古典ライブラリー

新古今和歌集 序

真名序(二)

部立と構成、院の立場、先行する勅撰集と撰集の方針、院自身の歌の多いことを述べ、温故知新の心を示して元久二年三月と結ぶ。

仙洞御所で、後鳥羽院が撰び整えた歌書を前に、歌の道を後世へ伝えようと思いを深める場面
仙洞御所で、後鳥羽院が撰び整えた歌書を前に、歌の道を後世へ伝えようと思いを深める場面
  1. 1時令節物じれいせつぶつ時令節物じれいせつぶつじれいせつぶつののの篇へん篇へんへんははは、、、四序しじよ四序しじよしじょををを履ふ履ふふみてみてみて星ほし星ほしほしのごとくのごとくのごとく羅つら羅つらつらなりなりなり、、、衆作雜詠しゆさくざつえい衆作雜詠しゆさくざつえいしゅさくざつえいののの什じふ什じふじゅうははは、、、群品ぐんぴん群品ぐんぴんぐんぴんををを並なら並ならならべてべてべて雲くも雲くもくものごとくのごとくのごとく布し布ししくくく。。。綜緝そうしふ綜緝そうしふそうしゅうののの致ち致ちち、、、蓋けだ蓋けだけだししし備そな備そなそなはれりとはれりとわれりと云い云いいふふう。。。時令節物之篇、履四序而星羅、衆作雜詠之什、並群品而雲布。綜緝之致、蓋云備矣。
  2. 2伏ふ伏ふふしてしてして惟おもん惟おもんおもんみればみればみれば、、、朕ちん朕ちんちん代邸だいてい代邸だいていだいていよりよりより天子てんし天子てんしてんしののの位くらゐ位くらゐくらいををを踐ふ踐ふふみみみ、、、漢宮かんきゆう漢宮かんきゆうかんきゅうををを謝しや謝しやしゃしてしてして汾陽ふんやう汾陽ふんやうふんようののの蹤あと蹤あとあとををを追お追おおふふう、、、今上陛下きんじやうへいか今上陛下きんじやうへいかきんじょうへいかののの嚴親げんしん嚴親げんしんげんしんなりなりなり。。。帝道ていだう帝道ていだうていどうののの諮詢しじゆん諮詢しじゆんしじゅんににに隙ひま隙ひまひま無な無ななしとしとしと雖いへど雖いへどいえどももも、、、日域じちいき日域じちいきじちいき朝廷てうてい朝廷てうていちょうていののの本主ほんしゆ本主ほんしゆほんしゅなりなりなり。。。爭いかで爭いかでいかでかかか我わ我わわががが國くに國くにくにののの習俗しふぞく習俗しふぞくしゅうぞくををを賞しやう賞しやうしょうせざらむせざらむせざらむ。。。方今はうこん方今はうこんほうこん荃宰せんさい荃宰せんさいせんさい體たい體たいたいををを合あ合ああはせはせわせ、、、華夷くわい華夷くわいかい仁じん仁じんじんををを詠えい詠えいえいじじじ、、、風化ふうくわ風化ふうくわふうか萬春ばんしゆん萬春ばんしゆんばんしゅんををを樂たの樂たのたのしむしむしむ。。。春日野かすがの春日野かすがのかすがのののの草くさ草くさくさ悉ことごと悉ことごとことごとくくく靡なび靡なびなびききき、、、月宴げつえん月宴げつえんげつえん千秋せんしう千秋せんしうせんしゅうををを契ちぎ契ちぎちぎりりり、、、秋津洲あきつしま秋津洲あきつしまあきつしまののの塵ちり塵ちりちり惟こ惟ここれれれ靜しづ靜しづしずかなりかなりかなり。。。誠まこと誠まことまことににに無爲有截むゐいうせつ無爲有截むゐいうせつむいゆうせつののの時とき時ときときににに膺あた膺あたあたりてりてりて、、、毫がう毫がうごうををを染そ染そそめめめ牋せん牋せんせんををを採と採ととるのるのるの志こころざし志こころざしこころざしををを頤やしな頤やしなやしなふべしふべしうべし。。。