万葉集 巻第三 337番
憶良らは
私憶良は、もうおいとましましょう。家では子どもが泣いているでしょう。その子の母も、私を待っているでしょうから。宴の席を辞するときのユーモラスな歌。

題詞山上憶良臣、宴を罷る歌一首
現代語訳
私憶良めは、もうおいとまいたしましょう。今ごろ子どもが泣いているでしょう。そしてその子の母も、私を待っているでしょうから。
意訳
宴もたけなわのころ、憶良は「そろそろ失礼します。家で子どもが泣いているでしょうし、その母親も私の帰りを待っていますので」と、席を立つ。自分を「憶良ら」とへりくだって呼び、妻のことを「その子の母」と遠回しに言うところに、とぼけたおかしみがある。当時の憶良はすでに六十代後半であったとみられ、幼い子がいたかどうかは疑わしい。宴の座を和ませる、機知に富んだ退席の挨拶であったと考えられる。
語釈・文法注
- 憶良ら
- 「ら」は謙遜の気持ちを表す接尾語。私憶良めは。
- 罷らむ
- 「罷る」は、貴人のもとから退出する意の謙譲語。「む」は意志の助動詞。おいとましよう。
文法・本文
- 子哭くらむ
- 「らむ」は、目の前にないことを推量する現在推量の助動詞。今ごろ子どもが泣いているだろう。
- 其の彼の母も
- 「その、あの母」。子どもの母、すなわち自分の妻を、遠回しに言う表現。
- 待つらむぞ
- 現在推量の「らむ」に、強く言い切る終助詞「ぞ」が付いた形。
- 題詞の「憶良臣」
- 底本は、古葉略類聚鈔によって「山上憶良臣」とする。『白文万葉集』も同じ本文で、類聚古集に「臣憶良」とあることを注記している。
和歌
- 作者
- 山上憶良(660–733?)
遣唐使の一員として唐に渡り、儒教や仏教の思想を学んだ。のち伯耆守・筑前守となり、筑前では大宰帥の大伴旅人と親しく交わった。子どもへの愛情、貧しさ、老いや病など、人生と社会の問題を正面から詠んだ歌人。 - 出典
- 『万葉集』巻第三・雑歌・337番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 筑前守であった山上憶良が、大宰府での宴の席を退出するときに詠んだ歌とみられる。大宰帥大伴旅人のもとで開かれた宴であったと考えられている。
修辞
- くり返し
- 「罷らむ」「哭くらむ」「待つらむぞ」と、「む」の音で終わる推量・意志の句を三つ重ね、軽快な調子を生み出している。
- 自称
- 自分の名を「憶良ら」と詠みこむ。歌に自分の名を入れるのは珍しく、ユーモラスな効果をあげている。
解説
山上憶良は、子どもへの深い愛情を詠んだ歌人として知られる。巻第五の「瓜食めば子ども思ほゆ」(802番)や「銀も金も玉も何せむに」(803番)はその代表作である。この「宴を罷る歌」も、子どもと妻を理由に席を立つという内容から、憶良の家族思いの人柄を示す歌として親しまれてきた。
ただし、この歌を詠んだころの憶良は、六十代後半であったと考えられている。そのため、泣いている幼い子がいたとは考えにくく、宴を早めに退出するための、わざと大げさに言った挨拶の歌であったとする説が有力である。自分の名を入れて「憶良らは」と歌い出す大胆さや、「らむ」を重ねる軽快な調子は、座の人々を笑わせ、和ませたことだろう。旅人の「讃酒歌」(338番以下)が、この歌のすぐ後に置かれているのも興味深い。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、106頁(コマ57)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、106頁(コマ59)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日