古典ライブラリー

万葉集 巻第三 416番

百傳ふ 磐余の池に

大津皇子(おおつのみこ)

磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日が最後で、私は雲の彼方に隠れていくのだろうか。謀反の罪で死を賜った大津皇子の辞世の歌。

冬枯れの池の水面に鴨が浮かんで鳴いている。岸辺に、若い皇子が静かに立ちつくしている

題詞大津皇子の被死れ給へる時、磐余の池の陂にて涕を流して御作歌一首

  1. 1百もも百もももも傳づた傳づたづたふふう百傳
  2. 2磐余いはれ磐余いはれいわれののの池いけ池いけいけににに磐余池爾
  3. 3鳴な鳴ななくくく鴨かも鴨かもかもををを鳴鴨乎
  4. 4今日けふ今日けふきょうのみのみのみ見み見みみてててややや今日耳見哉
  5. 5雲くも雲くもくも隱がく隱がくがくりりりなむなむなん雲隱去牟

引用の仕方

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現代語訳

(百傳ふ)磐余の池に鳴く鴨を、今日を限りに見て、私は雲の彼方へ隠れていくのだろうか。

意訳

朱鳥元年(686)9月に天武天皇が亡くなると、翌月、大津皇子は謀反の罪で捕らえられ、自害を命じられた。磐余の池のほとりで、皇子はいつも見ていた鴨の姿を、今日が最後と見つめる。「雲隠る」は、身分の高い人が死ぬことをいう言葉である。二十四歳の若さで死に臨んだ皇子の静かな悲しみが伝わってくる。

語釈・文法注

文法・本文

百傳ふ
「磐余(いはれ)」にかかる枕詞。
雲隱りなむ
「雲隠る」は貴人の死をいう。死んでいくのだろうか。

和歌

作者
大津皇子(663–686)
天武天皇の皇子で、母は大田皇女。文武にすぐれ人望があったが、父の死の直後に謀反の罪で捕らえられ、自害を命じられた。
出典
『万葉集』巻第三・挽歌・416番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
朱鳥元年(686)10月、大津皇子が死を賜ったとき、磐余の池の堤で涙を流して詠んだと伝える歌。

修辞

枕詞
「百傳ふ」が「磐余」にかかる。

解説

懐風藻にも大津皇子の辞世の詩「臨終」が残る。姉の大伯皇女が皇子を悼んだ歌(巻第二の163〜166番)や、伊勢を訪ねた皇子を見送った歌(105・106番)と合わせて読まれる。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、117頁(コマ62)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、119頁(コマ65)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日