故ゆゑ故ゆゑゆえににに此こ此ここののの一ひと一ひとひと集しふ集しふしゅうををを撰えら撰えらえらびてびてびて、、、永なが永ながながくくく百王ひやくわう百王ひやくわうひゃくおうににに傳つた傳つたつたへむとへむとえむと欲ほつ欲ほつほつすすす。。。伏惟、朕自代邸而踐天子之位、謝於漢宮而追汾陽之蹤、今上陛下之嚴親也。雖無隙帝道之諮詢、日域朝廷之本主也。爭不賞我國之習俗。方今荃宰合體、華夷詠仁、風化之樂萬春。春日野之草悉靡、月宴之契千秋、秋津洲之塵惟靜。誠膺無爲有截之時、可頤染毫採牋之志。故撰此一集、永欲傳百王。
  3. 3彼か彼かかののの上古じやうこ上古じやうこじょうこののの萬葉集まんえふしふ萬葉集まんえふしふまんようしゅうははは、、、蓋けだ蓋けだけだししし是こ是ここれれれ倭歌やまとうた倭歌やまとうたやまとうたののの源みなもと源みなもとみなもとなりなりなり。。。編次へんじ編次へんじへんじののの起おこ起おこおこりりり、、、因准いんじゆん因准いんじゆんいんじゅんののの儀ぎ儀ぎぎははは、、、星序せいじよ星序せいじよせいじょ惟こ惟ここれれれ邈はる邈はるはるかにしてかにしてかにして、、、煙欝えんうつ煙欝えんうつえんうつとしてとしてとして披ひら披ひらひらききき難かた難かたかたししし。。。延喜えんぎ延喜えんぎえんぎににに古今集こきんしふ古今集こきんしふこきんしゅう有あ有あありりり、、、四人よたり四人よたりよたり綸命りんめい綸命りんめいりんめいををを含ふく含ふくふくみてみてみて之これ之これこれををを成な成ななせりせりせり。。。天曆てんりやく天曆てんりやくてんりゃくににに後撰集ごせんしふ後撰集ごせんしふごせんしゅう有あ有あありりり、、、五人ごにん五人ごにんごにん綸言りんげん綸言りんげんりんげんををを奉ほう奉ほうほうじてじてじて之これ之これこれををを成な成ななせりせりせり。。。其そ其そそののの後のち後のちのち拾遺しふゐ拾遺しふゐしゅうい、、、後拾遺ごしふゐ後拾遺ごしふゐごしゅうい、、、金葉きんえふ金葉きんえふきんよう、、、詞花しくわ詞花しくわしか、、、千載せんざい千載せんざいせんざい等ら等ららののの集しふ集しふしゅう有あ有あありりり。。。聖王せいわう聖王せいわうせいおう數代すだい數代すだいすだいののの勅ちよく勅ちよくちょくよりよりより出い出いいづとづとずと雖いへど雖いへどいえどももも、、、殊こと殊ことことににに恨うら恨うらうらむらくはむらくはむらくは撰者せんじや撰者せんじやせんじゃ一身いつしん一身いつしんいっしんののの最さい最さいさいたることたることたることををを。。。彼上古之萬葉集者、蓋是倭歌之源也。編次之起因准之儀、星序惟邈、煙欝難披。延喜有古今集、四人含綸命而成之。天曆有後撰集、五人奉綸言而成之。其後有拾遺、後拾遺、金葉、詞花、千載等集。雖出於聖王數代之勅、殊恨爲撰者一身之最。
  4. 4茲ここ茲ここここににに因よ因よよりてりてりて、、、延喜えんぎ延喜えんぎえんぎ天曆てんりやく天曆てんりやくてんりゃく二朝にてう二朝にてうにちょうののの遺美ゐび遺美ゐびいびををを訪と訪ととひひい、、、法河涉虛はふかせふきよ法河涉虛はふかせふきよほうかしょうきょ五輩ごはい五輩ごはいごはいののの英豪えいがう英豪えいがうえいごうををを定さだ定さださだめめめ、、、神仙しんせん神仙しんせんしんせんののの居きよ居きよきょををを排ひら排ひらひらききき、、、刊修かんしう刊修かんしうかんしゅうののの席せき席せきせきををを展の展ののぶるのみぶるのみぶるのみ。。。