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魏志倭人伝 第10章

景初の遣使と親魏倭王の詔書

景初二年六月、女王は大夫難升米らを帯方郡に遣わして天子への朝貢を願い、太守劉夏は彼らを魏の都洛陽へ送った。その年の十二月、魏の皇帝は詔書を下して卑弥呼を「親魏倭王」とし、金印紫綬を授け、使者の難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉に任じた。

魏の宮廷で詔書を受ける倭の使者(AI生成)
魏の宮廷で倭の使者が詔書と印綬を受ける場面の想像図(AI生成)。
  1. 1初しよ初しよしょ二に二にに年ねん年ねんねん六ろく六ろくろく月ぐわつ月ぐわつがつ、、、倭わ倭わわののの女ぢよ女ぢよじょ王わう王わうおう、、、大たい大たいたい夫ふ夫ふふ升しよう升しようしょう米まい米まいまい等ら等ららををを遣つか遣つかつかはしてはしてわして郡ぐん郡ぐんぐんににに詣いた詣いたいたらしめらしめらしめ、、、天てん天てんてん子し子ししににに詣いた詣いたいたりてりてりて朝てう朝てうちょう獻けん獻けんけんせんことせんことせんことををを求もと求もともとむむむ。。。太たい太たいたい守しゆ守しゆしゅ夏か夏かか、、、吏り吏りりををを遣つか遣つかつかはしはしわし、、、將ひき將ひきひきゐてゐていて送おく送おくおくりてりてりて都と都ととににに詣いた詣いたいたらしむらしむらしむ。。。景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻太守劉夏遣吏將送詣京都
  2. 2其そ其そそののの年とし年としとし十じふ十じふじゅう二に二にに月ぐわつ月ぐわつがつ、、、詔せう詔せうしょう書しよ書しよしょしてしてして倭わ倭わわののの女ぢよ女ぢよじょ王わう王わうおうににに報はう報はうほうじてじてじて曰いは曰いはいわくくく、、、魏ぎ魏ぎぎ倭わ倭わわ王わう王わうおう卑ひ卑ひひ彌み彌みみ呼こ呼ここににに詔せう詔せうしょうすすす。。。其年十二月詔書報倭女王曰制詔親魏倭王卑彌呼
  3. 3帶たい帶たいたい方はう方はうほうののの太たい太たいたい守しゆ守しゆしゅ劉りう劉りうりゅう夏か夏かか、、、使つかひ使つかひつかいををを遣つか遣つかつかはしてはしてわして汝なんぢ汝なんぢなんじののの大たい大たいたい夫ふ夫ふふ難な難なな升しよう升しようしょう米まい米まいまい・・・次じ次じじ使し使しし市し市しし牛ぎう牛ぎうぎゅう利り利りりををを送おく送おくおくりりり、、、汝なんぢ汝なんぢなんじががが獻けん獻けんけんずるずるずる所ところ所ところところののの男だん男だんだん口こう口こうこう四よ四よよ人にん人にんにん・・・女ぢよ女ぢよじょ生せい生せいせい口こう口こうこう六ろく六ろくろく人にん人にんにん・・・布ぷ布ぷぷ二に二にに匹ひき匹ひきひき二に二にに丈ぢやう丈ぢやうじょうををを奉ほう奉ほうほうじてじてじて以もつ以もつもつててて到いた到いたいたるるる。。。帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米次使都市牛利奉汝所獻男生口四人女生口六人班布二匹二丈以到
  4. 4汝なんぢ汝なんぢなんじががが在あ在ああるるる所ところ所ところところははは踰はる踰はるはるかにかにかに遠とほ遠とほとおきもきもきも、、、乃すなは乃すなはすなわちちち使つかひ使つかひつかいををを遣つか遣つかつかはしてはしてわして貢こう貢こうこう獻けん獻けんけんすすす。。。是こ是ここれれれ汝なんぢ汝なんぢなんじののの忠ちゆう忠ちゆうちゅう孝かう孝かうこうなりなりなり。。。我われ我われわれ甚はなは甚はなははなはだだだ汝なんぢ汝なんぢなんじををを哀あはれ哀あはれあわれむむむ。。。今いま今いまいま汝なんぢ汝なんぢなんじををを以もつ以もつもつててて親しん親しんしん魏ぎ魏ぎぎ倭わ倭わわ王わう王わうおうととと爲な爲ななししし、、、印いん印いんいん紫し紫しし綬じゆ綬じゆじゅををを假か假かかししし、、、裝さう裝さうそう封ふう封ふうふうしてしてして帶たい帶たいたい方はう方はうほうののの太たい太たいたい守しゆ守しゆしゅににに付ふ付ふふししし、、、汝なんぢ汝なんぢなんじににに假か假かか授じゆ授じゆじゅせしむせしむせしむ。。。其そ其そそれれれ種しゆ種しゆしゅ人じん人じんじんををを綏すい綏すいすい撫ぶ撫ぶぶししし、、、勉つと勉つとつとめてめてめて孝かう孝かうこう順じゆん順じゆんじゅんををを爲な爲ななせせせ。。。汝所在踰遠乃遣使貢獻是汝之忠孝我甚哀汝今以汝爲親魏倭王假金印紫綬裝封付帶方太守假授汝其綏撫種人勉爲孝順
  5. 5汝なんぢ汝なんぢなんじががが來らい來らいらい使し使しし難な難なな升しよう升しようしょう米まい米まいまい・・・牛ぎう牛ぎうぎゅう利り利りり、、、遠とほ遠とほとおきききををを涉わた涉わたわたりてりてりて道だう道だうどう路ろ路ろろににに勤きん勤きんきん勞らう勞らうろうすすす。。。今いま今いまいま難な難なな升しよう升しようしょう米まい米まいまいををを以もつ以もつもつててて善ぜん善ぜんぜん中ちゆう中ちゆうちゅう郎らう郎らうろう將しやう將しやうしょうととと爲な爲ななししし、、、牛ぎう牛ぎうぎゅう利り利りりををを率そつ率そつそつ善ぜん善ぜんぜん校かう校かうこう尉ゐ尉ゐいととと爲な爲ななししし、、、銀ぎん銀ぎんぎん印いん印いんいん青せい青せいせい綬じゆ綬じゆじゅををを假か假かかししし、、、引いん引いんいん見けん見けんけん勞らう勞らうろう賜し賜しししてしてして遣つか遣つかつかはしはしわし還かへ還かへかえすすす。。。汝來使難升米牛利涉遠道路勤勞今以難升米爲率善中郎將牛利爲率善校尉假銀印青綬引見勞賜遣還

