新古今和歌集 序
仮名序(二)
和歌の徳と、歴代の勅撰集。五人の撰者を定めたうえで院みずから撰んだこと、院自身の歌が三十首を超えたことを述べ、結ぶ。

- 1加之加之しかのみならず、、、高高たかききき屋屋やににに遠遠とおきききををを望望のぞみてみてみて民民たみののの時時ときををを知知しりりり、、、末末すえののの露露つゆもとのもとのもとの雫雫しずくによそへてによそへてによそえて人人ひとののの世世よををを悟悟さとりりり、、、玉鉾玉鉾たまぼこののの道道みちののの邊邊べににに別別わかれををを慕慕したひひい、、、天天あまざかるざかるざかる鄙鄙ひなののの長長なが路路じににに都都みやこををを思思おもひひい、、、高高たか間間まののの山山やまののの雲井雲井くもいのよそなるのよそなるのよそなる人人ひとををを戀戀こひひい、、、長柄長柄ながらののの橋橋はしののの浪浪なみににに朽朽くちぬるちぬるちぬる名名なををを惜惜おしみてもみてもみても、、、心心こころうちにうちにうちに動動うごききき、、、言葉言葉ことば外外ほかににに表表あらわれずといふことなしれずといふことなしれずということなし。。。
- 2況況いわんやんやんや、、、住吉住吉すみよしののの神神かみははは、、、かたそぎのかたそぎのかたそぎの言葉言葉ことばををを殘殘のこししし、、、傳敎大師傳敎大師でんぎょうだいしははは、、、我我われたつそまのたつそまのたつそまの思思おもひひいををを述述のべべべ給給たまへりへりえり。。。かくのかくのかくの如如ごとききき、、、知知しらぬらぬらぬ昔昔むかしののの人人ひとののの心心こころをををもあらはしもあらはしもあらわし、、、行行ゆきてきてきて見見みぬぬぬ境境さかいののの外外ほかののの事事ことをもをもをも知知しるるるはははこのこのこの道道みちならしならしならし。。。
- 3仰仰そもそも、、、昔昔むかしははは五五いつ度度たび讓讓ゆずりしりしりし跡跡あとををを尋尋たずねてねてねて、、、天日嗣天日嗣あまつひつぎののの位位くらいにそなはりにそなはりにそなわり、、、今今いまはははやすみしるやすみしるやすみしる名名なををを遁遁のがれてれてれて、、、藐姑射藐姑射はこやののの山山やまににに住居住居すみかををを占占しめたりといへどもめたりといへどもめたりといえども、、、天皇天皇てんのうははは怠怠おこたるるる道道みちをををまもりまもりまもり、、、星星ほしののの位位くらいははは政治政治まつりごとををを輔輔たすけしけしけし契契ちぎりををを忘忘わすれずしてれずしてれずして、、、天天あめののの下下したしげきことわざしげきことわざしげきことわざ、、、雲雲くもののの上上うえののの古古いにしえにもにもにも變變かわらざりければらざりければらざりければ、、、萬萬よろずののの民民たみ、、、春日野春日野かすがのののの草草くさののの靡靡なびかぬかぬかぬ方方かたなくなくなく、、、四方四方よもののの海海うみ、、、秋津島秋津島あきつしまののの月月つき靜靜しずかにかにかに澄澄すみてみてみて、、、和歌和歌わかののの浦浦うらののの跡跡あとをををたづねたづねたずね、、、敷島敷島しきしまののの道道みちをををもてあそびつつもてあそびつつもてあそびつつ、、、此此この集集しゅうををを撰撰えらびてびてびて、、、ながきながきながき世世よににに傳傳つたへむとなりへむとなりえむとなり。。。
- 4彼彼かの萬葉集萬葉集まんようしゅうははは歌歌うたのみなもとなりのみなもとなりのみなもとなり。。。時時とき移移うつりことりことりこと隔隔へだりてりてりて、、、今今いまののの人人ひと知知しるるる事事こと難難かたししし。。。延喜延喜えんぎののの聖聖ひじりののの御代御代みよにににははは四人四人よたりににに勅勅ちょくしてしてして、、、古今集古今集こきんしゅうををを撰撰えらばしめばしめばしめ、、、天曆天曆てんりゃくのかしこきのかしこきのかしこき帝帝みかどははは、、、五人五人ごにんににに仰仰おおせてせてせて後撰集後撰集ごせんしゅうををを集集あつめしめめしめめしめ給給たまへりへりえり。。。其其その後後のち、、、拾遺拾遺しゅうい、、、後拾遺後拾遺ごしゅうい、、、金葉金葉きんよう、、、詞花詞花しか、、、千載千載せんざい等等らののの集集しゅうはははみなみなみな一人一人ひとりこれこれこれをををうけうけうけ給給たまはれるゆゑにはれるゆゑにわれるゆえに、、、聞聞ききもらしきもらしきもらし、、、見見みおよばざるところもあるべしおよばざるところもあるべしおよばざるところもあるべし。。。よりてよりてよりて、、、古今古今ここん、、、後撰後撰ごせんののの跡跡あとををを改改あらためずめずめず、、、五人五人ごにんののの輩輩ともがらををを定定さだめてめてめて、、、記記しるししし奉奉たてまつらしむるなりらしむるなりらしむるなり。。。