斯こ斯ここののの集しふ集しふしゅうののの體たい體たいたいたるやたるやたるや、、、先ま先ままづづず萬葉集まんえふしふ萬葉集まんえふしふまんようしゅうののの中なか中なかなかををを抽ぬ抽ぬぬききき、、、更さら更さらさらににに七代集しちだいしふ七代集しちだいしふしちだいしゅうののの外ほか外ほかほかををを拾ひろ拾ひろひろひひい、、、深ふか深ふかふかくくく索もと索もともとめてめてめて微長びちやう微長びちやうびちょうももも遺のこ遺のこのこすことすことすこと無な無ななくくく、、、廣ひろ廣ひろひろくくく求もと求もともとめてめてめて片善へんぜん片善へんぜんへんぜんももも必かなら必かならかならずずず擧あ擧ああぐぐぐ。。。因茲、訪延喜天曆二朝之遺美、定法河涉虛五輩之英豪、排神仙之居、展刊修之席而已。斯集之爲體也、先抽萬葉集之中、更拾七代集之外、深索而微長無遺、廣求而片善必擧。
  5. 5但ただ但ただただししし網あみ網あみあみををを山野さんや山野さんやさんやににに張は張ははるとるとると雖いへど雖いへどいえどももも、、、微禽びきん微禽びきんびきん自おのづか自おのづかおのずかららら逃のが逃のがのがれれれ、、、筌うへ筌うへうえををを江湖かうこ江湖かうここうこににに連つら連つらつらぬとぬとぬと雖いへど雖いへどいえどももも、、、小鮮せうせん小鮮せうせんしょうせん偸ひそ偸ひそひそかにかにかに漏も漏ももるるる。。。誠まこと誠まことまことににに視聽しちやう視聽しちやうしちょうののの達たつ達たつたっせざるにせざるにせざるに當あた當あたあたりてりてりて、、、定さだ定さださだめてめてめて篇章へんしやう篇章へんしやうへんしょうののの猶なほ猶なほなお遺のこ遺のこのこれるれるれる有あ有ああらむらむらむ。。。今いま今いまいま只ただ只ただただ採と採ととりりり得え得ええるにるにるに隨したが隨したがしたがひてひていて、、、且か且かかつつつ勒ろく勒ろくろくししし終を終をおふるふるうる所ところ所ところところなりなりなり。。。但雖張網於山野、微禽自逃、雖連筌於江湖、小鮮偸漏。誠當視聽之不達、定有篇章之猶遺。今只隨採得、且所勒終也。
  6. 6抑そもそも抑そもそもそもそも古今ここん古今ここんここんににに於おい於おいおいてててははは當代たうだい當代たうだいとうだいののの御製ぎよせい御製ぎよせいぎょせいををを載の載ののせずせずせず、、、後撰ごせん後撰ごせんごせんよりよりより初はじ初はじはじめてめてめて其そ其そそののの時とき時ときときののの天章てんしやう天章てんしやうてんしょうををを加くは加くはくわふふう。。。各おのおの各おのおのおのおの一部いちぶ一部いちぶいちぶををを考かんが考かんがかんがふるにふるにうるに十首じつしゆ十首じつしゆじっしゅににに滿み滿みみたずたずたず。。。而しか而しかしかるにるにるに今いま今いまいま入い入いいるるるるるる所ところ所ところところののの自詠じえい自詠じえいじえい、、、已すで已すですでににに三十首さんじつしゆ三十首さんじつしゆさんじっしゅににに餘あま餘あまあまれりれりれり。。。六義りくぎ六義りくぎりくぎ若も若ももししし相兼あひか相兼あひかあいかねばねばねば、、、一兩いちりやう一兩いちりやういちりょうももも足た足たたるべしとるべしとるべしと雖いへど雖いへどいえどももも、、、風骨ふうこつ風骨ふうこつふうこつののの絕妙ぜつめう絕妙ぜつめうぜつみょう無な無ななきにきにきに依よ依よよりてりてりて、、、還かへ還かへかえりてりてりて露詞ろし露詞ろしろしののの多おほ多おほおおくくく加くは加くはくわはるはるわる有あ有あありりり。。。