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

景初二年六月、倭の女王は大夫の難升米らを遣わして帯方郡に至らせ、天子のもとに行って朝貢したいと願った。帯方太守の劉夏は役人を遣わし、彼らを連れて都まで送らせた。

その年の十二月、皇帝は詔書を下して倭の女王に答えた。「親魏倭王卑弥呼に詔する。

帯方太守の劉夏が使者を遣わして、そなたの大夫難升米と次使の都市牛利を送り届け、そなたが献上した男の生口四人・女の生口六人と班布二匹二丈を奉じて、都に到着した。

そなたのいる所ははるかに遠いのに、使者を遣わして貢ぎ物を献上してきた。これはそなたの忠孝のあらわれであり、私はそなたを深くいとおしく思う。いま、そなたを親魏倭王とし、金印紫綬を与えることにし、封をして帯方太守に託し、そなたに授けさせる。そなたは種族の人々を安んじいたわり、つとめて忠孝を尽くせ。

そなたの使者の難升米と牛利は、遠い道のりを苦労してやって来た。いま難升米を率善中郎将とし、牛利を率善校尉として、銀印青綬を与え、引見してねぎらい、品を賜って帰らせる。

意訳

倭人伝の後半は、倭と魏との外交の記録です。景初二年(238)は、魏が遼東の公孫淵を滅ぼした年で、帯方郡もこのとき魏の支配下に入りました。女王卑弥呼はその機をとらえて、すぐに使者を送ったことになります。ただし、公孫淵が滅んだのは同年八月なので、六月に倭の使者が帯方郡に着いたとするのは難しく、『日本書紀』の引用や『梁書』が「景初三年」としていることから、三年の誤りとする説が有力です。

詔書は、魏の皇帝(明帝の死後に即位した少帝曹芳の名で出されたとみられる)が卑弥呼に直接語りかける形で書かれ、倭人伝の中でも最も長い文章です。「親魏倭王」は、魏に親しむ倭の王という意味の称号で、西域の大月氏国の王に与えられた「親魏大月氏王」と並ぶ高い待遇でした。遠い東の果てから朝貢してきた倭を、魏が重く見ていたことがわかります。

語釈・文法注

景初
魏の明帝の年号(237〜239)。景初二年は238年。三年の誤りとする説が有力。
難升米
倭の大夫。卑弥呼の使者として魏に赴き、率善中郎将に任じられた。読みは「なしめ」「なんしょうまい」など。
劉夏
帯方郡の太守。倭の使者を都の洛陽へ送り届けさせた。
京都
魏の都、洛陽。
制詔
皇帝が命令を下すこと。詔書の書き出しの決まった言い方で、「制詔A」で「Aに詔する」。
親魏倭王
魏が卑弥呼に与えた称号。魏が外国の王に与えた「親魏」の称号は、ほかに大月氏国の王(親魏大月氏王)しか知られていない。
都市
牛利の官名。市を管理する役とする説がある。
生口
奴隷、または捕虜。献上品として贈られた人。
班布
まだら模様に染めた布、または織った布。
金印
金印紫綬。金の印と、それにつける紫の組みひも。諸侯王などに与える最高級の印綬。卑弥呼の金印はまだ見つかっていない。
率善中郎將
魏が外国の使者に与えた官名。「率善」は善に従う(中国の徳に従う)の意。率善校尉はその下の位。

文法

求〜
「求詣天子朝獻」は「天子に詣りて朝献せんことを求む」。「求」の目的語が後に続く。
以A爲B
「以汝爲親魏倭王」は「汝を以て親魏倭王と為す」で、「AをBにする」。
勉爲〜
「勉爲孝順」は「勉めて孝順を為せ」と命令形に訓む。皇帝から臣下への命令の言い方。

解説

倭の女王が魏に使いを送ったのは、238年に魏が公孫氏を滅ぼして朝鮮半島北部を支配したのを受けてのことでした。このとき魏は、南の呉・西の蜀と争っており、呉の背後にあると考えられた倭と結ぶことには、外交上の意味がありました。倭を会稽・東治の東に置く第4章の見方も、その考えにかかわるとされます。

詔書の文は、当時の中国の公文書をほぼそのまま写したものと考えられ、倭人伝の中でも史料としての信頼性が高い部分です。「汝」と呼びかけ、使者の苦労をねぎらう言葉には、皇帝が遠方の王を慈しむ中華の礼の考え方がよく表れています。

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出典

底本
紹興版魏志倭人傳縮寫(橋本増吉『東洋史上より観たる日本上古史研究』第一 巻頭) 大岡山書店、昭和7年(1932)。国立国会図書館デジタルコレクション コマ13〜14(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文は底本による。訓み下し・現代語訳・注は当サイト)
更新日