古典ライブラリー

万葉集 巻第五 897〜903番

たまきはる 現の限は

山上憶良(やまのうえのおくら)

生きている間は平穏でありたいのに、老いた身にさらに病が加わり、昼も夜も嘆き暮らす。いっそ死んでしまおうと思っても、騒ぎまわる子どもたちを置いては死ねない。老いと病と子への愛に揺れる山上憶良の晩年の歌七首。

病床の老人が身を起こし、そばで騒いで遊ぶ幼い子どもたちを、涙ぐみながら見つめている

題詞老身、重病年を經て辛苦す、及び兒等を思ふ歌七首(長一首短六首)

  1. 1たまきはるたまきはるたまきわる現うち現うちうちののの限かぎり限かぎりかぎりははは靈剋 內限者897 長歌
  2. 2平たひ平たひたいらららけくけくけく安やす安やすやすくくくもももあらあらあらむむんををを平氣久 安久母阿良牟遠
  3. 3事こと事ことことももも無な無ななくくく喪も喪ももももも無な無ななくくくあらあらあらむむんををを事母無 母裳無阿良牟遠
  4. 4世間よのなか世間よのなかよのなかののの厭う厭ううけくけくけく辛つら辛つらつらけくけくけく世間能 宇計久都良計久
  5. 5いといといとのののきてきてきて痛いた痛いたいたききき瘡きず瘡きずきずにににははは伊等能伎提 痛伎瘡爾波
  6. 6鹹から鹹からから鹽しほ鹽しほしおををを灌そそ灌そそそそぐぐぐちふちふちゅうががが如ごと如ごとごとくくく鹹鹽遠 灌知布何其等久
  7. 7ますますますますますますももも重おも重おもおもききき馬うま馬うまうま荷に荷ににににに益益母 重馬荷爾
  8. 8表うは表うはうわ荷に荷にに打う打ううつつつととと云い云いいふふうことことことののの如ごと如ごとごと表荷打等 伊布許等能其等
  9. 9老お老おおいいいにてにてにてあるあるある我わ我わわががが身み身みみののの上うへ上うへうえににに老爾弖阿留 我身上爾
  10. 10病やまひ病やまひやまいをををととと加くは加くはくわへへえてててあれあれあればばば病遠等 加弖阿禮婆
  11. 11晝ひる晝ひるひるはははももも歎なげ歎なげなげかひかひかい暮くら暮くらくらししし晝波母 歎加比久良志
  12. 12夜よる夜よるよるはははももも息いき息いきいき衝づ衝づずきききあかしあかしあかし夜波母 息豆伎阿可志
  13. 13年とし年としとし長なが長ながながくくく病や病ややみみみししし渡わた渡わたわたれれればばば年長久 夜美志渡禮婆
  14. 14月つき月つきつき累かさ累かさかさねねね憂うれ憂うれうれひひい吟さまよ吟さまよさまよひひい月累 憂吟比
  15. 15ことごとことごとことごとははは死し死ししななななななととと思おも思おもおもへへえどどど許等許等波 斯奈奈等思騰
  16. 16五さ五ささ月ば月ばば蠅へ蠅へへなすなすなす騷さわ騷さわさわぐぐぐ兒こ兒ここ等ども等どもどもををを五月蠅奈周 佐和久兒等遠
  17. 17棄う棄ううててててててははは死しに死しにしにははは知し知ししらららずずず宇都弖弖波 死波不知
  18. 18見み見みみつつつつつつあれあれあればばば心こころ心こころこころははは燃も燃ももえええぬぬぬ見乍阿禮婆 心波母延農
  19. 19彼か彼かかににに此かく此かくかくににに思おも思おもおもひひいわづらひわづらひわずらい哭ね哭ねねのみのみのみししし泣な泣ななかかかゆゆゆ可爾可久爾 思和豆良比 禰能尾志奈可由
  20. 20慰なぐさ慰なぐさなぐさむるむるむる奈具佐牟留898 反歌
  21. 21心こころ心こころこころはははなしなしなしににに心波奈之爾
  22. 22雲くも雲くもくも隱がく隱がくがくりりり雲隱
  23. 23鳴な鳴ななききき往ゆ往ゆゆくくく鳥とり鳥とりとりののの鳴往鳥乃
  24. 24哭ね哭ねねのみのみのみししし泣な泣ななかかかゆゆゆ禰能尾志奈可由
  25. 25術すべ術すべすべももも無な無ななくくく周弊母奈久899 反歌
  26. 26苦くる苦くるくるしくしくしくあれあれあればばば苦志久阿禮婆
  27. 27出い出いいででで走はし走はしはしりりり出波之利
  28. 28去い去いいななななななととと思おも思おもおもへへえどどど伊奈々等思騰
  29. 29兒こ兒ここ等ら等ららににに障さや障さやさやりりりぬぬぬ許良爾佐夜利奴
  30. 30富とみ富とみとみ人びと人びとびとののの富人能900 反歌
  31. 31家いへ家いへいえののの子こ子ここ等ども等どもどもののの家能子等能
  32. 32著き著ききるるる身み身みみ無な無ななみみみ伎留身奈美
  33. 33腐くた腐くたくたししし棄す棄すすつつつらむらむらん久多志須都良牟
  34. 34絹きぬ絹きぬきぬ綿わた綿わたわたらららはははももも絁綿良波母
  35. 35麁あら麁あらあら妙たへ妙たへたえののの麁妙能901 反歌
  36. 36布ぬの布ぬのぬの衣ぎぬ衣ぎぬぎぬをををだにだにだに布衣遠陁爾
  37. 37著き著ききせせせ難がて難がてがてににに伎世難爾
  38. 38斯か斯かかくくくややや歎なげ歎なげなげかかかむむん可久夜歎敢
  39. 39爲せ爲せせむむんすべすべすべををを無な無ななみみみ世牟周弊遠奈美
  40. 40水みな水みなみな沫わ沫わわなすなすなす水沫奈須902 反歌
  41. 41脆もろ脆もろもろききき命いのち命いのちいのちももも微命母
  42. 42栲たく栲たくたく繩なは繩なはなわののの栲繩能
  43. 43千ち千ちち尋ひろ尋ひろひろにににもももがががととと千尋爾母何等
  44. 44願ねが願ねがねがひひい暮くら暮くらくらしししつつつ慕久良志都
  45. 45倭し倭しし文づ文づず手た手たた纏まき纏まきまき倭文手纏903 反歌
  46. 46數かず數かずかずにににももも在あら在あらあらぬぬぬ數母不在
  47. 47身み身みみにににははは在あれ在あれあれどどど身爾波在等
  48. 48千ち千ちち年とせ年とせとせにににもももがががととと千年爾母何等
  49. 49思おも思おもおもほほおゆるゆるゆるかもかもかも意母保由留加母

