれあはれあわれにににててて、、、
- 12「「「秋秋あきをををいかにいかにいかにおもひおもひおもい出出いづづずらむらむらん冬冬ふゆふかみふかみふかみあらしあらしあらしにににまどふまどふまどう荻荻おぎのののかれかれかれ葉葉ばももも」」」。。。
- 13あづまあづまあずまよりよりより人人ひときたるきたるきたる。。。ととといふいふいうことことことしししててて國國くにののの內內うちありきありきありきしししににに、、、水水みずをかしくをかしくおかしく流流ながれれれたるたるたる野野ののののはるばるはるばるはるばるとととあるあるあるににに森森もりのののあるあるある、、、をかしきをかしきおかしき所所ところかなかなかな、、、みせみせみせてててとととまづまづまず思思おもひひいいでゝいでゝいでて「「「こゝこゝここはははいづこいづこいずことととかかかいふいふいう」」」ととと問問とへへへばばば、、、「「「こしのびこしのびこしのびののの森森もりとととなむなむなん申申もうすすす」」」ととと答答こたへへえたりたりたりしししががが、、、身身みににによそへよそへよそえられられられててていみじくいみじくいみじく悲悲かなしかりしかりしかりしかしかしかばばば、、、馬馬うまよりよりよりおりおりおりててて、、、そこそこそこにににふたふたふた時時ときなむなむなんながめながめながめられられられししし。。。
- 14「「「とゞめとゞめとどめおきおきおきててて我我わがががごとごとごと物物ものややや思思おもひひいけむけむけんみるみるみるにににかなしきかなしきかなしきこしのびこしのびこしのびのののもりもりもり」」」
- 15とととなむなむなんおぼえおぼえおぼえしししとととあるあるあるををを見見みるるる心地心地ここちいへいへいえばばば更更さらなりなりなり。。。かへりごとかへりごとかえりごとににに、、、
- 16「「「こしのびこしのびこしのびををを聞聞きくくくにににつけつけつけてててもももとゞめとゞめとどめおきおきおきしししちゝぶちゝぶちちぶののの山山やまのののつらきつらきつらきあづまぢあづまぢあずまじ」」」。。。
現代語訳
七月十三日に(父は常陸へ)下る。五日前から、(別れの前に)会うのもかえってつらいにちがいないので、(父はわたしの部屋の)中にも入って来ない。まして出発の日は大騒ぎで、時刻になったので、「もうこれまで」と簾を引き上げて、(わたしと)顔を見合わせて涙をほろほろと落として、そのまま出て行ったのを見送る気持ちは、目の前が暗くなって、そのまま突っ伏してしまったが、(京に)とどまる下男が見送りをして帰ってきたとき、(父の)懐紙に、
「思うことが心のままにかなう身であったなら、この秋の別れの悲しさを、深く味わうこともできただろうに(思うにまかせぬ身なので、ただ悲しいばかりだ)」
とだけ書いてあるのを、(涙で)よく見ることもできず、ふつうのときなら下手な歌も思い続けられるのだが、何とも言うべきことばも思いつかないままに、
「少しも思いもしなかった。この世で、たとえしばらくでも、あなたと別れることになろうとは」
とでも書いたのだったろうか。ますます人の訪れもなく、寂しく心細く物思いにふけっては、(父は今ごろ)どこのあたりだろうかと、明けても暮れても思いやる。(かつて上京したときの)道のりも知っていたので、遠く恋しく、心細いことこの上ない。夜が明けてから暮れるまで、東の山ぎわを眺めて過ごす。
八月ごろに太秦に籠ろうとして、一条大路から参詣する道で、男の乗った車が二台ほど止まっていて、どこかへ行くのに、いっしょに来るはずの人を待っているのだろう、(わたしたちが)通り過ぎて行くと、随身らしい者をよこして、
「花見に行くのですねと、あなたを見ることですよ」
と言わせたので、(同乗の人が)「こういうときのことは、返事をしないのも不都合です」などと言うので、
「いろいろな花に心を移すあなたのならいで、秋の野の(花を見るように私たちを見るのでしょう)」
とだけ言わせて通り過ぎた。七日間籠っている間も、「ただ東国のことばかり思いやられてどうしようもない。なんとかして(父が任を)離れて、無事に再会させてください」と申し上げたので、仏もあわれとお聞き入れくださったことだろう。
冬になって、一日じゅう雨が降り続いた夜、雲を吹き払う風が激しく吹いて、空が晴れて月がたいそう明るくなって、軒近くの荻がたいそう風に吹かれて、砕けるように乱れるのがたいそうしみじみと感じられて、
「秋をどんなに思い出しているのだろう。冬が深まって、嵐に吹き乱れている荻の枯れ葉も」。
東国から人が来た。(父の手紙に)「神拝ということをして国の中をまわったとき、水が趣深く流れている野がはるばると広がっているところに森がある。趣のある所だな、(娘に)見せたいと、まず思い出されて、『ここは何という所か』とたずねると、『子しのびの森と申します』と答えたのが、わが身になぞらえられて、たいそう悲しかったので、馬から降りて、そこで二時(約四時間)もぼんやりと眺めてしまった。
「(子を京に)残してきて、わたしと同じように物思いをしたのだろうか。見るにつけても悲しい、この子しのびの森よ」
と思われた」とあるのを見る気持ちは、言うまでもない。返事に、
「子しのびの森と聞くにつけても、(わたしを)残して行った父上のいらっしゃる、秩父の山のある東国への道がうらめしいことです」。
意訳
父の旅立ちの日、父は簾を上げて娘と顔を見合わせ、涙をこぼしてそのまま出てゆく。娘は目の前が暗くなって泣き伏す。言葉少なに描かれた別れの場面は、親子の情の深さをそのまま伝える。
