万葉集 巻第三 466〜469番
吾が屋前に 花ぞ咲きたる
庭に花が咲いたが、見ても心は晴れない。妻が生きていたら、二人並んで手折って見せただろうに。露霜が消えるように山へ隠れてしまった妻を、どうすることもできない。亡き妾を悼む家持の長歌と反歌。
場面イラスト(準備中)
題詞また、家持の作れる歌一首并に短歌
- 1吾吾わががが屋前屋前にはににに花花はなぞぞぞ咲咲さきききたるたるたる吾屋前爾 花曾咲有466 長歌
- 2其其そををを見見みれれれどどど情情こころももも行行ゆかかかずずず其乎見杼 情毛不行
- 3愛愛はしきしきしきやしやしやし妹妹いもががが在在ありりりせせせばばば愛八師 妹之有世婆
- 4みみみ鴨鴨かもなすなすなす二二ふた人人り雙雙ならびびび居居い水鴨成 二人雙居
- 5手手た折折おりりりてててももも見見みせせせましましましものものものををを手折而毛 令見麻思物乎
- 6うつせみうつせみうつせみののの借借かれれれるるる身身みなれなれなればばば打蟬乃 借有身在者
- 7露露つゆ霜霜じもののの消消けぬるぬるぬるががが如如ごとくくく露霜乃 消去之如久
- 8あしひきあしひきあしひきののの山山やま道道みちををを指指さしししててて足日木乃 山道乎指而
- 9入入いり日日ひなすなすなす隱隱かくりりりにににしかしかしかばばば入日成 隱去可婆
- 10其其そこ思思もふふうににに胸胸むねこそこそこそ痛痛いためめめ曾許念爾 胸已所痛
- 11言言いひひいもももかねかねかね名名なづけづけづけももも知知しらららににに言毛不得 名付毛不知
- 12跡跡あとなきなきなき世間世間よのなかにににあれあれあればばば爲爲せむむんすべすべすべももも無無なししし跡無 世間爾有者 將爲須辨毛奈思
- 13時時ときはははしもしもしも時者霜467 反歌
- 14いついついつもももあらあらあらむむんををを何時毛將有乎
- 15こころこころこころ哀哀いたくくく情哀
- 16いにいにいにししし吾吾わぎ妹妹もかかか伊去吾妹可
- 17若若わかききき子子こををを置置おきききててて若子乎置而
- 18出出いでででててて行行ゆくくく出行468 反歌
- 19道道みち知知しらららませませませばばば道知末世波
- 20あらかじめあらかじめあらかじめ豫
- 21妹妹いもををを留留とどめめめむむん妹乎將留
- 22關關せきももも置置おかかかましましましををを塞毛置末思乎
- 23妹妹いもががが見見みししし妹之見師469 反歌
- 24屋前屋前にはににに花花はな咲咲さききき屋前爾花咲
- 25時時ときははは經經へぬぬぬ時者經去
- 26吾吾わががが泣泣なくくく涙涙なみだ吾泣淚
- 27いまだいまだいまだ干干ひなくなくなくににに未干爾
現代語訳
〔466〕わが家の庭に花が咲いている。それを見ても心は晴れない。いとしい妻が生きていたなら、鴨のように二人並んで、手折っても見せただろうに。(うつせみの)この世に仮に借りた身なので、露霜が消えるように、(あしひきの)山道をさして、入り日のように隠れてしまったので、そのことを思うと胸が痛む。言いようもなく、名づけようもない、跡も残らない世の中なので、どうすることもできない。
〔467〕死ぬ時はいつでもあるだろうに、心痛むことに、亡くなってしまった妻よ。幼い子を残して。
〔468〕出て行く道を知っていたなら、あらかじめ妻を引き留める関所も置いただろうに。
〔469〕妻が見た庭に花が咲き、時は過ぎた。私の泣く涙はまだ乾かないのに。
意訳
亡き妾が見ていた庭に花が咲いた。妻が生きていたら、二人並んで花を手折って見せただろうに。仮の世に生きる人の身は、露霜のようにはかなく消え、妻は山へ去っていった。467番では幼い子を残して死んだ妻を嘆き、468番では死出の道がわかっていたら関所を置いて引き留めたのにと歌う。469番では、時は過ぎても涙は乾かないと悲しんでいる。
語釈・文法注
文法・本文
- み鴨なす
- 鴨のように。鴨のつがいが並ぶことから、「二人雙び居」を導く。
- 借れる身
- 仏教で、人の身は仮にこの世に借りたものとする考え。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守などを務め、のちに中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残し、その編纂に深くかかわったとされる。 - 出典
- 『万葉集』巻第三・挽歌・466〜469番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 大伴家持が、亡くなった妾を悼んで詠んだ長歌と反歌三首。
修辞
- 比喩
- 「露霜の消ぬるが如く」「入日なす」と、人の死を露や入り日にたとえる。
- 枕詞
- 「うつせみの」「あしひきの」。
解説
人麻呂の泣血哀慟歌(巻第二の207〜216番)の表現を多く取り入れた挽歌である。「借れる身」「跡なき世間」には仏教の無常観がうかがえる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、126頁(コマ67)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、129頁(コマ70)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日