万葉集 巻第二 230〜234番
梓弓 手に取り持ちて
高円山が春の野焼きのように燃えている。あの火は何かと尋ねると、道行く人が涙ながらに、志貴皇子の葬送の列の松明だと答えた。皇子の死を悼む長歌と短歌で、巻第二の最後を飾る。

題詞靈龜元年歳次乙卯秋九月、志貴親王の薨じ給ひし時、作れる歌一首并に短歌
- 1梓梓あずさ弓弓ゆみ手手てににに取取とりりり持持もちちちててて梓弓 手取持而230 長歌
- 2丈丈ます夫夫らおののの得得さつ物物や矢矢た手手ばさ挿挿み大夫之 得物矢手挿
- 3立立たちちち向向むかふふう高高たか圓圓まと山山やまににに立向 高圓山爾
- 4春春はる野野ぬ燒燒やくくく野野ぬ火火びととと見見みるるるまでまでまで春野燒 野火登見左右
- 5燎燎もゆるゆるゆる火火ひをををいかにいかにいかにととと問問とへへへばばば燎火乎 何如問者
- 6玉玉たま桙桙ほこののの道道みち來來くるるる人人ひとののの玉桙之 道來人乃
- 7泣泣なくくく淚淚なみだににに降降ふれれればばば泣淚 霈霖爾落者
- 8白白しろ妙妙たえののの衣衣ころも濕濕ひずちちちててて白妙之 衣埿漬而
- 9立立たちちち留留とまりりり吾吾われににに語語かたらくらくらく立留 吾爾語久
- 10何何なにしかしかしかももももとなもとなもとな言言いへへえるるる何鴨 本名言
- 11聞聞きけけけばばば哭哭ねのみのみのみししし泣泣なかかかゆゆゆ聞者 泣耳師所哭
- 12語語かたれれればばば心心こころぞぞぞ痛痛いたききき語者 心曾痛
- 13天皇天皇すめろぎののの神神かみののの御御み子子こののの天皇之 神之御子之
- 14御駕御駕いでましののの手手た火火びののの光光ひかりぞぞぞ幾許幾許ここだ照照てりりりたるたるたる御駕之 手火之光曾 幾許照而有
- 15高高たか圓圓まとののの高圓之231 短歌
- 16野野ぬ邊邊べののの秋秋あき萩萩はぎ野邊秋芽子
- 17いたづらいたづらいたずらににに徒
- 18咲咲さきききかかか散散ちるるるらむらむらん開香將散
- 19見見みるるる人人ひと無無なしししににに見人無爾
- 20三三み笠笠かさ山山やま御笠山232 短歌
- 21野野ぬ邊邊べ行行ゆくくく道道みちははは野邊徃道者
- 22許多許多こきだくももも己伎太雲
- 23繁繁しげりりり荒荒あれれれたるたるたるかかか繁荒有可
- 24久久ひさにににあらあらあらなくなくなくににに久爾有勿國
- 25高高たか圓圓まとののの高圓之233 或本の歌
- 26野野ぬ邊邊べののの秋秋あき萩萩はぎ野邊乃秋芽子
- 27ななな散散ちりりりそそそねねね勿散禰
- 28君君きみががが形形かた見見みににに君之形見爾
- 29見見みつつつつつつ偲偲しのばばばむむん見管思奴幡武
- 30三三み笠笠かさ山山やま三笠山234 或本の歌
- 31野野ぬ邊邊べゆゆゆ行行ゆくくく道道みち野邊從遊久道
- 32許多許多こきだくももも己伎太久母
- 33荒荒あれれれにににけるけるけるかもかもかも荒爾計類鴨
- 34久久ひさにににあらあらあらなくなくなくににに久爾有名國
現代語訳
〔230〕(梓弓を手に取り持って、ますらおが矢を手挟んで立ち向かう)高円山に、春の野を焼く野火かと見えるほど燃えている火を、あれは何かと尋ねると、(玉桙の)道を来る人が、泣く涙を大雨のように降らせて、白い衣をぬらして立ち止まり、私に語ることには、「どうしてわけもなくお尋ねになるのか。聞くと声をあげて泣けてくる。語ると心が痛む。天皇の神の御子のお出ましの、たいまつの光が、あんなにもたくさん照っているのです」と。
〔231〕高円の野辺の秋萩は、むなしく咲いては散っているのだろうか。見る人もいないのに。
〔232〕三笠山の野辺を行く道は、こんなにもひどく草が茂って荒れてしまったのか。まだ久しくもないのに。
〔233〕高円の野辺の秋萩よ、散らないでおくれ。亡き君の形見として、見ながらしのぼう。
〔234〕三笠山の野辺を通って行く道は、ひどく荒れてしまったなあ。まだ久しくもないのに。
意訳
霊亀元年(715)9月、天智天皇の皇子である志貴皇子が亡くなった。作者は、高円山が春の野焼きのように燃えているのを見て、道行く人に何の火かと尋ねる。その人は涙を流しながら、皇子の葬送の列のたいまつの火だと答える。問答の形で、皇子の死の知らせを受けとめる驚きと悲しみを描いている。短歌では、皇子の宮のあった高円の野の秋萩が、見る人もなく咲き散ることを嘆き、主を失った道が早くも荒れてしまったことを悲しむ。
語釈・文法注
- 霈霖(ひさめ)
- 大雨。降りしきる雨のように涙を流すこと。
文法・本文
- 梓弓……立ち向ふ
- 「高圓山」の「高(的)」を導く序詞。弓に矢をつがえて的に向かうことから。
- 何しかももとな言へる
- 「もとな」はわけもなく、むやみに。どうしてわけもなく尋ねるのか。
- 哭のみし泣かゆ
- 「哭のみ泣く」は声をあげて泣くばかり。「ゆ」は自発。
- 許多も
- 「こきだく」は、ひどく、たいそう。
和歌
- 作者
- 笠金村(生没年未詳)
元正天皇・聖武天皇の時代の宮廷歌人。左注に、この歌は「笠朝臣金村の歌集」に出るとある。 - 出典
- 『万葉集』巻第二・挽歌・230〜234番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 霊亀元年(715)9月に志貴皇子が亡くなったときの長歌と短歌二首、および或本の歌二首。左注に、この歌は笠金村の歌集に出ているとある。志貴皇子は高円山のふもとに宮を持ち、田原西陵に葬られた。
修辞
- 序詞
- 「梓弓手に取り持ちて丈夫の得物矢手挿み立ち向ふ」が「高圓山」を導く。
- 問答
- 作者の問いと道行く人の答えで長歌を組み立てる。
- 枕詞
- 「玉桙の」「白妙の」。
解説
志貴皇子は天智天皇の皇子で、巻第一の「釆女の袖吹きかへす」(51番)や巻第八の「石激る垂水の上のさわらびの」(1418番)で知られる歌人である。天武天皇の系統が皇位を継いだ時代に、政治の争いから離れて過ごしたが、のちに子の白壁王が光仁天皇として即位したことで、春日宮天皇と追尊された。
長歌の題詞では「親王」と書かれているが、志貴皇子の没年は続日本紀では霊亀2年(716)とされ、一年の食い違いがある。問答の形で死を知る構成は、人麻呂の歌にはない新しい工夫で、奈良時代の宮廷歌人の挽歌の作風を示している。この歌で巻第二が終わる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、78頁(コマ43)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、73頁(コマ42)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日