古典ライブラリー

万葉集 巻第二 167〜170番

天地の 初の時

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

天地の始まりに神々が集い、天照大神の子孫が地上を治めることになった。その神の御子として天下を治めるはずだった日並皇子は、真弓の岡に宮を建てて籠もり、もう言葉もかけてくださらない。草壁皇子の死を悼む柿本人麻呂の長歌と反歌。

草葺きの簡素な殯宮のそばに、淡い喪服の宮人たちと、静かに手を合わせる歌人が立っている
草葺きの簡素な殯宮のそばに、淡い喪服の宮人たちと、静かに手を合わせる歌人が立っている

題詞日並皇子尊の殯宮の時、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并に短歌/或本の歌一首

  1. 1天あめ天あめあめ地つち地つちつちののの初はじめ初はじめはじめののの時とき時ときとき天地之 初時167 長歌
  2. 2ひさかたひさかたひさかたののの天あま天あまあまののの河かは河かはかわ原はら原はらはらににに久堅之 天河原爾
  3. 3八百萬やほよろづ八百萬やほよろづやおよろず千萬ちよろづ千萬ちよろづちよろず神がみ神がみがみののの八百萬 千萬神之
  4. 4神かむ神かむかむ集つど集つどつどひひい集つど集つどつどひひい坐いま坐いまいましししててて神集 集座而
  5. 5神かむ神かむかむ分あが分あがあがちちち分あが分あがあがちちちししし時とき時ときときににに神分 分之時爾
  6. 6天あま天あまあま照て照ててすすす天照 日女之命
  7. 7天あめ天あめあめをををばばば知し知ししろしろしろしめめめすすすととと天乎波 所知食登
  8. 8葦あし葦あしあし原はら原はらはらののの瑞みづ瑞みづみず穗ほ穗ほほののの國くに國くにくにををを葦原乃 水穗之國乎
  9. 9天あめ天あめあめ地つち地つちつちののの依よ依よよりりり合あ合ああひひいののの極きはみ極きはみきわみ天地之 依相之極
  10. 10知し知ししろしろしろしめめめすすす神かみ神かみかみののの命みこと命みことみことととと所知行 神之命等
  11. 11天あま天あまあま雲くも雲くもくもののの八や八やや重へ重へへかきかきかき別わ別わわきききててて天雲之 八重掻別而
  12. 12神かむ神かむかむ下くだ下くだくだししし坐いま坐いまいませせせまつりまつりまつりししし神下 座奉之
  13. 13高たか高たかたか照て照ててすすす日ひ日ひひののの皇子みこ皇子みこみこははは高照 日之皇子波
  14. 14飛鳥あすか飛鳥あすかあすかののの淨きよみ淨きよみきよみののの宮みや宮みやみやににに飛鳥之 淨之宮爾
  15. 15神かむ神かむかむながらながらながら太ふと太ふとふと敷し敷ししきききましましましててて神隨 太布座而
  16. 16天皇すめろぎ天皇すめろぎすめろぎののの敷し敷ししきききますますます國くに國くにくにととと天皇之 敷座國等
  17. 17天あま天あまあまののの原はら原はらはら岩いは岩いはいわ戸と戸ととををを開ひら開ひらひらききき天原 石門乎開
  18. 18神かむ神かむかむ上あが上あがあがりりり上あが上あがあがりりり坐いま坐いまいましししぬぬぬ神上 上座奴
  19. 19わがわがわが大王おほきみ大王おほきみおおきみ皇子みこ皇子みこみこののの命みこと命みことみことののの吾王 皇子之命乃
  20. 20天あめ天あめあめののの下した下したした知し知ししろしろしろしめめめしししせせせばばば天下 所知食世者
  21. 21春はる春はるはる花はな花はなはなののの貴たふと貴たふととうとからからからむむんととと春花之 貴在等
  22. 22望もち望もちもち月づき月づきずきののの滿たた滿たたたたはしはしわしけむけむけんととと望月乃 滿波之計武跡
  23. 23天あめ天あめあめののの下した下したした四方よも四方よもよもののの人ひと人ひとひとののの天下 四方之人乃
  24. 24大おほ大おほおお船ふね船ふねふねののの思おも思おもおもひひい憑たの憑たのたのみみみててて大船之 思憑而
  25. 25天あま天あまあまつつつ水みづ水みづみず仰あふ仰あふあうぎぎぎててて待ま待ままつつつににに天水 仰而待爾
  26. 26いかさまいかさまいかさまににに思おも思おもおもほしほしおしめめめせせせかかか何方爾 御念食可
  27. 27由縁つれ由縁つれつれもももなきなきなきののの岡をか岡をかおかににに由緣母無 眞弓乃岡爾
  28. 28宮みや宮みやみや柱ばしら柱ばしらばしら太ふと太ふとふと敷し敷ししきききましましまし宮柱 太布座
  29. 29御殿みあらか御殿みあらかみあらかををを高たか高たかたか知し知ししりりりましましましててて御在香乎 高知座而
  30. 30朝あさ朝あさあさごとごとごとににに御み御みみ言こと言ことこと問と問ととはははさささずずず明言爾 御言不御問
  31. 31日ひ日ひひ月つき月つきつきののの數まね數まねまね多おほ多おほおおくくくなりなりなりぬれぬれぬれ日月之 數多成塗
  32. 32そこそこそこ故ゆゑ故ゆゑゆえににに皇子みこ皇子みこみこののの宮みや宮みやみや人びと人びとびと行方ゆくへ行方ゆくへゆくえ知し知ししらららずずずももも其故 皇子之宮人 行方不知毛
  33. 33ひさかたひさかたひさかたののの久堅乃168 反歌
  34. 34天あめ天あめあめ見み見みみるるるごとくごとくごとく天見如久
  35. 35仰あふ仰あふあうぎぎぎ見み見みみししし仰見之
  36. 36皇子みこ皇子みこみこののの御み御みみ門かど門かどかどののの皇子乃御門之
  37. 37荒あ荒ああれれれまくまくまく惜を惜ををしししももも荒卷惜毛
  38. 38あかねさすあかねさすあかねさす茜刺169 反歌
  39. 39日ひ日ひひははは照て照ててらららせせせれれれどどど日者雖照有
  40. 40ぬばたまぬばたまぬばたまののの烏玉之
  41. 41夜よ夜よよ渡わた渡わたわたるるる月つき月つきつきののの夜渡月之
  42. 42隱かく隱かくかくらくらくらく惜を惜ををしししももも隱良久惜毛
  43. 43島しま島しましまののの島宮170 或本の歌
  44. 44勾まがり勾まがりまがりののの池いけ池いけいけののの勾乃池之
  45. 45放はな放はなはなちちち鳥どり鳥どりどり放鳥
  46. 46人ひと人ひとひと目め目めめににに戀こ戀ここひひいててて人目爾戀而
  47. 47池いけ池いけいけににに潜かづ潜かづかずかかかずずず池爾不潜

