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魏志倭人伝 第2章

末盧国・伊都国・奴国・不弥国

海を渡って九州北部の末盧国に上陸する。草木が茂って前を行く人も見えず、人々は潜って魚や鮑をとる。陸路を東南へ進むと、代々王がいて女王国に属し、帯方郡の使者が常に留まる伊都国、二万戸の奴国、千戸の不弥国に至る。

末盧国に上陸する使者と鮑を採る海人(AI生成)
末盧国の海岸。上陸した使者と海に潜って鮑を採る人々を描いた想像図(AI生成)。
  1. 1又また又またまた一いつ一いついつ海かい海かいかいををを渡わた渡わたわたることることること千せん千せんせん餘よ餘よよ里り里りりにしてにしてにして、、、盧ろ盧ろろ國こく國こくこくににに至いた至いたいたるるる。。。四し四しし千せん千せんせん餘よ餘よよ戶こ戶ここ有あ有あありりり。。。山さん山さんさん海かい海かいかいににに濱そ濱そそひてひていて居きよ居きよきょすすす。。。草さう草さうそう木もく木もくもく茂も茂もも盛せい盛せいせいししし、、、行ゆ行ゆゆくにくにくに前ぜん前ぜんぜん人じん人じんじんををを見み見みみずずず。。。好この好このこのんでんでんで鰒ふく鰒ふくふくををを捕と捕ととらへらへらえ、、、水みづ水みづみずののの深しん深しんしん淺せん淺せんせんととと無な無ななくくく、、、皆みな皆みなみな沈ちん沈ちんちん沒ぼつ沒ぼつぼつしてしてして之これ之これこれををを取と取ととるるる。。。又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戶濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈沒取之
  2. 2東とう東とうとう南なん南なんなんににに陸りく陸りくりく行かう行かうこうすることすることすること五ご五ごご百ひやく百ひやくひゃく里り里りりにしてにしてにして、、、都と都とと國こく國こくこくににに到いた到いたいたるるる。。。官くわん官くわんかんををを支き支ききととと曰い曰いいひひい、、、副ふく副ふくふくををを泄し泄しし謨も謨もも觚こ觚ここ・・・柄ひ柄ひひ渠こ渠ここ觚こ觚ここととと曰い曰いいふふう。。。千せん千せんせん餘よ餘よよ戶こ戶ここ有あ有あありりり。。。王わう王わうおう有あ有ああるもるもるも、、、皆みな皆みなみな女ぢよ女ぢよじょ王わう王わうおう國こく國こくこくににに統とう統とうとう屬ぞく屬ぞくぞくすすす。。。使し使ししののの往わう往わうおう來らい來らいらいしてしてして常つね常つねつねににに駐とど駐とどとどまるまるまる所ところ所ところところなりなりなり。。。東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戶世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐
  3. 3東とう東とうとう南なん南なんなんのかたのかたのかた國こく國こくこくににに至いた至いたいたることることること百ひやく百ひやくひゃく里り里りり。。。官くわん官くわんかんををを兕し兕しし馬ま馬まま觚こ觚ここととと曰い曰いいひひい、、、副ふく副ふくふくををを卑ひ卑ひひ奴な奴なな母も母もも離り離りりととと曰い曰いいふふう。。。二に二にに萬まん萬まんまん餘よ餘よよ戶こ戶ここ有あ有あありりり。。。東南至奴國百里官曰兕馬觚副曰卑奴母離有二萬餘戶
  4. 4東とう東とうとう行かう行かうこうしてしてして彌み彌みみ國こく國こくこくににに至いた至いたいたることることること百ひやく百ひやくひゃく里り里りり。。。官くわん官くわんかんををを多た多たた模も模ももととと曰い曰いいひひい、、、副ふく副ふくふくををを卑ひ卑ひひ奴な奴なな母も母もも離り離りりととと曰い曰いいふふう。。。千せん千せんせん餘よ餘よよ家か家かか有あ有あありりり。。。東行至不彌國百里官曰多模副曰卑奴母離有千餘家

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

また一つの海を千里あまり渡ると、末盧国に着く。四千戸あまりの家がある。山と海に沿って住んでいる。草木が盛んに茂り、道を行くと前を行く人の姿も見えない。人々は好んで魚や鮑をとり、水の深い浅いにかかわらず、皆もぐってこれをとる。