父の歌は、思うにまかせない身の上を嘆き、娘の返歌は、この世で別れることになるとは思いもしなかったと応える。「とやかゝれにけむ」と、何を書いたかも覚えていないほど取り乱していたことがわかる。
残された作者は、東の山ぎわを眺めて父をしのび、太秦に籠って父の無事を祈る。参詣の道で見知らぬ男から歌を詠みかけられ、上の句だけで応じるやりとりは、作者の機知を示す小さな挿話である。
冬の嵐に吹き乱れる荻の枯れ葉に、作者は過ぎた秋を恋う心を重ねる。父のいた日々を恋う自分の姿でもある。
常陸から届いた父の手紙には、国内を巡る途中で「子しのびの森」という名を聞き、娘を思って馬を降り、長いこと立ちつくしたとある。父と娘は、遠く離れて同じ思いを歌に託している。
語釈・文法注
- うづまさ
- 太秦。京の西にある広隆寺のこと。本尊の薬師如来への信仰が厚く、参籠する人が多かった。
- 神拜
- 国司が任国に着くと、国内の主な神社に参拝してまわること。
文法
- 「見むもなかなかなるべければ」
- 会うのはかえってつらいにちがいないので。「なかなか」は、なまじっか、かえって。
- 「知らまし」
- 反実仮想。思いどおりになる身なら、別れの悲しさも深く味わえようが、実際はそうでない(ただ悲しい)。
- 「かけてこそ思はざりしか」
- 「かけて」は打消と呼応して、少しも。「こそ……しか」の係り結びで強調する。
- 「腰をれ」
- 腰折れ歌。下手な歌。作者の謙遜。
- 「みせてと」
- 底本は「みせてと」と書く。通行本文は「見せで」とし、娘に見せないで(見せられないのが残念だ)の意。底本のまま翻刻し、見せたいと思っての意に解した。
- 「ちゝぶの山」
- 秩父の山。武蔵の国の山で、ここでは東国を代表させる。
和歌
思ふことこゝろにかなふ身なりせば秋のわかれをふかく知らまし
- 詠者
- 菅原孝標(作者の父)
- 状況
- 常陸へ旅立つ日、見送りの下男に託して懐紙に書いてよこした歌。
修辞
- 反実仮想
- 「せば……まし」で、思いどおりの身ではないので、ただ悲しいばかりだと詠む。
かけてこそ思はざりしかこの世にてしばしも君にわかるべしとは
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 父の歌への返歌。取り乱して、何と書いたかもよく覚えていないという。
修辞
- 係り結び
- 「こそ……しか」で、思いもしなかったことを強調する。
- 倒置
- 「しばしも君にわかるべしとは」を末尾に置いて、思いもしなかった内容を示す。
花見にゆくときみを見るかな
- 詠者
- 見知らぬ男
- 状況
- 太秦へ参詣する途中、車を止めて待っていた男が、随身に言わせてよこした下の句。
修辞
- 見立て
- 秋の野に花見に行く女たちを、花にたとえる。
千種なるこゝろならひに秋の野の
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 男の詠みかけに、同乗の人に促されて上の句を付けて応じたもの。
修辞
- 連歌
- 男の下の句に上の句を付け、浮気なあなたの心のならいで、秋の野の花を見るように私たちを見るのでしょうと切り返す。
秋をいかにおもひ出づらむ冬ふかみあらしにまどふ荻のかれ葉も
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 冬の雨上がりの夜、月の下で軒近くの荻が嵐に吹き乱れるのを見て詠んだ歌。
修辞
- 擬人
- 荻の枯れ葉が秋を思い出していると見る。
- 倒置
- 「荻のかれ葉も」を末尾に置く。
とゞめおきて我がごと物や思ひけむみるにかなしきこしのびのもり
- 詠者
- 菅原孝標(作者の父)
- 状況
- 常陸で神拝のため国内をまわっていたとき、「子しのびの森」という名を聞き、京に残した娘を思って詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「こしのび」に森の名と「子偲び」を掛ける。
こしのびを聞くにつけてもとゞめおきしちゝぶの山のつらきあづまぢ
- 詠者
- 作者(菅原孝標女)
- 状況
- 父の手紙への返事として詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「こしのび」に森の名と「子偲び」を掛ける。「ちゝぶ」に「父」を響かせる。
解説
父孝標が常陸介として京を発ったのは長元五年(1032)七月十三日のことである。孝標は六十歳近く、任期は四年。作者は二十五歳で、母とともに京に残った。
別れの場面の簡潔な描写と、父娘の贈答は、この日記の中でもとくに印象深い。父が手紙に書いた「子しのびの森」の話は、遠く離れた娘への父の思いを伝える。作者の返歌は「ちゝぶ」に「父」を響かせて応えている。
国文大観の本文では、この章は前の章の父の嘆きの言葉に続いていて、通行本文と同じ順である。次の第9章の前半も、父の留守中の記事である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(更級日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、470–471頁(コマ247)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日