新古今和歌集 巻第八 哀傷歌 836番
尋ねきて
訪ねてきて、どれほどあわれと眺めていることだろう。主のいなくなった山の峰の白雲を。
場面イラスト(準備中)
現代語訳
〔詞書〕前参議教長が高野山にこもっておりましたが、病が重くなったと聞いて、頼輔卿が出かけたところ、その途中で亡くなったと聞いて贈った歌。
訪ねてきて、どれほどあわれと眺めていることだろう。主のいなくなった山の峰の白雲を。
意訳
はるばる訪ねて行って、どれほど悲しい思いで眺めておられるでしょう。主の跡かたもなくなった山の峰にかかる白雲を。
語釈・文法注
- 跡なき
- 跡かたもない。故人がいないこと。
和歌
- 作者
- 寂蓮法師(じゃくれんほうし) 1139?–1202
俗名は藤原定長。藤原俊成の甥で養子となったが、定家が生まれると出家した。『新古今和歌集』の撰者に選ばれたが、完成前に没した。「三夕の歌」の一首「さびしさはその色としもなかりけり」で知られる。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第八・哀傷歌・836番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「前參議敎長、高野に籠りゐて侍りけるが、病かぎりになりぬと聞きて、賴輔卿まかりける程に、身まかりぬと聞きてつかはしける」(前参議教長が高野山にこもっておりましたが、病が重くなったと聞いて、頼輔卿が出かけたところ、その途中で亡くなったと聞いて贈った歌)。
修辞
- 三句切れ
- 三句切れ。
- 体言止め
- 体言止め。
解説
寂蓮の歌。頼輔は教長の弟。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、151頁(コマ85)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日