- 5そのそのその上上うえ、、、自自みずかららら定定さだめみづからみがけることめみづからみがけることめみずからみがけることははは、、、遠遠とおくくく唐土唐土もろこしののの文文ふみののの道道みちをををたづぬればたづぬればたずぬれば、、、濱千鳥濱千鳥はまちどりののの跡跡あとありといへどもありといへどもありといえども、、、我國我國わがくにやまとやまとやまと言言ことののの葉葉はののの始始はじまりてまりてまりて後後のち、、、吳竹吳竹くれたけののの世々世々よよににに、、、かゝるかゝるかかる例例ためしなむなかりけるなむなかりけるなむなかりける。。。此此このうちうちうち、、、自自みずからのらのらの歌歌うたををを載載のせたることせたることせたること、、、舊舊ふるきたぐひあれどきたぐひあれどきたぐいあれど、、、十首十首じっしゅにににははは過過すぎざるべしぎざるべしぎざるべし。。。然然しかるるるををを、、、今今いまかれこれかれこれかれこれ撰撰えらべるところべるところべるところ、、、三十首三十首さんじっしゅににに餘餘あまれりれりれり。。。これこれこれ皆皆みな、、、人人ひとのめだつべきいろもなくのめだつべきいろもなくのめだつべきいろもなく、、、心心こころ留留とどむべきふしもむべきふしもむべきふしも有有ありがたきゆゑにりがたきゆゑにりがたきゆえに、、、却却かえりてりてりて何何いずれとわきれとわきれとわき難難かたければければければ、、、森森もりののの朽葉朽葉くちばかずつもりかずつもりかずつもり、、、水際水際みぎわののの藻屑藻屑もくずかきすてずなりぬることかきすてずなりぬることかきすてずなりぬることははは、、、道道みちにににふけるふけるふける思思おもひひい深深ふかくしてくしてくして、、、後後のちののの嘲嘲あざけりををを顧顧かえりみざるなるべしみざるなるべしみざるなるべし。。。
- 6時時ときににに元久二年元久二年げんきゅうにねん三月廿六日三月廿六日やよいにじゅうろくにちになむになむになむ記記しるしししをはりぬるをはりぬるおわりぬる。。。
- 7目目めををを卑卑いやしみしみしみ、、、耳耳みみををを尊尊とうとぶあまりぶあまりぶあまり、、、石上石上いそのかみふるきふるきふるき跡跡あとををを恥恥はづといへどもづといへどもずといえども、、、流流ながれれれをををくみてくみてくみて源源みなもとをををたづぬるゆゑにたづぬるゆゑにたずぬるゆえに、、、とみのをとみのをとみのお川川がわののの絕絕たえせぬえせぬえせぬ道道みちをををおこしつればおこしつればおこしつれば、、、露霜露霜つゆしもはははあらたまるともあらたまるともあらたまるとも、、、松松まつ吹吹ふくくく風風かぜののの散散ちりりり失失うせずせずせず、、、春春はる秋秋あきははは廻廻めぐるともるともるとも、、、空空そらゆくゆくゆく月月つきののの雲雲くもなくしてなくしてなくして、、、此此この時時ときににに遭遭あへらむものへらむものえらむものはははこれこれこれををを喜喜よろこびびび、、、このこのこの道道みちををを仰仰あうがむものがむものがむものははは今今いまををを忍忍しのばざらめかもばざらめかもばざらめかも。。。
現代語訳
それだけではなく、高殿から遠くを眺めて民の暮らしを知り、葉末の露と根元の雫になぞらえて人の世の無常を悟り、道のほとりで別れを惜しみ、遠い田舎の長い旅路で都を思い、高間山の雲のように遠い人を恋い、長柄の橋のように朽ちてゆく名を惜しむにつけても、心の内に動き、言葉に表れないということはない。
まして住吉の神は「かたそぎの」の歌を残され、伝教大師は「わが立つ杣」の思いを述べられた。このように、知らない昔の人の心をも明らかにし、行って見たことのない遠い境の外のことをも知るのは、この歌の道によるのであろう。
