古典ライブラリー

万葉集 巻第四 737〜740番

かにかくに 人はいふとも

坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)

人が何と言おうと、若狭の後瀬山の名のように、後にも逢いましょう、あなた。後にも逢おうと思うからこそ、死ぬほどの思いをしながら今日まで生きているのだ。坂上大嬢と家持の贈答四首。

若狭の山並みを描いた屏風の前で、若い男女が向かい合い、互いの手を取っている

題詞同じき大孃、家持に贈れる歌二首/また家持、坂上大孃に和ふる歌二首

  1. 1かにかくにかにかくにかにかくに云々737 大嬢
  2. 2人ひと人ひとひとはははいふいふいうともともとも人者雖云
  3. 3若狹わかさ若狹わかさわかさ道ぢ道ぢじののの若狹道乃
  4. 4後瀨のちせ後瀨のちせのちせののの山やま山やまやまののの後瀨山之
  5. 5後のち後のちのちももも會あ會ああははわむむん君きみ君きみきみ後毛將合君
  6. 6世間よのなか世間よのなかよのなかししし世間之738 大嬢
  7. 7苦くる苦くるくるしきしきしきものものものににに苦物爾
  8. 8ありありありけらくけらくけらく有家良久
  9. 9戀こひ戀こひこいににに堪た堪たたへへえずずずててて戀二不勝而
  10. 10死し死ししぬぬぬべきべきべき思おも思おもおもへへえばばば可死念者
  11. 11後瀨のちせ後瀨のちせのちせ山やま山やまやま後湍山739 家持
  12. 12後のち後のちのちももも逢あ逢ああははわむむんととと後毛將相常
  13. 13念おも念おもおもへへえこそこそこそ念社
  14. 14死し死ししぬぬぬべきべきべきものものものををを可死物乎
  15. 15今日けふ今日けふきょうまでまでまでももも生い生いいけけけれれれ至今日毛生有
  16. 16言こと言ことことのみのみのみををを事耳乎740 家持
  17. 17後のち後のちのちももも逢あ逢ああははわむむんととと後毛相跡
  18. 18懃ねもころ懃ねもころねもころににに懃
  19. 19吾われ吾われわれををを憑たの憑たのたのめめめててて吾乎令憑而
  20. 20逢あ逢ああははわざらざらざらむむんかもかもかも不相可聞

引用の仕方

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現代語訳

〔737〕あれこれと人は言っても、若狭道の後瀬の山の名のように、後にもお逢いしましょう、あなた。

〔738〕世の中とはつらいものであったのですね。恋に耐えられずに死にそうに思うと。

〔739〕後瀬山の名のように、後にも逢おうと思うからこそ、死ぬはずのものを、今日まで生きているのだ。

〔740〕言葉だけで、後にも逢おうとねんごろに私に頼みにさせておいて、逢ってくれないのではないだろうか。

意訳

坂上大嬢は、人のうわさなど気にせず後にも逢いましょうと、若狭の後瀬山の「後」に寄せて約束し、恋に耐えられず死にそうな思いを打ち明ける。家持は、後にも逢えると思うからこそ死なずに生きていると答え、言葉だけで期待させて結局逢ってくれないのではないかと、軽く疑ってみせている。

語釈・文法注

文法・本文

後瀬の山
若狭国(福井県小浜市)の山。「後」を導く。
ありけらく
「ありけり」のク語法。あったことよ。

和歌

作者
坂上大嬢(生没年未詳)
大伴坂上郎女の長女。従兄の大伴家持の妻となった。
出典
『万葉集』巻第四・相聞・737〜740番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
状況
坂上大嬢が大伴家持に贈った歌二首と、家持の答えの歌二首。

修辞

序詞
737番の「若狭道の後瀬の山の」、739番の「後瀬山」が「後」を導く。

解説

後瀬山は、「後」という言葉を導く歌枕として、のちの和歌にも多く詠まれた。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、178頁(コマ93)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、190頁(コマ101)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日