魏志倭人伝 第9章
女王卑弥呼と倭の地
倭はもと男子を王としていたが、七、八十年後に国が乱れ、長く争いが続いたので、国々が共に一人の女子を王に立てた。名を卑弥呼という。鬼道に仕えて人々を惑わし、夫はなく、弟が国の政治を助ける。宮殿は物見やぐらと柵で厳重に守られ、人前にはほとんど姿を見せない。女王国の東の海の向こうにも倭の国があり、南には侏儒国、さらに裸国・黒歯国がある。倭の地は島々からなり、周囲は五千里あまり。

- 1其其そののの國國くに、、、本本もと亦亦また男男だん子子しををを以以もつててて王王おうととと爲爲なすすす。。。住住とどまることまることまること七七しち八八はち十十じゅう年年ねん、、、國國こく亂亂みだれれれ、、、相相あい攻攻こう伐伐ばつすることすることすること歷歷れき年年ねん、、、乃乃すなわちちち共共ともににに一一いち女女じょ子子しををを立立たてててててて王王おうととと爲爲なすすす。。。名名なををを彌彌み呼呼こととと曰曰いふふう。。。道道どうににに事事つかへへえ、、、能能よくくく衆衆しゅうををを惑惑まどはすはすわす。。。年年とし已已すでににに長長ちょう大大だいなるもなるもなるも、、、夫夫ふ婿婿せい無無なくくく、、、弟弟てい有有ありてりてりて佐佐たすけてけてけて國國くにををを治治おさむむむ。。。其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歷年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國
- 2王王おうととと爲爲なりしよりりしよりりしより以來以來このかた、、、見見まみゆるゆるゆる者者もの有有あることることること少少すくなしなしなし。。。婢婢ひ千千せん人人にんををを以以もつててて自自みずかららら侍侍じせしむせしむせしむ。。。唯唯ただ男男だん子子し一一いち人人にん有有ありてりてりて、、、飲飲いん食食しょくををを給給きゅうししし、、、辭辭ことばををを傳傳つたへてへてえて出出しゅつ入入にゅうすすす。。。居居きょ處處しょののの宮宮きゅう室室しつ・・・觀觀かん・・・城城じょう柵柵さくははは嚴嚴おごそかにかにかに設設もうけけけ、、、常常つねににに人人ひと有有ありてりてりて兵兵へいををを持持じしてしてして守守しゅ衞衞えいすすす。。。自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞
- 3女女じょ王王おう國國こくののの東東ひがし、、、海海うみををを渡渡わたることることること千千せん餘餘よ里里りにしてにしてにして、、、復復またたた國國くに有有ありりり。。。皆皆みな倭倭わ種種しゅなりなりなり。。。又又また儒儒じゅ國國こく有有ありりり、、、其其そののの南南みなみににに在在ありりり。。。人人ひとののの長長たけ三三さん四四し尺尺しゃく、、、女女じょ王王おうををを去去さることることること四四し千千せん餘餘よ里里り。。。又又また國國こく・・・黑黑こく齒齒し國國こく有有ありりり、、、復復またたた其其そののの東東とう南南なんににに在在ありりり。。。船船せん行行こう一一いち年年ねんにしてにしてにして至至いたるべしるべしるべし。。。女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里又有裸國黑齒國復在其東南船行一年可至
- 4倭倭わののの地地ちををを參參さん問問もんするにするにするに、、、絕絕たえてえてえて海海かい中中ちゅうののの洲洲しゅう島島とうののの上上うえににに在在ありりり、、、或或あるいははは絕絕たえええ或或あるいははは連連つらなりなりなり、、、旋旋せん五五ご千千せん餘餘よ里里り可可ばかりなりりなりりなり。。。參問倭地絕在海中洲島之上或絕或連周旋可五千餘里
現代語訳
その国は、もとは男子を王としていた。それから七、八十年たって倭の国々は乱れ、互いに攻め合うことが何年も続いた。そこで国々が共に一人の女子を立てて王とした。名を卑弥呼という。鬼道(まじない)に仕え、よく人々を心服させた。年はすでにかなりとっていたが、夫はなく、弟がいて国の政治を助けていた。