東南へ陸路を五百里行くと、伊都国に着く。長官を爾支といい、副官を泄謨觚・柄渠觚という。千戸あまりの家がある。代々王がいるが、皆女王国に従属している。帯方郡の使者が往来するときは、いつもここに留まる。

東南へ百里行くと奴国に着く。長官を兕馬觚といい、副官を卑奴母離という。二万戸あまりの家がある。

東へ百里行くと不弥国に着く。長官を多模といい、副官を卑奴母離という。千戸あまりの家がある。

意訳

末盧国で船を下りてからは陸路になり、書き方も「東南陸行五百里にして伊都国に到る」と変わります。末盧国の「行くに前人を見ず」は、草木の茂る海辺の細い道の様子で、上陸した使者の実感がこもった言い方です。

四か国のうち、伊都国だけに「世々王有り」「郡使の往来して常に駐まる所」と特別な説明があります。伊都国は魏の使者が滞在する外交の拠点で、のちの章に出る「一大率」が置かれた所でもありました。倭の国々の中で、伊都国が女王の都とは別に重要な役割を持っていたことがわかります。

語釈・文法注

末盧國
今の佐賀県唐津市・松浦地方とされる。『古事記』『日本書紀』『肥前国風土記』の「松浦(まつら)」にあたる。
魚鰒
魚と鰒(あわび)。「沈没して之を取る」は海に潜ってとること。第4章の「水人」(海人)の暮らしにつながる。
伊都國
今の福岡県糸島市付近とされる。『日本書紀』の「伊覩(いと)県」、のちの怡土郡。三雲南小路遺跡・平原遺跡など、大型の銅鏡を副葬した王墓が見つかっている。
爾支
伊都国の長官の名。「にき」と読み、のちの「稲置(いなぎ)」とする説などがある。副官の泄謨觚・柄渠觚の読みも定まらない。
世
「世々(よよ)」、代々の意。伊都国には代々の王がいたが、皆女王国に従っていたという。
郡使
帯方郡の使者。「常に駐まる所」は、使者がいつも滞在する所。伊都国が魏との外交の窓口だったことを示す。
奴國
今の福岡市・春日市付近とされる。『後漢書』東夷伝に、建武中元二年(57)に倭の奴国が朝貢し光武帝が印綬を授けたとあり、江戸時代に志賀島で見つかった金印「漢委奴国王」がそれにあたるとされる。
不彌國
奴国の東百里の国。福岡県糟屋郡の宇美町や飯塚市付近などにあてる説があるが、定まらない。

文法

〜と無く
「水無深淺」は「水の深浅と無く」と訓み、「水の深い浅いにかかわらず」の意。
到と至
伊都国だけ「到」、ほかの国は「至」と書く。「到」を実際に到着した所、「至」を伝え聞いた行き先とみて、使者は伊都国までしか行かなかったとする説(榎一雄の放射説の根拠の一つ)がある。
世有王皆統屬女王國
「世々王有るも、皆女王国に統属す」と訓む。「皆」が伊都国の代々の王を指すのか、それまでの国々の王を指すのかで解釈が分かれる。

解説

末盧国からの陸路は、方角がどれも「東南」「東」とされていますが、唐津から糸島、福岡平野へ進むと実際の方向は東北から東になります。倭人伝の方角が実際より時計回りにずれているという指摘は、邪馬台国の位置を考える上で大きな問題になりました。

戸数は、末盧国四千、伊都国千、奴国二万、不弥国千です。伊都国が「千余戸」と少ないのに王がいて重要な位置を占めることについては、唐代の類書『翰苑』が引く『魏略』に「万余戸」とあることから、本文の誤りとする説もあります。

伊都国以後の書き方を、伊都国を中心に奴国・不弥国・投馬国・邪馬台国へ放射状に読む説(放射説)と、順に連続して読む説(連続説)とがあり、どちらを取るかで邪馬台国の位置が大きく変わります。

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出典

底本
紹興版魏志倭人傳縮寫(橋本増吉『東洋史上より観たる日本上古史研究』第一 巻頭) 大岡山書店、昭和7年(1932)。国立国会図書館デジタルコレクション コマ10〜11(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文は底本による。訓み下し・現代語訳・注は当サイト)
更新日