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

〔167〕天地が初めて開けた時、(ひさかたの)天の河原に、八百万、千万の神々が集まりに集まって、神々の治める所を分けた時に、天照らす日霊尊(天照大神)は天をお治めになることとし、葦原の瑞穂の国を、天地の寄り合う果てまでお治めになる神の命として、天の雲を幾重にも押し分けて、神が地上にお下しになった高く照らす日の皇子(天武天皇)は、飛鳥の浄御原の宮に、神のままにしっかりと宮を構えて治められ、ここは天皇の治める国であるとして、天の原の岩戸を開いて、神として天に上ってしまわれた。わが大君、皇子の命(日並皇子)が天下をお治めになったなら、春の花のように貴いだろう、満月のように満ち足りているだろうと、天下の四方の人々が、大船に乗ったように頼みに思い、天の水を仰ぐように待っていたのに、どうお思いになったのか、ゆかりもない真弓の岡に宮柱を太く立て、御殿を高く建てられて、朝ごとにお言葉もおかけにならず、月日がたくさん過ぎてしまったので、皇子の宮人たちは、どうしてよいかわからずにいることだ。

〔168〕(ひさかたの)天を仰ぐように仰ぎ見ていた皇子の宮殿が、荒れていくのが惜しいことだ。

〔169〕(あかねさす)日は照っているけれど、(ぬばたまの)夜空を渡る月が隠れてしまうのが惜しいことだ。

〔170 或本の歌〕島の宮の勾の池に放し飼いにされている鳥も、人の目を恋しがって、池に潜ろうともしない。

意訳

持統天皇の子で皇太子であった草壁皇子(日並皇子)は、持統天皇3年(689)に即位しないまま亡くなった。人麻呂は、天地開闢の神話から語り起こし、天照大神の子孫として天武天皇が地上を治め、やがて神となって天に帰ったことを述べる。そして、次にその跡を継ぐはずだった皇子に、人々は大きな期待を寄せていたのに、皇子は真弓の岡の墓所に籠もってしまった、と嘆く。神話と現実をつなぐ壮大な構想で、皇子の死を国家的な悲劇として描いた、人麻呂の殯宮挽歌の代表作である。反歌の169番は、日(持統天皇)は照っているが、月(草壁皇子)が隠れたと、天体にたとえて皇子の死を悼んでいる。

語釈・文法注

日靈尊(ひるめのみこと)
天照大神。原文は「日女之命」。
眞弓(まゆみ)の岡
奈良県高取町の丘陵。草壁皇子の墓所が営まれた。
島の宮
草壁皇子の宮殿。奈良県明日香村島庄にあった。

文法・本文

坐せまつりし
「坐す」は「居る」の尊敬語の他動詞形。地上にお置き申し上げた。
知ろしめしせば……貴からむと
「せば…む」の形で、もしお治めになったら貴いだろうと。
左注
169番の後に「或本、件の歌を以て、後の皇子の尊の殯宮の時の歌の反とせり」とある。

和歌

作者
柿本人麻呂(生没年未詳(7世紀後半〜8世紀初め))
持統天皇・文武天皇の時代に宮廷に仕えた歌人。皇子の死を悼む壮大な挽歌を多く残した。
出典
『万葉集』巻第二・挽歌・167〜170番
歌体
長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
持統天皇3年(689)4月、皇太子の日並皇子尊(草壁皇子)が亡くなり、その殯宮が営まれたときに柿本人麻呂が詠んだ長歌と反歌。170番は或本の歌。

修辞

神話の叙述
天地開闢と天孫降臨の神話から説き起こし、皇統の神聖さを語る。
比喩
169番は、日を持統天皇、月を草壁皇子にたとえるとされる。
枕詞
「ひさかたの」「高照す」「大船の」「あかねさす」「ぬばたまの」など。

解説

草壁皇子は、天武天皇と持統天皇の間の唯一の皇子であり、天武天皇の後継者として期待されていた。しかし天武天皇の死後すぐには即位せず、持統天皇3年に28歳で亡くなった。持統天皇はその後自ら即位し、草壁皇子の子の軽皇子(文武天皇)の成長を待つことになる。

この長歌は、天地の始まりから神々の世界、天武天皇の治世、そして皇子の死へと、壮大な時間の流れを一気に描き出す。天皇や皇子を神として歌う人麻呂の宮廷挽歌の特徴がよく表れた作品で、のちの高市皇子への挽歌(199番)とともに、人麻呂の挽歌の双璧とされる。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、64頁(コマ36)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、59頁(コマ35)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日