古典ライブラリー

万葉集 巻第六 963番

大汝 少彦名の

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)

大国主命と少彦名命がこの山に名づけたのだろうが、名ばかり名児(なごし)山と負っていて、私の恋の千分の一も慰めてはくれない。筑紫から都へ帰る途中の坂上郎女の歌。

冬の山道を越える旅の女性が、山の名を記した標の前で立ち止まり、ため息をついている

題詞冬十一月、大伴坂上郎女、帥の家を發し道に上りて、筑前國宗形郡名兒山を超ゆる時作れる歌一首

  1. 1大おほ大おほおお汝なむち汝なむちなむち少すくな少すくなすくな彦びこ彦びこびこ名な名ななののの大汝 小彦名能
  2. 2神かみ神かみかみこそこそこそははは名な名ななづけづけづけ始そ始そそめめめけめけめけめ神社者 名著始鷄目
  3. 3名な名ななのみのみのみををを名兒なご名兒なごなご山やま山やまやまととと負お負おおひひいててて名耳乎 名兒山跡負而
  4. 4吾わ吾わわががが戀こひ戀こひこいののの千ち千ちち重へ重へへののの一ひと一ひとひと重へ重へへももも慰なぐさ慰なぐさなぐさめめめなくなくなくににに吾戀之 千重之一重裳 奈具佐米七國

引用の仕方

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現代語訳

大汝と少彦名の神こそは、名づけはじめたのだろうが、名ばかり名児山と名に負っていて、私の恋の千分の一も慰めてくれないのに。

意訳

天平2年(730)11月、兄の旅人のいる大宰府を発って都へ帰る坂上郎女は、宗像郡の名児山を越えた。「なご」は心が和むという意味に通じるので、その名に期待したが、名ばかりで少しも恋しさは慰められないと嘆く。国造りの神々が名づけた山だというのに、と軽く恨んでいる。

語釈・文法注

文法・本文

名兒山
「なご」に「和(なご)む」をかける。
奈具佐米七國
「七」を「な」と読ませる。

和歌

作者
大伴坂上郎女(生没年未詳)
大伴安麻呂の娘で、旅人の異母妹。家持の叔母で、のちに姑となった。万葉集の女性歌人のうち最も多くの歌を残した。
出典
『万葉集』巻第六・雑歌・963番
歌体
長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
時期
第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
状況
冬十一月、大伴坂上郎女が大宰帥の家を出て都へ向かい、筑前国宗像郡の名児山を越えたときに詠んだ歌。

修辞

掛詞
「名兒」に「和む」をかける。

解説

五七を重ねて九句からなる短い長歌である。大国主命と少彦名命が国土を開いたという伝承をふまえる(巻第三の355番)。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、235頁(コマ121)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、256頁(コマ134)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日