万葉集 巻第三 434〜437番
風速の 美保の浦廻の
美保の浦の白つつじを見ても心楽しくない、亡き人を思うと。久米の若子が触れた磯の草の根が枯れるのは惜しい。巻第二の228・229番と同じ時の作とされる、河辺宮人の歌四首。
場面イラスト(準備中)
題詞和銅四年辛亥、河邊宮人、姫島の松原に美人の屍を見て哀慟して作れる歌四首
- 1風風かざ速速はやののの加麻皤夜能434
- 2美保美保みほののの浦浦うら廻廻みののの美保乃浦廻之
- 3白白しら躑躅躑躅つつじ白管仕
- 4見見みれれれどもどもども不怜不怜さぶししし見十方不怜
- 5亡亡なききき人人ひと思思おもへへえばばば無人念者
- 6みづみづしみづみづしみずみずし見津見津四435
- 7久米久米くめののの若若わく子子ごががが久米能若子我
- 8いいい觸觸ふりりりけむけむけん伊觸家武
- 9磯磯いそののの草草くさ根根ねののの礒之草根乃
- 10枯枯かれれれまくまくまく惜惜をしもしもしも干卷惜裳
- 11人人ひと言言ごとののの人言之436
- 12繁繁しげきききこのこのこの頃頃ごろ繁比日
- 13玉玉たまならならならばばば玉有者
- 14手手てににに卷卷まききき持持もちちちててて手爾卷以而
- 15戀戀こひひいずずずあらあらあらましましましををを不戀有益雄
- 16妹妹いもももも吾吾われももも妹毛吾毛437
- 17清清きよみののの河河かはののの清之河乃
- 18河河かわ岸岸ぎしののの河岸之
- 19妹妹いもががが悔悔くゆゆゆべきべきべき妹我可悔
- 20心心こころははは持持もたたたじじじ心者不持
現代語訳
〔434〕(風速の)美保の浦のあたりの白つつじは、見ても心楽しくない。亡くなった人を思うと。
〔435〕(みづみづし)久米の若子が触れたという磯の草の根が、枯れてしまうのは惜しいことだ。
〔436〕人のうわさのうるさいこのごろ、あの人が玉であったなら、手に巻いて持って、恋しく思わずにいられるだろうに。
〔437〕あの人も私も清らかな、清見の川の川岸が崩れるように、あの人が悔やむような心は、私は決して持つまい。
意訳
巻第二の228・229番と同じく、和銅4年(711)に河辺宮人が姫島の松原で娘子の亡きがらを見て詠んだと伝える歌である。左注は、年や場所、作者が同じだが歌の言葉が違い、どちらが正しいか判断できないので、ここにも重ねて載せたという。434番は白つつじを見ても亡き人を思うと楽しくないと歌い、435番は伝説の久米の若子にふれた草の根を惜しむ。436・437番は、恋の歌として読める歌である。
語釈・文法注
文法・本文
- みづみづし
- みずみずしい若さをいい、「久米の若子」にかかる。
- 枯れまく惜しも
- 「まく」は「む」のク語法。枯れるのが惜しい。
- 清の河
- 「清見(きよみ)の川」。「清し」の意をかけるとみる説もある。
和歌
- 作者
- 河辺宮人(生没年未詳)
伝未詳。巻第二の228・229番にも、姫島の娘子を悼む同じ時の歌がある。 - 出典
- 『万葉集』巻第三・挽歌・434〜437番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 和銅4年(711)、河辺宮人が姫島の松原で娘子の亡きがらを見て悲しんで詠んだと伝える歌四首。
修辞
- 譬喩
- 436番で、恋人を玉にたとえる。
解説
巻第二の228・229番とは歌の内容がかなり異なり、特に436・437番は挽歌というより恋の歌である。編者も迷いながら載せたことが左注からうかがえる。435番の久米の若子は、307〜309番の三穂の石屋の伝説の人物である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、120頁(コマ64)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、123頁(コマ67)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日