王となってからは、会ったことのある者は少ない。千人の侍女を自分に仕えさせ、ただ一人の男子だけが食事を運び、言葉を取り次ぐために出入りしている。住まいの宮殿や物見やぐら、城柵は厳重に設けられ、いつも武器を持った人が守っている。
女王国の東に海を千里あまり渡ると、また国がある。皆倭人の国である。また侏儒国がその南にある。人の背丈は三、四尺で、女王国から四千里あまり離れている。また裸国と黒歯国があり、さらにその東南にあって、船で一年行けば着くことができる。
倭の地を尋ね調べてみると、海の中の島々の上に遠く離れてあり、離れたり連なったりしていて、ぐるりとめぐると五千里あまりほどである。
意訳
いよいよ女王卑弥呼が登場します。男子の王の時代が七、八十年続いたのちに「倭国乱る」という戦乱の時代があり、それをおさめるために国々が「共に」立てたのが卑弥呼でした。卑弥呼は武力で国々を従えた王ではなく、争う国々が合意して迎えた王だったのです。
卑弥呼は「鬼道」すなわち神や霊に仕える呪術的な力で人々を従え、政治の実務は弟が助けました。人前に姿を見せず、ただ一人の男子だけが言葉を取り次ぐという描写は、神の言葉を伝える巫女の王と、それを補佐する男性という二重の王権の姿を示すと考えられています。宮殿・楼観・城柵の記述は、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で復元された物見やぐらや環濠集落の姿とよく重なります。
語釈・文法注
- 倭國
- 「倭国乱る」。『後漢書』東夷伝は「桓霊の間(後漢の桓帝・霊帝の時代、146〜189年)、倭国大いに乱る」とする。弥生時代後期の高地性集落や環濠集落の発達を、この戦乱と結びつける説がある。
- 卑彌呼
- 倭の女王。「ひみこ」と読み、「日御子(ひのみこ)」「姫子(ひめこ)」の意とする説がある。『日本書紀』神功皇后紀は、倭人伝の景初三年・正始元年・正始四年の記事を引き、神功皇后を卑弥呼にあてている。
- 鬼道
- 鬼神に仕える道。神がかりや占いなどの呪術による祭祀を指すとされる。中国では道教系の宗教をいうこともある。
- 男弟
- 卑弥呼の弟。卑弥呼の祭祀に対して、政治の実務を担ったと考えられる。
- 樓觀
- 高い建物、物見やぐら。「城柵」はとりでや柵。
- 侏儒國
- 背の低い人々の国。中国の古い地理書に見える、遠方の異民族の国の一つ。
- 裸國
- 裸の人々の国。「黒歯国」は歯を黒く染める人々の国。どちらも『山海経』などに見える遠方の国の名で、実在の国にあてるのは難しい。
- 周旋
- ぐるりとめぐること。倭の地を一巡りすると五千余里という。
文法
- 共立
- 「乃共立一女子爲王」は「乃ち共に一女子を立てて王と為す」。「共立」は、複数の者が合意して立てること。
- 自〜以來
- 「自爲王以來」は「王と為りしより以来」で、「王となってからこのかた」。
- 唯〜
- 「唯有男子一人」の「唯」は「ただ」と訓み、「ただ〜だけ」の限定。
解説
卑弥呼は、日本の歴史に名を残す最初の人物の一人です。しかし『古事記』『日本書紀』には卑弥呼の名は見えず、記紀の誰にあたるかは古くから議論されてきました。『日本書紀』の編者は神功皇后にあて、江戸時代の本居宣長は、九州の女首長が神功皇后の名をかたったものとしました。ほかに、天照大御神、倭迹迹日百襲姫命(崇神天皇の時代の巫女)、倭姫命などにあてる説があります。
女王国の東に海を渡るとまた倭種の国があるという記述は、畿内説では東海・関東の国々、九州説では本州・四国の国々と解されます。侏儒国・裸国・黒歯国は、中国の古い地理観にある遠方の異国の名を当てはめたもので、倭人伝が実際の見聞と伝説的な知識をあわせて書かれていることを示しています。
関連
出典
- 底本
- 紹興版魏志倭人傳縮寫(橋本増吉『東洋史上より観たる日本上古史研究』第一 巻頭) 大岡山書店、昭和7年(1932)。国立国会図書館デジタルコレクション コマ13(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文は底本による。訓み下し・現代語訳・注は当サイト)
- 更新日