新古今和歌集 巻第八 哀傷歌 795番
浮世には
つらい世にはもういないと思う、嵐山の山風に、これが慣れていくはじめなのだろうか。
場面イラスト(準備中)
現代語訳
〔詞書〕母の喪に服していた秋、法輪寺にこもって、嵐がひどく吹いたので。
つらい世にはもういないと思う、嵐山の山風に、これが慣れていくはじめなのだろうか。
意訳
母はもうこのつらい世にいない。嵐山の山風に吹かれながら、こうして母のいない世に慣れていく、これがそのはじめなのだろうか。
語釈・文法注
- あらし
- 「あら(ず)し(有らじ)」と「嵐(嵐山)」を掛ける。
和歌
- 作者
- 藤原俊成(ふじわらのとしなり(しゅんぜい)) 1114–1204
藤原定家の父。『千載和歌集』を撰び、歌論書『古来風体抄』を著した。余情と「幽玄」を重んじる歌風で、御子左家の歌学の基礎を築き、新古今時代の歌人たちを導いた。法名は釈阿。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第八・哀傷歌・795番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「母の思ひに侍りける秋、法輪寺にこもりて、嵐のいたく吹きければ」(母の喪に服していた秋、法輪寺にこもって、嵐がひどく吹いたので)。
修辞
- 掛詞
- 「あらし」に「有らじ」と「嵐」。
解説
俊成の歌。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、142頁(コマ81)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日