偏ひとへ偏ひとへひとえににに道みち道みちみちににに耽ふけ耽ふけふけるのるのるの思おも思おもおもひひいををを以もつ以もつもっててて、、、多情たじやう多情たじやうたじょうののの眼まなこ眼まなこまなこををを顧かへり顧かへりかえりみずみずみず。。。凡およ凡およおよそそそ厥そ厥そそののの取捨しゆしや取捨しゆしやしゅしゃははは、、、嘉尙かしやう嘉尙かしやうかしょうののの餘あま餘あまあまりりり、、、特とく特とくとくににに沖襟ちゆうきん沖襟ちゆうきんちゅうきんををを運めぐ運めぐめぐらすらすらす。。。抑於古今者、不載當代之御製、自後撰而初加其時之天章、各考一部、不滿十首。而今所入之自詠、已餘三十首。六義若相兼、一兩雖可足、依無風骨之絕妙、還有露詞之多加。偏以耽道之思、不顧多情之眼。凡厥取捨者、嘉尙之餘、特運沖襟。
  7. 7伏義ふくぎ伏義ふくぎふくぎ皇德くわうとく皇德くわうとくこうとくををを基はじ基はじはじめてよりめてよりめてより四十萬年しじふまんねん四十萬年しじふまんねんしじゅうまんねん、、、異域いゐき異域いゐきいいき自おのづか自おのづかおのずかららら聖造せいざう聖造せいざうせいぞうののの書史しよし書史しよししょしををを觀み觀みみるとるとると雖いへど雖いへどいえどももも、、、神武じんむ神武じんむじんむ帝功ていこう帝功ていこうていこうををを開ひら開ひらひらきてよりきてよりきてより八十二代はちじふにだい八十二代はちじふにだいはちじゅうにだい、、、當朝たうてう當朝たうてうとうちょう未いま未いまいまだだだ叡策えいさく叡策えいさくえいさくののの撰集せんじふ撰集せんじふせんしゅうををを聽き聽ききかずかずかず。。。定さだ定さださだめてめてめて知し知ししるるる、、、天下てんか天下てんかてんかののの都人士女とじんしぢよ都人士女とじんしぢよとじんしじょ、、、斯こ斯ここののの道みち道みちみちののの遭逢さうほう遭逢さうほうそうほうををを謳歌おうか謳歌おうかおうかせむことせむことせむことををを。。。獨ひと獨ひとひとりりり仙洞せんとう仙洞せんとうせんとう無何むか無何むかむかののの鄕きやう鄕きやうきょうににに嘲風哢月てうふうろうげつ嘲風哢月てうふうろうげつちょうふうろうげつののの興きよう興きようきょう有あ有ああることることることををを記しる記しるしるすのみにあらずすのみにあらずすのみにあらず、、、亦また亦またまた皇家くわうか皇家くわうかこうか元久げんきう元久げんきうげんきゅうののの歲とし歲としとしににに溫故知新をんこちしん溫故知新をんこちしんおんこちしんののの心こころ心こころこころ有あ有ああることることることををを呈てい呈ていていさむとさむとさむと欲ほつ欲ほつほつすすす。。。修撰しうせん修撰しうせんしゅうせんののの趣おもむき趣おもむきおもむき、、、茲ここ茲ここここににに在あ在ああらずやらずやらずや。。。時とき時ときときににに聖曆せいれき聖曆せいれきせいれき乙丑いつちう乙丑いつちういっちゅう、、、王春三月わうしゆんさんぐわつ王春三月わうしゆんさんぐわつおうしゅんさんがつととと爾しか爾しかしか云い云いいふふう。。。伏義基皇德而四十萬年、異域自雖觀聖造之書史焉、神武開帝功而八十二代、當朝未聽叡策之撰集矣。定知天下之都人士女、謳歌斯道之遭逢矣。不獨記仙洞無何之鄕有嘲風哢月之興、亦欲呈皇家元久之歲有溫故知新之心。修撰之趣不在茲乎。于時聖曆乙丑、王春三月云爾。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

