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魏志倭人伝 第11章

魏の皇帝からの下賜品

詔書の続き。魏の皇帝は、倭の献上品へのお返しとして絳地交竜錦などの織物を贈り、さらに卑弥呼に特別に、紺地句文錦・白絹・金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹を賜う。それらを国中の人に示し、魏がそなたを慈しんでいることを知らせよと命じる。

魏からの銅鏡や織物を示す場面(AI生成)
魏の下賜品を倭の人々に示す場面の想像図(AI生成)。
  1. 1今いま今いまいま地ち地ちち交かう交かうこう龍りよう龍りようりゅう錦きん錦きんきん五ご五ごご匹ひき匹ひきひき〈〈〈臣しん臣しんしん之し之しし以爲おも以爲おもおもへらくへらくえらく、、、地ち地ちちははは應まさ應まさまさにににととと爲な爲ななすべしすべしすべし。。。漢かん漢かんかんののの文ぶん文ぶんぶん帝てい帝ていていははは皁さう皁さうそう衣い衣いいををを著き著ききるるる、、、之これ之これこれををを弋よく弋よくよく綈てい綈ていていととと謂い謂いいふふう、、、是こ是ここれなりれなりれなり。。。此こ此ここののの字じ字じじははは體たい體たいたいならずならずならず。。。魏ぎ魏ぎぎ朝てう朝てうちょうののの失しつ失しつしつににに非あら非あらあらずんばずんばずんば、、、則すなは則すなはすなわちちち傳でん傳でんでん寫しや寫しやしゃするするする者もの者ものものののの誤あやま誤あやまあやまりなりりなりりなり。。。〉〉〉・・・絳かう絳かうこう地ち地ちち縐しう縐しうしゅう粟ぞく粟ぞくぞく十じつ十じつじつ張ちやう張ちやうちょう・・・蒨せん蒨せんせん絳かう絳かうこう五ご五ごご十じふ十じふじゅう匹ひき匹ひきひき・・・紺こん紺こんこん青じやう青じやうじょう五ご五ごご十じふ十じふじゅう匹ひき匹ひきひきををを以もつ以もつもつててて、、、汝なんぢ汝なんぢなんじががが獻けん獻けんけんずるずるずる所ところ所ところところののの直ちよく直ちよくちょくににに答こた答こたこたふふう。。。今以絳地交龍錦五匹〈臣松之以爲地應爲綈漢文帝著皁衣謂之弋綈是也此字不體非魏朝之失則傳寫者誤也〉絳地縐粟罽十張蒨絳五十匹紺青五十匹答汝所獻貢直
  2. 2又また又またまた特こと特ことことににに汝なんぢ汝なんぢなんじににに紺こん紺こんこん地ち地ちち句く句くく文もん文もんもん錦きん錦きんきん三さん三さんさん匹びき匹びきびき・・・細さい細さいさい班はん班はんはん華くわ華くわか罽けい罽けいけい五ご五ごご張ちやう張ちやうちょう・・・白はく白はくはく絹けん絹けんけん五ご五ごご十じふ十じふじゅう匹ひき匹ひきひき・・・金きん金きんきん八はち八はちはち兩りやう兩りやうりょう・・・五ご五ごご尺しやく尺しやくしゃく刀たう刀たうとう二に二にに口こう口こうこう・・・鏡きやう鏡きやうきょう百ひやく百ひやくひゃく枚まい枚まいまい・・・真しん真しんしん珠じゆ珠じゆじゅ・・・丹たん丹たんたん各おのおの各おのおのおのおの五ご五ごご十じふ十じふじゅう斤きん斤きんきんををを賜たま賜たまたまひひい、、、皆みな皆みなみな裝さう裝さうそう封ふう封ふうふうしてしてして難な難なな升しよう升しようしょう米まい米まいまい・・・牛ぎう牛ぎうぎゅう利り利りりににに付ふ付ふふすすす。。。還かへ還かへかえりりり到いた到いたいたらばらばらば錄ろく錄ろくろく受じゆ受じゆじゅししし、、、悉ことごと悉ことごとことごとくくく以もつ以もつもつててて汝なんぢ汝なんぢなんじががが國こく國こくこく中ちゆう中ちゆうちゅうののの人ひと人ひとひとににに示しめ示しめしめししし、、、國こく國こくこく家か家かかののの汝なんぢ汝なんぢなんじををを哀あはれ哀あはれあわれむむむををを知し知ししらしむべしらしむべしらしむべし。。。故ゆゑ故ゆゑゆえににに重ちよう重ちようちょうににに汝なんぢ汝なんぢなんじににに好かう好かうこう物ぶつ物ぶつぶつををを賜たま賜たまたまふなりふなりうなり、、、ととと。。。又特賜汝紺地句文錦三匹細班華罽五張白絹五十匹金八兩五尺刀二口銅鏡百枚真珠鉛丹各五十斤皆裝封付難升米牛利還到錄受悉可以示汝國中人使知國家哀汝故鄭重賜汝好物也