そもそも私は、昔は五度譲られた先例をたずねて皇位につき、今は天下を治める帝の名を退いて仙洞に住まいを定めたけれども、帝は政道を怠らずに守り、臣下は政治を助ける約束を忘れず、天下の多くの政務は昔の宮中にも変わらないので、万民は春日野の草がなびくように従わない者はなく、四方の海は穏やかで秋津島の月は静かに澄んでいる。そこで和歌の浦の跡をたずね、敷島の道に親しみながら、この集を撰んで、長く後の世に伝えようというのである。
かの万葉集は歌の源である。時が移り事が隔たって、今の人には理解しにくい。延喜の聖代には四人に勅して古今集を撰ばせ、天暦の賢い帝は五人に命じて後撰集を集めさせなさった。その後、拾遺・後拾遺・金葉・詞花・千載などの集は、みな一人がこの勅を受けたので、聞き漏らしたり見落としたりしたところもあるだろう。そこで古今・後撰の先例を改めず、五人の撰者を定めて撰ばせたのである。
その上、私自ら撰定し、みずから磨き上げたことは、遠く唐土の文の道をたずねると先例があるけれども、わが国でやまと言葉の歌が始まって以来、代々の歌集にこのような例はなかった。勅撰集に帝自身の歌を載せることは先例があるが、十首を超えることはないはずである。それなのに今、あれこれ撰び入れた私の歌は三十首を超えた。どれも人の目を引くような趣もなく、心を留めるような節もめったにないので、かえってどれを採りどれを捨てるか区別しにくく、森の朽ち葉が数多く積もり、水際の藻屑をかき捨てずに残してしまったのは、歌の道にふける思いが深くて、後の世の嘲りを顧みないからであろう。
時に元久二年三月二十六日に、書き終えた。
今を卑しみ古を尊ぶあまり、古い跡に恥じるところはあるけれども、流れを汲んで源をたずねるので、絶えることのない小川のような歌の道を興したからには、露や霜が改まり年が移っても、松を吹く風が散り失せないように、春秋がめぐっても、空をゆく月が雲に隠れないように、この時代に巡り合った者はこれを喜び、この道を仰ぐ者は今の時代をしのばないことがあろうか。
意訳
和歌は人の心と世の中を映し、神仏や先人の思いも伝える道である。院は譲位して仙洞に住むが、世は穏やかに治まっているので、歌の道に心を寄せてこの集を撰ばせた。古今・後撰にならって五人の撰者を置いたうえで、院みずからも撰定と推敲に当たったことは前例がない。自身の歌が三十首を超えたのは歌への執心ゆえで、後世の非難は覚悟している。この集が長く伝わり、この時代を人々が懐かしむことを願って結ぶ。
語釈・文法注
- 高き屋に遠きを望みて
- 仁徳天皇が高殿から民のかまどの煙を見た故事をふまえる。
- 末の露もとの雫
- 遍昭の「末の露もとのしづくや世の中のおくれ先立つためしなるらむ」をふまえる。
- かたそぎの言葉
- 住吉の神の「夜や寒き衣やうすきかたそぎの」の歌(巻第十九、1855番)。
- 我たつそま
- 伝教大師(最澄)の「わが立つ杣に冥加あらせたまへ」の歌(巻第二十、1920番)。
- 仰
- 底本の表記。「抑(そもそも)」の誤植とみられる。
- 五度讓りし跡
- 中国の舜が五度辞退して位についた故事などをふまえるとされる。
- 藐姑射の山
- 仙人の住む山。上皇の御所(仙洞)をいう。
- 星の位
- 公卿。臣下。
- 唐土の文の道
- 中国では帝王が自ら詩文集を編んだ先例があることをいう。
- とみのを川
- 富の小川。絶えないことのたとえ。
解説
後半では、後鳥羽院みずから撰定に深く関わったこと、院自身の歌が三十三首(底本の序では「三十首に餘れり」)と多く入ったことを、謙遜しつつ述べている。撰者の撰歌のあとも院による切継(歌の差し替え)が続いたこの集の成り立ちをよく表している。
日付の元久二年(1205)三月二十六日は、竟宴が行われた日である。
底本は仮名序を巻頭に、真名序を巻末(巻第二十の後)に置く。当サイトでは目次の「序」にまとめた。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、序文 3〜5頁(コマ8〜9)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日