四季の折々の風物を詠んだ巻々は、春夏秋冬の順をたどって星のように連なり、さまざまな作や雑の歌は、多くの部類を並べて雲のように広がっている。編集の趣向は、ほぼ備わったといえよう。

つつしんで思えば、私は藩邸から出て天子の位につき、宮中を去って仙洞に退いた、今上陛下の父である。帝の政務の相談にあずかる暇はないとはいえ、この国の朝廷の本来の主である。どうしてわが国の習わしを重んじないでいられようか。いまや君臣が心を合わせ、国の内外が仁徳をたたえ、教化は万年の春を楽しんでいる。春日野の草はことごとくなびき、月の宴は千年を約し、秋津洲の塵は静まっている。まことに天下の太平な時に当たって、筆を執り紙を選ぶ志を養うべきである。だからこの一集を撰んで、長く百代の帝に伝えようと思う。

かの上古の万葉集は、思うに倭歌の源である。その編集の起こりや拠りどころは、年月が遠く隔たって、煙に包まれたようで明らかにしがたい。延喜には古今集があり、四人が勅命を受けてこれを撰んだ。天暦には後撰集があり、五人が勅命を奉じてこれを撰んだ。その後、拾遺・後拾遺・金葉・詞花・千載などの集がある。代々の聖王の勅から出たとはいえ、とりわけ残念なのは、撰者がただ一人であったことだ。

そこで、延喜・天暦の二代の遺した美風にならい、法律や学問に通じた五人のすぐれた人物を定め、仙洞の居所を開いて撰修の席を設けたのである。この集の体裁は、まず万葉集の中から抜き出し、さらに七代の勅撰集に入らなかった歌を拾い、深く探って小さな長所も漏らさず、広く求めてわずかな美点も必ず取り上げた。

ただし、網を山野に張っても小さな鳥は自然と逃れ、筌を川や湖に連ねても小さな魚はひそかに漏れる。まことに見聞の行き届かないところで、きっと詩歌でなお漏れたものがあるだろう。今はただ採り得たものに従って、ひとまず編み終えたのである。

そもそも古今集では当代の帝の御製を載せず、後撰集からはじめてその時の帝の御製を加えたが、それぞれの集を考えると十首に満たない。ところが今入れた私自身の歌は、すでに三十首を超えた。六義を兼ね備えていれば一、二首で足りるはずだが、風骨の絶妙さがないために、かえって言葉ばかりの歌が多く加わってしまった。ひたすら歌の道にふける思いから、多くの人の目を顧みなかったのである。およそその取捨は、歌を愛するあまり、特に心を尽くしたものである。

伏羲が皇徳の基を開いてから四十万年、異国ではおのずから聖王の書物を見ることがあるが、神武天皇が帝業を開いてから八十二代、わが朝廷ではまだ帝みずからが撰んだ歌集のことを聞かない。きっと天下の都の人々は、この道がこのような時に巡り合ったことを喜び歌うであろう。ただ仙洞の閑居に風月を楽しむ興があることを記すだけでなく、皇家の元久の年に、古きをたずねて新しきを知る心があることを示したいと思う。撰修の趣旨はここにあるのではないか。時に聖暦乙丑(元久二年)、王春三月、このように記す。

意訳

集は四季・恋・雑などの部立で整えた。院は譲位したとはいえ朝廷の本来の主であり、太平の世にこの集を撰んで後代に伝えたい。万葉集は歌の源で、その後の勅撰集は撰者が一人のことが多かったので、今回は五人の撰者を置き、万葉集と七代集に漏れた歌を広く集めた。漏れはあるだろうが、ひとまず編み終えた。院自身の歌が三十首を超えたのは歌への執心ゆえである。帝みずから撰んだ歌集はわが国で初めてで、古きをたずねて新しきを知る心を示したいと結ぶ。

語釈・文法注

四序
春夏秋冬の四季。
代邸
漢の文帝が藩王の邸から迎えられて即位した故事により、即位をいう。
汾陽
仙人の住む地。上皇の御所(仙洞)をいう。
今上陛下の嚴親
当代の天皇(土御門天皇)の父。後鳥羽院のこと。
荃宰
君主と臣下。
無爲有截
無為(自然に治まる)で、天下がよく整っていること。太平の世。
法河涉虛五輩
撰者五人を、法の河を渡り虚空を渉る者にたとえた語とされる。
筌
竹で編んだ魚を捕る道具。
六義
和歌の六つの体(そえ歌・かぞえ歌など)。
伏義
底本の表記。中国古代の伝説の帝王「伏羲」のこと。
叡策
天子の手になる撰集。帝みずからの撰をいう。
聖曆乙丑
元久二年(1205)の干支。

解説

後半では、院が「朕」として自らの立場を述べ、帝みずからが撰んだ歌集であることを強調する。仮名序と同じく、院自身の歌が三十首を超えたことにも触れている。

結びの「温故知新」は、万葉集から当代までの歌を集めたこの集の姿勢をよく表す語である。日付の元久二年三月は、竟宴の行われた月にあたる。

底本は仮名序を巻頭に、真名序を巻末(巻第二十の後)に置く。当サイトでは目次の「序」にまとめた。

関連

出典

底本
『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、新古今和歌集序 369〜372頁(コマ194〜196)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文は底本による。訓み下し・現代語訳・注は当サイト)
更新日