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

いま、絳地交竜錦(深紅の地に竜を織り出した錦)五匹〈臣裴松之が考えるに、「地」の字は「綈(あつぎぬ)」とすべきである。漢の文帝が黒い衣を着て、これを弋綈と言ったのがこれである。この字が正しくないのは、魏の朝廷の誤りでなければ、書き写した者の誤りである。〉・絳地縐粟罽(深紅の地の縮みの毛織物)十張・蒨絳(あかね色の絹)五十匹・紺青(紺色の絹)五十匹を、そなたが献上した貢ぎ物へのお返しとする。

また特にそなたには、紺地句文錦(紺の地に模様を織り出した錦)三匹・細班華罽(細かいまだら模様の毛織物)五張・白絹五十匹・金八両・五尺の刀二振り・銅鏡百枚・真珠と鉛丹をそれぞれ五十斤を賜い、すべて封をして難升米と牛利に託す。帰り着いたら受け取って記録し、それをことごとくそなたの国の人々に示して、魏の国家がそなたを慈しんでいることを知らせるがよい。それゆえに、ねんごろにそなたによい品々を賜うのである」と。

意訳

倭の献上品が生口十人と班布二匹二丈だったのに対し、魏の返礼はけた違いに豪華です。色とりどりの錦や毛織物、絹のほか、卑弥呼個人への特別の下賜として、金、刀、そして「銅鏡百枚」が贈られました。

詔書の結びの「悉く以て汝が国中の人に示し、国家の汝を哀れむを知らしむべし」は、これらの品が、卑弥呼が魏の後ろ盾を得ていることを国中に示すためのものだったことを語っています。とくに銅鏡は、倭の首長たちに分け与えられて、女王を中心とする国々の結びつきを示すしるしになったと考えられています。

語釈・文法注

絳地交龍錦
深紅の地に二匹の竜が交わる模様を織り出した錦。
松之
裴松之(はいしょうし、372〜451)。南朝宋の人で、文帝の命で『三国志』に注を付けた。この〈〉の部分はその注で、「地」の字は「綈」の誤りだと述べる。
綈
厚手の絹織物。あつぎぬ。
罽
毛織物。「縐粟罽」は縮みのある粟粒のような模様の毛織物とされる。
貢直
献上品の値。「貢直に答ふ」は、献上品に見合うお返しをすること。
銅鏡
銅の鏡。百枚の銅鏡が何にあたるかについて、畿内を中心に出土する三角縁神獣鏡とする説と、中国でほとんど出土しないことから魏の鏡ではないとする説が対立している。
鉛丹
鉛から作る赤い顔料。
鄭重
ていねいに、ねんごろに。

文法

〜に答ふ
「答汝所獻貢直」は「汝が献ずる所の貢直に答ふ」で、「そなたが献上した品の値に報いる」。
可以〜
「悉可以示汝國中人」は「悉く以て汝が国中の人に示すべし」。「可」は「べし」と訓み、ここでは命令・勧めの意。
使〜知
「使知國家哀汝」は「国家の汝を哀れむを知らしむ」で、「魏の国家がそなたを慈しんでいることを知らせる」。

解説

「銅鏡百枚」は、考古学と文献史学を結ぶ最も有名な一句です。三角縁神獣鏡は「景初三年」「正始元年」など魏の年号を刻んだものがあり、畿内の古墳から多く出土することから、卑弥呼が賜った鏡とする説があります。一方、中国本土から一枚も出土していないこと、出土数が数百枚に及ぶことから、日本で作られたとする説もあり、論争が続いています。

裴松之の注は、魏の詔書の「絳地」という字を問題にしています。裴松之は、色の名の後に「地」と書くのは不自然で、「綈(あつぎぬ)」の誤りだと考えました。いまでは「地」は「地色」の意で誤りではないとする見方が多く、この注は、千五百年前の学者が倭人伝の一字一字を吟味していたことを伝えるものとして興味深いものです。

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出典

底本
紹興版魏志倭人傳縮寫(橋本増吉『東洋史上より観たる日本上古史研究』第一 巻頭) 大岡山書店、昭和7年(1932)。国立国会図書館デジタルコレクション コマ14(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文は底本による。訓み下し・現代語訳・注は当サイト)
更新日