万葉集 巻第五 794〜799番
大王の 遠の朝廷と
天皇の遠い役所の筑紫に、泣く子のように慕ってついて来た妻は、息もつかぬうちに病に倒れて亡くなった。二人並んで語り合った心に背いて、家を離れて去ってしまった。大伴旅人の妻の死を悼む山上憶良の挽歌。
題詞日本挽歌一首(并に反歌)
- 1大大おお王王きみののの遠遠とおののの朝朝み廷廷かどととと大王能 等保乃朝庭等794 長歌
- 2しらぬひしらぬひしらぬい筑紫筑紫つくしののの國國くにににに斯良農比 筑紫國爾
- 3泣泣なくくく子子こなすなすなす慕慕したひひい來來きましましましててて泣子那須 斯多比枳摩斯提
- 4息息いきだにだにだにももも未未いまだだだ休休やすめめめずずず伊企陀爾母 伊摩陀夜周米受
- 5年年とし月月つきもももいまだいまだいまだあらあらあらねねねばばば年月母 伊摩他阿良禰婆
- 6心心こころゆゆゆももも思思おもははわぬぬぬ間間あいだににに許許呂由母 於母波奴阿比陀爾
- 7うちうちうち靡靡なびききき臥臥こやしししぬれぬれぬれ宇知那比枳 許夜斯努禮
- 8言言いははわむむん術術すべ爲爲せむむん術術すべ知知しらららににに伊波牟須弊 世武須弊斯良爾
- 9石石いわ木木きをををももも問問とひひい放放さけけけ知知しらららずずず石木乎母 刀比佐氣斯良受
- 10家家いえならならならばばば形形かたちはははあらあらあらむむんををを伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎
- 11恨恨うらめしきめしきめしき妹妹いもののの命命みことののの宇良賣斯企 伊毛乃美許等能
- 12吾吾あれをををばばばももも如何如何いかにににせせせよよよとととかかか阿禮乎婆母 伊可爾世與等可
- 13鳰鳰にお鳥鳥どりののの二二ふた人人り並並ならびびび居居い爾保鳥能 布多利那良毗爲
- 14語語かたらひらひらいししし心心こころ背背そむきききててて家家いえ離離さかりりり坐坐いますすす加多良比斯 許許呂曾牟企豆 伊弊社可利伊摩須
- 15家家いえににに行行ゆきききててて伊弊爾由伎弖795 反歌
- 16如何如何いかにににかかか吾吾あがががせせせむむん伊可爾可阿我世武
- 17枕枕まくらづくづくずく摩久良豆久
- 18嬬嬬つま屋屋や不不さぶ樂樂しくくく都摩夜佐夫斯久
- 19思思おもほほおゆゆゆべしべしべしももも於母保由倍斯母
- 20愛愛はしきしきしきよしよしよし伴之伎與之796 反歌
- 21斯斯かくくくのみのみのみからからからににに加久乃未可良爾
- 22慕慕したひひい來來こししし之多比己之
- 23妹妹いもががが心心こころののの伊毛我己許呂乃
- 24術術すべもももすべすべすべなさなさなさ須別毛須別那左
- 25悔悔くやしかしかしかももも久夜斯可母797 反歌
- 26斯斯かくくく知知しらららませませませばばば可久斯良摩世婆
- 27あをによしあをによしあおによし阿乎爾與斯
- 28國國くぬ內內ちことごとことごとことごと久奴知許等其等
- 29見見みせせせましましましものものものををを美世摩斯母乃乎
- 30妹妹いもががが見見みししし伊毛何美斯798 反歌
- 31楝楝おうちののの花花はなははは阿布知乃波那波
- 32散散ちりりりぬぬぬべしべしべし知利奴倍斯
- 33我我わががが泣泣なくくく涙涙なみだ和何那久那美多
- 34いまだいまだいまだ干干ひなくなくなくににに伊摩陀飛那久爾
- 35大野大野おおぬ山山やま大野山799 反歌
- 36霧霧きり立立たちちちわたるわたるわたる紀利多知和多流
- 37我我わががが嘆嘆なげくくく和何那宜久
- 38息息おき嘯嘯そののの風風かぜににに於伎蘇乃可是爾
- 39霧霧きり立立たちちちわたるわたるわたる紀利多知和多流
現代語訳
〔794〕大君の遠い役所として、(しらぬひ)筑紫の国に、泣く子のように慕ってついておいでになって、息さえもまだ休めず、年月もまだたたないのに、思いもしないうちに、ぐったりと臥してしまわれたので、言いようもなすすべもわからず、石や木に問うてもわからない。家にいたなら、元気な姿でいただろうに、恨めしい妻の君は、私をどうせよというのか、(鳰鳥の)二人並んで語り合った心に背いて、家を離れて去ってしまわれた。
〔795〕家に帰って、私はどうしたらよいのか。(枕づく)寝屋がさびしく思われることだろう。
〔796〕ああいとしい。こうなるだけのことだったのに、慕ってついて来た妻の心が、どうにもやるせない。
〔797〕悔しいことだ。こうなると知っていたら、(あをによし)奈良の国じゅうを見せておけばよかったのに。
〔798〕妻が見た楝の花は、もう散ってしまうだろう。私の泣く涙はまだ乾かないのに。
〔799〕大野山に霧が立ちこめている。私の嘆くため息の風で、霧が立ちこめている。
意訳
大宰帥として筑紫に下った大伴旅人は、赴任してまもなく妻の大伴郎女を亡くした。山上憶良は、旅人の立場になって、この挽歌を作り献じた。慕ってついて来た妻が、旅の疲れもとれないうちに病に倒れたこと、ともに語り合った心に背いて去ってしまったことを嘆く。反歌では、家に帰っても寝屋がさびしいだろうこと、こうなると知っていたら奈良の名所を見せておけばよかったという悔い、妻の見た楝の花が散ろうとしていること、自分のため息が大野山の霧になっていることを歌う。
語釈・文法注
文法・本文
- 日本挽歌
- 題の「日本」は、前に置かれた漢詩に対して、日本の歌(和歌)の挽歌の意。
- 楝
- 「あふち」はセンダン。初夏に薄紫の花をつける。
- 息嘯
- 「おきそ」はため息。
和歌
- 作者
- 山上憶良(660?–733?)
遣唐使に加わって唐に渡り、のちに筑前守となった。大宰府で大伴旅人と交わり、人生や社会、家族への愛を詠んだ独自の歌を残した。 - 出典
- 『万葉集』巻第五・雑歌・794〜799番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 神亀5年(728)7月21日、筑前守の山上憶良が、大伴旅人の妻の死を悼んで献じた挽歌。漢文の序と漢詩に続けて、長歌と反歌五首を載せる。
修辞
- 対句
- 「言はむ術」と「爲む術知らに」。
- 枕詞
- 「しらぬひ」「鳰鳥の」「枕づく」「あをによし」。
- 反復
- 799番で「霧立ちわたる」を初めと終わりにくり返す。
解説
憶良は、上司である旅人の悲しみを、旅人自身の言葉として歌った。この作をきっかけに、旅人と憶良の文学的な交わりが深まり、巻第五の「筑紫歌壇」の歌々が生まれた。799番の、ため息が霧となって大野山にかかるという表現は、悲しみの深さを壮大に表した名句として知られる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、190頁(コマ99)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、202頁(コマ107)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日