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

〔897〕(たまきはる)生きている間は、平穏に安らかでありたいのに、何事もなく、災いもなくありたいのに、世の中のつらく苦しいことには、ことさらに痛い傷に塩を注ぐというように、いよいよ重い馬の荷に上荷を積むというように、老いてしまったわが身の上に、病までも加わっているので、昼は嘆き暮らし、夜はため息をついて明かし、長年病み続けているので、月を重ねて憂い嘆き、いっそ死んでしまおうと思うけれど、(五月蠅なす)騒ぎまわる子どもたちを捨てて死ぬこともできず、見つめていると心は燃えるように苦しい。あれこれと思い悩んで、声をあげて泣くばかりだ。

〔898〕慰める心もないままに、雲に隠れて鳴いていく鳥のように、声をあげて泣くばかりだ。

〔899〕どうしようもなく苦しいので、家を出て走り去ってしまおうと思うけれど、子どもたちに妨げられた。

〔900〕金持ちの家の子どもたちは、着きれないので腐らせて捨てているだろう、絹や真綿を。

〔901〕粗末な布の着物さえ着せられずに、こうして嘆くことだろうか。どうしようもなくて。

〔902〕水の泡のようにもろい命も、栲縄の千尋のように長くあってほしいと、願いながら暮らしてきた。

〔903〕(倭文手纏)数にも入らない身ではあるが、千年も生きていたいと思われることだ。

意訳

天平5年(733)、七十四歳の山上憶良は、長年の病に苦しんでいた。生きている間は平穏でありたいのに、老いの身に病が重なるのは、傷に塩を塗り、重い荷に上荷を積むようなものだ。いっそ死んでしまおうと思っても、騒ぎまわる幼い子どもたちを残しては死ねない。反歌では、裕福な家の子が絹や綿を腐らせて捨てるのに、自分の子には粗末な着物さえ着せてやれないと嘆き、それでも、取るに足りない身ながら千年も生きたいと、生への執着を率直に歌っている。憶良の最晩年の作である。

語釈・文法注

文法・本文

現の限は
「うち」はこの世。生きている間は。
いとのきて
とりわけ、ことさらに。
表荷
「うはに」は荷の上にさらに積む荷。
五月蠅なす
五月の蠅のように騒がしく。
倭文手纏
倭文の腕輪。玉の腕輪より劣るので、「數にも在らぬ」にかかる。

和歌

作者
山上憶良(660?–733?)
遣唐使に加わって唐に渡り、のちに筑前守となった。大宰府で大伴旅人と交わり、人生や社会、家族への愛を詠んだ独自の歌を残した。
出典
『万葉集』巻第五・雑歌・897〜903番
歌体
長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
時期
第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
状況
天平5年(733)6月3日、山上憶良が老いと重い病に苦しみ、子どもたちを思って詠んだ長歌一首と短歌六首。903番は神亀2年(725)の作をここに載せたもの。

修辞

比喩
「痛き瘡には鹹鹽を灌ぐちふが如く」「重き馬荷に表荷打つと云ふことの如」。
対句
「晝はも歎かひ暮らし」と「夜はも息衝きあかし」。
枕詞
「たまきはる」「五月蠅なす」「栲繩の」「倭文手纏」。

解説

「傷に塩」のことわざが文献に見える早い例として知られる。この歌の直前には、病の苦しみを述べた漢文「沈痾自哀文」と、人の世のはかなさを悲しむ漢詩が置かれており、憶良が仏教・儒教・道教の教養を総動員して老病死と向き合ったことがうかがえる。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、214頁(コマ111)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、233頁(コマ122)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日