新古今和歌集 巻第十八 雑歌下 1845番
行末は
行く末には私をもしのぶ人がいるだろうか。昔を思う心の習いとして。
場面イラスト(準備中)
現代語訳
〔詞書〕千載集を撰んでいました時、古い人々の歌を見て。
行く末には私をもしのぶ人がいるだろうか。昔を思う心の習いとして。
意訳
私が古人の歌をしのぶように、将来は私のことをしのんでくれる人もいるだろうか。昔を思う人の心の習いとして。
語釈・文法注
和歌
- 作者
- 藤原俊成(ふじわらのとしなり(しゅんぜい)) 1114–1204
藤原定家の父。『千載和歌集』を撰び、歌論書『古来風体抄』を著した。余情と「幽玄」を重んじる歌風で、御子左家の歌学の基礎を築き、新古今時代の歌人たちを導いた。法名は釈阿。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第十八・雑歌下・1845番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「千載集撰び侍りける時、ふるき人々の歌を見て」(千載集を撰んでいました時、古い人々の歌を見て)。
修辞
- 字余り
- 第三句。
- 三句切れ
- 三句切れ。
- 倒置
- 倒置。
解説
俊成の歌。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、339頁(コマ179)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日