万葉集 巻第四 727〜736番
萱草 吾が下紐に
忘れ草を下紐に付けたが、名ばかりの醜い草で、少しも忘れられなかった。玉ならば手に巻けるのに、この世の人なので手に巻きがたい。何年も疎遠だった家持と坂上大嬢が、再び恋の歌を交わした十首。
題詞大伴宿禰家持、坂上家の大孃に贈れる歌二首(數年を離絶えて後に會ひて相聞往來す)/大伴坂上大孃、大伴宿禰家持に贈れる歌三首/また、大伴宿禰家持の和ふる歌三首/同じき坂上大孃、家持に贈れる歌一首/また家持、坂上大孃に和ふる歌一首
- 1萱萱わすれ草草ぐさ萱草727 家持
- 2吾吾わががが下下した紐紐ひもににに吾下紐爾
- 3著著つけけけたれたれたれどどど著有跡
- 4醜醜しこののの醜醜しこ草草くさ鬼乃志許草
- 5言言ことにににしししありありありけりけりけり事二思安利家理
- 6人人ひとももも無無なききき人毛無728 家持
- 7國國くにもももあらあらあらぬぬぬかかか國母有粳
- 8吾吾わぎ妹妹も子子こととと吾妹兒與
- 9携携たずさひひい行行ゆきききててて携行而
- 10副副たぐひひいててて居居おらららむむん副而將座
- 11玉玉たまならならならばばば玉有者729 大嬢
- 12手手てにににももも卷卷まかかかむむんををを手二母將卷乎
- 13うつせみうつせみうつせみののの欝瞻乃
- 14世世よののの人人ひとなれなれなればばば世人有者
- 15手手てににに卷卷まきききがたしがたしがたし手二卷難石
- 16逢逢あははわむむん夜夜よははは將相夜者730 大嬢
- 17いついついつもももあらあらあらむむんををを何時將有乎
- 18何何なにすとすとすとかかか何如爲常香
- 19彼彼そののの夕夕よい逢逢あひひいててて彼夕相而
- 20言言ことししし繁繁しげしししももも事之繁裳
- 21吾吾わががが名名なはははももも吾名者毛731 大嬢
- 22千千ち名名なののの五五い百百ほ名名なににに千名之五百名爾
- 23立立たちちちぬぬぬともともとも雖立
- 24君君きみががが名名な立立たたたたばばば君之名立者
- 25惜惜おしみしみしみこそこそこそ泣泣なけけけ惜社泣
- 26今今いましはしはしはししし今時者四732 家持
- 27名名なののの惜惜おしけくしけくしけくももも名之惜雲
- 28吾吾われははは無無なししし吾者無
- 29妹妹いもににによりよりよりてててばばば妹丹因者
- 30千千ち遍遍たび立立たつつつともともとも千遍立十方
- 31うつせみうつせみうつせみののの空蟬乃733 家持
- 32世世よやややももも二二ふた行行ゆくくく代也毛二行
- 33何何なにすとすとすとかかか何爲跡鹿
- 34妹妹いもににに逢逢あははわずずずててて妹爾不相而
- 35吾吾わががが獨獨ひとり宿宿ねむむむ吾獨將宿
- 36吾吾わががが念念おもい吾念734 家持
- 37斯斯かくくくてててあらあらあらずずずははは如此而不有者
- 38玉玉たまにににもももががが玉二毛我
- 39眞眞まことももも妹妹いもががが眞毛妹之
- 40手手てににに纏纏まかかかれれれむむんををを手二所纏乎
- 41春日春日かすが山山やま春日山735 大嬢
- 42霞霞かすみたなびきたなびきたなびき霞多奈引
- 43情情こころぐくぐくぐく情具久
- 44照照てれれれるるる月月つく夜夜よににに照月夜爾
- 45獨獨ひとりかもかもかも寢寢ねむむむ獨鴨念
- 46月月つく夜夜よにににははは月夜爾波736 家持
- 47門門かどににに出出いででで立立たちちち門爾出立
- 48夕夕ゆう占占け問問とひひい夕占問
- 49足足あ卜卜うらをををぞぞぞせせせししし足卜乎曾爲之
- 50行行ゆかかかまくまくまくををを欲欲ほりりり行乎欲焉
現代語訳
〔727〕忘れ草を私の下紐に付けたけれど、醜い醜い草で、名ばかりのものであった。
〔728〕人もいない国はないものか。あなたと手を取り合って行って、寄り添っていよう。
〔729〕玉であったら手にも巻こうものを、(うつせみの)この世の人なので、手に巻くのは難しい。
〔730〕逢う夜はいつでもあったでしょうに、どうしてあの夕べに逢って、うわさがうるさくなったのでしょう。
〔731〕私の名が千にも五百にも立ってしまっても、あなたの名が立ったら、惜しくて泣けてきます。
〔732〕今はもう、名の惜しいことなど私にはない。あなたのためなら、千度うわさが立っても。
〔733〕(うつせみの)この世が二度あるだろうか。どうしてあなたに逢わずに、私はひとりで寝るのだろう。
〔734〕私の思いがこんなに苦しいのなら、玉であったらいいのに。本当にあなたの手に巻かれるだろうに。
〔735〕春日山に霞がたなびき、心もうっとうしく照る月夜に、ひとりで寝ることだろうか。
〔736〕月夜には門に出て立って、夕占をし、足占までもした。あなたのもとへ行きたくて。
意訳
家持と坂上大嬢は、若いころに恋をしたが、数年の間疎遠になっていた。再会した二人は、ふたたび恋の歌を交わす。家持は、忘れ草を身に付けても少しも忘れられなかったと歌い、人のいない国へ二人で行きたいと願う。大嬢は、玉なら手に巻けるのにと嘆き、うわさが立ったことを気にしつつ、自分の名より家持の名が立つことを惜しむ。家持は、あなたのためなら名など惜しくないと答え、この世は二度とないのにと逢瀬を求める。最後は、月夜に門に出て占いをしてまで逢いに行きたいと歌っている。
語釈・文法注
文法・本文
- 萱草
- 「わすれぐさ」はヤブカンゾウ。身に付けると憂いを忘れるとされた。
- 醜の醜草
- ひどく醜い草。ののしっていう。
- 足卜
- 「あうら」は歩数などで吉凶を占うこと。
- 情ぐく
- 心が晴れずうっとうしい。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守などを務め、のちに中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残し、その編纂に深くかかわったとされる。 - 出典
- 『万葉集』巻第四・相聞・727〜736番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 数年疎遠であった後に再会した大伴家持と坂上大嬢とが交わした歌十首。
解説
この再会の後、二人は結ばれて夫婦となった。若い恋人たちの率直なやりとりが、生き生きと伝わる歌群である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、177頁(コマ92)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、189頁(コマ100)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日